vivi

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9/30/2023, 7:31:30 AM

【静寂に包まれた部屋】


大吾はベッドに体を投げ出し、ぼうっと天井を見るともなく眺めていた。
何の音もしない。匂いも、温度も、体に触れている感覚がすら何も感じない。
静寂に包まれた部屋にあるのは「無」のみだった。

眠らなければと目を閉じるとあの時の光景が何度も蘇り、その度に大吾は歯をぎり、と噛み締める。

約束したじゃねえか。それなのに。
生まれ変わったら、だなんて言うな。

お前が、お前が言ったんだろう。

「俺はずっと、大吾さんのそばに居ます」

そう言って口元を綻ばせた峯はもう居ない。
飛び降りてしまった。俺の目の前で。
消えてしまったのだ。

極道に「永遠」なんて求めてはいけないことは分かりきっていたはずだ。誰がいつどこで死んでもおかしくない世界だ。それでも、峯の言葉に大吾は救われていた。

呼吸が浅くなり始めているのを感じる。
体が形をとどめていられない感覚に陥る。泥のように溶け出して液状化するような、そんな感覚。薄暗くなる視界、目を開けているのもつらくなって重力に逆らわず目を閉じる。

もう、いいか。
俺もそっちにいっても。

なんて、らしくない言葉が脳裏に浮かんだ時だった。

「大吾さん」

ハッと目を見開いた。
一気に酸素が肺に入り込み、大吾は荒く息をする。

一瞬聞こえたその声が、鼓膜から血管に伝わり血液と細胞を通して全身にいきわたったように感じた。
愛してやまない声だ。いつも微かな冷たさを抱えていたその声は、自分を呼ぶ時は慈愛が込められているようだと大吾は思っていた。
自意識過剰かもしれなかったが、それが嬉しかった。

ベッドから起き上がり、クローゼットを開ける。
そこには峯が置いていったシャツが一枚残っていた。

退院した頃には峯に関係するものは全て処分され尽くされた後だった。
ここにあるシャツ一枚だけが、組織の手から逃れられた唯一の峯の遺品だ。
ハンガーにかかっているそれを手に取る。シワひとつないそのシャツを、大吾は大事に抱えた。襟元に顔を埋めると、まだ微かに峯の匂いが残っていた。それを思いきり吸い込んで、シワが出来てしまったシャツに頬を擦り寄せる。

「ごめんな、峯。俺、お前の分まで生きるから。絶対死なねえから」

だから、見ててくれ。
俺がそっちに逝くまで。


8/19/2023, 4:39:20 PM

【空模様】


広く澄み渡った青空と、足元にはまるで鏡のようにそれを反射する透明な水。

「傑」

そこにはかつて、親友だった男がいた。

「悟」

片手をひらひらと振り笑う顔は高専に宣戦布告しに行った際に見た時よりも若い。

「君は老けないね。まるであの頃みたいじゃないか」
「そういうお前だって。自分の格好見てみろよ」

サングラス越しの目が面白げにこちらを見ている。
言われて自分の服を見下ろすと、高専の制服を着ていた。ハッと顔を上げると悟もまた、制服を着ている。

「これは何かの悪い夢かな。私もずいぶんと感傷的になったものだ」
「いや、これはおそらくだけど俺も同じ夢を見ているんだろう。まあ、起きてみないことには分かんねえけど」

ポケットに手を入れこちらへ向かってくる悟には敵意は感じられない。警戒は怠らないようにしようとしても、あの夏を彷彿とさせる空模様と目の前にいる男にその気が削がれてしまう。

「一人称、変えたんじゃなかったのかい?この間の君は・・・」

言いかけて止まったのは、青白くて細長い人差し指が唇に当たるのを感じたからだ。
戸惑い、視線を上げるとそこには柔らかく笑う悟がいた。
人差し指が唇から離れ、今度は指の背で頬を撫でられる。そして冷たい手のひらが頬を包み込んだ。とても優しい仕草だ。

「俺はお前を殺すことになるだろうね」

悟はそう言ってもう片方の頬を冷たい手のひらで包む。
私は悟のその行為の意図が分からず、かといって拒絶する気も起きずに戸惑いながらもされるがままになっていた。

「もしそうなったら泣いてくれよ」
「泣かねえよ」

でも、と悟は続けた。

「お前にずっとこうして触れてみたかった。俺は、」

意識が浮上する。気づけばそこには見慣れた寝室の天井があった。

全く、嫌な夢を見たものだ。

そう小さく呟いて、まだ感触の残る頬をぐいと拭った。



8/15/2023, 1:50:20 PM

【夜の海】


大吾は埠頭に来ていた。護衛は出入り口に待たせている。
夜の海は深く、不気味だ。だが今はその闇が心を落ち着かせる。

峯が死んだ。

目覚めた頃には遅かった。
声をかけた時の、悲痛な表情が瞼に焼きついて離れない。
どこで間違えたのだろう。どうして気づいてやれなかったのだろう。峯の、深い闇に。

遺体はどうしたのかと真島に問いただしても、裏切り者の墓なんぞないと一蹴されてしまった。極道としてはよくあることだ。それを理解していても、問わずにはいられなかった。そもそもあの高さから落下したのであれば、遺体なんて綺麗な状態で残っているはずもない。
それでも。

「なんや、ずいぶんとおセンチやないか」

振り返ると、そこには真島がこちらへ向かってくるのが見えた。
足音にも気がつかないくらい、自分はぼうっとしていたらしい。
隣に並んで立った真島は大きなため息をついた。

「辛気臭いのぉ。それで弔っとるつもりかいな」
「いえ、そんなわけでは・・・」
「しっかりせえ」

鋭い声だった。

「六代目がそんな顔しとったら、他の奴らに示しがつかん。たとえ兄弟分だろうと裏切りもんは裏切りもんや。お前がそんなんじゃ、納得せん奴らも出てくる」
「・・・わかってます」
「ほならええ」

そう言い残して真島はひらりと片手を一振りして去っていった。

真島の言うとおりだ。東城会は今、不安定な状況だ。己がしっかりせねば。

胸元の内ポケットから煙草を一本取り出して咥える。そうすると、峯がいつも火をつけてくれたことを思い出す。
もっといろんな話がしたかった。もっといろんな表情を知りたかった。もっと、一緒にいられると思っていた。

愛していた。
確かに俺は、峯を、愛していたのだ。

「大吾さん」と呼ぶ低い声。あまり表情を変えない峯が、時折見せる穏やかな笑みが好きだった。ああ、好きだったんだ。

大吾は煙草を深く吸うと、まだ残っているそれを深い海に投げ捨てた。峯への想いと共に。



8/13/2023, 11:36:16 PM

【心の健康】

今日は私についてのお話を書いていこうと思います。
「心の健康」ということで。

私には精神疾患があります。
10代の頃に発症しました。

それから引きこもりだったり無職だったりとを経て今、福祉サービスを活用して何とか生きています。
でも出勤するのすらままならず、今週いっぱい仕事休みをもらっちゃった。
駄目な大人だね。

みんなは心の健康に気をつけるんだよ。
私みたいになっては駄目だよ。

自分を大切にね。


8/12/2023, 4:45:44 AM

【麦わら帽子】

夏の日差しには慣れているはずだった。
しかし体はすっかり忘れてしまったらしい。また、あの頃よりも年々増している猛暑がどんどん体力を奪っていく。

「藤真先生ー!暑いんだけど!」
「俺だって暑い。いいから手を動かせ。あと5分したら休憩入れるから」

そう言うと生徒たちは渋々といった様子で草むしりを再開した。

高校教師になってもうすぐ10年になろうとしていた。
膝を壊してしまったことによってバスケット人生を諦めた俺は、教師になることを選んだ。初めは体育教師になって今度こそ正真正銘の「監督」になることを望んでいた。しかし現実はそう上手くいくはずもなく、国語を担当している。

麦わら帽子のつばを上げ、空を見上げる。
そこにはあの頃と変わらない夏の空が広がっていた。
でも変わっていないのは空だけだ。

俺もずいぶんと変わった。
そりゃ10年も経てば人は変わる。取り巻く環境も、流れる時間のスピードも変わっていく。
いつまでもあの夏を懐かしむのはやめようと決めたはずなのに、この時期になるとどうしても思い出しては心の隅がじくじくとする時がある。

こめかみから流れる汗を手の甲で拭って立ち上がり、少しぐんと背を伸ばす。

現実を生きろ。

何度も言い聞かせてきた言葉を胸の中で呟いて、各々草むしりをしている生徒たちに声をかける。

「さあ、休憩しよう」


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