#脳裏
最愛の人と11年前に出会って、その2年後に結婚した。来年で結婚10周年。
それまでの私ときたら、「男」という生き物が苦手だった。恐怖症と言っても良い。
小学校では度々仮病を使って学校を休んだし(母に男子から嫌なことを言われるからと告白したことはなかった)、中学校でも友達と笑ってる時に笑い顔を嘲笑されたり、掃除の時間に「俺の机触んな」ときつい口調で言われたりして、ほとほと男子が怖くなった。
高校は男子のいないところに行きたかったけど、2人の姉が私立の女子校だったせいで、父親に「女子校だけは行かないでくれ」と言われて、男子の比率が少ない専門科目の公立高校に進学した。
そうやって避け続け、高校への行き帰りの電車内で度々痴漢に遭ったこともあり、どんどんこの世の半分を占める性別を持つ生き物が恐ろしくなった。
もちろん、恋などというものも。だって、あの連中ときたら、私の容姿を侮蔑するばかりで、自分は選ばれるような存在ではないのだ。
それが「なんか違う?」と感じたのは20代半ばになった頃。
働くことで出会う男性の総数が畢竟多くなり、種々のコミュニティに参加するうちに、若い女性であれば誰でもいいくらいの人間なんてざらにいると気づいてしまった。
そして、初めて異性へ感じた「好き」という気持ち。相手は既婚者だった。わー、駄目フラグ!最悪!でもあるある!!
相手の人は5歳年上で、子供がいない既婚者で、結果からいうと、私は手を出されることなく3年半後自然消滅した。今振り返ると、やれやれといったところ。私も相手もよくぞ何もせず、進まず、終わったな。良かった。
それから失恋の痛手が消えるまで数年かかり、新たに婚活をはじめ、途中、仕事のストレスでメンタルを盛大に破壊しながら生きて、ちょっと紆余曲折ありつつ、11年前にその人に出会った。
友達の友達。はじめて会ったのは霧雨が降る寒い3月の土曜日。短歌好きの3人で歌会をしてみようと集まって、酒を飲んだ。
第一印象は「こわくない人」であった。前述のとおり、男性は怖いものであり、「紆余曲折」とぼかした中に若干のトラウマを抱えて、背の高い男性に恐怖するという特性を持ってしまったため、165センチという、集まった中で一番背が低い(友人173センチ、私168センチ)サイズ感もよかった。
とにかく話が面白くて、サービス精神に富み、酒が好きで、寂しがり屋の印象を持った。
後にわかることだが、彼は極度の人見知りで、知らぬ人へのサービスはほぼできず(雑談やおべっかの類が全くできない)、酒は確かに大好きだけど、ボッチ耐性は私と変わらないくらいあった。
あの日を振り返り、今でも「あの日はなんだったんだろうね」と言うほど。
運命なんてもんは、そんな感じなのかもしれない。
11年間喧嘩したことはない。
私が彼の言動へ不満を申し述べることや、それによってこう思った次第で悲しかったと伝えることはあっても、その度にこちらが引くほど自分を責め、改めてくれたおかげで、今は全く不満はない。ちなみに揉め事というのは「誕生日を祝う」「祝わない」程度の話で、三人兄弟で年中行事をあまり行わない家庭で育った彼と、三人姉妹で誕生日やクリスマスなんかをきちんとやる家に育った私との、家庭環境の違いだけなので、すり合わせをした。
旦那さんに出会うまでの私は苦難の連続だった。
ずっとしんどい中に、たまに楽しいがあり、溜まりまくる言葉は文章にしてやり過ごしていた。
人間が嫌いなのは今でも同じで、むしろ旦那さん以外の男性は嫌いなので、より拗らせている気もするけれど、長かった1人きりの年月が嘘のように、旦那さんを中心に世界が動いている。
なんなら、旦那さんさえ幸せであればあとのことはほとんどどうでもいいし、ずっとそば近くで触れたり匂いを嗅いだり笑ったりできていればいい。
結婚してから変わったのは、1人で出かけても、すぐに旦那さんのことを想ってしまうこと。
美味しいものを食べれば、「一緒に食べたかったな」「今度食べさせてあげたいな」と思うし、好きそうな雑貨、似合いそうな服、自分の買い物に出かけてもつい考えてしまう。
脳裏にはずっと旦那さんがいる。とても幸せを感じる。例えて言うなら、シルキーな猫を撫でている感じ。柔らかく、あたたかく、ふわふわで、気持ちいい猫をゆっくり撫でているときの幸せな気持ち。思い起こすと、そんな気持ちになる。
一人旅が好きで、特に京都へは年に4回も行くほどあちこち旅をしたけれど、結婚してからは行かなくなった。
ライブも、1人で夜行バスに乗って遠征や全通もしたけれど、それも行かなくなった。
それまで長い間自分1人でたくさんの時間を使って好きにしてきたから満足。という面もある。でも、今は1人より2人の方が良いんだ。
旦那さんが帰ってくるまであと12時間もある。
でも、脳裏にはいつもいて、今日も晩ご飯を美味しいって言ってくれるかな、なんて考える。それは、とても幸せなことだ。
2023・11・10 猫田こぎん
#意味がないこと
「意味がないこと」はなんだろうかと尋ねられて、すぐに「私が生きていること」と答えるくらいには厭世的ではあるのだけれど、そもそも、生きていることに意味など必要はない。
生きている意味など、あってもなくても命は続くし、所詮「止めたい」と思う程度では止められないのが生きているということだ。
もっと積極的に「生きている」を止めることは、むろんできる。自分で選んで実行することも可能だろう。しかし、それを実行することすらもめんどうだったり、そこまでじゃないよなー、なんてことはざらにある。
私は子供の頃からとかく死にたかった。常に死にたかったと言っても過言ではないくらい、なんだかんだ言い訳しながら死にたがっていた。
でも死んでいないし、死ぬ努力も、まあ、1回くらいしかしていない。
小学生の頃に母親に「死にたい」という手紙を書いたら、「そんなこと言うなんて悲しいです」という旨の返事をもらったのに、母親を悲しませるわけにはいかないなとは思わなかったので、えと、まあ、クズなんだね、私は。
話がそれたが、そうやって、ぼんやりとこの命が早く終わらないだろうかと思いながら生きているのだが、それがそんなに苦痛ではない。慣れって怖い。
それと、どうせ思っても死なないと軽んじているのかもしれない。
よく、「生きる意味がないから死にたい」などと言う人もいるようですが、生きることに意味なんてないし、あっても別に偉くないというか、どうってことないんじゃないかと思っている。
「生きている価値」の話になると、やっぱり死んだ方が大多数やその人を取り巻く人のためになる、なんて人は確かに存在するとは思う。
その人が生きているおかげで何万人が癒やされ、生かされる、その人が死なれては本当に困る、みたいな人だっている。
でも、死は平等だし、いずれは誰もが死ぬ。
人は生かされているものであり、時には突然に、時には長々待たされた果てに訪れるその瞬間まで、どうにか心身を保っていられたら及第点。
私はね、自分から命を断つ決断をして実行するほどに苦しかった人を非難するつもりは毛頭ない。頑張ったねって思う。その上で、生きているなんてのは、「状態」でしかなく、「死」まで一つの存在として有り続けた結果訪れる、「無」の前の段階かなと。
人として心身を保ってるだけで偉いのよ。ほんと、他者のためとか役に立つとか、そんなこと気にしなくていい。
私は自分の無価値で無意味な生に対して頓着しないけれど、それは無価値で無意味だからなわけじゃない。なんていうか、重いんだよね。早く手放したいって感じ。
今はとても大切な人がいて、その人が幸せそうだと私もめちゃくちゃ幸せで、その人が楽しそうだと、私もアホほど楽しくなるから、その人に「死なないでほしい」って繰り返し言われ続けた果てに、「そうかー」くらいの気持ちになった。
その人を悲しませるのは望むところではないから、できれば意向を汲んであげたい。
他方で、猫は、本当に死なないでほしいと思う。猫が不老不死なら良かったのにな。
人にはいろんな考えがあって、分かり合えないことってたくさんある。
子供を産みたい人と、産みたくない人。
結婚したい人と、結婚したくない人。
長生きしたい人と、早く死にたい人。
反対の思想の人と価値観を分かち合うのは無理だから、できれば、「早く死にたいんだよなー」って思想の人間に「そんなこと言っちゃダメよ」とか言わないでほしい。どうせ本気で何かことを起こすつもりなんてないんだから、どうか安心してほしい。
おさらいすると。
人は生きている意味など考える必要はなく、意味があってもなくても生きているべきである。多分。
そして、なぜだかわからないが、慢性的に自らを早く死なねえかなと思っている人間はいるものの、そいつらは慣れているし、ダラダラときっと長生きするから放っておいて大丈夫なのだ。
私にとって、死んでほしくない人(つまりは会えなくなるとしんどい人)は、ええと、顔が浮かぶ範囲で4人。それと、その4人が各々大切に思っている人たち。
その人たちには、まじで長生きしてほしいです。
2023・11・9 猫田こぎん
#柔らかい雨
雨というものは冷たく、時に痛い。柔らかい雨など存在するだろうか。
栞は高畑に言われた言葉を思い出しながら、わずかに首を傾げた。
雨はまだ止みそうにない。傘を持ってくれば良かった。雨宿りのつもりで駆け込んだこの軒先にいつまでいようか少しの間逡巡し、携帯の時計を確認して諦めた。
「栞ちゃんは柔らかい雨のような存在なんだ」
先ほど高畑に言われた言葉。続きはなかった。ちょっと照れくさそうに笑って、「じゃあ」と3つ年上の先輩は去っていったのだ。
「雨って濡れるしあんまり好きじゃないんだよな」
つい口を尖らせてしまう。隣に同じように避難していた中年男性がチラリとこちらを見た。栞は慌てて会釈して下を向く。そして今日のことを考えた。
お姉ちゃんの友達。それが高畑を表すただ一つの表現。それ以上もそれ以下もなく、また、その他もない。
たまに家に遊びに来るから、挨拶くらいはする。
お姉ちゃんの命令でコンビニにアイスを買いに行くときに一緒に行ってくれたり、お姉ちゃんに用事があって教室の入り口でモゴモゴしていると真っ先に栞に気づいてお姉ちゃんを呼んでくれる人。
考えてみれば、高畑はいつも栞に優しい。
今日もお姉ちゃんの誕生日プレゼントを一緒に選んでくれた。
部活が忙しいはずなのに、今日なら補講で居残りのお姉ちゃんにバレないからと、駅で待ち合わせしてくれた。
そのおかげで栞は無事にお姉ちゃんのクラスで流行っているキャラクターのポーチを買うことができた。
その帰り道。栞はなんの気なしに呟いたのだ。
「なんでこんなに良くしてくれるんですか?」
高畑の答えが先ほどの言葉だった。
「栞ちゃんは柔らかい雨のような存在なんだ」
好きということなのか、嫌いということなのか。いや、嫌いというニュアンスは含まれていなかっただろう。それくらい、中学生の栞にもわかった。
どのくらい首を傾げていただろう。栞がふと気づくと、雨が止んでいた。
再び携帯の時計を確認し、走って家に向かった。走っている間は、高畑のことも雨のことも考えていなかった。
その夜、栞はお姉ちゃんに「柔らかい雨ってどういう意味かわかる?」と聞いてみた。
「霧雨のことじゃない?」
なるほど、と栞は思った。私は霧雨?
次にお母さんにも「柔らかい雨ってどういう意味かわかる?霧雨のこと?」と聞いてみた。
「国語の宿題か何か?ネットで調べてみたら?」
高畑の言葉の真意がネット上に転がっているわけなどないので、お母さんには「ありがとう」とだけ返した。
お父さんは栞が起きている間には帰って来なかった(これはいつものこと)。
寝る前も栞は高畑のことを考えた。答えが出ることもなく、意識が落ちて、そして朝になった。
中等部と高等部は同じ敷地内の隣り合わせのため、その日も栞はお姉ちゃんと一緒に登校した。
いつも通り、パン屋さんの角を曲がると高畑が待っていて、お姉ちゃんの隣に並ぶ。
高畑に変わった様子はない。昨日の朝と同じように「はよ」と短くお姉ちゃんと挨拶を交わし、栞に「おはよう」と微笑む。
お姉ちゃんと高畑は栞にはわからない話をずっとしているし、栞はわからないまま歩く。
学校に着く前に、栞は高畑に昨日のことを聞きたかった。でも、お姉ちゃんには聞かれたくない。
その日はチャンスが訪れることがないまま終わった。
わざわざ高畑を呼び出して聞くようなことではない、そう栞に決心が着くまで三日かかった。つまりはそれまで言うに言えず聞くに聞けず、栞の頭の中は高畑でいっぱいだった。
高畑に会うことはある。大体お姉ちゃんと一緒にいるし。毎朝3人で登校するのだ。それなのに2人きりで話す機会がないまま。ただ、高畑の顔、話し方、声、仕草を思い出しては懊悩し、栞の胸に高畑がどんどん濃く焼きついていった。
日曜日。高畑が遊びに来た。私服の高畑は慣れない。学校帰りに来る高畑と違う人のように感じる。栞は自分の部屋に閉じこもって、高畑が帰るのを待った。
しかし、お姉ちゃんの気まぐれはそれを許さなかった。
「栞!ちょっとコーラ買ってきて」
ドアが勢いよく開き、仁王立ちのお姉ちゃんが栞に命令した。この絶対服従の命令を聞かないと、後で酷い目に遭う。栞は「ええ……」と口の中で不満を殺すと「はあい」と立ち上がった。
「栞ちゃん、それじゃ一緒に行こう」
お姉ちゃんの後ろから高畑が笑顔で手招きをする。
「えー、高畑も行っちゃうの?自販機すぐじゃん」
「かわいそうでしょ」
「じゃあスマブラの続きしてっわ」
お姉ちゃんは手をヒラヒラさせながら戻っていった。栞は高畑に軽く頭を下げて一緒に玄関を出た。
コーラが売っている自動販売機までは数百メートル。
その間に栞は決意を持って、高畑に尋ねた。
「あの、この間言ってた……」
「ん?何?」
高畑の顔が近い。揺らぐな決意、と思いながら続けた。
「私のこと、柔らかい雨って、どういう意味ですか?」
高畑は立ち止まり、「えと……」と僅かに言い淀んだあと。
「心地良いから、ずっと一緒にいたいって意味だよ」
栞も立ち止まった。立ち止まって、振り返り、優しく笑む高畑を見て、そして、しゃがみ込んだ。
なんなのなんなのなんなのなんなのなんなのなんなのなんなのなんなの……。
なんなのかは、わかっているのに心が追いつかない。
急にしゃがみ込んだ栞に、高畑が慌てて手を差し伸べる。
「どうしたの?具合悪くなった?」
「そうじゃなくて!」
「大丈夫?」
「わ、私も!高畑さんがお姉ちゃんだったら良かったのにって、いっつも思ってました。高等部では高畑さんがキャプテンしてる女子バレー部に入るつもりだったし、私、その……」
声が徐々に小さくなり、最後は消え入りそうに「好きです」と言った。
栞は顔を伏せていたため、その時の高畑の様子は見えなかった。自分のことで精一杯だったし、いつものセーラー服姿ではないボーイッシュな格好の高畑は栞の目には眩しすぎた。
「そうかぁ」
残念そうな、嬉しそうな、そんな高畑の声を聞き、栞は面を上げた。
いつの間にか、雨が降っていた。
「ごめんね、栞ちゃん。私、実は……」
雨音が栞の耳を塞ぐ。高畑の言葉は聞こえない。
やはり雨は冷たく、痛い。どんどん、栞を濡らして体が心が頭が冷えていった。
柔らかい雨など、なかったのだ。栞は天を仰いだ。
2023・11・7 猫田こぎん
#一筋の光
今日からこのアプリで文章を書こうと思い、開いてみたらこのお題。それ以前に新しいキーボードがなかなかに難敵でそっちの方が大変そうだ(まったくの個人的な問題事)。
そう、iPadを買ったのである。
私はまさに古のオタクで、古くはniftyの日記フォーラムに在籍したり、mixiで文章を書くなどしていた。
むろん個人ホームページは運営していたし、ブログも長く続けていた。
それが結婚し、仕事を辞め、実に書くことがなくなった。
文章(こういった雑文の類)は基本的に愚痴であり、嫌なことの昇華のために書く。嬉しいことがあった時にももちろん書く(私は旅行記を書くのが好きだった)が、やはり人生に不満や憤懣があればこそなのだ。
日々が平和になり、ストレスも溜まらない、もとい、溜まりにくい日々では書きたいこともない、という具合だ。
おまけに長らく続けていたブログがサービス終了になり、4年ほど続けていた棒SNSに嫌気がさして辞めた。
そこでお題回収。一筋の光。
旦那さんが「使っていたタブレット、いい加減過労死しそうだから、次はiPadが欲しい」と言い、「なるほど、Bluetoothのキーボードとかつければコタツで文章が書けるね!」となり、今に至る。
環境面を整えればまた書くようになるんじゃないの?と旦那さんが言ったように、あれば書こうと思うものである。
そうか、このアプリこそが人生を豊かにする一筋の光なのかもしれない。
とりあえずお題をもらって一日一文書いてみよう。それがどれだけ続けられるか。先のことはわからないけれど、一日、一日、続けてみたいと思っている。
文章を書くのは、本当に好きなんだよ。
それを、少しずつ思い出している。
2023・11・6 猫田こぎん