『またね』
またねって言葉は、嘘なんかじゃない。
ただ…今は会えないだけなんだ。本当にいつかは合える。その言葉を信じていれば、きっと。
部活終わり、俺は燈真(とうま)と一緒に家へ帰っていた時のことだった。
「実はさ、お前に相談したいことあって」
「?」
深刻そうな顔で話す燈真の姿は、何か新鮮なものを感じた。いつも、元気で明るく、色んな人達と仲良くしてる彼は、今みたいな悲しい顔を一度も見せたことがないからだ。
……いや、俺が知らないだけで、あまり相手に不安にさせたくないから見せていないってことも有り得るけれど。
「…友達がさ、遠くに引っ越すことになったんだ」
「うん」
「もう二度と会えないかもしれないらしくてさ…俺はまだまだそいつと遊んでいたいし、これからも友人として仲良くしていきたいんだよ」
「うん、すりゃいいじゃん」
「でも一生会えないかもしれないんだぜ?忘れちゃはないか?」
俺は少し考えてから、燈真の質問を返した。
「どっちかが相手のことを忘れない限り、関係は消えないよきっと」
「……そうだよな!」
二カリと笑って、そう燈真は頷いた。
「あ、ソイツ彼女もいてさ。彼女も引っ越すって聞いても遠距離恋愛したいって言うんだ。上手くいくと思うか?」
「距離に負けない努力と愛があればずっと続くだろ。そいつもそいつの彼女もお互いに大好きならな。
でも、やっぱりそうなるとやっぱり一年に一回は会わなきゃいけないかもね。
どんだけ遠くてもさ」
「……そうだよな。ありがとう。相談乗ってくれて」
「?」
感謝の言葉を俺に伝えた燈真の表情は、優しくて、どこか切ない感じがした。
友人との別れ。俺は燈真の友人のこと知らないから分からないけれど、燈真にとっては本当に大切な友人なんだろうな。親友みたいな関係の。
そんな燈真の悲しい表情を打ち切るように、俺はにこりと笑って言った。
「さよならは絶対に言うなよ」
「…………え?」
キョトンとする燈真を尻目に、俺は優しく燈真に教えてあげた。
「俺さ…仲良かった好きな子が県外の学校行く時さ、その子がじゃあねって言ったんだよ。
だから、俺はまたねって返してやった。そしたら振り返って、その子が笑顔でうん、またねって返してくれたんだ」
「…もしかしてそれが今付き合ってる彼女か?」
「そうそう。中学の頃は遊ぶだけの仲だったけど、高校行ってからでも月に一回は会ってるし、連絡だってとってるよ。
ま、彼女は都会の学校通ってるんだけど俺会いに行ってるよ。だからお前も、さよならじゃなくて、またねって言うんだ。絶対に会えるし、言われた方もすごく喜んでくれると思うよ。引っ越す友人もさ」
「…そうだな。まぁ、その通りだな」
「だからそいつにもしっかりまたねって言ってやれよ。お前特有の笑顔でさ!」
背中をバシッと叩いて燈真に俺は二カリと笑顔で言った。そう言うと、燈真は悲しい表情から優しい表情に変わり、淡いオレンジ色の夕日に照らされたながら、俺にありがとうと言った。
やがて歩いていると、分かれ道に出た。右の道は俺の家で、左の家は燈真の家だ。つまり、ここでお互い別れることとなる。
俺は燈真に、じゃあまた明日と言って右の道に行こうとすると、燈真は急に俺の名前を呼んだ。
「……またな!駿希(しゅんき)」
にかりと笑って手を振る燈真の表情は、優しさと悲しさで溢れていた。
よく分からず、俺もまたなと手を振る。
燈真は、その数日後に県外に引っ越してしまった。
『オアシス』
どこへ行っても、乾ききったこの世界で潤いなんてもの求めたって無駄なのは分かってる。
それでも、人って水がなきゃ生きていけないし、日に当たりすぎるのも良くは無い。
だからこそ、水もあって、日陰もあるそんなオアシスが必要なの。
私が言いたいこと、分かってもらえるといいんだけど。
君は誰よりも頑張りすぎだった。両親が居ないから、頑張らなきゃいけないのは分かってる。でも、自分の身体を酷使して、バイトや学校の勉学を頑張ってる君を見ると、私は辛くてたまらない。
君は、よく言ってくれた。
「……俺、馬鹿だし金もないし親もいないから…その分、沢山頑張らなきゃいけない…人の何十倍も」
そう話す君の表情はいつも暗かったな。目の下はクマで、凄く具合が悪そうな感じで、声もボソボソと話す。
疲れてるのがわかった。帰宅部で、夜許された時間まで働いて、そして夜は遅くまで勉強をしている。君はいつも、成績もトップクラスだ。
「……でも…体調悪そうだよ」
私が心配してそう言うと、眉間に皺を寄せて、何も言わずにその場から去っていった。
分かってる。なにもかも持ってる人には、自分の苦労なんて分かるはずないなんてこと。でも、純粋に彼のことが心配だった。
廊下でもたれかかって下を向く彼に心配で初めて話しかけた時も、君の表情はとても苦しそうだった。
せめて睡眠は撮って欲しい。彼の原動力は…卒業後の生活のためなんだろうけれど。
やがて、高校は二年から三年生へと進級。また彼と同じクラスになったものの、前年度とは違って席が遠く、お互いに交流する回数も減ってしまった。
そして夏目前になる所で、彼に一度だけ会った。
「………………あの………」
「……………………」
彼の表情に色がなかった。
目の奥は霞んでいて、遠くを見るような焦点の合わなさがあった。
声をかけたら、ふっと崩れてしまいそうで、それ以上の言葉が出ず、喉の奥で止まった。
彼が私の存在に気付くと、どこか悲しいような、苦しいような声で「あぁ」と答えた。
「……ねぇ…もう、倒れちゃうよ」
「平気、だよ」
そう言って、後ろを振り返って歩き出す。少しだけふらついていて、今にも倒れそうだ。
少し足取りが重い彼の服の裾を引っ張って止める。
「もうやめなって」
「……」
「これ以上頑張ったら…大変なことになるよ…!」
必死で止める私の腕を振り払って、彼は私を睨んで強く言いつけた。
「…関係ねぇだろ」
「…………」
「休めだとか、無理しないでだとか…余計なお世話なんだけど」
「……でも」
「お前はいいだろうよ!!!!家に帰れば親もあったかい飯もあるんだからな!!!!!」
廊下に響き渡る彼の声。私は、息を飲んだ。
「休めないんだよ。駄目なんだ。俺は人よりも出来ない人間だから…頑張らなきゃいけないんだよ」
そう言って、またゆっくりと歩くと、最後にポツリと私に吐き捨てるように言った。
「もう関わらないで」
私は、何も言い返せなかった。
そうだよね。私は、君と友達でもなければ、彼女でもない、ただの無関係の、赤の他人。
それでも…毎日毎日休み時間も、昼時間も休憩しないで頑張る君の姿を私は見てた。隣の席だったということもあったけれど…。
でも、君の凄いところは頑張るだけじゃなくて、自分の体に鞭を打ってでも、他人に底抜けに優しいところがある。
困ってる人がいたら、黙って手を貸すような優しさを持つ君は、自分がどれだけ疲れていても誰かが困ってたら手を止めて助けてあげていたよね。
そんな彼が、病院に運ばれたことを学校の朝のHRで知らされた。先生は、そこまで大したことがなさそうな口調で話していた。他の人だって「そうなんだ」と言わんばかりの他人事。
私は物凄く驚いてしまった。あれだけ自分の体を無理してまで動かして頑張ってたんだ。当たり前だと少しだけ思ってしまった。
でも、心配が勝っている私は彼の見舞いに行くことにした。
受付で名前を告げ、教えられた病室のドアをノックする。
返事はなかったけれど、そっとドアを開けるとそこには彼がいた。彼は、ベッドにもたれて窓の外をぼんやりと眺めていた。
細く光が差すその中で、彼はまるで、世界から切り離されたように見える。
私の存在に気が付いて、彼は驚いた表情をする。
「……大丈夫…?」
「……………………あぁ…まぁ……」
私と少しだけ目を合わせるが、気まずそうにすぐ他の方向を見たまま彼はボソリと話す。
「……来たんだ…」
「うん、心配でね」
私が彼に近寄って、ベッド横の椅子に座った。彼が窓の方向を向いたまま、小さな声で謝ってきた。
「……ごめん」
「…へ?」
「あんなこと…言ってごめん…」
申し訳なさそうに私の方を見て、頭を下げる彼に、首を振って全然大丈夫だと伝える。
そんな私を彼が少しだけ見て、すぐに俯いたまま話し続けた。
「……どこ行ったって…俺に居場所なんてなかったんだ…。学校も、施設も…俺は皆に必要とされてない。だから、早く高校卒業して、幸せになりたかったんだ。
一人だとしても…少しだけお金があれば幸せになれるって……そう思って無理をした。
でも、無駄なんだって分かったよ。バイトだって、学校の成績だって……あれだけ頑張っても、全然上がらないんだからさ。
頑張って、残ったのは疲れと…苛立ち。心も体も余裕が無いだけで…なんも残せない。
俺って、つくづく無駄ことしかしないんだなって……」
悲しくて、悔しくて、たまらないような表情で彼は話した。涙が、溢れてきそうだった。私も彼も。
私は彼の手を触れて、そんなことないよと言った。
「………君の頑張りは無駄じゃないよ…私は、隣の席だったし…同じクラスだったから、君がどれだけ頑張ってたの分かったよ。
君が眠そうな目で教科書を開いてるときも、誰よりも早く来て、椅子を揃えてるのも、辛くても弱音を吐かず、必死に頑張っている姿を、私は見てたよ」
そう言って、彼の手を握る。
「無駄なんだって思わないで…君の頑張りや、優しさは、誰かを救っているんだから。
……私も、その1人だよ」
「……え?」
「去年の全校集会の時、体育館で、めちゃくちゃ暑い中、私は立ちっぱなしでお腹痛くなって、ふらふらになったときのことを覚えてる?」
彼の眉が少しだけ動いた。
「誰も気づいてなかったのに……私の異変に気付いてくれて、大丈夫?って言って、ゆっくりしゃがませてくれたよね。
人目があるのに、全然ためらわずに。
君だって疲れて、手は少しだけ震えてたのに、それでも私にすっごく優しく接して寄り添って……私はその時のことを今でも、はっきり覚えてる」
彼は黙っていた。でも、真剣に話す私の顔を、彼は見てくれた。
「ずっと……私の中に残ってるんだ。あの時、君が誰かに寄り添う時に見せた優しい顔が。
だから、私はそんな君のことを応援してたし、心配してたんだ。
君に苦しんでほしくなくて…頑張ってる姿は素敵だし、凄いし…応援したくなるけれど…でも」
涙が頬を伝って、制服の襟元にぽとぽとと落ちていた。なにか、込み上げてくるこの感覚に耐えきれなかった。
彼女のその言葉は、彼の胸の奥に静かに沁み込んでいった。
彼はゆっくりと目を伏せて、小さく、深く息をついた。喉の奥に何かが詰まったみたいで、息が苦しい。胸が軋む。
気付くと、彼の頬にも、静かに涙が伝っていた。自分でも信じられなかった。けれど止まらなかった。
彼女は見てくれていたんだ。こんな、誰も気づかないようなちっぽけな自分を。
その事実が、どうしようもないほど、あたたかくて、嬉しくて、優しくて……初めての感覚で、俺の心は少し、報われたような、そんな感覚がした。
「ありがとう」
彼が、彼女にそう伝えた。
その声は震えていたけれど、まっすぐだった。
彼が今まで、誰にも言えなかった感謝。
ずっと心の奥で、誰かに伝えたかった言葉。
彼女が、涙目になりながらも、彼に微笑んだ。彼もまた、微笑み返した。
どこへ行っても、乾ききったこの世界で潤いなんてもの求めたって無駄なのは分かってる。
それでも、人って水がなきゃ生きていけないし、日に当たりすぎるのも良くは無い。
だからこそ、水もあって、日陰もあるそんなオアシスが必要なの。
でも、無かったら、作ればいい。簡単な事じゃないけれど、君にとってのオアシスになれるように…私が君に助けられたように、私が君を助ける番だ。
君が1人で苦しまないように。私が君のそばにいることを覚えておいて欲しい。
2人で、この乾ききった残酷な世界で、綺麗で、美しくて、幸せになれるようなオアシスを作っていこう。
君のその笑顔を、私はずっと見ていたい。
『半袖』
あの時買っときゃ良かった!!!!
俺は後悔しまくっている。なぜなら、今隣に座っているコイツがあの時俺が欲しかった半袖のシャツを買ってるからだ!!!どういう運命なんだこれは…!!
いや、さっきの話になるんだが、それは三十分前の出来事…。
超大型ショッピングモールで目を惹かれたシャツがあったんだよ。バックプリントに海外のキャラの絵が書いてあって、実にパンチがある服でね。バックプリント系の服が大好物な俺は、その服を買うか買わないか悩んでいたんだ。
いや、クールでかっこいい感じの服ではあったんだが、値段はなんと一万円。高いなぁ…でも欲しいなぁ…なんでそこで考えて、その服を試しに着てみたりしたんだけど、すごく自分に似合っていて、やっぱり買おうと思ったわけなんだが、財布を見たらあまり金が入ってない!!
カードか、支払いアプリで買えないかななんて考えてたが、なんとアプリもカードも禁止で、現金のみの所だったんだよ。
こんなとこ未だに存在すんのかよ!?と思いつつ、かと言って一万円をポンポン出したい訳でもない。欲しい気持ちもあって、お試しで着ているのにも関わらず、俺はやっぱりいらないって思って戻したんだよ。
悩んだということは、あってもなくてもどっちでもいいってことだと思ってね。特別、これ以上に素晴らしい服が見つかるかもしれないと思って買わなかったんだ。
そして今!!!ここでコーヒーを一人で飲んでる時に横に座ったソイツが!!!なぜか買うか悩んでた服を着てやがる!!!!
クソ!!なんかいらないって思ったけど!!買われるんだったら買っときゃ良かったなと後悔してしまう!!
コーヒーを飲みつつ、俺は隣に座るソイツの服装を見る。よく見るとソイツは、ピアスを沢山つけていて、赤メッシュの髪をした地雷系の女性だった。
年齢的には俺と同じくらいかな?なんて考えてたが、欲しがってた服はまさかこの女に買われたのかと思うと、なにか嫉妬のような感情が込み上げてくるのが分かる。
ため息を吐きつつ、何回も何回もチラ見する。変態じゃねぇかな俺と思いながら、買っときゃ良かったぁと悔しがる。
くそ…まじで羨ましい…あれ一着しかなかったんだよなぁ……。俺はもう一度コーヒーを飲み、チラ見すると、完全に女は俺の方向を向いていた。
「……え…あ」
急なことだったんで、変な声を出しつつすぐにかおをそらす。なんでこっち向いてるんだと心の中で悪態付きながら、またコーヒーを飲もうとするが、コーヒーはもう入ってない。
店員を呼ぼうと顔を上げるが、女がこっちを見てるのがわかる。見られてるって、こういう感じなんだなぁと思いつつ、ちょっと反省。
女の視線がすごいので、俺は恐る恐る視線を合わせると、バッチリ目が合った。
で、お互い目を合わせて数秒間が経過。周りからすれば、なんで目だけ合わせて何も喋んないの?とか思われてそうだが、俺が堪らずなにか発言しようとしたら、向こうがニヤリと笑ってシャツを見せびらかしてきやがった。
「…………あ?」
バックプリントを俺に見せて、ドヤ顔を決め込む。こ、この女は、今俺に自慢してきたのかよ…!?
イライラしつつ、俺が顔を逸らそうとすると、女が俺にちょんちょんと触る。
「?」
俺が女の方向を振り向くと、バックプリントを見せてくる。バックプリントを見せた後に、親指を上げてにっこりと俺に笑ってきた。
俺はたまらず棒読みでよかったっすねーって言った。
そしたら女が笑って、話し始める。
「ふふふ…いや、買うか買わないかめっちゃ迷ってましたよね」
「え?あ…そん時からいたんすか…」
女が頷く。
「うんうん。それでね、買うのかな?買わないのかな?どっちなのかなぁ…私も欲しいのになぁ…なんてずっと眺めてたら、急に手放しちゃったものですから…だから私買ったんですよ!」
そりゃあ良かったね。としか思えんが、自慢されて俺は少しだけ気分が晴れなかった。
「でも…そのシャツ素敵っすよ」
「ね!本当に買って良かったです♪」
ニコリと笑うその女性が少しだけ可愛く見えてきて、あれだけ欲しかった服だが、なんだかんだ彼女も喜んでいるようで良かったと思えた。
俺は他のシャツを買いに行こうと、彼女にぺこりと挨拶をしてその場から離れた。
こんな出来事もあるんだな。次は他のを買おう。あの服も素敵だが、同じくらい素敵な服もあるはずだ。
そして、たどり着いた古着屋。ここはカードOKなので、さっきよりも高い服を買おうと息巻いていた。
俺が色々服を見てると、一着だけ目を惹くものがあった。KING CROWNのフード付きデニム。KING CROWNってのは最高のブランドで、様々なかっこいメンズの服を作ってる会社だ(架空です)。
このブランドの古着…しかも、フード付きdenim。フード付きデニムも俺は好きなので、これをお試しで着てみて、店員に最高ですなんて言われつつ、買おうか買わないか悩んでると、どっかから視線を感じる。
視線の先を辿ると、そこにはさっき話した女がたっていた。流石にびっくりして、話しかけに行く。
「え…なんすか…?」
「あ、ごめんなさい…普通に入ってきたんですけど、たまたま貴方がいたものですから…そしたら、中々いい服を持っていたものですので……」
「え…あぁ…これすか……」
「その服、女が着ても可愛いですよねー」
「まぁ…え!?あげないっすよ!!これ俺買いますから!」
「えー?」
「えーじゃないっすよ!」
なんてやり取りをして、それでもブーブー欲しいと言う彼女に俺は根負けして差し上げたら、クッソ喜んでそれを即買い。そしたら店内でさっき着てた服を今買った服に着替え直して、俺にどうですかと見てきた。
くっそ似合う。まじで最高。最高だから故に、俺も着たいし欲しかったなぁとまた汗をにじませる。
くそぉ…二件もこの女に服を取られた!!
また、ぺこりと頭を下げて、すぐ隣の帽子専門店の所に入る。
最近クソ暑くて、髪の毛から炎が出てきそうな勢いなので、夏用になにか買おうと思い色々見てると、またも視線が。
まさか…と思い、すぐさまその視線に顔を向けると、やはり彼女がいた。
もうさすがに三度目はアレなのでなんでジロジロ見てんすかって詰め寄った。
「いや…たまたま私も…」
「いやそうだとしても俺を見る必要なんかないじゃないっすか」
「そ、そうだけど……」
もじもじして、彼女は頬を染めつつ話した。
「その…貴方の選ぶ服がどれもよくて…なんか…うん…すごいかっこいかったり可愛かったり…だから、その……」
恥ずかしそうに話す彼女を見て、可愛いなーと思いつつ、だからと言って俺を見る必要なんかねーだろと思ってた。
でも、彼女と俺はなんだかんだ服の趣味があってるのかもしれない。だから、俺が買おうとしてるやつとドンピシャで当たるのかも。
そんなお気楽なことを考え、俺はつい、その女に良かったら一緒に見て回りませんかと言った。
そしたら彼女は喜んで、いいんですかと言っていた。なんか、ナンパっぽくなってるから、あんまし嫌なんだが、貴方が嫌じゃなければ…と申し訳なさそうに言うと、彼女が喜んで首を振る。
「ううん!全然嫌じゃありませんよ!服の趣味が合う人あまり周りには居ないものですから…だから私でいいのであれば…よろしくお願いします…!」
結論から言おう。
俺と彼女は付き合った。なんか、あの後色々服買いまくって、ノリで連絡先交換することになって、それでプライベートで服を一緒に買いに行ったりしてなんだして…それを繰り返してたら、いつの間にか付き合ってることになってた。
で、めっちゃ驚いたことが一つだけあるんだ。それは、彼女が俺に近付いていた理由が、一目惚れだかららしい。
いや……今となっちゃ……まぁ、もう付き合ってるし、彼女は可愛いし優しいでいいんだけどさ…流石に驚いたよ。マジで?って何度も思ったね。
服を買う時に、俺を見かけた時から一目惚れして、コーヒーから古着店、帽子専門店まで着いてきたのも好きだかららしい。
あ、ちなみに彼女は二十三歳の大学生。俺は二十六歳の大学卒業してのしがない会社員。
とにかく、ビックリしたよ。
半袖のシャツ一枚でこんな人生変わるもんなのかってね。無駄に広い俺のアパートには、今では彼女が住んでる。ちょっとは賑やかになったし、自分の買う服を彼女も着たいっていうのは少し嬉しいかも。共通の服の趣味を持つ者同士として、恋人として。
でも……。
離れたところでジーッと俺のことを見る彼女のこと考えたらそれはそれでやべーよな…???
『もしも過去へと行けるなら』
過去へ行ったら、君なら何をする?
あの日、間違えた選択を正してみる?好きな人に告白してみる?それとも、今じゃ出来ないようなことをしてみる?
まぁ、過去に戻って何をするも本人の自由だ。しかし、過去を変えられたお陰で、未来で絶望する人間の気持ちも考えてもらいたい。
俺は、未来と過去、現代を行き来できる特別な人間だ。この特別な力は赤子の頃から発動しており、時折俺が居なくなって母親は大変だったと聞かされた。
生まれついての特別な力を、自分のためではなく人のために使えと父親に言われ、俺はその通り実行してきた。
近年、タイムリープ現象に見舞われ、過去へ飛ばされる人間が続出している。
大体の人間は、事故や心が深く傷ついた者がタイムリープ現象にあっているようだ。
事故は…まぁ、許容範囲内ということにしている。異世界転生物語的なアレだと言えばわかるだろう。命が脅かされそうになった時に、人は過去へ戻ったり、別の時間軸に飛ばされることになったりとさまざまだが、それらは一時的で、すぐに自分の世界に戻ることになっている。
死にそうになった時だけ瞬間移動して、数分後に自分のいた世界に戻ることが出来るなんて、最高じゃないか?
どうせ、自分の世界に戻ることができるんなら、多少数秒、数分いただけ未来は変わることは無い。
これは、今まで観測してた自分の意見だから、多分ってことだぞ。変わるかもしれないし、変わらないかもしれないし…まぁ変わったとしても微々たるものだからそこまで気にする事はない。
次に、心が深く傷ついた者もタイムリープに巻き込まれることがあるという点だ。これが一番厄介でな。心が病んでる者の殆どはろくでもない過去を忘れられず、未だに引きずって精神がボロボロの状態の人間だ。
精神的に追い詰められてる人間は、なにをしでかすか分からない。他人の幸せを憎むような奴や、自分の利益の為に他人を平気で傷つけられるような奴、表では善人で、裏ではクソみたいな野郎だとかな。
こんな奴らが過去に戻っちまえば、幸せに暮らしてた奴らの未来が、最悪最低な未来に変わってしまう。
そんなクソッタレなことを起こさせないために、俺は日々タイムリープ現象に見舞われた人間を捕まえては元いた現代世界に戻してやっている。
タイムトラベルした奴らにはある特徴がある。まぁ、その時代にそぐわない服装やらなんやらがあるかもしれんが…それ以外に確実な物がある。
それは、過去や未来への移動直後に微細な時間の泡(光の粒…蒸気のようなもの)が肌の周囲に浮遊しているのだ。もちろん、一般人にはみえないし、感じもしない。
しかし、俺はその人間が現れた瞬間に、何キロ、何千キロ、何万キロ先だろうが関係なく感じてしまう。
シンパシーみたいなものさ。嫌なシンパシーだがな。
そういった人間の所まで、俺は未来と過去を瞬間移動のようにしてそいつの元へ辿り着いている。
そいつがどこへ行こうが、隠れようが、地球の裏側だろうと俺には関係ない。俺は、すぐ見つけられるし、すぐそいつの元へ辿り着けるんだ。
過去へ戻った人間達を無理くり現代に戻し、二度とタイムリープに巻き込まれないよう、能力を使う。
現代世界の磁気をその人間に強く与えることで、二度と戻る事はなくなるというものだ。
この方法で、そいつは二度とタイムリープに巻き込まれずに済む。勿論、泣いて懇願するよ。
「お願いだ。やり直したいんだ」
とな。
でもダメだ。お前が過去を変えると、その過去に関わった罪もない人間が不幸になる。
運命は、わずかなズレで劇的に変わる。
人の幸福とは、ごく細かい偶然の積み重ねでできている。それは、時計の歯車のように緻密に噛み合っているからこそ保たれていて、そのほんの1秒のズレ、たったひとつの「もしも」がすべてを壊すことがある。
そんなことは、絶対にさせない。
俺は、いつものようにタイムトラベルした奴の気配を感じ、その人間の元へ向かった。
マンションの屋上に瞬間移動をし、その人間を観察する。服装や身なりは…まるで大人そのもの。しかし、纏っている泡からして…あれは数十年後の世界からやってきた人間だろう。
見た目は大学生のようだが、現代の実年齢では小学生ほどか?そんなことを考えつつ、急いで走る彼の元へ俺は瞬間移動をする。
「!!!!」
いきなり目の前に現れた俺にビクついたそいつは尻もちを着いて驚いた表情で見つめた。
「…最近タイムリープ現象に巻き込まれる人間が多いようで…お前もその口なんだろ?」
男を睨むと、ソイツは汗をかいてその場から逃走しようとする。が!!俺はその男の腕を掴んで絞め技をかけてやった。
「いでっ!!!!!!」
強く押さえつけた上で、男のポケットにある財布から免許証を取り出す。名前は阿馬 聡一(あま そういち)、生年月日からして年齢は二十七歳か。
「未来から来たよな?その表情的に…心が病んでるのが原因らしいが……今、どこへ向かってたんだ」
「ぐ……!!離せよ……!!つーかお前誰なんだよ……!!!」
「千年後の世界では時間跳躍不許可区域への侵入、第四等違反というものが存在する。凄いだろ?千年後も地球はあるんだ。でもな、お前らみたいなタイムトラベル人間は近年増え続けてることからパトロール共も手に負えない状況みたいなんだ。しかも、AIが発達しすぎて自分達にも人権をとか言い出してロボットと人類の全面戦争とまで発展してやがる。
だから、特別な力を持つ俺がやってるんだよ。あと家族に生まれついたこの力で人を救えと言われてるしな。
お前…分かってるよな?お前が過去の世界で動いてしまった場合、お前に関与してる人間の運命まで変えてしまうかもしれないんだぞ」
「ぐ…なら…尚更いいさ…!!変えなくちゃなんねぇんだよ……!!数年前の世界なんだろここは……!!
それなら俺は会いたいんだ…!!最期に一度だけでも……!!!」
「…最期に?」
俺は男の話を聞くために、一度手を離した。
「この時間に来る意味は?」
「……妹が死ぬんだよ。しかも今日だ。何も言えずに、別れも言えずに、俺は妹の最期を見届けることも出来なかった…仕事で…あんなクソみたいな仕事のせいで……。
だからチャンスが来たんだ!!今度こそ妹に……!」
絞り出すような声だった。怒りでも悲しみでもない懇願だ。俺は目を瞑り、真剣にそいつに話す。
「……妹の死は避けられない。お前が関わっても、生き延びることはない。死は確定されている。死ぬ運命の人間を救うには時間も足りない。今日なんだろ?命日は」
「わかってるよ…そんなこと……でも……!最期くらいは妹と……!!!」
蒼一は叫ぶように続けた。
「……ちゃんと、さよならを言いたいんだ。最後にただ、それだけでいい。触れもしない、何も変えない。ただ、顔を見て、言葉を届けて……それさえ出来れば…俺は…俺は……!!」
俺は、彼の目を見た。涙に滲んだ瞳。その奥に、何百時間をさまよってようやく辿り着いた執念と、哀しみがあった。
「……お前、それで満足か?さよならの言葉ひとつで」
「…満足なんてできるわけねぇだろ……!でも、その言葉ひとつでさえ妹にかけてあげられなかったんだ……!!
…もし、時間が戻るならって何度も思った……でももうチャンスなんてないと思ってた。でも……俺は戻ったこれた」
男は手を拳に変えて、戦闘態勢に入った。
「病院はすぐそこだ!!!妹が死ぬまで残り三十分だ!!!どかねぇと殴るぞ!!!!」
彼の顔は怒りではなく、恐怖でもなく…ただ、絶望と希望が入り混じった、弱い人間の表情になっていた。
弱い人間が、懇願する時の表情。威勢はいいが、やはり心はそうだろうな。
俺は彼の肩に手を置いて言った。
「俺も、同じことをすると思う」
そして、一緒に病室に一時間前に瞬間移動をした。
咄嗟のことすぎて、彼が驚いて俺の顔を見てくる。見つめられるのはあまり好きじゃないんだがな。
「……行けよ。一時間、じっくり話す事だな」
そう言うと彼が病室前の扉で深呼吸をして、俺の方をもう一度見た。
彼の顔は、涙で濡れていた。それでも、ものすごい優しい表情で俺に感謝を述べる。
「……ありがとう…」
「時間は限られてる。早く行けよ」
彼が病室のドアを開けて、入っていく。
声が聞こえる。母親がえっ、どうしたの!?って言う驚きの声と、妹の微かな話し声が。
俺は、廊下のソファに腰をかけてスマホを見て、瞬間移動をした。
数百年後の世界で買い物を済ませ、あいつが話し終わったちょうど、妹が病死するであろう時間前に戻った。
医者達が容態急変した妹をなんとかしようとしていた。
「血圧、急降下!」
「意識レベル、低下!」
「酸素、足りてません!」
病室が一気に騒然となった。
モニターが警告音を鳴らし、数人の医師と看護師がベッドを囲む。
「血圧、急降下!」
「意識レベル、低下!」
「酸素、足りてません!」
母が涙ながらに呼びかけ続けていた。
「お願い……遥!目を覚まして……!」
俺はスっと手をあげて、能力を使った。空気が振動し、すべてがスローモーションのようになり、やがて医師も母も動きを止め、空間全体が、時の泡に包まれたようになる。
ポケットから瓶を取り出し、一錠だけ出すと、すかさず妹の口の中に放り込む。この薬は未来の医療技術の結晶で、どんな病も分子レベルで修復する薬だ。
この現代の人間にも飲めるよう設計されてるはずだと思い、俺は買ってきた。
多少の磁力で空間を強め、薬が喉を通しやすいように穴を広げた。空間を行き来できる能力に加え、その間で培った力が、ここで役に立つとは思わなかった。
妹はコクンと薬を飲み込むと、俺はその子の額にそっと手を置く。
「……もう、大丈夫だ」
彼女がゆっくりと目を開ける。色を失っていた肌が血色を取り戻し、硬直していた筋肉がほぐれ、呼吸が穏やかになっていた。
「……ここは…」
彼女が周りを見渡す。綺麗な虹色の泡が周りを包み込み、なにかいつもと違う空間で少しだけ驚いていた。
そんな妹を見て、俺は笑みを浮かべる。よかった。元気になってくれた。
妹が俺の存在に気付くと、俺のことを質問してきた。
「あなたは……」
「……名乗るもんじゃありゃせんさ」
「え……?」
「あ、いや…まぁ、病気治ってよかったな」
彼女が自分の腕や身体を見て驚く。誰よりも病気でどんどん弱り果てていく自分の身体を理解してるのは彼女自身だ。
自分をつねって確認している。だが、痛みはあるらしく、つねった頬を触って、涙目になる。
彼女が俺の方をもう一度見て驚く。あぁ、兄妹なんだなって俺は思った。
「……お兄ちゃんは? お母さんは?」
「向こうにいるよ。この空間はいつでも解除可能だからすぐ会える」
「……私、さっき……すごく苦しくなって……それでもう……」
「まぁな。だが、君の命はこうしてちゃんと戻ってきた…ハッピーエンドだろ?」
妹が俺の顔を見て、何故か泣きそうになりながら聞いてくる。
「……私の病気…もしかして……あなたが……!」
「さぁな」
俺が時を動かそうとする前に、彼女はポロリと涙を一粒、二粒こぼした。
「…ありがとう…ありがとう……私…生きたかったから……!!沢山…みんなと遊びたかったから……!!」
涙を流す彼女を見て、泡の中に手を突っ込んで、兄貴のポケットにあるハンカチを奪ってそれを妹に渡す。
「ほら、拭けよ」
困惑しつつも、そのハンカチをありがとうと受け取って、涙を拭く。
「……残り百年の人生、楽しめよ」
「……うん!!」
笑顔で頷く彼女を見て、俺は時間を動かしたあとすかさず瞬間移動をした。
医者が医療器具を手にして彼女を振り返ろうとするが、みんな一同、彼女が元気に起き上がってることにびっくりして茫然自失となっていた。
「え……は……え!?!?!?!?!?」
「……心拍も…正常…」
「ありえない……今、止まってたはずじゃ……」
「は、はるか……!!!」
母が、泣き声を上げながら身を乗り出してだきしめる。
はるかはそんなお母さんを抱きしめ返す。笑いながら、泣いていた。
「お母さん……!」
「は、はるか!? 大丈夫なの!? 体、苦しくない!?痛いところは!?呼吸は!?目はちゃんと見える!?」
「うん…うん……大丈夫…私、元気だよ……!!」
医師が駆け寄ってモニターを確認する。
看護師も、血圧や反応を測るが、すべてが正常を示している。
「な…なぜ…今彼女は……」
「と、とにかく、念の為に検査を」
医者達が、呆気にとられつつも検査を始めようとしてた。聡一は、まさかと思い廊下に出て彼を探す。
廊下に座ってた彼に、妹の件を問いただした。
「うるせーな。おら、はやくかえるそ」
そう言って、彼は俺に向かって領収書を投げてきた。それを見ると、即時性特効薬五十万円と書かれており、俺はそれを見てたまらずマジかと叫んだ。
そして、俺の驚いた声に彼が振り返り、ニコリと笑う。
「妹が、未来でまってるぞ」
俺は、何度も何度も彼に感謝を述べた。彼は面倒くさそうに、どうでもいいから帰ろう。とか言ってきたけれど、俺は必ず金の方も自分のいた時代に着いたら返すと言ったが、彼は要らないから二度とタイムリープに巻き込まれるような豆腐メンタルにはなるなと忠告してきた。
「…未来の妹はお前の歴史を知ってるが…当然、お前は妹がどんな歴史を辿ったかわからんだろう。たった五年前の出来事とはいえ、五年の間で生き延びた妹がどういったことになったのかは知らないのは事実。
それでも大丈夫か?」
心配してくれた彼に、俺はまた感謝を述べる。
「ありがとう…なにからなにまで。
妹のことはこれから覚えていくから大丈夫。生きて…幸せに暮らしてるならそれで構わない」
「…妹は幸せに暮らしてるさ。だから安心しろよ」
そう言って、ニコリと笑う理人(りひと)。
理人は、聡一と一緒に、現代世界へと戻った。
俺のダメなところって、こうなんだよな。結局、他人に甘い。誰かが不幸になるかもしれないという最悪な事態を知っておきながら。
ため息を吐いて、俺は貰った手紙を読んでみる。
「……はは、家族全員、幸せそうだ」
そこには、母親と父親、そして聡一と妹とで映った、家族写真が挟まれていた。
『またいつか』
さよならは、言わない主義なのさ。
今度、幼馴染が遠くの国に引っ越すらしい。親父の転勤によるものらしい。
俺は、さよならを絶対にいいたくない人間なので、とりあえずまたいつかって答えておいた。
「……美人幼馴染にそれは冷たいんじゃないか?」
「ははっ、冷たくないよ」
笑う俺を睨む星奈(せいな)。コイツが、引っ越しをする幼馴染だ。
昔っから男勝りの性格で、スポーツ神経抜群。女らしからぬ発言を繰り返し、いつも俺を引っ張って外で遊ぼうと誘ってくる。
サッカーしたり、野球したり、体育館を借りてバスケやバドミントンをしたりなど、運動をする度に俺を誘い込んでくる。
俺は、どっちかと言うとスポーツマンというよりインテリマン。パソコンいじって、読書して、家でぐーたらしてる方が好きなタイプ。スポーツは不得意ではないが好きではない。
しかし、星奈が誘ってきた遊びを断ったことがない。断ると、アイツはいじけて話しかけても無視しやがるからだ。めんどくさい。そういう時は、甘いもんをプレゼントしてやれば喜んでくれるから、そん時に今度遊ぼうと言ってやれば元気に頷いてくれる。
コイツ中学生だぜ?ガキっぽ過ぎるよな。でも、そんな元気いっぱいの星奈が、俺は好きだった。
だが、そんな星奈の言葉に俺はいつもうんざりしていた。
「じゃ、バイバイ!」
ただの、別れの挨拶だと思うだろ?でも、実際…バイバイという言葉は俺は大嫌いなんだ。
だから、バイバイという彼女に対して俺は「またな」と返す。
バイバイ、さようなら、じゃあね。これは全て、本当の別れの挨拶で、二度と会えない意味での言葉だと思っている。俺の事、面倒臭いと思ってるだろう?あぁそうさ。面倒臭い。でも、嫌なんだよ。嫌なもんは嫌なんだ。
俺が、またなと答えると、いつも星奈はニヤリと笑って、またなと言い返す。こんな感じの仲で、俺達はよくつるんでいた。
中学生までは。
彼女が俺の陰口を言ってる。俺を嫌ってる。それを知ったのは、同じ高校に入ってからのことだった。
「……それホント?」
「まじだって…!お前らよくつるんでるから仲良いと思ったけど…めっちゃお前の悪口言ってんぞあいつ!!」
焦った表情で話す、高校になって新しく出来た友人の一志(かずし)。
「……信用ないね」
俺は冷たくそう言い返してまた読書をはじめる。しかし、一志は本を読んでいる顔面にスマホを押し当てる。
「おい…邪魔だっつーの」
「いや見ろよ!証拠だって!」
スマホの画面には、彼女と、その周りの女子たちが映っていた。
『えー!?それホントなの!?』
『だろ?ホントにアホだろ!!』
『でも驚いた…そんなことがあったんだね』
『まぁな!アイツは親がいなくて寂しがり屋なんだよ!』
『へー、そんな過去があったんだね』
『はは、変だろ?』
『ふふ、まぁ変だね』
『変わりモンだからな!どうも』
笑う女子達。俺のことを、言ってるんだと訴える友達。
俺はそれを目の当たりにして、酷くショックを受けた。親がいない過去を、誰にも打ち明けるつもりなんてなかった。星奈にだけしか、言わないはずだったのに。
俺の両親は、俺を好きじゃなかった。父親と離婚をしてから母親は俺を捨てて、無事じいちゃんばあちゃんにお世話になった。
お世話になるまでの間、帰ってこないボロアパートで一人寂しく、食べるものもなく、真夏の部屋の中、今にも倒れそうなこの温度で、毎日毎日…ずっと待っていた。
でも、来なかった。
あの時に言った母親の『バイバイ』や、父親の言った『じゃあな』が、俺の心の中を更にえぐった。
二度と、戻ってこない。悲しさと苦しさで胸が張り裂けそうなくらい辛くて、涙声をあげる元気すらなく、俺はそのまま絶望と共に倒れ込んでしまった。
俺が部屋の中で倒れているのを、大家さんが発見して大事には至らずに済んだ。鍵が開きっぱなしなのが幸いした。
こんな、誰にも言えないような、惨めで恥ずかしい、誰からも愛されてなかった俺の過去を話せるのは、一緒に寄り添ってくれた星奈だけだった。
星奈は、その時泣いてくれた。そして、私がずっとついてるよっても言ってくれた。
あんな言葉、真に受ける自分もどうかしてたと、今になって公開してる。
俺は、ショックを押し殺して、冷静に友人に感謝を述べた。
「…ありがとう。この動画、俺にも送って貰えるとたすかる」
「あ、あぁ……」
俺の表情を見た友人は少し怖がった。どんな顔してるんだろうね、自分は。
スマホの動画を送ってもらい、それをもう一度見る。……親がいない寂しがり屋だから、笑えんのか?お前には、両親がいるだろ。お前のことを想ってくれる暖かいあの両親が。
俺にはいない。俺を産んだのだって、よくわからない父親だぞ。多分、父親ってよりかは彼氏なんだろうけど。
幾つになっても男遊びしてる母親も、色んな女と浮気して喧嘩して出てった父親も……!!!!!
こんなクソみたいな過去…誰にも言わなきゃよかった!!!星奈にさえ!!!!
放課後、俺はいつも通り星奈に一緒に帰ろうとニコニコ誘われる。俺は黙って彼女の後ろについていき、星奈が不思議そうにどうしたー?って顔を覗かせる。
「…今日のお前、なにで怒ってんの?」
「…………」
「なんかやな事でもあったのかよ」
「………ああ、特大のやつをくらったよ」
「はは!パンチされたのかよ!?」
「……知りたいか?」
俺が怒気を含めた声で星奈の顔を睨みながらそう言うと、星奈は少しだけ不安そうな顔をして頷く。
俺がポケットからスマホを取り出して星奈に動画を見せる。
「……なんだよこれ…」
星奈の表情が焦り始める。俺は星奈を更に睨んだ。
「…俺がお前に両親いないことの過去を話したのも悪い。でも…俺はお前のことをしんじてたからこそ、話したんだよ」
俺が悲しい表情で彼女にそう訴えると、星奈は焦りながら何度も謝ってきた。
「ご、ごめん!!!ほんとごめん!!言うつもりじゃ…!!でも!!こ、これホントにそう言う意味じゃなくて……!!!」
俺に触れようとする星奈の手を払い除け、俺は更に怒気を含めた声で彼女にキレた。
「いいよな。お前の両親は、お前を愛しているんだから。分かるわけないよな?両親がどっちもクズで捨てられた俺の気持ちなんて」
「だ、だからこれは!!!」
「お前と俺は違うんだよッ!!!!!!!!!!」
いつも、物静かで声を荒らげることがない俺の怒鳴り声を受け、星奈はビクついて驚く。
「お前はスポーツが好きで…俺は嫌いだ。お前は物凄く明るいけど、俺は暗いし、引きこもりだ。お前と俺は、対比の存在なんだよ。
真逆!全くの真逆の人間なんだよ!!水と油ってくらいに、俺とお前は合わないんだよ!!」
勢いで、彼女にそう吐き捨てる。星奈は泣いていた。言われたこともない悪口を、俺の言葉から次々と出てくるからだ。
「…二度と、俺と関わるな。あと、俺の惨めったらしい過去のこと…はぁ、もうどうでもいい」
ため息を吐いて、俺は彼女を置いてくように離れる。
「ま、待って……!」
星奈が俺に近づこうとするが、俺は触んなと言って、彼女に一言だけ伝えると、それを聞いた彼女はまたポロポロと涙を流す。
「さよなら」
絶対に口にしない言葉。この言葉を聞いた星奈は、その場で泣き崩れた。
ふん、泣きたいのはこっちだ。勝手に人の過去をばかすか言いふらしやがって。おかげで色んな人から、親いないの?って聞かれたんだぞ。クソが。
この日から、俺と星奈は絶縁した。
お互い、話しかけることもなく、ずっと赤の他人。全然それで俺は構わなかったし、逆に清々した。
そんな中で、彼女の引越しが決まったとの情報が入った。
聞いた時は、たまらず顔を逸らしてしまった。悲しいという気持ちが、強く溢れでてしまったから。
赤の他人なのに、なんで俺は悲しんでるんだ?ショックを受けてるんだ?なんで苦しいんだ?
『さよなら』
これが本当の意味になるとは、思わなかった。星奈に会いたくないとばかり思っていたけれど、少しづつ近付いてく別れの日のせいか、俺の心はどんどん寂しい気持ちになっていく。
お前と俺は、もう親友じゃない。なんて言ってしまったし、相手は俺の過去を言いふらした最低な奴だし。
こんなことを、思うのはおかしいんじゃないか?俺は、なんなんだ?と、感情がぐちゃぐちゃ入り交じる。
不安と混乱で、頭がどうにかなりそうだった。
そんな中、星奈の女友達が、俺に近付いてあの時の動画のことを知ってか、あれには訳があるのって説明してくれた。
放課後、友達と話してる時に、ふと聞かれた。
『なんでそんなに星奈と麗大(れいた)君は仲がいいの?』
『仲がいいなんてもんじゃない。アイツは…私にとって親友以上の存在だよ』
『そうなんだね。え、それってもしかして…麗大君に恋してたりとか……?』
頬を染めて、顔を逸らす星奈に周りの女子達はキャーキャー言ってくる。
『なんで付き合わないのー!!告白しちゃいなよ!!』
『…いや、私の事、女として見てないかもしれないから無理だろ』
そう言って、悲しむ星奈を周りの人達は応援してくれた。
『麗大君と星奈が一緒にいるのよく見るけど、麗大君も凄く幸せそうだよ!!絶対にお似合いだって!!』
ニコニコする友達の顔を見て、私が今度気持ちを伝えてみると言った時、ふと、一人の女子が星奈に疑問をぶつけてきた。
『そういえば…麗大君ってお母さんかお父さんいないの?』
『……え?』
星奈が驚いてると、友達は続けて説明した。
三者面談、進路相談、保護者会、体育祭・文化祭などに一切保護者が来てないし、他の生徒は親が来てるのに、いつも一人ぼっちですごしてる。
先生から「親御さんはどう言ってた?」と聞かれても、答え方が曖昧だったり、「自分で決めます」と言い切ってるのを聞いたことがあるみたいで、それに対して担任が妙に慎重な口調になると説明した。
完全にバレかけているし、いずれ時間の問題だと思った星奈は、つい、麗大の過去を漏らしてしまった。
全部を言ったわけじゃないけれど、皆はやっぱり驚いていた。
『私に教えてくれた時、私は麗大のことめいいっぱい抱きしめてボロボロ涙流しながらこれからも一緒にいようって強く言ったんだ。強く締め付けられたアイツは苦しくなりながらうんって答えてくれたよ!
そのあと、涙でまともに前が見えないのに野球して窓割ったけどなw私がw』
『ちょっと!なにしてるのw』
『はは!』
その後も手を繋いで学校に通うこともあったり、アイツのじいちゃん家にお邪魔した時は一緒にホラー映画見たりゲームしたりして凄く楽しかったと言った。
ほぼ付き合ってる関係じゃん!!と周りは驚く。
『えー!?それホントなの!?』
『まぁな!アイツは親がいなくて寂しがり屋なんだよ!』
『でも…そんな過去があったんだね』
『はは、変だろ?』
『ふふ、まぁ変かもね』
『変わりモンだからな!どうも』
『泣きながら野球をする変わりもんだよねッw』
『なっ!うるせーよ!』
そう言いながら、笑い合う皆。そして、友達に麗大に対する気持ちを伝える。
『…私にそれを話してくれた時…私は絶対に麗大の傍に居たいと思ったんだ。でも、その気持ちは麗大に親がいないからとかじゃなくて…麗大が凄く良い奴で…優しくて…大好きだからなんだ。
アイツと一緒にいると、楽しいし、笑顔も増える』
周りの人達が星奈の顔を見て、これからも麗大君のことを幸せにしてあげなよと応援し、星奈はニコリと笑った。
本当に、彼女がそれを言っていたならば、俺は本当に、クズ野郎になる。
クソ。いずれバレることだと思って彼女は言ってしまったんだな。悪気なく。
それを、俺は…星奈を本当の悪党と見立てて、絶交発言までしてしまった。自分の言ってしまったことに、深く後悔した。
「…星奈は…麗大君のこと大好きだよ…陰口じゃない。本当に、凄く好きだって気持ちを、私達に教えてくれたんだよ」
女友達が、俺に真実を伝える。あの動画は、たまたま悪く聞こえるような一部分を切り抜いただけに過ぎない。俺は、また悲しくなって、苦しい気持ちと、申し訳ない気持ちと、今更どうすればいいのか分からないこの気持ちで、心の中はぐちゃぐちゃだった。
ポロリと涙を零し、それを見られないよう顔を逸らす。
女友達は、それを見て、なにやら廊下の方に手を振っている。ふと、廊下を見ると、そこには星奈がいた。
「一緒に…今日は帰りたい」
最終日。学校に来るのがこれで最後になったという最終日に、星奈から俺に話しかけてきた。
俺が少し考えていると、周りの人達は、行けよと難度も念を押してくる。俺は久々に、星奈と一緒に帰ることになった。
案の定、やはり気まずい。このお互いどっちから話しかけたらいいか分からない状況が、本当に俺は嫌いだ。俺から話しかけたいけれど、あんな強く彼女に怒ってしまったのが災いしてか、中々話しかける勇気が出てこない。お互いモジモジしてると、星奈が先に俺に話しかけてきた。
開口早々、出た言葉は「ごめん」だった。
「…あの時は…ほんとごめん。お前の過去…勝手に言ってしまって……」
ポロポロ涙を流す星奈。続けて言葉を吐く。
「でもあれは…お前のこと悪く言ってるんじゃないんだよ」
「……うん」
「ほんとごめん……私にだけ…話してくれたのに……秘密言っちゃって……皆に……」
涙を拭う星奈。拭いきれない量の涙が、またポロポロと落ちていく。
「私のこと…嫌いになったよな……ホントに…ごめん……」
泣いてる星奈の顔を見て、俺は気持ちを伝えた。
「……星奈のこと、好きだよ」
彼女の肩が、びくんと跳ねた。
涙に濡れた頬を片手で押さえたまま、ゆっくりとこちらを振り向く。
「……え?」
振り向いた顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。
目を見開いて、信じられないといった表情で、俺を見ていた。
「……本当は、ずっと言いたかった。でも……俺なんかが…星奈に好きだなんて言えるわけがない」
俺は俯いて、呟く。
「俺は両親に捨てられた人間だ。小さいころから、誰かに愛されることに慣れてなくて……気づいたら、幸せになることにすら、びびるようになってた。毎日、お前と遊んでいて、幸せで…すごく楽しかった。でも、それはやっぱり一時だけの話かもって…いつかこの幸せが崩れるかもしれないって思って……」
自分の拳を、ぐっと握りしめる。
それでも声は震えていた。
「こんな俺が、誰かを幸せにしていいのかって。俺が原因で別れた両親みたいに…人の幸せをまた壊してしまいそうで……星奈に対する気持ちを、ずっと黙ってた」
彼女は、何も言わずに俺を見ていた。
涙は止まっていなかったけれど、その目は先程の悲しさは失われ、痛みを分かち合ったような優しさで溢れていた。
そして、震える手で俺の袖を掴む。
「……そんなの、関係ないだろ。私は……お前と一緒にいたいんだ」
その瞬間、張りつめていたものが、音もなくほどけていくのがわかった。
「……私は海外に引越しちゃうけれど…でも…私を忘れないで。必ず戻ってくるから…だから…………」
また涙が溢れてくる。俺も、たまらず泣いてしまった。
俺は、星奈の手を取り、目を見て伝えた。
「待ってるよ。必ず。その時まで…星奈が俺を好きでいてくれるのなら…俺はいつまでも待ってる」
「…ホントに…いつ戻ってくるかわかんないぞ…数年後…数十年後かもしれないし…」
「大丈夫。俺は、星奈のことが好きだから」
その言葉を聞いた瞬間、星奈はまた涙をポロポロ流して、頬を染めながら私もだと言った。
夕日の光が、2人をそっと包み込んだのがわかった。
「…その時は…その…付き合うって…ことになるんだよな?」
モジモジしながら聞く星奈を、少しからかうように言った。
「ま、それはまたいつか」
その発言に、星奈は少しムッとする。
「……美人幼馴染にそれは冷たいんじゃないか?」
「ははっ、冷たくないよ」
笑う俺を睨む星奈。
お互い、手を繋いでゆっくりと歩いた。時間が許す限り、二人の愛はここで永遠に続いて欲しいと、星奈と麗大は思った。
「……じゃあ、行くよ」
引越し当日になった。沢山の荷物を持って、彼女が空港のロビーで家族と共に行こうとする。
「ありがとう、じゃあな」
星奈が、いつものように別れの挨拶を笑顔で言った。
けれど、その笑みの端がかすかに震えているのを、俺は見逃さなかった。
俺はうなずいたあと、ポケットに手を突っ込み、精一杯明るい声を出す。
「またな」
そう言った瞬間、彼女の表情がふっとゆるんだ。
一瞬、無表情に見えるほどに感情を押し殺した顔。
だけど――その目から、ぽろりとひと粒、涙が落ちた。
「……行きたく…ない…」
そう呟いた彼女は、次の瞬間、俺の胸に飛び込んできた。
思わず受け止めた体に、彼女の小さな震えが伝わってくる。
腕の中で、声を押し殺しながら泣いている。
「ほんとは行きたくない……まだまだずっと…お前と一緒にいたいよ……」
俺は何も言わなかった。
言える言葉なんて、何ひとつ、見つからなかった。
ただ、彼女の細い背中にそっと腕をまわし、しっかりと抱きしめ返した。
彼女の涙が、俺のシャツを濡らしていく。
それでも、泣いている顔を見せずに、彼女はただぎゅっと、強く抱きしめてきた。
「…俺は、別れは言わない主義だから…別れの言葉さえ交わさなければ…いつかは会える。だから、またいつか…二人で一緒に遊ぼう」
ポロポロ流す彼女を、両親も少し泣いていた。
「あぁ…!!」
ニコリと笑う彼女の顔を、今でも忘れない。
飛行機雲が晴天の空にあるのを見ると、星奈のことを思い出す。
少しため息を吐きながら、俺が会社に向かっていると、スマホの通知がなった。
見ると、星奈からだった。
「…まじか…!」
メールを見て、俺は喜んだ。