猫田こぎん

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#はなればなれ

 昨日は忙しくて更新できなかった。毎日書くつもりだったのに、一週間もせずに記録が途切れると凹むけれど、まあ、ここは私を待ってる人などいない場所だから良しとする(夫が休みの日は書かないから毎日投稿というのとは少し違うし)。

 さて、今日のお題ははなればなれ。

 生きてれば離れ離れになる人も増えていく。そろそろ半世紀近く生きなんとする私も、数限りなく離れ離れになった人が(たぶん)いる。覚えてないから多いか少ないかもちょっとわからないんだが。
 「はなればなれ」と聞いて一番最初に思い浮かぶのが姉だ。
 私は三人姉妹の末っ子で、一番上の姉とは9歳、真ん中の姉とは7歳離れている。そう言うと頼んでもないのに、「お母さんは貴女が欲しくて産んだのよ」とフォローされることもあるが、一番上の姉の時、母は20歳であり(19歳で結婚した)、上の姉2人は母にとって若い継母が育てたようなもんだから、文字通り私は欲して生んだ子なんだろうと思っている。父が男児を期待していたから、女児と知れたときに要らん子になった可能性はなきにしもあらずではあるが。
 さて、そんなわけで、年が離れて生まれた私は当たり前のように母親べったり、分離不安激強、完全内弁慶に育った。
 そして、姉たちからは、本当に可愛がられなかった。わはは。めちゃくちゃ暗くて喋らず何を考えているかわからない糸目の座敷童みたいな妹なんて可愛いわけないもんなぁ。
 太っていること、暗いこと、喋らないこと、などを姉から指摘されまくり、それはそれは姉、特に真ん中の姉が怖かった。恐怖の対象でしかない感じ。
 子供の頃の私といえば、小児アトピーがひどくて、水風呂と洗面所を磨くことが大好きな根暗、自分の意志を出さない(出しても否定されるだけだし)、どんくさい、好きなことは寝ること、勉強ができたわけでもなく、太ってて運動が嫌い。ああ、列挙すると可哀想だな。
 姉はとても怖い人で、母方の叔母もそれに輪をかけて怖い人だった。今思うと、叔母は正義感の強いまともな人だったのだが、「きちんとしない」ことをよく怒られた。
 母方の祖父母の家に行くと、みんなでご飯を食べる。その時に近所のコンビニまで飲み物を買いに行かされるわけだが、それがシャイガールで人見知りな私にはめちゃくちゃハードルが高かった。1人で行動するのが苦手なのだ。それをもじもじ嫌がっていると、叔母に強く叱責され、半泣きでコンビニに行ったことを思い出す。
 2人の「怖い人」がいて、私は家でも祖父母宅でも縮こまって妄想の中に逃げていた。
 次姉は私のことが明確に嫌いであり、捨てる予定の服が入った段ボールを見ていたら、「あんたにあげるくらいなら捨てる。触らないで」と言われたこともあるし、私が高校に入ったあたりからは件の叔母が結婚して家を離れたこともあって祖父母宅に住んだ(何せ都内だからそっちの方が良かったらしい)から、高校に上がってからは話した記憶もない。
 そんなこんなで、私が知りうるかぎり、長姉が31歳で結婚した時に会って以来、はなればなれだ。

 そう。次姉とは、20年以上会っていないばかりか、どこに住んでいるのかも知らない。

 一時期母は姉の所在を調べようとしたらしいが、「なんか戸籍がウチから抜けてるから結婚したらしい」としかわからなかった。
 
 時は経過し、母方の祖父の遺産相続でくそほど揉めて最終決着まで15年を要し、長姉が離婚して出戻り、私が結婚し、父は「遺言書を作りたい」と言うに及んだ。
 遺言信託で公正証書遺言を作る段となって、はじめて次姉が東北の某県にいること、結婚して苗字が変わって○○になっていることがわかった。

 今も次姉とははなればなれだ。向こうも会いたいとは思っちゃいないだろうし、覚えているかすら微妙。
 私は何回か性格がぐいんぐいん変わり、アトピーも治ったし、母とそっくりな痩躯になった。
 できれば、二度と会いたくないとも思う。相続関係が滞りなく済めば、会う機会もないから願いは叶いそうかな。

 兄弟だから、姉妹だから、寂しくないの?

 ないです。全然。

 はなればなれも良いものよ。私自身子供がいない身だから遺言書をきっちり用意して、お互いの身元引受人とかにならないことを切に願う。


2023・11・17 猫田こぎん

 

11/17/2023, 2:33:06 AM