猫田こぎん

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#意味がないこと

 「意味がないこと」はなんだろうかと尋ねられて、すぐに「私が生きていること」と答えるくらいには厭世的ではあるのだけれど、そもそも、生きていることに意味など必要はない。
 生きている意味など、あってもなくても命は続くし、所詮「止めたい」と思う程度では止められないのが生きているということだ。
 もっと積極的に「生きている」を止めることは、むろんできる。自分で選んで実行することも可能だろう。しかし、それを実行することすらもめんどうだったり、そこまでじゃないよなー、なんてことはざらにある。
 私は子供の頃からとかく死にたかった。常に死にたかったと言っても過言ではないくらい、なんだかんだ言い訳しながら死にたがっていた。
 でも死んでいないし、死ぬ努力も、まあ、1回くらいしかしていない。
 小学生の頃に母親に「死にたい」という手紙を書いたら、「そんなこと言うなんて悲しいです」という旨の返事をもらったのに、母親を悲しませるわけにはいかないなとは思わなかったので、えと、まあ、クズなんだね、私は。
 話がそれたが、そうやって、ぼんやりとこの命が早く終わらないだろうかと思いながら生きているのだが、それがそんなに苦痛ではない。慣れって怖い。
 それと、どうせ思っても死なないと軽んじているのかもしれない。
 よく、「生きる意味がないから死にたい」などと言う人もいるようですが、生きることに意味なんてないし、あっても別に偉くないというか、どうってことないんじゃないかと思っている。
 「生きている価値」の話になると、やっぱり死んだ方が大多数やその人を取り巻く人のためになる、なんて人は確かに存在するとは思う。
 その人が生きているおかげで何万人が癒やされ、生かされる、その人が死なれては本当に困る、みたいな人だっている。
 でも、死は平等だし、いずれは誰もが死ぬ。
 人は生かされているものであり、時には突然に、時には長々待たされた果てに訪れるその瞬間まで、どうにか心身を保っていられたら及第点。
 私はね、自分から命を断つ決断をして実行するほどに苦しかった人を非難するつもりは毛頭ない。頑張ったねって思う。その上で、生きているなんてのは、「状態」でしかなく、「死」まで一つの存在として有り続けた結果訪れる、「無」の前の段階かなと。
 人として心身を保ってるだけで偉いのよ。ほんと、他者のためとか役に立つとか、そんなこと気にしなくていい。
 私は自分の無価値で無意味な生に対して頓着しないけれど、それは無価値で無意味だからなわけじゃない。なんていうか、重いんだよね。早く手放したいって感じ。
 今はとても大切な人がいて、その人が幸せそうだと私もめちゃくちゃ幸せで、その人が楽しそうだと、私もアホほど楽しくなるから、その人に「死なないでほしい」って繰り返し言われ続けた果てに、「そうかー」くらいの気持ちになった。
 その人を悲しませるのは望むところではないから、できれば意向を汲んであげたい。
 他方で、猫は、本当に死なないでほしいと思う。猫が不老不死なら良かったのにな。
 
 人にはいろんな考えがあって、分かり合えないことってたくさんある。
 子供を産みたい人と、産みたくない人。
 結婚したい人と、結婚したくない人。
 長生きしたい人と、早く死にたい人。
 反対の思想の人と価値観を分かち合うのは無理だから、できれば、「早く死にたいんだよなー」って思想の人間に「そんなこと言っちゃダメよ」とか言わないでほしい。どうせ本気で何かことを起こすつもりなんてないんだから、どうか安心してほしい。

 おさらいすると。

 人は生きている意味など考える必要はなく、意味があってもなくても生きているべきである。多分。
 そして、なぜだかわからないが、慢性的に自らを早く死なねえかなと思っている人間はいるものの、そいつらは慣れているし、ダラダラときっと長生きするから放っておいて大丈夫なのだ。

 私にとって、死んでほしくない人(つまりは会えなくなるとしんどい人)は、ええと、顔が浮かぶ範囲で4人。それと、その4人が各々大切に思っている人たち。
 その人たちには、まじで長生きしてほしいです。


2023・11・9 猫田こぎん
 
 

11/9/2023, 4:51:22 AM