日本や世界を舞台に物件駅を買い漁る「桃太郎電鉄」というゲームがある。かつては出雲には蕎麦、喜多方にはラーメン、そして宇都宮には餃子しかなかった。それが何故か印象的で、日本の地理はこのゲームで学んだ。シリーズ最新作では幅広い物件を扱うようになり、豊かになっているはずなのに何を売っていたのか記憶に残らなくなった。心を揺さぶるような旅路は目的地へと向かうだけの短期旅行でしかなくなった。
題『センチメンタル・ジャーニー』
(深夜03:00〜04:00)
この時間帯だけに接続できるフリーWi-fi があった。
「おはよう、元気にしてる?」
「ああ、なんとかね。ようやく仕事に一区切りがついたところで、これから寝るところ」
飄々とした態度で根無草のように捉えどころのない30代後半の男性の声であり、軽い疲労感が滲み出ていた。Bluetooth の向こう側の君がすぐ隣にいるような錯覚を覚えながら月を見上げていた。
「こっちは満月だよ。しかもブラッドムーン。君に見せたかったな」
小さい頃は夜中にこっそり抜け出して公園のブランコで満点の星空や群青色の空に浮かぶ月を指さしては何に見えるかと語り合っていた。
「そうなんだ!見たかったなー、ブラッドムーン。写真くらいなら送れるかもしれないから申請してくれない?」
わかった、手続きしてみるね。
何気ない会話。けれど決して交わることはない。
西暦2351年、月流し法が可決された。かつては島流しや電気ショックが一般的だったが、現在は機械による自動化が進み人件費が軒並み高騰していたため、コスト削減の一環として広く普及していた。
かつて君と見上げた月は脱獄不可能な刑務所となった
題『君と見上げる月…🌙』
空白には空白を置いているんだ。空白期間に何をしていたなんて意味のない質問をしないでくれよ。ドーナツの穴に疑問を持つのか?熟成中のチーズを空白期間と見做すのか?俺の国では、わざわざ働かなくても生きていけるのに何故働くんだって聞かれるけどな。
題『空白』
空に暗幕が張られ聴衆の星々が見えなくなると秋の訪れにスタートダッシュを決めようとした蜻蛉が慌てて舞台袖へと消えていく。
台風が過ぎ去ると玄関先に散乱していた蝙蝠のフンは綺麗に洗い流されていたが、蜻蛉は出鼻をくじかれてコンクリートに突っ伏していた。残暑の気配を感じる熱風に対して、アンコールに答えるピアノ奏者のように蝉が再び鳴きだした。
題『台風が過ぎ去って』
もしこの世界にひとりきりだったらどうしたい?
「うーん、私は人の話を聴くのが好きだから悲しくなっちゃうな。それにヨーグルトも食べれなくなっちゃうのは嫌だなー。」牛の世話をしている自分を想像してみるがボンヤリとした上辺だけの妄想しか浮かばず、遊牧民の生活は難しそうだ。
「でもさ、ありえない話じゃないよね。例えばさ、朝起きたら誰もいなくて、実は私以外のみんなが遠い銀河からやってきた難民宇宙人で、長い銀河戦争がようやく終結して母星に帰っちゃったとか。」ありえない?あはは、笑わないでよ!
だってさ、毎日想像もできないような発見や驚きがあるのが世界でしょ。私に想像できるようなことは起きる可能性もあるんじゃない?少なくとも潜在的可能性は0じゃない。
そう思うと、果たしてない約束に行くのもいいかもね。実は母の知り合いで今でも交流のある人がいるんだけど、いつでもいいから是非遊びに来てくれって言われてるんだ。社交辞令かもしれないし急に行ったら迷惑かもしれないって思って行動できていないんだけど。そんなこといったら営業マンは大変だよね。
うん、そうだなぁ。とりあえず呼び鈴を鳴らして訪ねてみようかな。迷惑かどうかは顔を見れば分かるだろうし。
…うーん、やっぱりちょっと怖い。営業の人って凄いな。尊敬しちゃう。でも自己成長はコンフォートゾーンの先にあると思うから、何とか飛び出せないかな。
もしかしたら柴犬の像みたいにずっとひとりきりで訪ねてくるのを待っているかもしれないから。
題『ひとりきり』