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9/1/2025, 2:06:55 PM

夏の忘れ物を探して


僕の友人は、遺失物センターで働いているのだが、9月になると決まって「夏の忘れ物」が急増するらしい。彼は遺失物管理者として、それらをひとつひとつ丁寧に保管しリストを作っているそうだ。

夏の忘れ物ってどんなのだよ、と僕が聞くと友人は、たとえばこんなの、といくつか挙げてみせた。
夏休みの終盤に焦って書いて結局出さなかった読書感想文、置き去りにされた片方だけのビーチサンダル、何度挑戦しても一度も成功しなかった逆上がりの練習帳、ホタテの貝殻に書いて海に流したはずのラブレター、いいねがひとつもつかなった花火大会のSNS投稿、リクエストが一度もなかったサマーソング……時には、誰も怖がってくれなかった幽霊、なんていうのもあるらしい。

へえ、色々あるんだな、と笑ったが、実は僕も夏に忘れてきたものがあった。あの人のこと。夏の思い出ってやつだ。あの人が僕に向けた微笑み、震えながら閉じた瞼、髪に残った潮風の匂い、耳元で囁かれた「またね」の言葉。でも全部、わざと忘れてきたから探すつもりはない。

まあ、取りにくる人なんてほとんどいないけどね、と友人は笑った──特に、ひと夏の恋とかはね。友人がからかうような笑みで付け足したのを、僕は肩をすくめて受け流す。この友人なら、「またね」という言葉は、再会の約束ではなく別れの言葉だと僕より早く気づいただろう。

誰も取りにこなかった忘れ物はどうなるんだ? と僕が聞くと、友人はあっさりと言った。処分だよ。保管期限が切れたら処分。再利用できるものでもないし。

友人と別れた帰り道。
日没の早まりを感じながら僕は、遺失物センターに保管された夏の忘れ物たちに思いを馳せた。持ち主が取りに来ることもなく、片隅に積み上げられたものたち。だがまだ淡く夏の煌めきを残している。そのわずかな、もうすぐ消えていくだろう煌めきが、僕の胸をほろ苦さでいっぱいにした。

9/1/2025, 12:52:28 AM

8月31日、午後5時


君は今年も無事、9月1日を迎えただろうか。
僕はまだ、8月31日の午後5時にいる。時計は進んでも僕の中に空白時間として抱え込んでしまった。僕はあの時の君の声を反芻している──もう来なくていいよ。
たいして意味のない言葉だったのに、ナイフそのものだった。どんな言葉で返すのが正解だったのか、僕はいまだに考えている。あの時感じた複雑な感情の中で、最も僕を捉えて今も離さないのは、屈辱、悲しみ、焦り、怒り、哀願のどれだろうか。考えてはみるが結局、いつも結論は出ない。
正直、君の顔はもう思い出せない。なのに、あの時の表情だけは鮮明だ。
君はあまりにも無表情だった。人間ではないみたいに。
皮肉にもあの無関心さが、僕を執着させているのかもしれない。もう顔も覚えていない君の無表情が、今も深くナイフを刺し込んで僕を8月31日、午後5時に繋ぎ止めている。

8/31/2025, 1:39:31 AM

ふたり


「親密さが増すたび、息を殺してしまうから、ふたりでいることが怖い」
なんて孤独を気取っていたあなた。
今ではもう、放屁さえ隠さなくなったあなた♡

8/30/2025, 1:40:47 AM

心の中の風景は


心の中の風景が魂のあり様を映し出すのものならば、彼の心の中に広がっているのはいつもモノクロの世界だった。
彼は幾多の美しい光景を目にしてきたし、心を震わす物語にも出会ってきた。平凡な彼には思いもつかない考え方で導いてくれる人にも会ったし、愛する人もいた。
だが愛する人とシーツを乱し合った夜でさえ、彼の中の風景が色づくことはなかった。彼が胸に留めておきたい風景は、波音さえも聞こえない夜の岸辺であり、霧に包まれた石畳の廃墟の街であり、動物たちが去った影のような森だった。全てが色彩を欠いたまま、ひたすらに静まり返っている。見捨てられ置き去りにされて、生命の活動が感じられない場所。そこでなら彼はようやくーー心からの安堵を得て眠りにつくことが出来る。


8/28/2025, 3:35:13 PM

夏草

 
炎天下の中、虫取り網を持って空き地へと出かけた僕は、生い茂った夏草の中に何か蠢いているものを発見しました。
近づいてよく見てみると、それはツワモノでした。こんな暑さだというのに、黒光りした甲冑を着込んでいます。
逞しい体つきで、いかにも強そうなツワモノです。ツワモノは必死に夏草をかき分けて動いていました。何かを探しているようにも見えました。

僕は虫取り網でツワモノを捕まえて、家に連れて帰りました。
ちょうど夏休みで遊びに来ていた従兄弟が歴史好きだったので聞いてみました。
「これ、夏草の中で捕まえたツワモノ」
「おおーすごいじゃん!」と従兄弟は目を輝かせました。やっぱ甲冑はかっけえなあ……と。
従兄弟が一番好きなのは幕末のサカモトリョーマで、ツワモノはあまり得意分野じゃないらしいのですが、それでも調べてくれました。

従兄弟が言うには、夏草の中で動き回るツワモノは、自分のお墓を探しているらしいのです。
こうしたツワモノは夏の間だけに現れて、夏が終わる頃にはいなくなってしまうんだとか。まさに「夢の跡」というやつです。

僕はせめて、夏の間だけは一生懸命ツワモノのお世話をすることにしました。
小さな石を置いてお墓を作ってあげると、ツワモノはとても喜んでいるようでした。

先日、僕の育てていたツワモノが消えました。
消える前、ツワモノは僕に言いました。
「殿…!この墓標、生涯の恩義にござる。どうか、某がそなたを殿と呼び、忠義を尽くすことをお許しいただきたく候。某、この身が滅びるとも、魂となりて、殿の御身を必ずや最期まで守護せんことをお誓い申し上げる!」
それきりツワモノの姿は見えなくなりました。
でも僕は、あの日からなんとなく独りじゃないような気がしています。
空き地では夏草がまだまだ生い茂り、背丈を伸ばしています。


【夏草や兵どもが夢の跡  松尾芭蕉】


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