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記憶の地図

君に関して覚えていること。
僕はそれを地図にした。キケロの記憶術にのっとって、場所と記憶を結びつけたんだ。そして僕は一つの都市を作り上げた。
都市全体が君との思い出だ。
記憶としての駅、公園、建造物。
立ち並ぶビルも倉庫も、都市の骨格をなす道路も、全てが君との記憶からできている。
都市活動を支えるのは僕の記憶だ。
君についての僕の記憶。
僕の髪をかきあげた指先。家族のことを話す時、いつも言葉に迷って揺れる瞳。下着をつける時のしなやかな動き。頬に涙の跡を残したままの笑顔。
飲みかけのマグカップを部屋のあちこちに置く腹立たしい癖や、いつまで経ってもカーテンの色を決められない優柔不断も。
全てこの都市と共にある。
理想的な都市だよ。金融も交通も適度に発達していて、不便なことは全くないし、自然にも恵まれている。
僕は夜毎にこの都市を訪れる。まあ、正直に告白すると日中にも度々。
なかなか快適な都市ライフを過ごしているよ、何しろ誰もいない僕だけの場所だからね、君さえいない。
誰からも忘れられた場所、誰とも共有はできない場所。
きっとそういう場所が僕には必要で、だから僕はこの都市を作り上げたんだ。
だけど最近、僕はあることに気がついた。
この都市には、地下があるって事に。
僕がこの都市の地図を描き始めたときには、存在していなかったはずなんだが。
地下へのゲートはいつからあったんだろう?
僕は地下へ降りていって……そこは薄暗く、湿っていた。僕は壁に手を這わせたが、冷たいコンクリートが続くだけだった。
ぽとり、と遠くで水滴が落ちる音がしたような気がして耳を澄ますが、何も聞こえない。シンプルな照明が灰色の虚無を照らし出すだけだ。
地下鉄が通っていた気配すらない。ただ湿った空気が漂う何もない場所。
一体、なんの為の地下なんだろう?
僕は、地下の道を歩き始めた。カツン、カツンと、僕の靴音だけが虚しく響き渡る。
もしかして君が残してくれたものがあるのかもしれないと、僕は地下を歩き回った。だけどいくら歩いても、僕には見つけられなかった。
これじゃあ地図の作りようがない。ここには、君の記憶がない。
――君がいない。
そう思った時だった。
頭上で重たい音がした。
ひび割れるような音だ。巨大な何かがゆっくりとだが確実に崩れていく。
石が砕け、木が裂ける。
全ての音は僕の胸に直接響き、震動となって僕自身を揺らした。
僕は理解する。これは、都市の崩壊の音だ。
ビルは崩れ、全ての道が閉ざされていく。
都市が崩壊していく音は、まるで巨大な生き物の悲痛な喘ぎのようだった。もう苦しみにも悲しみにも耐えられないと言っているみたいだ。
記憶と結び付いた都市の奥深く、地図にも載らない地下で、僕はその音に耳を傾けていた。



6/17/2025, 1:08:55 AM