「お前、今年の抱負は?」
年明け早々、班長に呼ばれたと思ったらそんな質問が飛んできた。普通に飲むのだと軽い気持ちでワイングラスを出したところで、だ。
「君は真面目だねぇ、仕事と結婚するのかい?」
「何も仕事だけの話じゃない。お前の抱負を聞いてみたい」
「変わってる。そんなことを聞かれたのは初めてだけれど」
グラスを並べてワインを注ぐ。赤い色が血のようだと思い口元が緩んだ。
「そうだね……今年はもっと人間らしくしたいかな」
「その顔でか」
血を想像してにやついていたのを見られていた。
「あと、皆と仲良くしたいね。私のことを理解してくれる者はもういるからいいんだけど」
「いいのか」
「いいんだよ」
目の高さまでグラスを上げて乾杯する。
言わなくてもわかるだろう、君が一番の理解者だと。
「美味しい。高いワインを取っておいてよかった」
「ああ、美味いな」
「で、班長の抱負は?私のを聞いたんだから君のも教えたまえよ」
「俺か。俺は……今年も班員を生かす、だな」
「やっぱり仕事だった」
笑いながらもグラスのワインを飲み干す。抱負はとても班長らしくていいと思った。
「では。皆仲良く生き残れるように、頑張ろうか」
「まぁ、そういうことだな」
抱負を述べる会は綺麗にまとまり、空のグラスにワインが静かに注がれる。
新年一発目の宴はまだ始まったばかりだ──
【今年の抱負】
年が明けた。
いつもなら正月は酒を飲んでゆるりと過ごしているが、日課のランニングは続けたいと早起きをする。
ランニングウェアに着替えていつも通りのコースを走った。汗をかいたのでシャワーを浴び、今度は初詣に行く支度。走っている途中、早朝だがちらほらと初詣帰りらしき人を見た。たまには行ってもいいのかもしれない。何と言ってもしつこいストーカーに付きまとわれているのだ、ついでに厄払いをしてもらおう。
神社へ到着して、賽銭を入れ、無事に過ごせるよう祈る。無宗教だが神にすがりたくなる気持ちだった。俺の平穏な日々、戻ってきてほしい。
祈り終わると、後ろからグイッとコートを掴まれた。
「やっぱり!見間違いじゃなかった!」
女子高生ストーカーに遭ってしまった。振り返るんじゃなかったと後悔した。
「すごい偶然!初詣?私もさっき来たところで……」
何か嬉しそうに話しまくっているが、半分以上聞いていない。最初からつけてきたのではないか?住所が知られている?等、様々な憶測が頭の中を駆け巡る。
「お守りとか買うんですかー?」
「厄払いに来ただけだ」
それだけ言うと足早に去る。関わらない、やはりこれが最適解だ。
「待って待って!手ぶくろ返したいし!」
年末にやむなく貸した手ぶくろを何故今日持っているのか不明だ。やはりストーカー、侮りがたし。
「返さなくていいの?」
「構わない」
「この前は返せって言ってたのに?」
「だから、君が」
「私が?」
君が喜ぶから駄目だと言ったら流石に傷つけてしまうだろうか。そんなことを思ってしまった。
「──君が身につけた物は危ない」
「ええっ?!」
何を口走っているのかわからないが、これでいい。頭のおかしい奴だと思って離れてくれれば。
新年早々、厄が降りかかる……はたして、穏やかな日々を取り戻すことはできるのだろうか?
【新年】
「こたつにみかん……?」
知らない組み合わせに真顔で聞き返してしまった。何でも同僚が言うには、冬はこたつに入ってみかんを食べるのが良いらしい。
ストーブしか知らなかった私は、一度入ったら抜けられなくなるというそのこたつ……そして相性抜群のみかんにとても興味を持った。
「知らないの?ダサっ」
「ダサくて結構。君の部屋に行きたいのだが」
「はぁ?無理だけど」
「皆で行けばいいだろう?」
私と二人きりになるのが嫌な同僚女子を説得し、約束を取り付けた。
そして念願のこたつに入る時が来た。
こたつ布団をめくると、熱気が広がるのがわかる。
「ああ……」
足の先から太ももまで、あたたかさで包まれた。こんな感覚知らなかった。ずっとこの中に留まっていたい。
「これは心地よい。このまま寝てしまいたくなるね」
「ふっ、まだ早い」
気分を良くした同僚はお盆に乗せたみかんの山を持ってきて、テーブルの上に置いた。
「ほら、食べてみなよ」
「ではありがたくいただこう」
皆にみかんが行き渡る。実はみかんは初めてだ。見様見真似で剥いて口に入れると、みずみずしく濃い甘さが訪れた。
「甘い……病みつきになりそうだ」
もうひとつみかんをおかわりすると、皆は笑った。
「ここで仕事をしていたい」
「それは却下だ」
「帰れよ」
わいわいと団欒は暫く続いた。
こうして皆で過ごす時間を大切にしたい。
願わくば、この幸せがずっと続きますように──
【みかん】
子供の頃は、冬休みが来ると嬉しくてしょうがなかった。学校がない代わりに、家族と雪で遊べるし、お正月においしいものを食べてゆっくりできる。お年玉も貰えるから好きだ。
でも、高校生になって初めての冬休みは憂鬱だ。好きな奴に会えないだけで、こんなに気分が沈むだなんて。土日会えないだけでも落ち着かないのに、俺は一体どうなってしまうのか……
ピコン、とLINEの通知音がする。男友達だった。
『年明け、初詣に行くぞ。安心しろ、ちゃんと誘っておいたから』
やっぱり持つべきは友だ!一人部屋でガッツポーズをする。男友達……好きな奴の幼馴染みポジションなんてうらやましいけど、協力してくれるのは心強い。
何を着て行こうか、二人きりで話せるタイミングあるかな、とか考えたら、憂鬱な冬休みが一気に楽しくなってきた。
そうだ、未だにLINEの友だちになってないから今度こそちゃんと交換しよう。
ああ、正月が待ち遠しくてたまらない!
【冬休み】
仕事納めの日。
いつも通り、定時で仕事を終えて帰宅する途中……それはいた。
「あ、やっぱり定時だった!お疲れ様!」
女子高生のストーカーだ。何度追い払っても撒いてもめげずに来る根性だけはあると認めるが、だからと言って交際する気には到底なれない。
こんな雪の降る日にまで待ち伏せてるとは思わず油断した。
「頭がおかしいようだな、君は。どれだけこの雪の中で傘も差さずに待っていた?」
頭や肩には雪が積もり始めている。そして彼女は何を考えてるのか、俺の話をにやにやしながら聞いている。やはり警察に相談すべきか……
「心配してもらっちゃった……嬉しい」
胸はときめかない。悪寒ならする。顔を赤くして喜ぶ姿は恋する乙女なのだろうか。理解不能の生物にしか見えない。
赤い、顔──?
よく見ると、赤面しているのではなく、寒すぎて赤くなっているような。彼女は手ぶくろもしておらず、両手を擦り合わせて寒さを凌いでいるようだった。
急に、自分のせいで彼女が体調不良になったらどうするのか……そんなことが頭をよぎる。
突き放して警察に相談すればこんなことにはならなかったのではないか?ここまで彼女を自由にさせていた責任があるのではないか?
思考が落ちていく。
そして、考えとは裏腹に俺は最悪な行動に出てしまう。
「貸してやる」
ストーカーに手ぶくろを渡した。
「え?」
「どうせまた待ち伏せるんだろう?その時に返せ」
「でも……」
「いいから」
「今日が仕事納めでしょ?返すの来年になっちゃう……。また来年、会ってくれるの?」
「あ」
そうだ、忘れていた。今日で年内の仕事は終わりだった。何故彼女が仕事納めの日を知っているかは知らないが、また会うとなると一週間後くらいになってしまう。
「ありがとう!大切に使うね!」
「待て、今のはその」
「マフラーも貸してくれる?」
「断る!」
とんでもないことをしてしまったと思ってももう遅い。彼女は満面の笑みで手ぶくろをはめて走り出した。
「またね!大好きー!」
来年もまたストーカーされることが決定した瞬間だった──
【手ぶくろ】