耳が聴こえづらくなった時、自分の声が耳の中に反響して目眩がした。鼓膜がペコペコしてる感じがして、鼻がツンと痛くて気が変になった。
「ストレスです」と言われたけれど、なんのどんなストレスなのか説明もつかない、そんな時期があった。
…
耳が聴こえづらくなっても、常にグルグル思考してたら、外が静寂だとしてもうるさくてたまらないと思う。
『もう思考を止めたい……』、そう思った事もある。
『あれ、今何考えてたっけ』、くらいの微弱でちょうどいいんだと思う。
静寂の中心で立っていられるのは、無駄な思考も無意味なお喋りもしない、そういう人。
わたしは、静寂の中心では立てない。
座禅にいったら、パシパシされると思う。
うちの近くに有名な禅寺があって、座禅会がある。行ってみようか………迷ってたとこ。静寂は子供の頃から苦手。自分が発狂しそうで、怖い。
今日は、着古しのコットンシャツを小さめのひざ掛けに作り直して過ごした。母が施設でごはんを食べる時に使ったり、薄いので肩に掛けたり首に巻いたりできる。
だけど、自分が愛用して着ていたシャツにハサミを入れる時、いろんな気持ちが込み上げて来た。
ミシンは壊れてるから、手縫いでチクチク縫い進めて、その間ずっとラジオを聴いてた。時々山を見たりして。
燃える葉といったら、わたしは山火事しか思い浮かばないけれど、母は紅葉を思い浮かべる事ができるだろうか。。
熊が罠にかかったと町会の回覧板アプリに入っていて、駆除した、と。いろいろあるから銃は使わなかったそうで。
電気の槍で、死ぬまで何回も突くんだそうです。
そういう事を知らなくてもいいけど、やっぱり知っておいた方がいいと思う。断末魔の雄叫びは凄まじきものだそうで、「あれは…祟り神になるぞ…」と、一部始終を見ていた同僚は言ってた。どういう気持ちで同僚が一部始終を見ていたかは関係ない。
その同僚が、一部始終を見ていてくれたおかけで、わたしはその事を知ることができた。
イノシシも毎年30頭くらい罠にかかって、みんな殺処分される。罠にかかるたびに、回覧板アプリで、【イノシシ捕獲成功しました、今年〇〇頭目殺処分されました。】と入ってくる。
今も、【今年9頭目のイノシシ罠にかかり、殺処分されました。】と、また入って来た。
殺処分されたイノシシは一部、料亭へ売られたり、ジビエとか言って、喜んで食べる人間の嗜好品になる。それも悪いとは言わないけれど、現代では、栄養は充分摂れているんだからもうわざわざ楽しみのためだけに食べなくてもいいんじゃないのかな……と思う。
わざわざ山奥まで来て、熊とかイノシシとか鹿とか、わざわざ食べに来なくていいょ。
残念よね、何も知る必要がないって。
電気槍で突き刺したいほどイノシシや熊や鹿が憎くなるような出来事が、今後身の上に起こらないとも限らないんだけど。
今宵中秋の名月、
不穏な事は言ってはいけないとされているね。
そんなの関係ないゎ。
今朝同僚が、「〇〇町でキノコ狩りに来てたグループがクマに襲われて、ひとりズタズタで亡くなって、ひとり引きずられて行方不明だって………」
えっ………
『怖い』とも言葉が出なかった。うちの近所でもクマは居る。もうそこら辺まで来ている。キノコ狩りに来ていた人たちには悪いけど、こんなクマクマ騒がれている時に山に入るなんてどうかしてる。熊鈴なんか、今の時代ではもう無意味。美味しいもの持ってる人間が来ましたよーチリンチリン♪ 逆に熊を引き寄せる事になるから持たない方がいいです。特に人の近くまで下りてくるような熊は、人間を怖がるより、狩りする気でいる。
寝ている熊に近寄って写真撮ったり、スナック菓子を投げたりする観光客が居るというニュースを見て、心底腹立たしい。キャンプもやめてほしい。
インタビューを受けた女性が、『熊が出る事は知ってるので、お邪魔してますという気持ちでキャンプしてます、オホホホホ♪』
こういう呑気な観光客が多くて、大変迷惑です。
目を覚ませ!往復ビンタしてやりたい………
………
野生動物は寛容じゃないし、人間の尊厳など無い。そのうち、誰かがクマに引きずられちゃうんだからね………
うちの近所では夕方近くになると、川原で草を燃やす。熊よけのためなんだけど、人里の栗や柿、胡桃に枇杷なんかを食べた熊は、山のドングリなんかもう食べに戻らないんじゃないかと思う。
さっき、仕事から帰って来た時、リスが出てきた。雑木林に住んでるんだと思う。
家からゴミ置き場までの途中の雑木林からは、獣の臭いがする。人間が近寄ったらいけない臭いだ。
その時は、何も通用しない。
結婚した当時、二世帯住宅の2階部分を借りて新婚生活を始めた。南向きの広い窓からは富士山が見える、6畳二間の部屋だった。2階への玄関は1階の玄関の隣にあって、玄関を開けると土間になっていて右手に下駄箱があり、階段を上がると、部屋になっていた。
台所は3畳くらいで洗濯機が置けて、その奥にトイレがあり、洗面所があり、お風呂場になっていた。
子供が生まれて、ハイハイをするようになった頃、階段が危ないから、というのでカギのかかる引き戸とカーテンを付けた。
ある時、うっかり引き戸を閉めるのを忘れて、階段を下りて、玄関へ何かを取りに行き、階段の上を見ると、息子がニッコリ笑ってるのが見えた。『危ない!』と思う間もなく、コロンコロンと息子が転がってきて、どう受け止めたか覚えてないけれど、息子はわたしの胸で大泣き。
その後も3歳くらいの時、『かぁちゃーん!』と、階段を下りるわたしを勢い良く追いかけて来て、ゴロンと転がってくる息子を左足で止めた。
そう言えば、息子がやや喋り始めた頃に、
夕方、突然息子が震えだして泣きだして、わたしにかじりつきながら、「なんか来る!なんか来る!」と、言ってパニックになった。階段から誰かが来るって事らしかった。
わたしは、あれが金縛りというものなか、起き上がる事ができなくて、外はどんどん暗くなって灯りも点けられず、どうにもならず……その後、どうなったのか思いだけない。
たぶん、息子に子機を持って来させて、母に電話したんだと思う。それだけは記憶にある。
あの階段は13段だった。なんだか気持ち悪いと思いながら、数えないようにしようと思いつつ上がり下りしてた。
息子が小学生になった頃、ふと言ったのは、あの家の大きな窓の角の壁のところがいつも暗くて怖くて積み木を投げていた、と。
やっぱり、誰か居たのかな。
そんなことぜったい言うはずもないキャラの夫が、「夜中になると台所を誰か歩いているような気配がする」とも言ってた事があった。
誰か居たな。
でも、家族の誰も怪我すること無く過ごせたんだから、悪い人じゃなかったと思う。