『波音に耳を澄ませて』
自分の家の近くに海があるって言うのは良い事だ。
悲しい時、辛い時、悔しい時とか、なんかあったら心を落ち着かせるために僕は一人で海に行くんだ。
学校生活は楽しい…はずなんだけれど、ある子を庇ってから虐めのターゲットが自分になってしまった。
クラスの全員が空気読めないやつって僕を責めて、僕を虐めてきたんだ。
空気の読めない奴でいい。誰かが虐められているのを見て、それを当たり前と受け取って生活する方が僕は絶対嫌だから。
けれど、虐めは少しずつエスカレートしているし、不良たちはとっても怖いし、もうどうすればいいのか分からなかった。
ただ、僕は毎日この海で一人、波音を聞いて憂鬱な気分を晴らそうとしているだけだった。こんなことしても、なんにも変わらないのに。
溜息を吐いて、砂をいじる。靴の中に砂が入ったけれどお構い無しに僕は砂に足を突っ込んだ。
気持ちいい。暖かくて、なんだか包まれているみたいで。
一人虚しく砂遊びをしていると、波ともになにか音が聞こえてくる。
……ポチャン。
ポチャン?何の音だろう?もう一度、耳を傾ける。
…ポチャン。
やはり、波打つ音の中に紛れて、なにかの音が聞こえる。良く、耳を澄ませてみれば、あっちの方向から音が聞こえてきた。
ゆらゆらと浮いているものが見える。
え、あれクラゲ!?
大きなクラゲだ。ウミガメと同じくらい大きなクラゲで
、青色で触手が異常に長かった。
そんなクラゲがふよふよと泳いでおり、僕は恐怖を覚えた。ここは海水浴でも、子供達に人気なのに。
あんな危ないのがいたらまともに泳げないじゃん!とか思って、もう少し近寄って見てみようと立ち上がった瞬間、いきなり強風がやってくる。波が砂浜に強く打ち上がったかと思えばクラゲも一緒に陸に吹っ飛んできた。しかもこっちに向かって!
「わぁー!!!」
でっかい図体してる割に軽々しく飛んできたそれに恐怖を覚えた。僕は女の子みたいな叫び声を上げてそれから離れた。
びしゃんと打ち上げられたクラゲはすぐにぐったりして、自力でプルプル動いて海の方へ戻ろうとしている。
細い職種で戻ろうとするが、戻れるはずもなく、苦しそうだった。
…なんだか可哀想だなぁ。
そう思った僕は、そのクラゲを落ちてた流木の破片で海に戻してあげた。
クラゲはそのまま波に乗って、ぷかぷかと泳いでいく。途中、こっちを見てるような気もしたけれど、クラゲの目なんてどこにあるかもわかんないので、たぶん気のせいだろうと思った。
その日の夜、夢を見た。僕は浜辺に立っていて、僕が海の方向を見つめている。海鳥の鳴き声と、波音だけが辺りに満ちていた。
なんなんだここ…どこだろう。
僕が困惑していると、遠くの海から誰かが歩いてくる。明らかに人間では無い、キノコみたいな形をした生き物が僕の方へ海の上を歩いて向かってくる。
その近付いてくる得体の知れないモノの姿がようやくわかった。
クラゲだ。しかも、今日助けたクラゲ。
困惑していると、クラゲが自分の目の前まで歩いてきて、喋り出す。
「……乱れた心は、波打つ音で静まり返る。ここには、海と君と、私だけだ」
当たり前のように喋るクラゲに驚く。
クラゲの声は、男性とも、女性ともとれない曖昧な声で、とても穏やかで、気品に満ち溢れたものだった。
クラゲが話し終わると、クラゲが僕の体を触れようとする。触手で。
毒を刺されると思った僕は避けようとしたが、体が動かない。もがいていると、クラゲの触手が自分の頭をべチャリと触れる。
しかし、痛みはなかった。それどころか、少し、心に余裕が出来た気がした。
「君が私を助けてくれた。その行動は、なかなか出来るものではない。君には、普通の人間には無い勇気と優しさを持ち合わせている。
そして、君は今変化を遂げた。案ずることなく、前に進むんだ」
変化を……?え、なに……?困惑している自分を置いてけぼりに、クラゲがまた海の方へと歩みを始める。
一体なんなんだこれは。呆然としていると、クラゲがもう一度振り返り、「ありがとう」と一言だけつぶやいた。
そして、目を開けると朝の七時。
なんなんだろう、今の夢は。変な感情のまま、身支度を済ませて自分は学校へと向かった。
学校へ着くやいなや、教室のドアを開けた途端、みんなが笑っていた。なんで笑ってるんだろうと思っていると、そこには鼻血を出している男子の姿があった。
「あ、お前来てたの?」
「……なに…してるの……」
満面の笑みを浮かべながら、その男子を殴ったであろう不良がその男子の頭を掴んで机にグリグリと押し付ける。
「こいつが俺らのこと邪魔したんだよ。お前のこと虐めようと机の中のもん漁ってたらやめろって。マジで自分の立場わかってねーよなーこいつ!あはは!」
周りの人間もクスクス笑いながら、その男子が虐められているのを見ていた。
僕は、走り出す。
「おい!!!やめろよ!!!!」
「は?」
不良は、正直怖い。凄く怖い。殴られそうだし、まず性格が怖いし、人を虐めてる時が一番楽しそうにしてるのが本当に怖い。
しかし、怖い思いを引っ込めて、自分は前に出る。
「来んなよドブ臭い奴が!」
僕をおっとばそうと不良が手を伸ばす。すると、不良は急に手を引っこめて急に痛がり始めた。
「いっ…いってぇ!!!ヒリヒリする……なんなんだよこれ!!!いてぇ……!!」
手を抑える不良。僕はそれを無視してその子に駆け寄って、保健室へ連れて行く。
あとから聞いた話だと、どうやら僕に触れようとした瞬間に、何かに刺されたような痛みが走ったらしい。
赤く腫れ上がったその手を病院に診てもらった結果、なんとクラゲに刺された症状と同じらしい。
僕は何もしていないけれど、僕にやられたと不良が叫んでも、医者はクラゲの毒を中学生が所持できるわけが無いと一蹴。
結局、不良は腫れ上がった患部を冷やしながら薬を塗布して、経過観察となった。
僕は、夢で見たクラゲを思い出す。
あのクラゲが、助けてくれたんだ。
僕は、感謝しきれなかった。
その日の帰り、僕はもう一度海へ行った。
沈みゆく太陽が、今日の終わりを告げている。海が夕焼け空を映し出す。世界はひと時の金色へと変化を遂げていた。
気持ちの良い風が、僕のからだを包み込む。
クラゲがいないか僕は辺りを見渡す。
ポチャン。
さざめく波音の中、ポチャンと音が聞こえた。
僕は、波音に耳を澄ませてよく聞いてみる。
ポチャン。
やっぱり聞こえる。音の聞こえた方向を振り返ると、そこには昨日のクラゲが浮かんでいた。
クラゲの目や、顔がどこにあるのかは分からないけれど、クラゲはこっちを向いていることだけは何故か理解できた。
僕が手を振って、ありがとうと告げる。
すると、細い触手を上げて、クラゲも僕に手を手を振る。
そして、クラゲの声が聞こえてきた。
「救う物は、救われる。摂理さ」
そう言って、クラゲは海の中へと消えた。
クラゲにひとしきり手を振った後、僕は美しい海をもう一度見る。
もう一度耳を澄ませてみる。
聞こえてくるのは、波の音だけだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『青の風』
風を感じたい。
そんな理由で、男はオープンカーを買うことにした。待ちに待ったオープンカーを、乗り回す。
その感想を、友達は聞いてみる。
「どうだったんだよ?初めてのオープンカー」
どうせ感想は、俺達に自慢をする言葉だろうと思っていた。なぜなら、男はオープンカーを買った瞬間に皆に自慢をしていたからだ。
『安月給じゃ買えない値段だぜ?俺は高級取りだかんなー!!がはは!風感じれるぜ?風だよ風!うぃ〜!』
こんな感じで、オープンカーを買った瞬間にうざいと言うほど自慢をしてくる。あと、低所得者とかいちいちイライラする言葉も言ってくるし。
確かに、俺達よりも年収が高い仕事に就いている(IT企業)やつには、衰えているかもしれないけど…と、友達は思っていた。
そのため、楽しかったの一点張りだろうと予想していた友達だったが、男の帰ってきた言葉は、『やばかった』の一言だったそうだ。
その日は気温三十五度。風を感じようとフルオープンにし、車を走らせる。
確かに、風は感じた。感じたは感じるのだが、走行風に当たっているとはいえ、シートと身体の間は汗まみれだし、何より太陽の光が鬱陶しい上に暑い。
圧倒的爽快より不快が勝ったそうだ。
噴き出す汗に不快感を覚え、もう屋根を閉めようとした瞬間だった。
「もう閉めちゃうの?」
「……は?」
男一人しか乗ってないはずなのに、女の子の声が聞こえる。もしかして、隣車線のやつが窓を開けて話しかけたとか!?色んなところを見るが、隣車線にも後続車にも前にもどこにも車なんてなかった。
「……気のせいか」
「ふふふふ」
一人で呟くと、女の子の笑い声が聞こえてきた。
上からだ。ふと、上を向くと、そこには青色の髪の長いかわいい女の子が男のことを覗き込んでいた。
幽霊だと思った男は叫び声をあげたが、停車は冷静に対処し、その女の子を見る。
車を追いかけてきたのか!?いつ!?いつ取り憑いてきたんだよ!?
困惑し、冷や汗をかく男に女の子は近付く。
「気持ちいい?」
「……あ?は…?」
「風を浴びるの」
「……えっ……あ……いや……」
今、自分は幽霊と話している。その事を考えていると、背筋が凍りつく。
顔をこわばらせていると、ニコッと女の子を笑う。
「気持ちいいよね!」
「あ……は、はひ……」
早く逃げたい。目の前にいるこの世の者ではない化け物から早く。
男は滝のように冷や汗を大量にかいていた。
「…大丈夫?」
女の子は、不安そうな顔になる。女の子から見た男の顔は、顔面蒼白で汗を大量にかき、今にも後ろに倒れそうになっているからである。
「そっか、暑いよね。涼しい風をあげるね」
暑いのかな?と思った女の子は手を上げると気持ちのいい爽やかな風が吹いてくる。
「……?」
涼しい風を浴びた男は、急に冷静になる。暑さで脳がやられていたのかもしれない。なぜ、目の前の女の子にそんなにも怖がっていたのか。
幽霊はたしかに嫌いだ。目の前にいる女の子もふわふわと飛んでいて、幽霊なのは間違いないが、それでもこの子は悪霊とは違うように思えてきたらしい。
「太陽って、気持ちいいよね」
「あ…あぁ……」
悪意も憎悪も感じない、純粋無垢な女の子の声だ。男は、ここでこの女の子は大丈夫なタイプだと分かった。
「こ、怖がって悪かったな……」
少し申し訳なさそうに謝る。
「うん?なんのこと?」
女の子は分かってはないみたいだった。
「……えっと、お前、ここら辺で死んだのか?」
「うん?」
「その…幽霊、なんだろ?」
「?」
女の子はキョトンとした顔で男の顔を見る。幽霊?誰が?みたいな感じで。
もしかして、自分が死んだことにも気付いてないのか?と男は思った。
男が次に何を言うか考えていると、女の子が口を開く。
「私は、風の子だよ」
「……は?」
男は困惑した。風?風の子?なんだそら????
幽霊じゃねーのかよ?だったらこいつは何もんなんだよ!?
頭の中で様々な考察が飛び交う。そして、行き着いた答えは、この子供は風の精霊なんだ。ということだった。
もう、男はサングラスをかけてどーでもいいやー状態に走った。
そして、また屋根をオープンにして車を走らせる。女の子はまた着いてきた。なんなんだこの子まじで。と思ったがもうどうでもいいのでとりあえず走らせた。
今度は、女の子のおかげで涼しくはなったが、太陽が眩しい上に肌にダメージが食らう。
そう思ってると、女の子がニコッとして太陽に手を向ける。すると、雲が太陽の近くに寄っていく。
風の力か!!
太陽が雲に隠れ、とても気持ちのいいドライブへと変化していた。
「うぉー!!お前すげーな!!」
女の子にハイタッチをする。
女の子は楽しそうに笑った。
そのままスカイラインを走りすぎ、街に戻ろうとした時、女の子が離れてく。
「ん?おい!どうした!?」
女の子は手を振ってバイバイと告げた。すぅっと消えると同時に、涼しく、心地のよい風がより一層強まり、まるでそれは真夏の季節ではなく、春のような気持ちの良さだった。
この話を聞いた友達はあまりにも嘘くさいため信じてなどいなかった。でも、男は本気でそう話しているため、お前幻覚でも見たんんだよってことにしておいた。
で、肝心の車はどうなんだよ?と質問する友達。
「んー…暑い日はクソ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『青の風』のお題を上げられなかったため、『波音に耳を澄ませて』と一緒にあげました。
『遠くへ行きたい』
病室の窓から空を眺める。動けない状態って、本当に嫌だなって思う。
鳥たちが優雅に飛んでいるのを見て、私は溜息を吐く。
私も、自由に飛ぶことが出来たらなぁ。
いつ発覚したのかはわからない。それでも、その時点で私は助からないことは決まっていたみたい。
綺麗な空を見上げながら、私は窓ガラス越しに陽の光を浴びる。気持いい。
感慨深い気持ちになってきて、私は晴天の空を見つめながら、色々な思い出に浸る。
…楽しかったし、大変でもあった学校の頃の記憶を思い出す。
皆とまた会いたい。
また、馬鹿なことして、みんなと笑いたい。
もっともっと、笑っていたい。
あの頃に、戻りたい。
涙が頬をつたう。
悲しい気持ちでいっぱいになっていた時、誰かがベットの近くに立っているのがわかった。
私はゆっくり、その立っている人を見てみる。
黒い服に、鋭い鎌を持ち、そして顔は……骸骨。死神だとすぐに分かった。
「……見えるのか…私が」
私がうなずくと、死神が自己紹介をしてきた。
「ならは改めて。私は死神だ。」
死神が自己紹介をする。
しかし、私は何も動じなかった。私にも、お迎えが来たんだと悟ったためである。
「……驚かないのか」
「……うん」
死神は眉をひそめて(骨なのに)、私に話しかけてきた。
「……何をジロジロと見ている」
「……その……」
声を出すと、身体が苦しい。あまり喋ることは出来ない。途切れ途切れになりながら、私は必死に話す。
「……え……じ、じゃあ…私…もう……」
私の言いたいことが分かったのか、死神は裾から黒い手帳を出して、ページをめくり何かを探したと思ったら、淡々と書いてあることを読み上げた。
「…花澤美恵(はなざわみえ)。年齢は十七歳。病名は白血病。お前の寿命は残り五日ほど記されている」
五日…私、五日で死んじゃうのか…。
驚きはあったが、そこまでびっくりするほどのことでもなかった。医者に毎日言われている言葉。もう長くはありません。その言葉をよく聞くから、全然ショックは無かった。
「私達、死神は死期が迫っている人間の様子を五日前から見なければならない掟がある。そこで、見える人間と見えない人間がいるわけだが、もし見える人間ならば、お前の望みを叶えてやることが出来る」
私の…望み…。死ぬ前の人間の望みを叶えてくれるってこと?多分、病気を治したいとか、死にたくないとかっていうのは無理なんだろうなぁ…。
私がまた声を出そうとすると、死神が私の喉元に触れてきた。その手は骨で出来ているのに、変に人間のような温もりを感じた。
「……あ、あの、何をしてるんですか…え!あれ!?」
声を出すのだけでも苦しかったのに、声を出しても全然苦しくなくなっていた。それどころか、少し大きな声で喋っても全然大丈夫になった。
「ふ、普通に喋れるようになった…!!」
「何を言いたいかは瞬時に理解出来るが、お前自身もしっかりと言葉に出したいだろう。これはサービスだ」
私は、この死神が天使に見えてきた。
死神って、悪い存在かも思っていたけれど、全然そんなことないんだと思った。
そんなことを考えていると、死神が催促してきた。
「早く願いを言え。生き永らえたいとか、病気を無くすと言ったことは出来んが、お前が今したいことをすぐ叶えることが出来るぞ」
私は少し考えて、死神に言った。
「……じゃあ、私の家族をお金持ちにして」
「…………なぜだ」
死神が少し困惑していたが、私は話し続ける。
「…私のせいで、ママやパパを困らせちゃったから。
あまり、裕福じゃない私の家は、入院費だけで月数万円は無くなっちゃってるんだ。
だから、私は毎日言ったの。もういい。大丈夫だからって。
でもね、聞く耳を持ってくれなかった。私が助かるなら、何千万でも、何億でも出せるって言うんだよ。おかしいよね。
弟もいて…私が入院してから、習っていたサッカーを辞めたんだよ。
私、皆に沢山迷惑かけちゃったから…だから、家族をお金持ちにして欲しいの」
死神はまた溜息を吐いて、私の願いを承諾してくれた。
指をパチンと鳴らし、一瞬だけ死神の指から火花が散ったと思えば、これで完了したと告げてきた。
「お前の死後、家族は何をしても上手くいくように仕組んだ。父親は一月も経たないうちに昇進することになり、収入は安定するどころか使いきれないほどの金が手に入る。
願いは叶えたやったぞ」
あまり実感は持てなかったし、本当に家族が金持ちになるよう仕組んだのから少し疑っているが、私は死神に感謝を述べた。
「……ありがとう…」
死神は少しだけ柔らかい口調で私に言う。
「……人間というのは、殆どは欲で出来ている。死ぬ前だというのに、大量の資金をくれという人間もいれば、嫌いな奴を始末して欲しいというやつもいる。挙句の果てに、好きな女と付き合えるようにしてくれと言ってきたこともあった…。その女は、既婚者だと言うのに」
死神はため息を吐きながら私に愚痴る。
「死ぬ間際になると、人間の本性というものが出てくる。長く生きた人間はそうでもないが、やはり若者となってくると、話は変わってくる」
「……そうなんだね」
「だが、お前は別だ。立派だ。家族の幸せを願うとは」
死神に褒められるなんて変な気分だけど、少し照れた。
「い、いやぁ…でも…沢山助けて貰ったから」
「……」
死神は、私の顔を見た後、窓の外を見た。
「……どこか、遠くへ行きたいと思うことがあるな」
「……え?」
急に何を言うかと思えば、私が毎日思っていることを口に出してきた。
「この病室の窓からよく外を眺めているだろう。飛んでいる鳥達が羨ましく思っている。
自身は鳥籠の中で死を待つだけの鳥だというのに」
「…………うん。外には、出てみたいと思ってるよ。凄く晴れた、爽快な空を…私が死んだら、飛べるかなって毎日思っているんだ」
私も、晴天の空を眺めた。
やっぱり、透き通った空の色は素敵だと思った。
「……ならば、これは特別だぞ」
「え?」
そういった途端、死神が私の身体を掴んだと思ったら、グイッと私を強く引っ張った。
抵抗する力もなく、引っ張られた私は目の前に眠っている自分の姿を見てしまった。
「え、えー!?!?!?」
驚きの声をあげる。これって…幽体離脱!?
「安心しろ。お前の身体は生きている。だが、魂が抜けたお前の今の身体は植物状態と化している。一切の思考と記憶を持たない人形のようなものだ」
私は目の前の出来ごとに呆然とし、自分の身体をよく見てみる。
……透けている。それに、病気だった頃と違って、すごく身体が軽かった。
嬉しさのあまりジャンプをしたり、手をぶん回したりしてたら、死神の顔に当たってしまった。
「ぐ」
「あ、ご、ごめんなさい…!」
死神が額に手を当てながら、外に出るぞと言う。私も着いていくことにした。
外に出ると、気持ちのいい風がふいてくる。
私はめいいっぱい空気を吸い込んだ。吸い込めてるのかは分からないけどね、透明だし。
でも、外の空気はやっぱり美味しかった。病室の空気しか吸えなかったからね。確かに清潔なのかもしれないけど、なんか寂しい気持ちはあった。
私がルンルンな気分でいると、死神がどこへ行くか聞いてきた。
「えーっと……遠くのところって行けたりできる?」
「可能だ」
「じゃあ東京スカイツリーみたい!」
「わかった」
死神が指を鳴らした瞬間、気付けば東京スカイツリーの近くにいた。
「わぁー!あれが東京スカイツリーか!」
私がキャッキャ騒いでると、通行人にぶつかりそうになった。しかし、私の体は通行人にぶつかることなく、そのまま通行人の体を透き通ってしまった。
「ひっ」
「えっ、なに?どうしたの?」
「え…いや…なんか今すっごい寒くなって…」
「はぁ?真夏なのに?」
通行人二人の女性がそのまま通り過ぎていく。
あ、私幽霊みたいなんだなと思った。
死神が近付いてきて、私に手を出してきた。
「……あ…ご、ごめんなさい」
死神の手を借りて起き上がる。
「……なんか、死神さんの手って、暖かいんですね。もっと冷たいものかと……」
「どういう意味だ?」
「あ!!いや!その、心霊的な…意味で…」
「…私達はそこらの霊体とは違う。死を司る神だ」
「……ごめんなさい」
私が少ししょんぼりしてると、死神が次はどこへ行く?と言ってきた。
「東京スカイツリーにのぼってみたかったんですけど…ダメですか?」
キラキラした目でオネダリしてみる。死神は可能だと言って指パッチンした。
気が付くと、いつのまにか東京スカイツリーの展望台の中にいた。確か、展望台に行くには料金が必要じゃなかったかな?無料で見れてラッキー!
展望台から見る東京の都市はとても美しかった。綺麗だし、高層ビル群や富士山も見ることが出来た。
「ねぇ!あれ富士山じゃない!?」
「空気が澄んでいる証拠だ」
私がぐるりと展望台を一周して、死神は次はどこへ行く?と聞いてきた。
「えっと…じゃあ次は…」
私はふと、家族や友達のことを思い出す。
「……みんなの所に、行ってみたい」
そう言うと、死神は指を鳴らす。最初に着いたのは、私が暮らしていた時の家だった。
家に入り、リビングを覗く。何も変わらなかった。強いて変わったのは、観葉植物が増えたくらいかな?と思った。
ママやパパ、弟はおらず、家の中はシーンとしていた。
「……私の部屋」
気になった私は、二階に上がって自分の部屋を覗く。入院してから二年はたつけれど、私の部屋は当時のままそこにはあった。
もう少しで、この世とバイバイする私の部屋は、どうなるんだろう。多分、無くなってなにかの部屋に変わるんだろうななんて考えた。
ベッドに座って、机に置いてある家族写真や友達との写真に目を向ける。
まさか私が高校に入学したと同時に病院生活だなんて思っても見なかった。
せっかく、中学の頃の友達と同じ高校に入学できたのに。
悔しくて、悲しくて、なんだかやりきれない思いが込み上げてくる。私が俯いていると、死神が次はどこへ行く?と声をかけてきた。
「………高校」
「了解した」
そう言うと、パチンと指を鳴らす。
目を開けると、そこは校舎だった。
「……ここかぁ」
私は校舎を抜け、学校内を見て回った。食堂は綺麗で、色々なご飯が沢山あった。
ここで、友達と一緒に食べられたらなぁ。
教室内は綺麗で、色んな男子や女子達が楽しんでる様子だった。
「ここで勉強する予定だったのかぁ…」
私が教室内を見ていると、一人の女子生徒が私の方向を見て、「うわっ!!」って叫んだ。
私のことが見えてる!?私はびっくりしてそのまま教室から出る。
「え…私の事見えてるの?」
「霊が見えるのと同じことだ」
死神は冷静に話す。
「…私、怖いかな?」
トイレに行き、鏡を見てみる。でも、自分がうつらない。私の顔、変かな?って死神に聞いても、普通とだけ。
「では、次はどこへ行く?」
「……オススメ場所とか…ある?」
「無い」
「そっか」
私が病室に戻ろうと言いかけた時、死神が私に提案してきた。
空を飛んでみるか?と。
「え、飛べるの!?」
「あぁ」
そう言うと死神が私の体を触った瞬間、私はふわふわと飛べるようになった。
「わぁ!本当に飛んでる!!!」
私は早速外に出て、ビューンとスーパーマンのようにとんでみせた。
初めて空を飛んだ割には結構上手く飛行できて、意外と簡単なんだなーと思った。
空を自由自在に、まるでタケコプターのように飛べるのは本当に嬉しかったし、楽しかった。
後から死神がついてきて、鎌を持ったままふわふわと飛んでいたので危ないなーなんて思っていたら、ふと下の方を見ると道路の真ん中でうずくまっている子がいた。
「え!!!!!」
そして、その子供の近くには白くて綺麗な翼を持った、ボブヘアーの小さな天使姿の男の子?女の子?がいた。
その子はニコニコして、道路の先を見ている。
トラック!!!!
私はすかさず降りて、子供を助けようとする。
「!」
死神が気付いて私を追いかける。しかし、かまってる暇はない!
私が地面に到着すると、天使の子が私に気付いて、ただじーっと見ているだけだった。
私がなんとか子供を持ち上げようとしてみるが、上手くはいかない。そうだ、自分は今幽霊だった!!
「……何をしているの?」
優しい声で天使は聞いてきた。
「助けようとしてるの!!トラックが来ちゃう!!やばいよ!!!ねぇ!一緒に助けて!!」
天使は、ニコリと笑った。
「ごめん、無理」
「……え?」
天使はニコニコしながら話す。
「気になってたの…もし、道路の真ん中で子供が横になってたら、誰がまず助け出すんだろうって。
好奇心が抑えられなくて、僕は今、それを試しているところなんだ。
見てご覧、周りの人達を」
周りを見ると、スマホでこの子を撮影し、誰か助けなよ!やばいよ!と言い合っているだけだった。
「ふふ。人は来ず、君が来た。幽霊の君が。
持ち上げられるかな?君は、生きているその子を触れるかな?」
天使はニコニコして話した。
何だこの子!!!!ドン引きしつつ、私は何度も子供を持ち上げようと努力する。
しかし触れない。全てこの透き通ってしまう。
「や、やばい!!!トラックが!!!!」
トラックの運転手が目前へと迫っていった。運転手は子供の存在に気付き、ブレーキをかけたようだが、スピードを出しすぎていたため、このままではぶつかってしまう。
やばい!!!!ぶつかる!!!!!
満面の笑みを浮かべる天使を、死神は蹴り倒し、私と子供を掴んで道路の外へと投げ飛ばす。私の体はふわりと浮かび、子供は撮っている撮影者のお腹にぶつかった。
「げぶぉ!!!」
撮影者は倒れ、周りの人達が子供の側へ駆け寄る。
「おい!顔が真っ赤だ!!熱中症かもしれない!!早く電話しろ!!救急車だ!!」
子供は、無事に助かった。
蹴り倒された天使は痛そうに起き上がる。
死神が鎌を天使に向けて、睨みつける。
「なんのまねだ」
「あ…………………………」
「このことは、神様に報告させてもらう」
「え!!あ…そ、それだけは!!」
死神が指をパチンとならすと、天使はすうっと消えてしまった。
私は死神の近くに寄って、ありがとうと頭を下げた。
「……気を取り直そう。どこへ行く?」
「…いえ、もう病室に戻ります。あの子が救われて…本当に良かった」
死神が指をならすと、そこは病室だった。目を開けると、幽霊の姿ではなく、私本来の身体に戻っていた。
「………よくやった」
「え……?」
骸骨なのに、死神が優しい表情をしているというのがすぐに分かった。
「天使は神の使いだが、性格は子供そのものだ。ある程度知恵をつけてしまうと、あのようなことをしてしまうものが多い。
我々死神や、位の高い天使共がそういった行動を取らせないよう見ているのだがな…」
死神がため息を吐く。
「…サタンの二の舞は…」
ボソリとつぶやく。
「え?」
「気にするな。それよりも、まさか人間に救われるとは思ってもみなかった。どうも、ありがとう」
死神が私に深々と頭を下げた。
私は、照れながら喜んだ。よかった。人の命を救えて。
そして、ちょっと気まずそうに死神に言ってみる。
「……あの…意外です。私、死神って人間の魂を持っていく悪い人かも思ってて…」
「そう捉えるのも間違ってはいない。
しかし、死んだ者に対して経緯を払わない死神は存在しない。我々は、死にゆく者の傍に寄り、あの世へと連れていくのが仕事だからな」
死神は手帳を取り出しかと思えば、私の名前に線を引いた。
「…なにを?」
「……私共の失態を、時に人間が助けてくれる場合がある。そういった時、我々はその人間に見返りを与えなければならない掟がある」
そう言うと、死神は私の体にもう一度触れる。
すると、強い光が走った瞬間、私の体の肉体が、みるみるうちに回復するのがわかった。
そして、私の手や体は、健康的な状態な時の体へと変化していた。
「え…こ、声を出しても苦しくないし…身体中すごい軽い…気分も…!!え、え!!え!!!!!!」
私がおどろいていると、死神が微笑んだ。
「お前の病気は消えた。二度と病気になることはない。そして、丈夫な体になったから、風邪になることもないだろう」
私は嬉しさのあまり、死神を抱きしめた。
「……あ"り"がどう…うっ…うぅ…」
自分の両足でちゃんと立ち、力強いハグが出来る。
生への実感が湧いてきた。
涙がポロポロと出て、何度も何度もありがとうと告げる。
「仕事をしたまでだ」
死神が私の肩に手を置いて、そっと自分から私を離す。
涙で濡れた私の顔を見て、死神はまた微笑む。
「今度は、自分の足で遠くへ行くんだ」
そう行って、死神は置いてある鎌を持ち、ふわりと宙に浮いた。
「……また、百年後に会おう」
そう言うと、死神はどこかへとすぅっと消えた。
「…ありがとう!本当に!!またね!!!」
消える死神に手を思いっきり振り、私は笑顔と涙の両方の顔で見送る。死神は、消える間際、私に手を振り、そのまま去っていく。
すると、看護婦が防護服を着て無菌室に入ってきた。私の様子を見に来たのだろう。
私が立っている姿と、その健康的な肉付きをみて、急に驚きの表情で私の顔を凝視した。
何も言えなまま、その場で棒立ちし、数秒後に私に駆け寄りどうしたの!?貴方は誰!?え!?!?!?大丈夫なの!?と、驚きの質問攻めにあった。
程なくして先生を呼んでもらい、その後はトントン拍子だった。
先生が私の身体を何度も診察し、病気がさっぱり消えていることに驚いて、先生は何度も奇跡だと言っていた。
先生が、治ってよかったと安堵の表情と、涙を流してくれたのは、今でも覚えている。
「あなたの強い意志と治療の成果が出ました。白血病は完全に治りました。長い戦い、本当にお疲れさまでした。」
病院の先生や、家族、私が頑張ったって言ってくれるけど、本当は違う。
誰も、このことは信じないと思う。
それでも、私は覚えている。
ありがとう。死神さん。
『クリスタル』
俺は小学生の頃、河原へ行ってはよく綺麗な石を拾っていた。
白くてつるつるした石や、面白い形をした石、赤色だか紫だか分からない特殊な色をした石、とにかく良いなと思った石を拾うようになった。
父さんは、河原から石を拾ってくるんじゃないと注意してきたがうぜーと思いながらフル無視をかましていた。
不吉だとか、河原の石は霊が住み着きやすいだとか、よく分からないことを言っていたと思う。そんなの信じるのは、オカルトだいすき人間だけで、一般常識人はそんなこと考えてねーよなんて当時は思っていたなw
しかし、俺はあの日をきっかけに、石を拾うのをやめた。
学校の帰り、俺は友達に遊ぼうと誘われたが断った。理由はもちろん、石集めのためだ。
それを友達に伝えると、少しドン引きした顔で辛辣なことを言ってきた。
「えぇ…石なんか拾ったって楽しくねーだろ…。そんなださい事するより俺ん家で一緒にゲームしようぜ」
俺はちょっとだけムッとした顔になって再度断る。
「いやいいよ別に。俺石集めたいから」
頑なに誘う友人と、頑なに断る俺。友人がため息を吐く。
「なにが楽しいんだよそれの」
「いや結構楽しいんだよ。だって、河原には沢山面白い石があるんだよ。星の形をした石とか、綺麗な色をした石とか、無駄にすべすべしてる石とかさ」
「お前やってること〇ーちゃんだからな??」
「言ってろよ、俺は一人で石集めてくっから」
俺がランドセルを背負って行こうとすると、友人も行くと言い出した。
「え?マジで来るの?」
「そんなに楽しいんなら行ってみるわ。楽しくなかったら速攻帰るけど」
「いや…何か物を探したりするのが好きな人なら多分楽しいと思うけど、もしそうじゃなかったらキツイと思う」
「ふーん、一回お前がやってるとこ見てみるわ」
俺達は、二人で近くの河原に行って石を探すことにした。
「ここだよ」
「石まみれだな」
「そりゃあね」
二人で河原まで降りて、石を探し出す。
「んー、なんか条件とかあんのー?」
「別にないよ。これすご!って思ったやつをコレクションにするだけだし」
「へー」
いつもは一人で石集めをしていたが、二人で石集めをすれば喋りながらできる(当たり前)のに気付いて、俺達はどーでもいいような会話をしながら色々な石を見ていた。
そうして数十分後、友達がすごい石を見つけてきた。なんか、三日月の形をした石だ。
「おー!すげぇじゃん!」
「これマジで月じゃね?凄くね?」
つまらねーだろと言っていた友達は、これを機に色々な石を探し始めた。
俺も負けてられないと、面白い石を必死になって探す。
すると、何かを隠すかのように、石がその上に沢山置かれているのを見つけた。
その隠している物の上に置いてある沢山の石をどかし、何が埋められているか確認する。
すると、そこにはクリスタルのような、キラキラ虹色に光る鉱石があった。
「!?!?!?!?!?!?!?!?」
俺はびっくりした。人生で初めて、こんなに美しく、めっちゃ高そうな、宝石みたいな見た目の石?を初めて目にしたためである。
凄いものを発見したので、それを友達に見せようとそのクリスタルを触った瞬間、俺の腕の感覚が無くなった。
「えっ」
一切力が入らなくなり、俺の両腕はブランと揺れるだけだった。
「え、な、なにこれ」
俺の腕が、紫色に変色していく。
「や、やばい!!!おい!!太一!!!!」
「んぉ?」
俺は友達の所まで駆け寄った。俺の状態を見た友達はギョッとした顔で驚いていた。
「お、お前なんだそれ!!変なもんでも触った!?」
「じ、実は石を……」
「石?」
すると、友達の目線は後ろの方へと変わっていった。
「え?」
「ん…どうかしたのかよ…?」
突然、友達が叫びはじめた。
「うわぁぁぁぁぁぁあ!!!!!!、」
友達は恐怖で歪んだ顔になり、尻もちをついていた。その叫び声に驚いてる俺は友達の傍による。
「な、なに!?!?なんで叫ぶんだよ!?!?」
すると、足に変な感覚が走った。まるで、誰かに触られてる感じが…。
なんてことを考える間もなく、誰かが俺の足首を思いっきり掴んできた。
驚いて後ろを振り向くと、細くてボロボロの肌をした、異様に長い腕がクリスタルから伸びていた。
その白い腕が俺の足を思いっきり掴んでいたのだ。
「うわぁぁぁぁぁあ!!!!!!」
恐怖のあまり、叫ばずにはいられなかった。
やつに掴まれたところから徐々に紫になっていく。それだけじゃない。物凄い力で引っ張られている。
……コイツ、クリスタルの中に引きずり込もうとしてる!!!
俺はそこでギャン泣きしながら友達に助けを求めた。
「助けてー!!!!うわぁぁぁあ!!!!」
どんどんズルズル引っ張られる俺を友達は引っ張ってくれるが、あまりにも力が強すぎるため、俺の体はクリスタルへと近付いていく。
「やべぇ!!アイツの方が強い!!」
クリスタルまでもう少しの距離だ。俺の体はほとんど紫色に変色し、体に力が入らなかった。
「お前も踏ん張れよ!!!」
「力が、力が入んない…!!!」
「くそ!!!」
友達が一か八かで俺を掴んでいる腕を殴ったり蹴ったり、でかい石でぶつけたりした。
しかし、ビクともしない。
「やばいやばいやばい!!!!!」
もうクリスタルは目の前で、俺はもうダメだと思い泣き叫んだ。
「くそぁぁぁぁぁあ!!!!!!!!」
友達がそのクリスタルを思いっきり持ち上げて大きい石の上に叩きつける。
クリスタルは粉々砕けた。
それと同時に、腕も煙のようにフッと消えた。そして、俺の紫色になっていた肌も元の色に戻り、感覚が元に戻った。
「はぁ…はぁ…」
「…………」
俺が今の出来ごとに呆然としていると、友達が粉々になったクリスタルの上に砂利を被せる。
「一生出てくんじゃねーよ!!!くそが!!」
そう言って砂利を被せた後にでかくて重そうな石をその上に置いた。
俺は友達の近くに行って、今の出来事について話す。
「な…なんなんだよ今の……」
「お化けだろ…石なんてろくでもねぇよやっぱ……」
そう言うと、ポケットに入れた三日月の石を河原にぶん投げた。
「もう帰ろうぜ…まじでここにはいたくない」
そう言って、その日はお互い帰路に着いた。
父さんにその日あった出来事を話すと、父さんはほらな!と言うだけであった。
一応、あそこでなにかあったのかとか、おばけとか昔からいるのかとか聞いてみたが、知らないと言っていた。
しかし、心配性の父さんは俺が集めた石と友達を連れて近所の寺にお祓いをしてもらった。
住職が父さんから石を貰い、これは全て河原に返しておくとだけ言っていた。
帰る間際、住職が言っていた。
「変なもんには、触るな」
そりゃ、そーだ。
『夏の匂い』
俺は花火が大好きだった。彼女とよく花火大会に行っていたのを今でも覚えている。
夜空の暗闇に眩い光が闇を裂くように広がるあの光景には惚れ惚れしていた。
花火大会では、風向きによって火薬の香りがする時があった。焦げたような匂いで、それが俺が感じる夏の匂いだと思っていた。
彼女は、花火を見るのが大好きで、夏になったら必ず行くほどであった。
綺麗に光り咲く花火を見つめる彼女を眺めるのが、俺は好きだった。
「…お前、今年も花火大会には行かないのか?」
仕事終わりに、友人が俺に会いたいと電話してきて、俺の家に上がった時のことだ。俺を花火大会へ誘うために、わざわざ出向いて来てくれたのだ。
「良かったら俺たちと一緒に行かないか?」
友達は俺の顔を伺いながら誘ってくれた。
「……いや、悪いけど今年も…」
「…そっか、分かった」
友達は悲しげな表情のまま帰っていった。
友達は毎年、花火大会が近付いてきたタイミングで俺を誘ってくる。俺は決まって、行かないという選択を貫き通していた。
家族も、一緒に花火大会を見ようと誘ってきていたが、俺は拒否した。
なんでどいつもこいつも花火大会に誘うのか意味がわからない。行って何になる?思い出すだけだろ。
彼女を。
気分転換に県内の展望台へ一人で遊びに行った。
全くといって、気分転換なんかにはならなかった。逆に虚しい気持ちになるし、仕事をわざわざ休んでまで見るってのもなんか違うなと今頃思った。
しかも今日は晴天で、気温は36度。この展望台には屋根が無い。
こんなバカ暑い日に一人でこんなところにいるのは頭がおかしい。ガソリン代と時間と体力の無駄だ。
馬鹿馬鹿しくなった俺は、車に戻ろうとすると、俺の隣におじいさんがやってきた。
「いやぁ…いい眺めだな」
突然の事で驚いた俺は少し動揺したものの、相槌を打った。
「え……ま、まぁ…はい……」
「一人で来たのか?」
「え、ま、まぁ……」
「こんなクソ暑い日にか??」
「まぁ……はい……」
「まぁ俺も独りで来たんだけどな」
おじいさんはヘラヘラしながら俺に話しかけてくる。なんなんだろう、このおじいさんは。
「俺、何してる人だと思う?」
「え??」
おじいさんは自分に指をさして当ててみろと言わんばかりに俺の顔をまじまじと見てきた。
馴れ馴れしいな…と思いながらも、俺は答えてあげた。
「……建築家ですか?」
「おー!!ははははは!やっぱりそう思ったか!皆言いやがるんだよ!まぁこのナリだったらそう見えんくもないわな!!」
爆笑しながらおじいさんは俺の背中をバンバン叩いてくる。痛い。
おじいさんは、ひとしきりに笑った後に、自慢げな顔で教えてくれた。
「正解はな…花火職人だ」
「え…は、花火職人!?」
まさかの花火職人で俺は驚いてしまった。いや、嘘ついてるだけかもしれないが…と、少し疑心暗鬼ではあった。
「嘘つけ…とか思っとるだろ?まじで花火職人なんだぞ俺は」
「いや…嘘つけとは思ってませんが…。マジで花火職人なんですか?」
おじいさんはニヤニヤしながらポケットからスマホを取り出し、色々な写真を見せてきた。おじいさんと一緒に、花火の作業現場がそこには映っていた。
どうやら、本物の花火職人らしい。
「どうだ?」
「凄いっすね…驚きました……」
呆気に取られていると、おじいさんは色々な写真を見せてくれた。
「これ…何してるか分かるか?」
「……いや、わかりません」
「これな?花火を筒に仕込んでるんだよ。まぁ、言っちまえば大砲みてぇなもんだよ。大砲に花火ぶち込んでぶっ飛ばしゃ花火が出る。まぁ、そんなもんだと考えりゃいいわ」
「へー…あんな大きい花火をこんな筒で打ち上げてたんですね…」
俺は感心した。
「驚いたろ?こんなんでもな、調整さえしっかりすりゃめっちゃ吹っ飛んで夜空に咲いてくれるんだよ。すげぇだろ?花火職人」
「確かにすごいです…へぇ…凄い…」
俺はすっかりこのおじいさんに興味を惹かれていた。
俺が写真に釘付けになっていると、おじいさんは今から現場に戻るが、お前も一緒に行くか?と誘ってくれた。
俺は、好奇心で是非行かせてもらうことにした。まぁ、こんなところで一人で景色なんかを見て癒される所か虚しくなるだけだしね。
でも、花火職人がどうやって花火を作っているのか実際にこの目で見ることが出来るのは、少し嬉しかったのもあった。
「………………」
実里と一緒に見れたら…喜んでたかな。
数十分、おじいさんの車を追いかけて、やがて平屋の建物にたどり着く。
おじいさんが「ここだ」と指を差す。コンクリートの壁に、年月が染み込んだような木製の雨戸。無造作に積まれた木箱と、風に揺れる火薬注意の赤札。
「お前、ライターとかそういう火のつくもん持ってねーだろうな?」
「あ、はい」
「ならいいわ」
中に入ると、ほんのり焦げたような匂いが辺りに満ちていた。この匂いは……火薬だな、とすぐに分かった。
打ち上げた時のあの焦げた匂いに近いものを感じ、俺は少しだけ不安な気持ちになった。
若い花火職人達が俺を見るやいなや頭を下げて挨拶をしてきた。
花火職人達のその手元には、丸い半球の紙の殻があり、内側には小さな黒い粒が沢山入っていた。
「…これが、花火の中身……」
「そうだ。これが火の花、花びらだ」
おじいさんが間髪入れず説明を続けた。
「これが一粒でもずれたら、空でちゃんと咲き誇らない。火薬は正直ものだからな。ごまかしは一切通用しないんだよ。まぁ誤魔化したら花火じゃなくて俺のグーが飛ぶんだけどな!あー!!はははは!!」
何が面白いのかは分からないが、とても大変そうな作業なことは分かった。
俺は、咄嗟に疑問に思ったことを聞いてみた。
「しかし…なんで俺をこの作業現場に連れてきてくれたんですか?」
「ん?いや、お前に花火のあれこれ喋ってたからそのノリで連れてきたみてぇな感じだろ」
「あ…そうなんですね」
「……ま、ホントはそんな感じじゃないけどよ」
「……え?」
おじいさんはついてこいと俺を手で誘ってきた。工房の奥、鉄の扉をひとつ抜けた先まで進み、室温が急に下がる。空気が重く感じるのがわかった。
「…どこへ向かってるんですか?」
「来てみりゃわかる」
そう言って、おじいさんか見せてきた倉庫のような部屋は、室内は薄暗く、静寂に包まれた場所だった。さっきと同じ、火薬の匂いがする。
「……ここは…」
俺はなにか言おうとするが、中央を見てみると、物凄く大きい黒くて丸い玉がそこにはあった。
GANTZかな?なんて変なこと考えながらも、おじいさんは説明をはじめた。
「これが、三尺玉だ」
え!これが!?!?俺はびっくりした。三尺玉は、花火大会でも何個か打ち上げられており、あの空いっぱいに広がる花火が、俺や実里は好きだった。
「これが…三尺玉……やっぱり他の花火よりでかいんですね……」
「まぁな。直径九十センチ、重さ三百キロのバケモンだよ。こんなの人間が持てる代物じゃねーってくらい重てーんだよ」
三百キロ…俺は呆気に取られながらも、それをまじまじと見た。
……すごい。その一言に尽きる。
「もしかして…毎年の花火大会の三尺玉は貴方が作っていたものだったんですか?」
おじいさんはニヤリと笑い、エッヘンと胸を張っていた。
俺はもう、尊敬をするしか無かった。こんな人にたまたま出会って、こんな場所を見ることが出来て、俺は本当に運がいい人間だなと思った。
「………………」
…一人で、こんな良い思いをしていいものなのか。
俺一人で、こんな素晴らしい場所に来て、なんなんだよ俺は。
実里のことを忘れて花火の作業現場に釘付けになっている自分が許せなかった。
「……お前と話していた時、お前は今みたいに悲しい顔になってたんだよ」
「え……あ、俺…悲しい顔になってました…?」
おじいさんは優しい表情のまま頷いた。
「…なにか、嫌なことでもあったのか?良かったらでいいが、俺が聞くぞ」
「…いや、別にそんな嫌なことなんて」
おじいさんは、三尺玉の方を向きながら話を続けた。
「お前、花火を見る時、少しだけ顔を歪ませるだろ」
「え…」
「…なにか、嫌な思い出があるのか?花火で」
「……別に…そんな………」
俺は下を向いて、更に胸が苦しくなった。
実里との思い出が、俺の頭の中で浮かび上がってきた。
「……無理強いはしないが、よかったら話してくれ。俺は聞くことしか出来ないがな」
そう言って、おじいさんは座布団を用意してくれた。なんか、もう話さなきゃならない雰囲気になってしまったので、俺はおじいさんに話すことにした。
花火を見ると、思い出してしまう。
あの花火の光に照らされた実里のことを。
実里は、花火を見るのが大好きで、毎年行われる花火大会に参加していた。
アサガオの着物姿の彼女は、とても綺麗だった。俺も花火はとても大好きだったが、それ以上に、実里の花火を見上げる仕草から、花火を見ている時の彼女の笑顔、そして照らされた彼女の姿を見るのが、もっと好きだった。
これからも、一緒に花火を見ようと、実里と約束を交わした。実里も、その言葉に喜んで同意してくれた。
……でも、彼女は、数年前に亡くなった。
病気だった。内蔵の病気で、進行が悪化していった。毎日病室に出向いては、彼女は決まって俺に言ってくる。
「今年の花火大会までには、治したいな」
しかし、花火大会が過ぎると、彼女は悲しい表情をしたまま、来年の花火大会までには治したいな…と言っていた。
「私は大丈夫だから、亮太君は花火を見に行って」
彼女は俺によくそう言っていた。
「…花火は、実里と一緒に行くから楽しいんだよ」
そう言って、俺は花火大会の日は実里と一緒に過ごしていた。
家族や友人にビデオ通話にして、一緒に実里と花火を見ていた。彼女はものすごく喜んでいたが、毎回迷惑をかけていて申し訳ないとも言っていた。
「絶対に来年こそは一緒に行こうね」
俺は彼女にそう言っていた。
しかし、彼女の病気は次第に悪化していって、彼女はどんどん弱り果てて行った。
毎日見舞いに行き、彼女がとうとう寝込むようになり、遂には意識が薄れていった。
「……俺だよ、実里」
実里の手を握って、俺は実里に毎日呼びかけた。
家族や実里の友人も、彼女を見舞いに来ていた。
「大丈夫…俺達が一緒にいるからね」
実里は、もう受け答えできる状況では無くなっていた。医者がもう長くはないと言ってきた時は、本当にブチ切れたのを今でも覚えている。
数日後、会社で残業をさせられていた俺は、デスクで仕事に勤しんでいると、一通の電話がかかってきた。
……実里の両親。
そこからだった。
俺が花火を一切見たくないと思ったのは。
花火の光や、あの香りを感じ取るだけで、悲しい気持ちでいっぱいになり、実里との思い出が頭の中でよぎってしまう。
「何も、してやれなかった。実里に、花火を見せてあげたかった。
最後の最後まで、スマホ越しでしか見せてあげることが出来なかった。
本物の花火を、彼女と見たかった」
俺が少し黙り込むと、おじいさんが近寄って、俺の背中を優しく叩いた。
「…お前は本当に、優しい男だな。尊敬しちまうよ…若いのに。今の話を聞く限り、お前は立派にやったじゃねぇか。彼女さんも、お前に感謝しきれねぇ気持ちでいっぱいだと思うよ」
おじいさんが優しくそう言ってくれた。
「………彼女に……花火を見せてあげられなかった……それが、悔しいんです…」
俺は俯いたまま、そう答えた。
少しの沈黙が続いた後、おじいさんが口を開く。
「……花火ってのはな、ただ綺麗なだけじゃ取り柄じゃない。夜空に打ち上がる花火は、あの世とこの世を繋ぐ橋だとも、呼ばれているんだ」
そう言うと、おじいさんは一枚の紙を渡してきた。
その紙には、今年の開催日時が記されてるほか、おじいさんが打ち上げる順番まで、細かく書かれていた。
「…俺は今年、このでかい三尺玉を打ち上げる他に、色んな花火も打ち上げるつもりだ。必ず来いよ、絶対にな」
おじいさんはニコニコしながら俺の背中を強く叩いた。やっぱり、痛い。
「で、でも……」
おじいさんは優しい表情のまま、ニカリと笑ってまた背中を叩く。痛いよ。
「必ず来てくれよ!お前を後悔はさせん!」
そうして、一週間後に、花火大会が開催された。
俺は友達や家族とは一緒に行かず、一人で花火大会に出向いた。
……久々の花火大会。花火を見るのは数年ぶりで、なぜか緊張している自分がいた。
本当は、行きたくはなかった。彼女を、思い出してしまうからだ。
俺は、おじいさんに進められたオススメの席につき、花火が始まるまでそこにいることにした。色んな人間が蠢く中で、俺は一人深呼吸を置く。
そうして数十分後、花火が打ち上がった。
色々な綺麗な花火が打ち上がり、その度に香る焦げた匂い。この匂いが、心を苦しめる。
懐かしい。
実里に、会いたい。
俺は、色々な花火を見つめ、そしてアナウンスが流れた。
「続いての花火は、〇〇県を代表する老舗煙火店、蔵山煙火工業による、圧巻の一斉打ち上げです。
長年にわたり数々の競技大会で受賞歴を誇る花火師たちが、一発一発に技と魂を込めて制作した作品の数々を、連続打ち上げ形式でご覧いただきます。
打ち上げられるのは、大小合わせておよそ二百発。
冠菊(かんむりぎく)、八重芯(やえしん)、しだれ柳、創造花火など、伝統と革新が織りなす一夜限りの競演。特に注目は、終盤に打ち上がる直径九十センチ、三尺玉――。
この日のためだけに仕込まれた黄金の大輪が、夜空いっぱいに花開きます。
夏の夜、空をキャンバスに描かれる職人の情熱。
火の芸術の極み、蔵山煙火工業の花火、どうぞご覧下さい」
あのおじいさんのだ。俺は胸ドキドキしていた。
そして、花火のショーが始まった。
打ち上がる花火の数々。
本当に、本当に美しかった。
単色の小型の連発から、中玉、大玉の花が咲き乱れるような連発。
特に、打ち上がった後に火花がゆっくりと垂れ下がる花火が大好きだと思った。彼女も、これが好きだと言っていたのを思い出す。
花火はどんどん打ち上がっていき、観客達の歓喜の声がどんどん高まっていく。
俺も、凄く釘付けになっていた。夜空いっぱいに拡がる赤、緑、紫、黄、青の連続は、とても美しかった。
華やかな花火を惚れ惚れと、見ていたら、静寂へと変わっていく。
あれ?終わりかな?と思っていたら、花火がまた打ち上がった。
夜空いっぱいに打ち上がったそれは、しだれ柳だった。様々な色が混じりあった、虹色のしだれ柳。
とても美しく、皆が口を揃えて綺麗だと感動していた。
俺は、虹色に輝く夜空を見て、感動していた。美しく、華やかに消えていくその花火を見て、俺は彼女との思い出を感じ取る。
しかし、もう苦しくはなかった。この美しさと迫力のおかげで、彼女との楽しい思い出が溢れ、俺の表情は悲しみから悦びへと変わっていく。
流石に終わりかな…と思って、その静けさの数秒後、一つの花火が打ち上がった。
ヒュー…と打ち上がってくそれは、やがて暗闇の空で数秒後に、ドン!!!!!!と、地鳴りのような重低音が響いた後、眩い黄金の光が夜空に満たされた。
「うぉー!!!!すげぇーーー!!!!!!」
皆が顔を見あげる。大きいあまり、身体を仰け反って見てしまうレベルだった。
まるで太陽の光を少しだけ貰い、それを夜空に咲かせたような、とても美しい光景が、そこには広がっていた。
そして、火薬の匂いと共に、隣に誰かいる気配がした。
「………実里」
花火で照らさられた彼女が、そこにはいた。アサガオの浴衣を着て、綺麗な髪飾りをつけた彼女が、花火を見ていた。
「…綺麗だね!」
彼女はそう言って、優しい笑顔で俺に言った。
「……あぁ」
遅くなったけれど…こうして一緒に見ることが出来て、
良かった。
花火の光が消え、暗闇に戻る時、観客の歓声と共に、彼女は消えた。
そして、手には花火の紙片があった。
「……ありがとう」
そして、香る花火の匂い。
もう、苦しくはなかった。
「……なんか嬉しそうっすね。そういえば今年はここ数年で一番気を張っていたんじゃないっすか?」
「……まぁな。男の約束があったもんでよ」
「……男の約束?」
タバコをふかし、夜空を見あげる。
「……花火はやっぱり、いいよな?」
おじいさんが後輩にそう言う。
「もちろん!」
おじいさんとその仲間達は、そう言いながら笑いあった。
『カーテン』
真っ暗な部屋で布団の中に潜って眠っていると、どこからか声が聞こえてくる。
せっかく人が眠っている途中なのに…誰だよ…。
不機嫌になりながらも、俺は布団から頭だけを出して声の主に文句を言う。
「あのさ……うるさいまじで……今何時だと思ってんだよ……十時だぞ十時」
極度の眠気と気だるさのせいで少しイライラしていた。
「うん、お昼の十時だね」
「……あ?」
俺は眠い目をこすりながらスマホで時間を確認する。
……本当だ。確かに、今は昼間の十時だ。
窓の向こう側から声がする。
遮光カーテンを閉めていたため、そいつがどんな姿をしているかは分からなかった。
声的に女だろうということは分かった。しかも、馴れ馴れしい癖に優しいほんのりとした声で話しかけてくるせいで、また眠気に襲われる。なんだこいつ。
とりあえず俺はその女に聞く。
「…お前…バルコニーにいんの…?」
「私はどこにでも存在するよ、外ならね」
俺の質問に対して、曖昧な答えを返してくる。こういう返答をする奴は、本当に大っ嫌いだ。
どこにでも存在するってどういう意味なんだ?こいつは一体なんなんだ???
俺は更に質問を続けた。
「…誰だよお前」
「私は光。君のことは、小さい頃から知っていたよ」
は?光?俺は困惑した。俺の知り合いに光なんて名前の奴は知らないし、従兄弟や知り合いにもそんな人はいない。
しかも、相手は幼少期の頃の俺を知ってると言っていた。
いやいやいやいや、まじで誰なんだよコイツは。
「いや、知らないよ…マジで誰だよ」
「私は光…まぁ、知らなくてもしょうがないよね」
「しょうがないとかじゃなくて…マジで知らないんだよお前のことは……近所の人とか?」
「ううん」
「え、じゃあ…俺の親戚とか?」
「ううん」
「は?でも俺の事知ってんだろ?」
「うん、知ってるよ」
「同じ学校だった奴か?それとも前の会社の奴か?」
「ううん」
あー!!なんなんだこいつ!!全部否定しやがる!!この女が否定する度、俺はイライラが募る。
親戚でも近所のやつでもない、同じ学校の奴でもなければ会社の奴でもない!マジで誰なんだよこの女は!!
この女のことを考えていると、次第に眠気が飛んでいった。
「じゃあ誰なんだよお前!!!人が寝てる時にきやがって!!まじでうぜぇわ!!」
怒りに任せてそいつに怒鳴った。
「……ごめんね」
その柔らかい穏やかな優しい声で、俺に謝ってきた。
俺は自分がしたことが急に恥ずかしくなってきて、その女に謝り返した。
「……いや…別に…、俺も怒鳴って…ごめん……」
窓の外にいる女がどんな人間かは分からない。しかし、絶対に悪い人間ではないということだけは理解出来た。
そして、自分がどれだけ心に余裕が無いのかも理解出来た。
頑張って働いているもののこれといった成果は上げられず、休めない上に帰れない。
家に帰ってもパソコンと向き合って仕事の続き。家でもろくに眠ることは出来なかった。
たまの休日も仕事のことで頭がいっぱいで、俺は常に心に余裕なんてものがなかった。
ノルマ達成の為に、寝る間も惜しんで働き続けるが、やはり上手くいかない。
上司からは叱責され、同僚や先輩からは無能と馬鹿にされてしまう。
頑張っても、無駄なんだなと悟って、気付けば会社を休んでいた。一日中外にも出ないで、ただ有給を消化していく毎日。
布団の中にずっと閉じこもって、ゴミだめの部屋の中でただ毎日が過ぎるだけの日々。
このまま時が過ぎるのも、悪くは無いと思った。死を選ぶ勇気もないので、自分にとって、この状況はとても都合がいいと思っていた。
本当は、そんなことないのに。
「私は、知っているよ」
女が喋りかけてきた。
「小学生の頃…友達が転んじゃった時、君はすぐその子を手当をしてあげたよね。
サッカーの試合の日。頑張っじゃったけど負けちゃったあの日、皆悔しくて泣いていて、君は我慢して皆を励ましていたよね」
「……え…なんで…サッカー習ってたことを…」
女は話し続ける。
「…大人になっても、君は変わらなかった。他人に対して優しすぎて、自分の気持ちを後回しにしていつも色々な人を助けてあげていたよね。
けれど、誰も感謝してくれない。恩を仇で返すようなことばかりされて…そして君は…君の部屋は、いつしかガーデンが閉まったままになった」
「お前…誰なんだよ…?」
女は、優しい声で言った。
「私は、君の光だよ」
俺は思いっきりカーテンを開けた。
その途端、陽の光が部屋の中を包んだ。久々に太陽の光を見た俺は目を痛めた。
しかし、肝心の女はそこにはいなかった。
というより、俺は気付いてしまった。
ここは二階だ。こんなバルコニーに女が入れるはずがないことを。
そして、窓越しだというのに、女の声ははっきりと聞こえていたことを。
俺は、それを不思議と怖いとは感じなかった。
俺はバルコニーに出て、太陽の光を浴びる。
一ヶ月ぶりに浴びる日光は、とても気持ちが良いものだった。
光は、嫌いな自分をさらけ出し、見たくもないものが嫌でも見えてしまう最悪なもので、逆に暗闇は、見たくもない自分を包み込んでくれる優しい物だと思い込んでいた。
そうじゃなかった。
光も、闇も、人には必要な物なんだなと分かった。
そして、彼女がなんだったのか、わかった気がする。
陽の光を沢山浴びた俺は、まずは部屋の掃除から始めることにした。
これからは、陽の光を入れるためにカーテンを開けようと思う。