まっすぐ歩けないし
すぐ立ち止まっちゃう
フラフラしちゃうし
何もないところでよく転ぶ
道を間違えたり蹲ったりカニ歩きしたり
這いつくばって進んでいたら
背中踏んづけられたり(泣)
気が付けば逆走してたってこともある(笑)
そんなんだから、一緒に歩いてきた人はいない
でもごくたまーにだけど
遠くの道が見えることがあって
ずっと転がり続けて進む人とか
地面掘ってる人とか
歩くんじゃなくて道を泳いでる人とか
泥だらけの道なのにバレエのように
優雅に歩く人とか
よくあんなんで歩けるなーすげーって思う
色んな歩き方があるって知ったからさ……
僕もまた歩けると思う
ある日の昼休みのことだった。
俺はいつものように、会社の屋上で同期の館林とコンビニ弁当を食っていた。
館林が何の前触れもなく言った。
「俺、夢見る少女になろうと思うんだ」
は?
「実はもう、かなりいいところまで来ている。後もう少しで夢見る少女になれそうなんだ」
はあ?
困惑する俺に、凛々しい顔つきで館林は言った。
「検定だよ」
この世の中には、夢見る少女になる為の検定があるんだそうだ。
「2級まで受かった。1級に受かったら、完璧な夢見る少女だぜ」
館林曰く、難易度の高い1級に受かってこそ、本物の夢見る少女だと言えるらしい。
知らなかった。そんな検定があるのも、館林が夢見る少女を目指しているのも。
館林は、お前だけに打ち明けるよ、といちごミルクをストローで吸い上げながら語ってくれた。
夢見る少女になる為の、日頃の努力を。
休日にはひたすら部屋で空想に耽り、もし魔法が使えたら何をしたいかノートに綴る。カラフルなマカロンでお城を作り、ぬいぐるみ達とお茶会。押し花、綺麗な貝殻、そんな自分だけの宝物を秘密の宝箱にしまったり、いつか来る幸せのことを空想のお友達に話したり。
お前……夢見る少女になる為にそんなことしていたのか。
「今もこの青い透明な空を見てると俺は夢みてしまう……空を飛べたら何をしようかなって」
館林は、うっとりと空を見上げた。まさに夢見る少女の表情で。
「ふわふわの雲の上で昼寝した後、お前の家までひとっ飛びだよ……そんで誰も知らない秘密の場所を一緒に探しに行くんだ」
お、おう……俺んち雲で来てくれるんだ?
館林は上目遣いでいちごミルクをじゅるっと啜った。
まあ、夢見る少女感がなくはないかも……しれないかも?
館林は言った。
「今週末、1級の最終検定がある。それに受かったら、俺もついに、本物の夢見る少女になれる」
なってどーすんだ。
でも俺はそれは口に出さなかった。館林はずっと頑張ってきたんだ、少女の心を磨くために。そういうの、俺は応援したい。俺は館林の肩をガシッと掴んで言った。
「頑張れよッ……お前ならなれる!」
えへ、と館林は指でハートを作った。
俺は心の中で館林に盛大に応援歌を送った。
フレーフレー館林! ガンバレガンバレ館林!
お前ならなれる、夢見る少女に!
それから俺は出張があって館林としばらく会えなかった。
彼と話せたのは一ヶ月も後のことだ。
出張から戻った俺は、屋上で、館林の姿を探した。
1級合格を祈って、俺はいちごミルクを買っておいた。
あいつが合格していたらこれで乾杯だ。
屋上に館林はいた。
が、その姿に元気はなかった。項垂れてベンチに座り、ため息をつきながら、コンビニ弁当を食べる館林。
まさか落ちたのか……? 俺はできるだけ明るい感じを装って、よう、久しぶり、と館林の隣に座った。館林は俺を見て力なく笑った。
「ああ……久しぶり」
俺がその後何と言っていいか迷っていると、館林は、タバコ吸っていい?とタバコに火をつけた。
そうか。タバコを吸うってことは……やっぱりそうなんだな。
ダメ、だったのか……俺は館林に言った。
「そんなに落ち込むことないぜ館林。お前の努力は俺が知ってる。頑張ってたよな……俺にとってお前は、立派な夢見る少女だよ」
検定なら受かったよ、と館林。
はあ?と俺は間抜けな声を出した。
「合格したのかよ……!」
「うん。晴れて俺も、夢見る少女になったぜ……」
「おまっ……夢見る少女なら、なんでタバコなんか吸ってんだよ」
「まあ、これが完成形なのかもな、夢見る少女の」
「は? 何言って……」
「夢見る少女は現実を知る。醜くて残酷な現実を。もう夢なんて見てられないってことにいずれ気づく。それが最終試験だったんだ。最後の試験は……なかなかエグいものがあった。なんせ現実を思い知らされるんだからな」
「なっ……そんな、酷いことが……?」
「だがあの最終試験を通った今だからこそわかる。夢を見ること自体、奇跡なんだって。夢を見ていたあの頃が懐かしい。戻れはしないが懐かしい……本当の夢見る少女がどういうものなのか、俺は分かったよ。残酷な現実に傷だらけになった心の奥で、震えながら夢の為に祈っている……そういうものなんだ、夢見る少女ってやつはさ。合格した後、気づいたんだ。俺の中の夢見る少女は……もうどこにもいない。消えちまった」
「た、館林ぃ……!」
館林はタバコの煙をゆらりと吐き出した。
確かに館林は疲れた目をしていた。
だが例え、今は現実に疲れ切ってしまったとしても……俺は確かに、夢見る少女になりたいと語ったあのキラキラした館林を覚えているんだ。あの時の館林は確かに夢見る少女だった。
「消えてねえ、お前の中の夢見る少女は消えてなんかねえよ!」
そう言った途端、涙が溢れ出した。
夢見ることの美しさと残酷さに、俺は男泣きしてしまったのだ。
「お前が泣いてどーすんだよ」
せせら笑う館林だったが、奴の目も潤んでいた。
「館林、飲もう! いちごミルクの味は裏切らねーぜ!」
館林は、照れくさそうに俺のいちごミルクを受け取ってくれた。
涙目でいちごミルクを啜りながら館林と二人、空を見上げる。透明な青い空には、ふわふわの白い雲が浮かんでいた。
彼は、どこにも行きたがらない男だった。
誘えばいつも、こんなメッセージが返ってくる。
「この間死んだ金魚の初七日だから」
「満月だから外に出たら変身しちゃうんだ」
「実は俺、部屋から出ない族の末裔なんだよね」
彼を誘えば、いつもそんな馬鹿げた冗談が返ってくる。
くだらなくて誰も傷つけない、彼そのもののような優しい冗談が僕は好きだった。
久しぶりに連れ出してやろうと訪ねた友人の部屋には、光がなかった。
窓は重く閉じられ、壁はすべて青で塗り潰されていた……海の底みたいだ。
声も足音も、希望さえも沈んで消える冷たい深海。そこに彼はいた。
背中を丸め目を閉じて、何かの音に耳を澄ますように。
「蹲っていたいんだ」ぽつりと呟く声は、泡のように頼りない。
さあ行こう……彼を海の底から引き上げる言葉は喉で凍りつき、言えなかった。
かといって慰めることも励ますこともできず、僕はただ友人の横に座った。
「ここにいるから金魚の四十九日までには戻ってこいよ」
彼みたいな下手くそな冗談を言ってみたけど反応はない。
やっぱり友人のようにはいかない。
あのくだらない冗談に僕が救われた日々があったことを、彼は知らない。
僕は彼に静かに寄り添った。
そして深海の底の静寂に身を委ねた。
部屋を出たら、昨夜の雨はもう上がっていた。
道端には、やけに清々しい青空を映した水たまりが、ぽつりぽつりと残っていた。
君は、ぴょん、と軽く跳ねてそれを避ける。
その身のこなしは、あまりにも軽やかで僕は笑ってしまったよ。
昨夜、あの部屋で見せた君とはまるで別人だった。
まるで跳ねるたびに、夜を一枚、一枚、と脱ぎ捨てて、夜を無かったことにしていくような。
ホップステップ、ジャンプでさようなら。
君は、じゃあね、と笑った。
僕はといえば、君の背中に追いつけず、ただその軽やかさに見とれるばかりだった。
君に伝えたいよ。
足元に残った水たまりが、まだ空と君を映し込んでいた。
多分あれは、君を忘れたくない僕のレンズだったんだな、もう二度とピントの合わない。
夫「恋か、愛か、それとも執着か。依存か、理解か、運命か、忍耐か、苦労か、嘘か、戦いか、暗礁か、幸福か、成長か、妥協か、幻想か、失望か、希望か……いや、それともただの生活か?」
妻「長い」
夫「夫婦について考えていたんだ」
妻「ふーん。でも肝心なことがわかってないわね」
夫「肝心なこと?」
妻「教えて欲しい?」
夫「お、ぜひ」
妻「じゃあ教えてあげる。夫婦とは遺産相続人よ」
夫「えっ……」
妻「ふふふふっ」
夫「……もしかして俺のこと殺そうとしてる?」
妻「そんなことないよ。あ、保険証の場所は、分かりやすくしといてね?」
夫「やっぱり殺そうとしてない??」
妻「ふふふ」
夫「例え今夜君に殺されるのだとしても、僕は君の夢が見たい」
妻「バカじゃないの、もう寝よ」
夫「そうだね、おやすみ」
妻「おやすみ〜」
僕は妻の寝顔を見つめながら、ゆっくりと、ゆっくりと、眠りへと向かった……sleep well……