猫田こぎん

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11/20/2023, 12:27:44 AM

#キャンドル

 今日のお題、「キャンドル・ジュン」しか思い浮かばなかった……。
 はい、解散!解散!!

 と言うわけにもいかないし、何かひねり出すとします。
 キャンドル。そういえば、昔、ハマっていたことがある。あ、キャンドル・ジュン氏にではないですよ(そこから離れよう)。
 美輪明宏さんが寝るときにキャンドルを灯すと良い、だか、やってる、だか話されてて、不眠症だったもんで真似してみたのである。
 不眠症もねぇ。ずいぶん長患いしてたよ。
 勤務先のクリニックで入眠導入剤を処方してもらえるから、ホイホイ飲んでた。ただ、断薬の難しさも理解していたから飲む量は増やさず、ほぼプラセボと承知でルーティンのように。
 それも、今の旦那さんとお付き合いするようになって、彼から言われたわけでもなく「彼女が睡眠薬飲んでるとかキモいかな」という訳わからん理由で止める気になり、1ヶ月かけて徐々に減らしてすっぱり止めた。
 メンタル不調に対して特効薬が「理解ある彼くん」なのって、とても叩かれるけれども、好きな人から愛されるってのがどんな病にも一番の薬になるのは間違いないのよ。
 そういう宇宙人レベルで存在が不確定な生き物を引き合いに出すのが嫌がられるのかもしれないが、現に我が家にはいるしね。おかげで私も摂食障害と不眠症は治ったんだし。
 さて、キャンドルに話を戻すと、旦那さんに出会う前。まだ不眠症であった頃。
 IKEAでキャンドルをまとめ買いして、キャンドルポットもお気に入りのものを数個用意していた。ほぼ黒魔術の部屋。
 お風呂も、電気を消してアロマキャンドルを焚いて入ると気持ち良いし、ゆらゆら揺れる灯りは癒しになる。
 どうしてそれらを止めたのかと言えば、火の取り扱いが面倒だったから。
 毎日灯していたのが、三日に一度になり、一週間に一度になり、自然消滅。それでも2年くらい続いたかしら。
 今では、寝るときのルーティンとして、お互いにベッドに入って(同じベッドで寝ないのも安眠のポイント)、私が「もう寝る」と言うまで旦那さんが手を握っててくれるし、眠くなるまでおしゃべりしてくれるし、寝ると言えば「今日もお疲れさま。家のことたくさんしてくれてありがとう。ご飯もお弁当も美味しかった。いつもありがとうね、おやすみ」と言ってくれる。

 存在するのよ、こういう夫。信じられないとよく言われるけれど、彼はこれを9年間続けていまして。
 私の方も「こちらこそ、お仕事お疲れさまでした。いつもありがとう」と返すけれども(そう言い合って寝るのが9年続いている)。

 お互いを信頼し、愛し続けるってのは、長く続くと意外と難しくなっていくもので。
 風前の灯火であるならば、末長く小さく燃えるキャンドルのように大切にしたいと思う。


2023・11・20 猫田こぎん
 

11/17/2023, 2:33:06 AM

#はなればなれ

 昨日は忙しくて更新できなかった。毎日書くつもりだったのに、一週間もせずに記録が途切れると凹むけれど、まあ、ここは私を待ってる人などいない場所だから良しとする(夫が休みの日は書かないから毎日投稿というのとは少し違うし)。

 さて、今日のお題ははなればなれ。

 生きてれば離れ離れになる人も増えていく。そろそろ半世紀近く生きなんとする私も、数限りなく離れ離れになった人が(たぶん)いる。覚えてないから多いか少ないかもちょっとわからないんだが。
 「はなればなれ」と聞いて一番最初に思い浮かぶのが姉だ。
 私は三人姉妹の末っ子で、一番上の姉とは9歳、真ん中の姉とは7歳離れている。そう言うと頼んでもないのに、「お母さんは貴女が欲しくて産んだのよ」とフォローされることもあるが、一番上の姉の時、母は20歳であり(19歳で結婚した)、上の姉2人は母にとって若い継母が育てたようなもんだから、文字通り私は欲して生んだ子なんだろうと思っている。父が男児を期待していたから、女児と知れたときに要らん子になった可能性はなきにしもあらずではあるが。
 さて、そんなわけで、年が離れて生まれた私は当たり前のように母親べったり、分離不安激強、完全内弁慶に育った。
 そして、姉たちからは、本当に可愛がられなかった。わはは。めちゃくちゃ暗くて喋らず何を考えているかわからない糸目の座敷童みたいな妹なんて可愛いわけないもんなぁ。
 太っていること、暗いこと、喋らないこと、などを姉から指摘されまくり、それはそれは姉、特に真ん中の姉が怖かった。恐怖の対象でしかない感じ。
 子供の頃の私といえば、小児アトピーがひどくて、水風呂と洗面所を磨くことが大好きな根暗、自分の意志を出さない(出しても否定されるだけだし)、どんくさい、好きなことは寝ること、勉強ができたわけでもなく、太ってて運動が嫌い。ああ、列挙すると可哀想だな。
 姉はとても怖い人で、母方の叔母もそれに輪をかけて怖い人だった。今思うと、叔母は正義感の強いまともな人だったのだが、「きちんとしない」ことをよく怒られた。
 母方の祖父母の家に行くと、みんなでご飯を食べる。その時に近所のコンビニまで飲み物を買いに行かされるわけだが、それがシャイガールで人見知りな私にはめちゃくちゃハードルが高かった。1人で行動するのが苦手なのだ。それをもじもじ嫌がっていると、叔母に強く叱責され、半泣きでコンビニに行ったことを思い出す。
 2人の「怖い人」がいて、私は家でも祖父母宅でも縮こまって妄想の中に逃げていた。
 次姉は私のことが明確に嫌いであり、捨てる予定の服が入った段ボールを見ていたら、「あんたにあげるくらいなら捨てる。触らないで」と言われたこともあるし、私が高校に入ったあたりからは件の叔母が結婚して家を離れたこともあって祖父母宅に住んだ(何せ都内だからそっちの方が良かったらしい)から、高校に上がってからは話した記憶もない。
 そんなこんなで、私が知りうるかぎり、長姉が31歳で結婚した時に会って以来、はなればなれだ。

 そう。次姉とは、20年以上会っていないばかりか、どこに住んでいるのかも知らない。

 一時期母は姉の所在を調べようとしたらしいが、「なんか戸籍がウチから抜けてるから結婚したらしい」としかわからなかった。
 
 時は経過し、母方の祖父の遺産相続でくそほど揉めて最終決着まで15年を要し、長姉が離婚して出戻り、私が結婚し、父は「遺言書を作りたい」と言うに及んだ。
 遺言信託で公正証書遺言を作る段となって、はじめて次姉が東北の某県にいること、結婚して苗字が変わって○○になっていることがわかった。

 今も次姉とははなればなれだ。向こうも会いたいとは思っちゃいないだろうし、覚えているかすら微妙。
 私は何回か性格がぐいんぐいん変わり、アトピーも治ったし、母とそっくりな痩躯になった。
 できれば、二度と会いたくないとも思う。相続関係が滞りなく済めば、会う機会もないから願いは叶いそうかな。

 兄弟だから、姉妹だから、寂しくないの?

 ないです。全然。

 はなればなれも良いものよ。私自身子供がいない身だから遺言書をきっちり用意して、お互いの身元引受人とかにならないことを切に願う。


2023・11・17 猫田こぎん

 

11/15/2023, 5:11:57 AM

#秋風

 秋風…今年は吹いただろうか。
 毎年秋を感じることが少なくなっているが、今年はとにかく酷暑→なんだこの暑さ→殺す気か?→まだ暑い→このまま季節が進まないのでは?→こんなに暑い日が続いて大丈夫なのだろうか→ぎゃ!寒いっ!という感じで、暑いが続いたあと、急に何もインターミッションなく「寒い!」になった印象がある。
 ここ数年はずっと秋らしい秋もなく、残暑→冬。みたいな、日本には四季が消え、二季になったとはよく言ったものだ。

 秋。私は嫌いだった。
 仕事をしていた頃。秋といえば、「インフルエンザの予防接種が始まる」「ノロウイルス、ロタウイルスなどの感冒性胃腸炎が流行する」そして、冬は死…。であった。
 10月半ばからインフルワクチンの予約が始まり、予約初日はまさにチケットぴあ(今は電話にて先着順予約するシステムがなくなったからこの言い方、若い人はわからないのでは?)状態。
 シフト外の人間が休日出勤して一日中電話番をするような有様だった。
 そしてワクチンの接種はこれまた休診日に行われるため、休日が減る。ぶっちゃけ、いいことは一つもない。
 勤務していたのは小児科だったのね。だから、もう、阿鼻叫喚なわけですよ。大人に注射を打つのなら、まあ、変な人が多少いても粛々と進むけれど、断固拒否して泣き叫ぶ子供、暴れる子供、それらを捕まえ、宥め、保定し、まさに「羊の毛刈り」。全身運動だった。
 それと、胃腸炎の流行。これがきつい。
 働き始めた頃、子供の患者さんからもらった胃腸炎はそれはそれはすごかった。後にも先にも走りながら吐いたのはあれきりだし、緑色の胆汁まで吐いたのも幸いにしてあれきりだ。
 毎年繰り返し訪れる胃痛と吐き気。それらが10月から流行がインフル一辺倒になる12月下旬まで続く。
 秋は、そんな季節。だから本当に心底嫌いだった。

 それが、そんな阿鼻地獄を飛び出し、今は涅槃におります。子供と関わることがないため、仕事を辞めてから一度も胃腸炎になってない!インフルも罹患してない!病気しなくなった!ストレスで口内炎がしこたまできてしんどかったのも今は昔!

 そうなると秋が好きになってきた。過ごしやすいしいい季節よね。最近は存在しないけど。

 それとは別に、秋には記念日がある。
 10月17日が、江ノ島神社で神前挙式を挙げた日なのです。
 父が片瀬の会社に長く勤めていて、社長と宮司さんが知り合いということ、父自身も宮司さんと顔見知りということ、個人的に江ノ島神社が好きということ、毎年お礼参りに行ける距離であること、などから江ノ島神社の中津宮で挙式を挙げさせてもらった。
 台風が心配だったけれど、当日はまさに気持ち良い海風が吹く秋晴れ。親族以外では唯一出席してもらった親友が後ろで号泣しているのを、旦那さんと声を殺して笑っていたのを思い出す。ちなみに3年後、その親友の結婚式で私もマイクを持ったまま号泣するのである。

 秋と聞いて思い出すのは、そうね、あと、家でお月見をしたことかしら。
 クリスマス、冬至、ひな祭りなど、お節句や行事をかなり細かくやっていた我が家(結婚して旦那さんが全然しなかったと聞いて、なるほど、うちはとてもやっていた方なのだと知った)。
 お月見ももちろんやっていた。
 母と白玉粉でお団子を作り、私がススキを調達してくる。それだけの、簡単なイベント。
 ある年、ススキがどこも生えておらず、途方に暮れて暗くなるまで歩き回り、泣きながら帰ったことを思い出す。母は怒りもせず、「今年は仕方ないね」なんて言っていたような気がする(あんまり覚えてない)。いつからやらなくなったんだろう。今年もやらなかった。
 私が結婚することになり、当時彼氏だった今の旦那さんがうちに挨拶に来ることになった日。
 私は後から聞かされたが、父がどうしても桜茶を出したいと、桜の塩漬けをあちこち探し回ったのだそうだ。
 おめでたい日には、桜の花が浮いているお茶を出したかったとのこと。
 変なところにこだわりがある父ならやりかねんと思うし、うちでの行事も父の意見だったのかもしれない。

 ここで文章を書くと、よく昔のことを思い出す。
 なんでもないと気にも留めていなかった事柄が、実は我が家特有のことだったり、本当はとても尊いものだったなどと気づくことができた。
 秋風も、吹かなくなった今、とても懐かしく尊いものに感じる。いきなり冬はいやだよ。いきなりはステーキだけにしてほしい。



2023・11・15 猫田こぎん
 

11/14/2023, 3:04:00 AM

#また会いましょう

 「また会いましょう」と言われたら。
 これは「もう二度と会いたくないけれど、便宜上言っておく」なのか、「本当に会いたい」なのか。関係性によっても違ってくるけれど、悩むところだ。
 
 私は自他ともに認める、「人見知りしない人間」である。
 基本的に人間のことは嫌いだし、人間関係が広がるのを快く思わない生粋の引きこもり隠キャでありながら、どんな人とでも雑談ができる。あがったり、恥ずかしがったり、全然しない。
 講習会などで質問がある人は挙手してください、などと声がけされれば(むろん質問がある時だけだが)、大人数の前で立ち上がってマイクを握ることなど造作もない。
 自分の不手際などで失敗するのが嫌だから、いろんな人が集まって説明を受ける時などは必ず一番前にいるし、椅子が選べるなら真ん前の真ん中にする。

 そして、差し障りなく笑顔でおしゃべりし、にこやかで友好的な関係を築くことができる。

 しかし。みなさん、そこからですよ。

 続かないの。関係が。

 いや、私も前述の通り人間嫌いなもんで人と関わり合うのはめんどくせえと思っちゃうから別にいいんだけど、「また会いましょうね」と言われて連絡がきたためしがない!!

 ほんと、いい人の演技が上手いだけで見抜かれてるのかしらん。
 
 大人になると友達ができない。できにくい。

 けれども、私の友達は全て大人になってからできた友達だ。幼馴染も1人いるけど、年賀状でのやり取りのみ。高校の同級生とも2人ばかり年賀状だけで繋がっている人がいる。
 あとは、前の職場の同僚と、ネットで縁が繋がった人が2人、同人誌活動してた時の友達、そんな感じか。

 古くはmixiとかパソコン通信とか、合宿免許とか、習い事とか。そう言うのでふんわり知り合った人とは「また会いましょう」の言葉と共に縁が切れた。

 まあ、私が本気で「この人好きだわ!」と思った相手とはつながり続けてるから構わないんだけどさ。

 あ。そうそう。この人は離しちゃなんねえ!って人、いるよね。私は過去、4人ほど出会ってて。
 みんな人生の大事なところで私の心身を助けてくれたんだ。
 1人は、文字通り命の恩人。この人がいなかったら絶対死んでた。会えなかったルートを想像すると怖い。
 1人は、自分の魂に似ていると感じて支えたいと思った。15年くらいの付き合いになるからお互いに変わったはずだけど、似ているなって感じは同じだ。
 1人は、とにかくいい人。他人の悪口言わない。魂が綺麗だなって思う。喋ってると浄化される。
 1人は、旦那さん。この人がいないと死ぬ。
 みんな10年以上の付き合いだ。そして、私の方から「また会いましょう」と言った気がする。

 言われるよりも、言いたくなる人に会える方がいいな。

 そういえば、先日母親とパック旅行に行った時のこと。一人旅の人で、席が隣だったから仲良くなった人同士をチラ見していたら、別れ際に1人がラインを交換しようと申し出、もう1人が、「いつか会うって言ったってどうせ会わないんだから!いいのいいの、そういうの!またどっかのツアーで会ったらよろしくね!」と颯爽と別れてて、なんかちょっとかっこいいなと思った。

 出会うも出会わんも運次第。「次」と思う相手には躊躇なくグイグイいった方がいいですな。

2023・11・14 猫田こぎん


 

11/13/2023, 12:34:51 AM

#スリル

 19年間続けた仕事を、2回目のうつ病の悪化により42歳で退職した。
 最後の方は、職場に着くなりしゃべると涙が出るような有様で、院長に退職理由を話す時も泣きながら「もう(こんな風になるんで)無理だと思って」としか言えなかった。
 1回目のうつ病の時も休職を許してくれなかった人だから、私の退職理由もきっとわからなかったに違いない(別にそれは構わない)。
 送別会はしないでくれとお願いし、仲良しの看護師さんにしか辞めることを伝えず、忘れもしない9月15日はいつもと同じように「お疲れさまー」とさっさと帰った。もう二度とここには来ないと思うと、心底嬉しかったのを覚えている。
 そして、辞めてからも心身ともにボロボロで、フラッシュバック等、色々と大変だった。
 回復の兆しが見えたのは、仕事を辞めて2年ほど経った頃だった。
 仕事を辞めてからはハロワに通ったり、就職活動をしたり、パートで働いてはうつ病が再燃して辞めたりを繰り返し、旦那さんに「もう少し休みなよ」と言われて流石の私もダメだこりゃと思って気が抜けたのだ。
 何もしないと決めてから、心に余裕が生まれると、また何かしたくなる。
 そこで、車の免許を取ることにした。
 今は旦那さんと2人暮らしだけれど、ゆくゆくは私の実家で二世帯暮らしになる。それに父親には免許を返納してもらいたい。
 昼間の足になるには私が車の運転ができなくては。

 免許は合宿免許で取ることにした。
 ネットなどで情報を集め、新潟県の某教習所に決めた。
 合宿免許プランは女性だけで、宿泊も女性のみ(つまりは通いは男性もいるけれど、合宿中は教官やスタッフ以外の男性とは一緒にならない)。男性嫌いの私にピッタリじゃん。
 かくして、40も半ばのおばさんが14泊15日の合宿に挑んだのだった。

 生来の真面目さと心配性から、学科の勉強は合宿前にあらかた済ませてきていた。過去問やアプリでほぼ満点を取れるようにしてから行ったのだ。
 なので、学科の方は、入校翌日には第一課程合格の判子をもらい、仮免も一発合格、第二課程に進んだ翌日に卒業までに合格しなければいけないテストもすぐに合格した。 
 さて、問題は乗る方ね。
 前述の通り、私は真面目で心配性であり、かつ、「きちんとしていたい」という気持ちが強い。
 相手の意図をきちんと汲みたい意思が強すぎて、どうしても教官の注意を聞きすぎる。というわけで、相性が悪い教官とは本当にことごとくダメだった。
 胃薬を飲みながら仮免までヒーヒー言いつつ頑張りった。
 コースどりをするためであろうか、嫌いな教官が「左〜!」「左〜‼︎」と言うたびにビクビクしていたのを思い出す。「左に寄れ」なのか「左に寄りすぎている」なのかわからない上に、「そうしないためにどうすればいいか」を教えてくれないからパニくる。
 一転、路上に出てからは別の教官に「真ん中を走れていいですね」と褒められたから、場内では真ん中過ぎていたのかしら??
 教習場の中でこちゃこちゃ運転していた時は怖さしかなかったけれど、路上は楽だった。
 海山教習で弥彦山や海岸線を走ったのは楽しかったし、嫌いな教官に当たらなかったし、仮免で一緒に合格した人といつも一緒だから安心だった(同日入校が私だけで同期がいなかったの)。
 そんな中、高速道路の教習があった。
 教官曰く、「高速道路は信号とかなくてスイスイ走れるから路上より楽しいって言う人と、速いから怖いって言う人がいる」らしく、「スリルを求めるタイプかどうかわかるよ」とのこと。
 スリルかぁ。私は遊園地の絶叫マシンとか嫌いなんだよなぁ。
 高速道路は合流が一番怖い。下道で走っている時速の倍近くをぐいっと出さなければならないし、そもそもそんなに速く走ることなど人生で初なわけだ。
 しかし、高速道路教習は教官がいい先生だった上に、「そこでグッと踏んで!」と言ってくれたので、躊躇なくアクセルを踏みまくり、うまく合流できた。
 高速道路上では、「100キロまで出して良いところだから、100まで踏んでみましょうか」と促され、100までは出した(すぐに緩めた)。
「どう?100キロ出すと楽しいですか?」
 教官にそう聞かれ、私はこう答えた。
「自分の体が速い速度で移動することには興味がないようです」
 爽快感とか、興奮などは全然感じない。ただこの瞬間がはやく終わってほしい(運転を代わってほしい)だった。逆に恐怖もそんなになかった。責任を負い続けたくないという気持ち。だって、こんな高速で移動している時にハンドル操作とか誤まったら、私だけでなく他の人たちも死んでしまうから。
 一緒に教習を受けた人とも、「免許取っても高速は乗らない」「あたしも」なんて話し合った。
 あまりに心配性でゆっくり運転するもんだから、「ああああ!止まっちゃうから!もっと踏んで!」と言われたことならある。それを悩んで、一番優しそうな教官に相談してみた。
 すると「車の免許を取ると、その心配する気持ちを忘れてしまうことが多いんですよ。安全であること、周りを気遣うこと、それらは運転歴が長いと忘れるものですから、今の気持ちを忘れずにいてくださいね。車はスリルを楽しむ乗り物ではありませんから」と言われた。
 この言葉は免許を取ってから毎日乗るようになった今でも覚えているし、運転に慣れた人ほど危ないと自重している。

 スリルは好きか嫌いか。高速道路教習では嫌いだなと思った。心が波立つのは得意ではない。
 
 あ、でもね。私、高いところはものすごく好きなの。揺れる吊り橋とか下が透けてる東京タワーの一角とか。それはなんて言うか、スリルってのとも違うかな?だって怖くないものね。

 いやいや、でも、平穏が一番ですよ。


2023・11・13 猫田こぎん




 
 

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