言葉は形を持たないとよく言うが、
それは本当だろうか。
形を持たないからといって、
果たしてそれが、どうしたというのか。
私は言葉とは、
表情に等しく、感情に近しいと考える。
人々は、
嘘か真かも分からない他人だらけの世界に、
己の人生を抱え、生きている。
まだ生きていたいと願う人もいれば、
もう死んでしまいたいと明日を恨む人もいる。
もしかしたら、
勝手に信じていた明日が、
来なかった人もいるだろう。
止まることのない時に抗い、
死ぬも生きるも知らず必死に理不尽に立ち向かう。
そんな勇気がないことも、悪いとは言わない。
70億もの人々が生きる地球には、
信じられないほど沢山の考え方があり、
毎秒、毎分単位で、
誰一人として同じことのない感情がある。
毎日、毎時間単位で、
知らない誰かが死んでいき、
知らないあの子が産まれてくる。
それは言葉も同じ。
誰一人として、
本質はかぶることの方が稀である。
その発する一つ一つが尊いものであるかもしれない。
その吐き出す一語一語が凶器であるかもしれない。
だが、
責任を持って、
大切に発さなければならないことは、
皆、同じである。
同じでなければいけない。
難しいが驚くほど単純である。
形があるないなど関係ない。
人との違いなど気にする必要もない。
自信と責任と知識を持って、
自身と他人とこの世界のために、
発し、願えるならそれでいい。
言葉とは、、、
それでいい。
小さい時、
よく遊んだ。
まだ幼児だった頃、
母に褒められて、
嬉しくて、
得意げに何度も、
てっぺんまで登った。
そして、
まんべんの笑みで、
"まま!見て!"
そう叫んだ。
まだ、児童だった頃、
友達に褒められて、
嬉しくて、
自慢げに何度も、
てっぺんを走った。
そして、
ドヤ顔で、
"見て!鬼ごっこだってできるよ!"
そう、叫んだ。
今、もう中学生になった。
もうてっぺんも、
褒め言葉も、
嬉しさも、
自慢も、
何も、
....なくなった。
あの日、
僕はあの子を知らなかった。
あの日、
いつも通りの燦々とした朝だった。
あの日、
いつも通りだと、
勘違いした朝だった。
あの日は、
朝から何かが違った。
気のせいだと笑っていられるほど、
小さな違いだった。
いつもは、
どれだけいい朝であろうと、
あんなことは思わなかった。
でもあの日は、、、思った。
"散歩しようかな"
そう囁いた僕は、
いつもと違う自分にあっさりとした顔を浮かべ、
少し微笑んだ。
向かったのは、
今咲き誇る桜の木が一本、
大きく立つ公園だった。
そして着くなり一瞬で僕の視界を奪ったあの子は、
後ろ姿さえ透き通る黒髪を揺らし、
現れた。
風の中には、
その子のものらしき声も、
囁きを隠していた。
僕はそのとき確信した。
"あぁ...僕は毎日ここに来るんだろうな" と。
秋、
気づかないうちに感じられる肌寒さに、
ある日突然実感する。
そして、
その寒さに寂しさと孤独を抱えながら、
今日も生きていく。
色気ないモノクロな人生は、
いつまで経っても変わりはしないと、
分かっていた。
なのに、、、
僕は何かに期待しているかのように、
朝日に少し高鳴る気持ちで、
秋を感じた。
誰もいないことも、無意味なことも、
諦めなければならないことも、
覚悟はしていた、、、
つもりだった。
だけどある朝、
そんな覚悟が、
必要ないと悟った。
全部がどうでもいいと思えた。
一方的な感情に、
あるかもしれないと期待した僕に、
間違いじゃなかったと言える日が、
やっときた。
そして、
少しは色づいたと、
青く冷たい空に、
その先を語った。
あの子は、
毎年秋に、
現れた。
来年からは、
ずっと僕の、
そばにいた。
もう何も、
失うものはない。
そんな喪失感が漂う冬だった。
友達もいる。
家族もいる。
可愛がれるペットもいる。
それなのに、
拭えない孤独感が漂う冬だった。
楽しいはずの毎日も、
楽しみが溢れるこの先も、
騒がしかった昨日も、
何となく過ぎた今日も、
全部、
全部、
寒さに凍り付く記憶の中、
虚しさだけが残った。
空っぽな表情だけが残った。
この、
夏になるとなくなる妙な感覚は、
誰も欠けてない家族に囲まれる僕に、
心から笑いあえる友達がいる僕に、
かわいいと思えるペットがいる僕に、
それが当たり前になってる僕に、
決して当たり前と思うな。
いる事に感謝しろ。
そして思い切り、
"大事にしろ"
そう囁く代わりに、
僕を孤独に陥れた。