君は透明な爆弾みたい。
傷つきやすいくせに、君の口から出る言葉はいつも尖っていて意地悪。
ぶっきらぼうな君の後ろ姿は、どうしようもなく危うくて色っぽくて隠したくなる。
誰よりもビビりなくせに、君のアイデアはいつも大胆不敵かつ爽快。
死の淵まで近づくほど深く眠った夜、君は夢の中で世界中の屋上を駆け抜けていく。
星を掴めるくらいの好奇心を持て余しながら、君は知るのが怖い。
君が世界を見る時、その眼差しは思慮深く老成している。にも関わらず君の理解は幼稚さを残したまま。
成長しきれていない一つの体に、君はアンバランスな要素をたくさん詰め込んでいる。
矛盾をコントロールできない君は不安定で不完全。
君は割れそうなクリスタル。
君は多面体。
光を乱反射して輝いている、本当の君のままで。
今日はきっと、『届かないデー』だったのだ。
メールはもちろんのこと、ウーバーイーツも、お中元も届かない。請求書、贈り物、宅配便、ファンレター、あらゆる全てのものが届かない日だ。
嘆かわしいがこんな日は、救援物資も届かないだろう。
何せ、『届かないデー』だから。
金融市場じゃ注文データが届かないし、改革を訴える街角のデモの叫び声もクラクションにかき消されて届かない。
今日が七夕でなくてよかったよ。
願いなんて最も届かないだろうからね。
とにかく、何もかも届かないんだ。
謝罪の言葉も感謝の言葉も、祈りも愛も届かない。ほんの少しの善意さえ届かない日だ。
ましてや、僕がネットに投稿したショートショートなんて、誰の心にも届くはずがないんだ……。
「こんな日だから仕方がないな」と僕は独りごちた。
あのショートショートには、僕にしてはうまく書けた方だ。切なさと愛しさでコーティングした、ブラックな不条理なネタ。
今後は、届かないデーの投稿は控えよう、と僕は決心した。今日みたいな日に投稿したって、僕のショートショートはこの宇宙のどこかで迷子になるだけだ……。
きっと僕のショートショートはこのだだっ広い宇宙のどこかで、届けられなかったウーバーイーツや注文データや謝罪の言葉なんかと共に漂っているんだ。
僕は、届けられなかったものたちに思いを馳せた。僕自身までもが、その宇宙の中を漂っているみたいだった。
記憶の地図
君に関して覚えていること。
僕はそれを地図にした。キケロの記憶術にのっとって、場所と記憶を結びつけたんだ。そして僕は一つの都市を作り上げた。
都市全体が君との思い出だ。
記憶としての駅、公園、建造物。
立ち並ぶビルも倉庫も、都市の骨格をなす道路も、全てが君との記憶からできている。
都市活動を支えるのは僕の記憶だ。
君についての僕の記憶。
僕の髪をかきあげた指先。家族のことを話す時、いつも言葉に迷って揺れる瞳。下着をつける時のしなやかな動き。頬に涙の跡を残したままの笑顔。
飲みかけのマグカップを部屋のあちこちに置く腹立たしい癖や、いつまで経ってもカーテンの色を決められない優柔不断も。
全てこの都市と共にある。
理想的な都市だよ。金融も交通も適度に発達していて、不便なことは全くないし、自然にも恵まれている。
僕は夜毎にこの都市を訪れる。まあ、正直に告白すると日中にも度々。
なかなか快適な都市ライフを過ごしているよ、何しろ誰もいない僕だけの場所だからね、君さえいない。
誰からも忘れられた場所、誰とも共有はできない場所。
きっとそういう場所が僕には必要で、だから僕はこの都市を作り上げたんだ。
だけど最近、僕はあることに気がついた。
この都市には、地下があるって事に。
僕がこの都市の地図を描き始めたときには、存在していなかったはずなんだが。
地下へのゲートはいつからあったんだろう?
僕は地下へ降りていって……そこは薄暗く、湿っていた。僕は壁に手を這わせたが、冷たいコンクリートが続くだけだった。
ぽとり、と遠くで水滴が落ちる音がしたような気がして耳を澄ますが、何も聞こえない。シンプルな照明が灰色の虚無を照らし出すだけだ。
地下鉄が通っていた気配すらない。ただ湿った空気が漂う何もない場所。
一体、なんの為の地下なんだろう?
僕は、地下の道を歩き始めた。カツン、カツンと、僕の靴音だけが虚しく響き渡る。
もしかして君が残してくれたものがあるのかもしれないと、僕は地下を歩き回った。だけどいくら歩いても、僕には見つけられなかった。
これじゃあ地図の作りようがない。ここには、君の記憶がない。
――君がいない。
そう思った時だった。
頭上で重たい音がした。
ひび割れるような音だ。巨大な何かがゆっくりとだが確実に崩れていく。
石が砕け、木が裂ける。
全ての音は僕の胸に直接響き、震動となって僕自身を揺らした。
僕は理解する。これは、都市の崩壊の音だ。
ビルは崩れ、全ての道が閉ざされていく。
都市が崩壊していく音は、まるで巨大な生き物の悲痛な喘ぎのようだった。もう苦しみにも悲しみにも耐えられないと言っているみたいだ。
記憶と結び付いた都市の奥深く、地図にも載らない地下で、僕はその音に耳を傾けていた。
詩的な世界に漂うあなたを愛してる
ぎこちないやり方しかできないあなたを愛してる
美しい言葉を美しいと思えるあなたを愛してる
間違った言葉遣いをするあなたを愛してる
淫らに身体を委ねるあなたを愛してる
嘘を重ねるあなたを愛してる
見向きもされないあなたを愛してる
意地悪なあなたを愛してる
優しさから逃げてしまうあなたを愛してる
孤独に酔うあなたを愛してる
誰かの真似をするあなたを愛してる
正しさにしがみつくあなたを愛してる
見返りを求めるあなたを愛してる
誰にも見せたくないあなたを愛してる
忘れたふりをするあなたを愛してる
傷ついていないふりをするあなたを愛してる
あなたには愛する力がある
私はあなたに愛されたい
#自己肯定感 #自己受容
母は美しい人でした。
母の横顔をよく思い出します。
すっと通った鼻筋、柔らかな弧を描いた眉、スラリとのびた首筋とまとめ髪の後毛。
思い出の中で母は優しげに、ゆっくりと微笑んでいます。
微笑みだけではなく、母はいつも悠然としていました。
同級生の話を聞くと、母親というものに
抱くイメージが随分違うことに驚いたものです。
同級生たちの話を聞いていると、母親というのはもっと忙しなく、自分勝手で感情的だというのです。
彼女たちの日々の苛立ちや鬱憤の原因の多くは母親でした。
私の母が、世間一般的な母親像からはみ出した人だということは、幼い頃からなんとなく気づいてはいました。
母が私の同級生、お友達の母親と話したりしているのをあまり見たことがありませんでした。
母は、孤立していたように思います。
しかし、母がそれを嘆いたりしたことはありませんでした。
というより、母が感情的だったことがないのです。
それは、私たち姉妹に対しても同じでした。
母は、いつも優しげでゆっくりと微笑んでいます。
私たちが喧嘩したり、笑いあっていても、母は少し遠く離れたところから
眺めているだけでした。
優しげな微笑みを湛えて。
喧嘩をしていた私たちは、母の静かな視線に気づいて、なんとなく気づまりな雰囲気になり、喧嘩は曖昧に終わります。
私たちを咎めるようなものではないのですが、母の視線はいつもどこか冷ややかでした。
今となっては、あの冷ややかさは、母は私たち娘にあまり興味が持てなかった為なのではと思います。母は終始、そういう人でした。
それでも母は、私たちに食事と清潔な衣服を与えてくれました。
母の食事は、いつも少し……水分が多かったように思います。
何事も美しく丁寧な母でしたが、料理だけはそうではありませんでした。
どの品も水浸しのような食感で、おひたしなどは本当にびちゃびちゃとしていて
お皿に水気が溜まっているほどでした。
私も妹も、給食の方が好きでした。
妹は今でもおひたしが苦手だと言います。
食事以外、母はほとんどにおいて、優雅な美しさを持ち続けていた人でした。
母とはあまり話しませんでした。
私の中にあるのは、母のスッとした佇まいとか静かな微笑みばかりです。
あまり会話をした覚えがないのです。
幼い頃からそうだったので、それが普通だと思っていました。
母親というのは喋らないものだと。
母が、私たちと違う時間軸で生きているのかもしれない、と気づいたのは小学校に入る頃だったような気がします。
そんな母でしたが、唯一感情というものを表すことがありました。
それはいつも決まった季節、夏の頃です。
庭の月下美人です。月下美人の花が咲くのを、母はいつも心待ちにしていました。
梅雨時からよく庭に出ては、花芽がついていないか確認する母の姿を覚えています。
いつも優雅な母が、月下美人の開花が近づくと、少しだけそわそわと落ち着かなくなりました。
それは、いつもの母と違っていて、大変な違和感を覚えたものです。
もうそれは居心地が悪いほどでした。
私たちにとって、母は、そういう存在ではありませんでした。
感情的だとか気持ちの揺れ、みたいなものを抱えている母に近づきたくなかったのを覚えています。
月下美人の開花を待つ母は、まるで恋人を待つようなうっとりした目でした。そんな熱っぽい瞳は、母には不釣り合いな気がしました。
私には分かるの、と母は言いました。
いつ咲くのか、分かるのよ。
母が言った通り、毎年、母が今夜咲くわ、と言ったその日の夜に月下美人は咲きました。
美しい花です。見事な白い大輪の花。毎年、一晩だけ咲かせる花です。
母は今年も咲いたわ、と満足そうに目を細めます。私達が寝た後も母は、ずっと月下美人の側を離れませんでした。
月下美人というのは美しい花なのですが、匂いも強烈です。
その匂いは次の日も午前中もたっぷりと鼻をついて来るのです。
開花した夜よりも、次の日の朝の方が苦手でした。
月下美人が残した濃密な匂いの中、母の笑顔はいつにも増して優雅でした。
そして、生気が与えられたような瑞々しさがありました。
いつも青白かった母の肌は、少しだけ血の色を帯び、月下美人の匂いをまとわりつかせていました。
その時の母の顔はあまり見たくはありませんでした。私の知る母ではありませんでしたから。
月下美人の花が一晩で終わる花で本当に良かったと思います。
母が亡くなったのは、5年ほど前です。
今、庭の手入れをしているのは私です。
手入れと言っても、草を抜いたり、落ち葉を掃いたりする程度です。
母のように丹念なことはできません。
母は庭を美しく手入れしていましたから。
最近、私は知らず知らずのうちに庭に出る回数が増えたような気がします。
今は、初夏。湿った空気の中庭に佇む涼し気な母を思い出します。
今年も月下美人は、咲くでしょうか。
花芽が出たかどうか私は確認します。夏に向けて暑くなるたび、膨らんでやがてつぼみになるのかと思うと、少しだけ胸の奥を摘まれたような、そんな気になります。
今でも月下美人は苦手です。
あの濃密な香りも、母の熱っぽい目も、思い出すと不快です。
それなのに、気になって仕方がないのです。今年、月下美人はいつ咲くのか。
先日、妹が遊びに来てくれました。
庭にいる私を見て、妹は笑って言いました。
「お姉ちゃん、最近お母さんに似てきたね、そっくりだよ」
妹の言葉に、少しだけ背筋を冷やしました。そうでしょうか?
私は、母のような優雅さはありません。でも妹は言うのです。
「ほら、そうやって、ゆっくり笑うの、そっくり」と。
そうならば、私も月下美人に向かって向かって、熱のようなまなざしを向けるのでしょうか。あのときの母と同じように。
今年も、月下美人は咲くでしょう。
私は、その日が分かるような気がします。