記憶を持ったまま生まれ変わった俺と君だけど。
君は今、何を思う──?
前世の夫が父親になっていた絶望?
犬猿の仲の俺が幼馴染みで初恋だったショック?
隣を歩く彼女の手がコツンと触れた。何事もなかったかのように歩く君だけど、本当に?
「ねぇ」
「何さ」
つっけんどんな返事。振り向きもしないだなんて笑ってしまう。
自分だけベタ惚れなのが何だか悔しくて、手を握ってみせた。
「何、してんの」
「恋人らしいこと、したいと思っただけだよ。迷惑かい?」
「別に……」
照れたのか、言い淀むのが可愛くて。繋いだ指にきゅっと力を入れた。
「キスしたい」
「それはダメ」
「ねぇ」
「だから何?しつこいっ」
「君が好きだよ」
被せ気味に告げると、目を丸くして驚いた後に顔が真っ赤に茹で上がった。
「俺も初恋だから、よろしく頼むよ」
そのままゆっくり家路につく。
彼女は顔を赤くしたまま俯いている。お互い沈黙していたけどそれが心地よくて、手を離すのがもったいないから……今日は遠回りをして帰ろうか。
【君は今】
空は曇天。晴れ間のない日が続いている。あの大厄災の日からずっと。
今にも降り出しそうだと見上げては溜め息を吐いた。
今日も夫は帰ってこない。当然だ、先日戦死公報を受け取って安置所までお別れに行ってきたのだから。
遺体があるだけまだ増しなのかもしれない。鬼に食われて遺品すら残っていない人もいた。
だけど他と比べても何をしても変わらない……私の日常は、幸せは消えてしまった。
『愛してるよ』
結婚する前から毎日言ってくれていたなと思い出す。馬鹿みたいに飽きもせず私に構って、幸せそうに笑う夫。
ずっと一緒に居たかった。今更こんなことを願うなんて。
「また泣いてるのか──母さん」
息子だった。夫とは違うところで戦っていた息子は、負傷はしたが帰ってきた。
夫の面影のある顔で、視線を合わせてくる。
──ああ、私たちの宝。
「私たちは、ずっと傍にいるから」
「一人じゃないよ、お母さん」
嫁いだ娘二人も来ていた。
四人で身を寄せ合い肩を抱いて泣いた。
今はまだ立ち直れない、前なんて向いて歩けない。それ程に夫の、子供たちにとって父の存在は大きいものだった。
いつかまた顔を上げて笑うから、愛しいあなた。
今はもう少しだけ、物憂げな空の下で雨催いに悼ませてください。
【物憂げな空】
彼女の白く滑らかな肌に跡をつけた。
友人──彼女の夫はもうこの世にはいないのだから、忘れてしまえと。赤い印を身体中に散りばめて、喪った悲しみなど思い出さぬように。
そう、私への恨みで忘れてしまえ。彼女が救われるかはわからない。わからないが。私にはそれしかできなかった。
仄暗い私室、衣擦れとベッドの軋む音。絡み合う身体は汗でじとりと湿り気を帯び、吸い付いて離れるのを嫌う。
そうして月明かりの光だけで彼女が快感へ溺れる様を眺める。互いの体温を奥深くで感じ、何度も達した。卑猥な水音も彼女の喘ぎ声も、己を興奮させるものでしかない。
夫以外に許していない肌を食み味わい尽くすことは、なんと罪深く甘美なのだろう。想像できるか?一番の友人と豪語していた男がその妻を抱いている、この背徳感。
「──んぅ……ぁ」
振り絞るくぐもった矯声。快楽に堕ちぬよう必死に耐えている姿にますます情欲をそそられる。締まる感覚で絶頂を感じるとそのまま彼女に覆いかぶさった。
荒い呼吸を整える間も口づけて離さない。ぬめりと舌を絡ませ、まだ冷めない熱と共に弄んでいると、一筋の光が見えた。
彼女は泣いていた。
悦がって出た涙ではないことはわかる。まったくもって愚かしい行為をしたが、彼女の気持ちがわからない程愚かでもなかった。
彼女への同情、そして自身が友人を喪った悲しみから逃れるための過ちの夜──きっと私は生涯悔やみ忘れることはないだろう。
【同情】
「ハッピーバレンタイン!」
ここは道のど真ん中。
吹雪いたくらいに寒くなった。おかしいな?バレンタインって今日だよね?
などと考えているうちに彼はさりげなく逃げようとしている。
「待って?!まだ何も話してないよね?」
がっしりと彼の腕を掴んだ。今日はだめ。今日こそは逃さない。だって年に一度の──
「告白なら毎日のようにしているだろう。今日くらいは勘弁してくれ」
「えっ」
げんなりとした彼が持っている紙袋の中は、たくさんのチョコが詰め込まれていた。仕事帰りだから職場の人から?それにしても数が多い。
「モテすぎて引くんですけどー!」
彼がカッコイイのはわかる。同担拒否ではないからわかるわかる、という気持ちはある。ちょっと嬉しい。
でもやっぱりライバルが多いのは不安かも。いや、はじめから相手にされてないけど!すみませんね!
「いい加減手を離さないか?」
急に黙って俯いた私を不審に思ったのか、彼は突き放さず探るような物言いをする。
「あ……ごめんなさい」
手を離す。絶対変な女だと思われた。うん、はじめからだけど。
きっと彼の近くには綺麗でオトナな女の人がいて、私みたいな騒がしいストー…つきまといJKなんか煩わしいよね。と、柄にもなくへこんだ。
彼が離れていくのをただ見ているしかできない。
初恋は実らないなんて言うけど、本当にそうなのかもしれない。全然上手くいかなくて、気持ちばかり膨らんで、どうしようもなくて。
涙が滲んで視界が歪む。
──離れていった彼が戻ってきたように見えた。
なんてひどい幻覚。
「早くしろ」
ぶっきらぼうな彼の声。幻覚じゃなくて本物だった。片手を差し出し、何かを待っている。
「え?何?何??」
「俺に渡すものがあるんだろう?」
「あ!あっ、あっ、ある!ありますっ!」
バッグにしまっていたバレンタインのチョコレートを出して彼に手渡す。
「受け取ってくれて、ありがとう。でも、どうして?」
「また泣かれたら困るからな」
ああ……口ではそう言うけど、優しい人だって知ってる。
「告白はいいのか?」
「好きです!付き合ってください!」
「それはできない」
「えーー!?」
いつものやりとりに何処か安心する。
彼の横顔も少し楽しそうに見えたのは──
幻覚?現実?
【バレンタイン】
「スマイルください!」
時が止まった。間違えた。いや、間違えてない。
朝、いつも通りに片思いの彼を待ち伏せして、顔をちゃんと確認してから言ったもの。
「今時ファストフード店でも言わないだろう」
ゴミを見るような目で私を見る彼……が好き。すごくカッコイイんだ、本当に。
眉をひそめて不審者から逃れるように彼は早足で歩いていく。
「待って待って!笑顔が見たいんですけどー!」
「君もしつこいな。さっさと他を当たれ」
「ざーんねん!私はあなたがいいんですー!」
去ろうとする彼の前に回りこんで退路を塞ぐように両手を広げた。その瞬間。
バサッ、と音がして雪の塊が降ってきた。直撃。木の枝に積もった雪が、重みに耐えられずに私に降り掛かったのだ。
「最悪……」
頭やマフラーが雪まみれ。せっかく髪を綺麗に結ったのに、雪を払ったらぐしゃぐしゃになっちゃった。
ゴホン、と咳払いが聞こえて彼の方を見ると、片手を口元に当てている。
「あ……笑った……?」
「笑ってない」
「え?今笑ってたけど?笑いましたよね?!人が!雪まみれに!なってるのを見て!」
「うるさい」
詰め寄ると、ハンカチを顔に押し当てられて「ぶふ」と声が出た。もっとかわいい声は出なかったの?私!
「……これは情けだ」
そうぶっきらぼうに言うと背中を向けた。なんだ、やっぱり優しいじゃん。
それがとても嬉しくて、私は自然と笑顔になる。
「ちゃんと返せよ」
「ありがとう!大好き!」
彼はもう真顔に戻っていた。本当はもっと笑っているところが見たかったけど。
今は私のスマイルの押し売りで、勘弁してあげようかな。
【スマイル】