未来(運命は握られている)
今時珍しい、薄暗い路上の一角で。
その占い師は傍目にもすぐにそれとわかる身なりで、水晶を台の真ん中に怪しい存在感を示していた。
「お嬢さん、占いはいかが?」
年齢不詳の声で呼び止められる。
………占いなんて一切興味がない。
どうせ高額な料金を要求されるか、怪しいブレスレットを買わされるか。
そう思っていると、彼女はお代はいらないし何も売りつけないと豪語した。
「それじゃあ売り上げにならないし、そもそもこんなことしている意味がないんじゃ?」
「趣味みたいなものなので」
………まあ納得する。
「何を占います?」
「そうねえ、仕事は順調でお金回りも悪くないし? 恋はしてないし」
「では恋愛運ですね」
「何でよ」
不満げに咎めるものの、彼女は臆することなくわたしの手を取った。
「いい手相をしていらっしゃる」
「あら嬉しい。じゃあ順風満帆ね?」
「明日運命の人に出会いますよ、あなた」
運命のひと! やだイケメンかしら、お金持ちかしら。
「よくよく目を凝らすことです。手元に注視して」
「手元? 何か目印になるような物が? わたしにプレゼントでも?」
所詮は占いといえど、そんなことを言われては何だか嬉しくなる。明日への期待に弾んでしまいそう。
「………光る物。途轍もなく大きな出来事。人生で一度しかない、なかなかに衝撃的な光景が視えます」
ええー何かしら!? 突然の告白?
まさか前々からわたしを見初めていて、その場でプロポーズ!?
「明日は気を引き締めて過ごすことです」
占い師の言葉を受け妄想に耽っていた彼女には、最後の一言は聞き届いていないようだった。
翌日、彼女は占い師と会ったことなど脳裏の片隅にも残っていなかった。
―――大きなビルの正面の受け付けにいつものように座り、にこやかにお客様を出迎える。
そこに挙動不審な男が一人。
男の手には、―――。
―――さあ彼女は思い出せるだろうか。
人生に二度とない、なかなかに衝撃的な出来事はすぐそこまで迫っている。
END.
1年前(帰らない日々)
―――どうして離れてしまったんだろう。
「あ………」
狭い街で起こる偶然。
ショッピングモールで出くわした二人は、お互いを見るなりその場で固まった。
彼の隣に寄り添う知らない女。
彼女の隣に佇む知らない男。
―――どういう関係か、聞くまでもない状況だ。
「知り合い?」
「知ってる人?」
お互いの相手が彼、彼女に尋ねる。
「え、あ………うん」
「………まあ」
『頑張って、一緒の大学に行きたい』
―――当時もう既に付き合っていたわたし達は、1年前同じ大学を志望し受験に向けて励んでいた。
春には暖かい日差しの入る学校の教室で
夏には燦々と照りつける太陽が眩しい避暑地で
秋には夕暮れの早くなった肌寒さを覚える塾の帰り道で
冬は雪の舞うのを家の窓からそっと眺めて
わたし達はいつも一緒に合格を目指しひたむきに勉学に向き合っていた。
『うう、わたしやっぱり自信ない。この成績で受かると思えない。もうやだ』
『ばっか弱音吐くなよ。憧れのキャンパスライフまであと一歩! 一緒に美味い学食食うんだろ、食いしん坊?』
そう言って笑う彼に何度救われただろう。
彼の言葉に何度励まされただろう。
―――そうして次の年の春が訪れた時。
憧れのキャンパスに足を踏み入れたわたしの隣に、―――彼の姿はなかった。
「………ねえ、もう行こう?」
―――ずっと立ち尽くしている彼に、どこかただならぬ空気を感じ取ったのだろう。
彼の相手が急かすように腕を引く。
「………大丈夫?」
彼女の相手も顔を覗くように様子を確認する。
お互い目を逸らせなかったわたし達は、相手に促されるまま―――何も言葉を交わさずすれ違った。
『どうした、おせーな。置いてくぞ?』
―――笑顔で手を差し伸べてくれたいつかの彼の面影が脳裏を過ぎる。
………ああ。どうして。
どうしてわたしはその手を離してしまったんだろう
END.
好きな本(生理的要因)
彼女とは、遠距離とはいかないまでもなかなか頻繁には会えない距離にお互い住んでいる。
社会人になりたての一人暮らし同士、それでも忙しい合間を縫って家の行き来に勤しんでいたのだが。
ある日唐突に、その事件は起きた。
「ねえ。何これ」
―――久し振りに会ったその日。
近所のコンビニで酒とツマミの買い出しに行き、部屋で一人待っていた彼女は、俺が帰って来るなり憤慨した。
「? 何をそんなに怒って………って、だぁぁーーー!!!」
………人はパニクると素っ頓狂な声を出すらしい。
俺は光の如く彼女の傍に駆け寄るなり、すかさずそれを回収した。
「なななな、何してんだ!!」
「何って、帰って来るまで少し掃除しようと思って。そしたら出てきたの、それが」
俺が必死で背後に隠すそれ、に彼女が冷めた目で視線を移す。
「違う、これはそういうんじゃねえ!」
「え? この期に及んで言い訳するの?」
「う、浮気じゃねーから! 誓って!」
………母親に見つかった時の高校生の反応ってこんな感じなのかしら。と、姉妹育ちの彼女は冷静に思案する。
「………そんなのわかってるわよ、遠距離みたいなものだしそうそう会えるわけじゃないし。風俗や他の誰かで補われるより健全だってことくらい」
「お、おう。だよな、そうだよな」
―――よりによって彼女に見つけられた最悪な事態。どうにも陳腐な弁明しかできず、これをどう収拾させるか、穏便に済ますかにだけ俺は全力を注ぐ。
「ま、まあ事故みたいなもんだと思ってくれれば、」
「………別に不満があるわけじゃないのよね?」
「は?」
「だ、だからその」
わたしとの関係、というかそういう行為に対してというか。
頬を赤く染めて濁す彼女が、皆まで言わせるなと顔を背ける。
不満……… 考えたこともなかった。
「違う。それは断じて、誓ってもいい」
「………。なら、いいんだけど」
―――なまじ離れているから、誤解が生まれるのかもしれない。
不安になるのも当然だ、ただでさえ一人暮らしの不透明さがあるのにこんなもの見せられた日には………。
ではこの疑心暗鬼。解くにはどうしたらいい?
「言葉じゃどうにもならないと思うんだよな」
「ん?」
「やっぱりこういうのはさ、」
「んん?」
じりじり体を寄せてくる彼に、彼女が雲行きが怪しくなってきたと後ずさる。
「肌を合わせて確かめないと」
その刹那、彼女の手のひらが空を切った。
―――ばか、とか誘ったわけじゃない、とか怒りか羞恥か最早わからないほど真っ赤になって喚く彼女を尻目に、俺は痛ってぇと頬を抑えてしゃがみ込む。
いやそりゃなくない?
不貞腐れる俺に、彼女はずいと手を伸ばすとその両頬を包み込んだ。
「だってまだ、早いでしょ?」
恥じらうように潤んだ瞳に、俺は目眩を覚える。
今にも襲いたい衝動をなんとか堪え、俺はただ頷くと―――その柔らかい体を壊さぬよう、緩く大事に抱き締めた。
END.
あいまいな空(君が結んだ絆)
雨、降らないといいな………。
二階の自室で窓辺に体を寄りかからせて、曇の濃い空を見上げる。
早朝、いつも家の前の道を走る彼。
部活による体力作りの一環なのだろう、登校前のジョギングを毎日欠かさず行っていた。
もちろん天気の悪い日は来ない。
―――最初は何の偶然だったか、走っている最中に目が合った。
自分を見上げたその眼差しにドキドキしたが、彼はそのまま走り去る。
まあそうよね、とその時は取り合わなかったが、それ以降なぜか毎日目が合うようになった。
いつも彼が私の家の二階を見上げる。
………初めは同情しているのかと思った。
国指定の難病にかかり学校に行けなくなった自分を哀れんでいるのかと。
彼は部活の大会で何度も賞を取る花形エースで、校内でも人気が高い。
―――その彼に哀れまれていると思うと、どうにも自分がいたたまれなくなった。
ある日、いつものようにこちらを見上げた彼とまた目が合い、―――微笑まれた。
え、と思わず声が出た。
思い違い? 見間違い?
いや幻? それとも夢?
何度思い返してみても、浮かぶのは彼の笑み。
とうとうわたしは脳内で願望を叶えるようになってしまったのかと焦ったが、違った。
次の日もまた、彼はわたしに微笑みを向けたのだ。
………これは幻でも夢でもない。
数日わたしはこの笑顔にドギマギして過ごしたが、これでは良くないと思い直し―――勇気を出して、自分も彼に微笑んでみた。
どういう反応が返ってくるかと正直内心ひやひやしたが、彼は驚いたのだろう少しばかり緩く足を止め、
いつもの微笑みと共に片手を上げてくれた
「あ。雨、降ってきちゃった」
元々雨予報だったし、今日はお休みねきっと。
つまらない………、と思い窓を離れようとした時。
!―――
いつもの軽装の彼が帽子を目深に被り、家の前に差し掛かるのを視界の隅に確認した。
二階のわたしの部屋に視線を向け、笑顔で手を上げ、通り過ぎる―――。
「待って!」
―――窓を開け、わたしは初めて彼に声をかけた。
彼は無言で目を見張り、家の前で立ち止まる。
わたしは夢中で階段を駆け下りた。
運動は控えてと医者に止められていたが、そんなことは端から頭になかった。
………息が切れて苦しい。視界が揺れて目が霞む。
けれどそんなことはどうでもいい
―――勢いよく玄関のドアを開けると、その先に彼が濡れたまま佇んでいた。
傘を掴み、重い体を引きずるように彼の前まで歩み寄る。
「あの、」
―――雨が小雨になり、晴れ間から後光が彼に差す。
なんて綺麗。
なんて美しい、ひと。
息を詰めて見惚れていると、彼は濡れた帽子のつばを掴んで脱ぎ去り、彼女との対峙を果たした。
もう窓も壁も、正真正銘遮るものは何もない。
「………やっと、会えた」
間近で初めて見た彼の笑顔に、心が緩やかに満たされていく。
その口調は、どこか遠く懐かしいと感じた。
お互い話したことなど一度もないのに。
―――彼女は傘を広げ、彼の頭上の雨粒を遮る。
ああどうかこの天候のせいで彼が体調を崩したりしませんように。
曖昧だった関係に今、この瞬間終止符が打たれる。
END.
あじさい(恋人から家族へ)
………花束に紫陽花入れるってのはやっぱり邪道かな。
花屋で男が一人うんうん唸っているのは異様だったのだろう、バイトらしき若い女の子に声をかけられた。
「ご相談に乗りましょうか?」
「あー助かります、お願いします」
彼女へのプレゼントだと伝え、好みの傾向と好きな色、予算を伝える。
「今の時期、紫陽花綺麗ですね。でも花束としてはどうかなと思って」
「そうですね、個人への贈り物としては難があるかもしれませんね。女性の方だと花言葉に詳しかったりもしますし」
花言葉………
「なるほど、それは盲点でした。花を贈る時にあんまり気にしてなかったな」
「男性だとそこまで関心のある方は少ないですね。紫陽花は色々あるんですが、主な花言葉だと移り気、浮気になっちゃいますね」
………。さすがにそれは贈れない。
「それは紫陽花自体の花言葉で、色別や家族宛てだとまた違ってポジティブな感じにはなるんですが」
「え、個人と家族で意味が違うんですか」
「そうですね。家族団欒、和気あいあい―――仲を取り持つ象徴みたいな感じですかね」
家族―――。
花屋を後にし、俺は待ち合わせのレストランへと向かう。
―――気に入ってくれるだろうか。
彼女をイメージして仕上げてもらった、緑と白のコントラストが映えるアナベルの花束。
そして今日この日の為に送る、リボンのかかった小さな箱―――。
一年前から君の誕生日に伝えると決めていた。
俺はひとつ深呼吸をして、先に彼女が待つレストランの扉に手をかける。
緑と白の花言葉。“ひたむきで一途な愛”
―――その愛を今、君に真っ直ぐに伝えに行く。
END.