フィクション・マン

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『オアシス』

どこへ行っても、乾ききったこの世界で潤いなんてもの求めたって無駄なのは分かってる。
それでも、人って水がなきゃ生きていけないし、日に当たりすぎるのも良くは無い。
だからこそ、水もあって、日陰もあるそんなオアシスが必要なの。
私が言いたいこと、分かってもらえるといいんだけど。

君は誰よりも頑張りすぎだった。両親が居ないから、頑張らなきゃいけないのは分かってる。でも、自分の身体を酷使して、バイトや学校の勉学を頑張ってる君を見ると、私は辛くてたまらない。
君は、よく言ってくれた。
「……俺、馬鹿だし金もないし親もいないから…その分、沢山頑張らなきゃいけない…人の何十倍も」
そう話す君の表情はいつも暗かったな。目の下はクマで、凄く具合が悪そうな感じで、声もボソボソと話す。
疲れてるのがわかった。帰宅部で、夜許された時間まで働いて、そして夜は遅くまで勉強をしている。君はいつも、成績もトップクラスだ。
「……でも…体調悪そうだよ」
私が心配してそう言うと、眉間に皺を寄せて、何も言わずにその場から去っていった。
分かってる。なにもかも持ってる人には、自分の苦労なんて分かるはずないなんてこと。でも、純粋に彼のことが心配だった。
廊下でもたれかかって下を向く彼に心配で初めて話しかけた時も、君の表情はとても苦しそうだった。
せめて睡眠は撮って欲しい。彼の原動力は…卒業後の生活のためなんだろうけれど。
やがて、高校は二年から三年生へと進級。また彼と同じクラスになったものの、前年度とは違って席が遠く、お互いに交流する回数も減ってしまった。
そして夏目前になる所で、彼に一度だけ会った。
「………………あの………」
「……………………」
彼の表情に色がなかった。
目の奥は霞んでいて、遠くを見るような焦点の合わなさがあった。
声をかけたら、ふっと崩れてしまいそうで、それ以上の言葉が出ず、喉の奥で止まった。
彼が私の存在に気付くと、どこか悲しいような、苦しいような声で「あぁ」と答えた。
「……ねぇ…もう、倒れちゃうよ」
「平気、だよ」
そう言って、後ろを振り返って歩き出す。少しだけふらついていて、今にも倒れそうだ。
少し足取りが重い彼の服の裾を引っ張って止める。
「もうやめなって」
「……」
「これ以上頑張ったら…大変なことになるよ…!」
必死で止める私の腕を振り払って、彼は私を睨んで強く言いつけた。
「…関係ねぇだろ」
「…………」
「休めだとか、無理しないでだとか…余計なお世話なんだけど」
「……でも」
「お前はいいだろうよ!!!!家に帰れば親もあったかい飯もあるんだからな!!!!!」
廊下に響き渡る彼の声。私は、息を飲んだ。
「休めないんだよ。駄目なんだ。俺は人よりも出来ない人間だから…頑張らなきゃいけないんだよ」
そう言って、またゆっくりと歩くと、最後にポツリと私に吐き捨てるように言った。
「もう関わらないで」
私は、何も言い返せなかった。
そうだよね。私は、君と友達でもなければ、彼女でもない、ただの無関係の、赤の他人。
それでも…毎日毎日休み時間も、昼時間も休憩しないで頑張る君の姿を私は見てた。隣の席だったということもあったけれど…。
でも、君の凄いところは頑張るだけじゃなくて、自分の体に鞭を打ってでも、他人に底抜けに優しいところがある。
困ってる人がいたら、黙って手を貸すような優しさを持つ君は、自分がどれだけ疲れていても誰かが困ってたら手を止めて助けてあげていたよね。

そんな彼が、病院に運ばれたことを学校の朝のHRで知らされた。先生は、そこまで大したことがなさそうな口調で話していた。他の人だって「そうなんだ」と言わんばかりの他人事。
私は物凄く驚いてしまった。あれだけ自分の体を無理してまで動かして頑張ってたんだ。当たり前だと少しだけ思ってしまった。
でも、心配が勝っている私は彼の見舞いに行くことにした。
受付で名前を告げ、教えられた病室のドアをノックする。
返事はなかったけれど、そっとドアを開けるとそこには彼がいた。彼は、ベッドにもたれて窓の外をぼんやりと眺めていた。
細く光が差すその中で、彼はまるで、世界から切り離されたように見える。
私の存在に気が付いて、彼は驚いた表情をする。
「……大丈夫…?」
「……………………あぁ…まぁ……」
私と少しだけ目を合わせるが、気まずそうにすぐ他の方向を見たまま彼はボソリと話す。
「……来たんだ…」
「うん、心配でね」
私が彼に近寄って、ベッド横の椅子に座った。彼が窓の方向を向いたまま、小さな声で謝ってきた。
「……ごめん」
「…へ?」
「あんなこと…言ってごめん…」
申し訳なさそうに私の方を見て、頭を下げる彼に、首を振って全然大丈夫だと伝える。
そんな私を彼が少しだけ見て、すぐに俯いたまま話し続けた。
「……どこ行ったって…俺に居場所なんてなかったんだ…。学校も、施設も…俺は皆に必要とされてない。だから、早く高校卒業して、幸せになりたかったんだ。
一人だとしても…少しだけお金があれば幸せになれるって……そう思って無理をした。
でも、無駄なんだって分かったよ。バイトだって、学校の成績だって……あれだけ頑張っても、全然上がらないんだからさ。
頑張って、残ったのは疲れと…苛立ち。心も体も余裕が無いだけで…なんも残せない。
俺って、つくづく無駄ことしかしないんだなって……」
悲しくて、悔しくて、たまらないような表情で彼は話した。涙が、溢れてきそうだった。私も彼も。
私は彼の手を触れて、そんなことないよと言った。
「………君の頑張りは無駄じゃないよ…私は、隣の席だったし…同じクラスだったから、君がどれだけ頑張ってたの分かったよ。
君が眠そうな目で教科書を開いてるときも、誰よりも早く来て、椅子を揃えてるのも、辛くても弱音を吐かず、必死に頑張っている姿を、私は見てたよ」
そう言って、彼の手を握る。
「無駄なんだって思わないで…君の頑張りや、優しさは、誰かを救っているんだから。
……私も、その1人だよ」
「……え?」
「去年の全校集会の時、体育館で、めちゃくちゃ暑い中、私は立ちっぱなしでお腹痛くなって、ふらふらになったときのことを覚えてる?」
彼の眉が少しだけ動いた。
「誰も気づいてなかったのに……私の異変に気付いてくれて、大丈夫?って言って、ゆっくりしゃがませてくれたよね。
人目があるのに、全然ためらわずに。
君だって疲れて、手は少しだけ震えてたのに、それでも私にすっごく優しく接して寄り添って……私はその時のことを今でも、はっきり覚えてる」
彼は黙っていた。でも、真剣に話す私の顔を、彼は見てくれた。
「ずっと……私の中に残ってるんだ。あの時、君が誰かに寄り添う時に見せた優しい顔が。
だから、私はそんな君のことを応援してたし、心配してたんだ。
君に苦しんでほしくなくて…頑張ってる姿は素敵だし、凄いし…応援したくなるけれど…でも」
涙が頬を伝って、制服の襟元にぽとぽとと落ちていた。なにか、込み上げてくるこの感覚に耐えきれなかった。

彼女のその言葉は、彼の胸の奥に静かに沁み込んでいった。
彼はゆっくりと目を伏せて、小さく、深く息をついた。喉の奥に何かが詰まったみたいで、息が苦しい。胸が軋む。
気付くと、彼の頬にも、静かに涙が伝っていた。自分でも信じられなかった。けれど止まらなかった。
彼女は見てくれていたんだ。こんな、誰も気づかないようなちっぽけな自分を。
その事実が、どうしようもないほど、あたたかくて、嬉しくて、優しくて……初めての感覚で、俺の心は少し、報われたような、そんな感覚がした。

「ありがとう」

彼が、彼女にそう伝えた。
その声は震えていたけれど、まっすぐだった。
彼が今まで、誰にも言えなかった感謝。
ずっと心の奥で、誰かに伝えたかった言葉。
彼女が、涙目になりながらも、彼に微笑んだ。彼もまた、微笑み返した。


どこへ行っても、乾ききったこの世界で潤いなんてもの求めたって無駄なのは分かってる。
それでも、人って水がなきゃ生きていけないし、日に当たりすぎるのも良くは無い。
だからこそ、水もあって、日陰もあるそんなオアシスが必要なの。

でも、無かったら、作ればいい。簡単な事じゃないけれど、君にとってのオアシスになれるように…私が君に助けられたように、私が君を助ける番だ。
君が1人で苦しまないように。私が君のそばにいることを覚えておいて欲しい。
2人で、この乾ききった残酷な世界で、綺麗で、美しくて、幸せになれるようなオアシスを作っていこう。
君のその笑顔を、私はずっと見ていたい。

7/27/2025, 3:59:39 PM