逃れられない(刺し違えたとしても)
「お迎えに参りました、お嬢様」
幾度となく聞いてきた、その台詞。
黒のスーツで身を固めたその人は、わたしが物心ついた時には既に執事のトップに君臨していた。
幼稚舎、初等部、中等部、高等部―――そして大人といえる歳になった今でさえ、その人はわたしがどんな場所に居ようと冒頭の台詞と共に現れる。
今日は遠慮して?
今日は友人と遠出するから。
デートだから来なくて結構!
思春期を経て大人となった今、迎えなどいらないのだ。
自分の予定は自分で把握するし、自分の身は自分で守る。
―――次第に口調が荒くなろうとも、しかしその人は動じる気配もなく冒頭の台詞を言い続けた。
「ねえ、いつになったら諦めるの」
「旦那様の言いつけですので」
何かあるとすぐ父の存在をちらつかせるのも気に食わなかった。
けれどそれも全て、五年前に終わったことなのに。
それなのに。
「お迎えに参りました、お嬢様」
………血の気が引いた。
玄関先で呆然と立ち尽くして、その人を凝視する。
「………どうして………」
「旦那様から、お嬢様には離縁して戻って来るようにと」
―――喉を鳴らす。
咄嗟に二つの選択肢が脳裏を掠めた。
「お嬢様」
目を伏せたその人はわたしのことで苦労したのだろう、最後に会った日から随分な年月を感じさせた。
「私か御自身か、消し去るのは―――どうぞお嬢様のご自由に」
………さすがだと思った。
何年隔てていても、敵わないと思った。
「―――少し、待って」
指輪を外す。
この檻から出るには、二つの選択のどちらが正解か―――
いや、元から出口などなかったのかもしれない。
彷徨い抗うわたしをずっと、囲って逃がすまいと庇護下に置いて視線を這わし続けた―――
あなたの 勝ち
END.
また明日(恋愛成就は突然に)
冬の部活終わりは夕暮れを越えて、辺りは既に暗闇に包まれている。
寒い寒いと凍える掌に息を吹きかけながら、わたしはちらりと隣に視線を向けた。
「何よ、至ってヘーキですみたいな顔して」
「………んなこと言ってねーだろ。さみーよ俺だって」
………。何だか今日は朝から変。
いつもなら饒舌に絡んでくるくせに、何を寡黙を気取っているんだか。
「なーに、どうかしたの? 悩みがあるなら聞いてあげるわよ、一応ね」
「………。俺今日おかしかったか?」
「だいぶね」
「わかるのかよ。さすがだな、幼馴染み」
幼馴染み………だけでわかるもんですか。この万年鈍感男。
当てつけに何かグサリと刺さる言葉でも投げつけてやろうかと思ったが、予想以上に思い詰めて見えた横顔にそれは仕方なく封印した。
「………もうすぐ卒業だろ」
「あーうん。三年間、あっという間だったわねー」
「俺ら進路も違うし」
ん?
「きっと思うように会えなくなる」
んん?
―――流れた沈黙に、歩みを止める。
「あのさ」
「また明日!」
へっ?
突然駆け出した彼女の後ろ姿に彼が慌てて手を伸ばす。
けれどそれは悲しいかな寸前で宙を掴む形になった。
「おっ、お前なぁ! ここで逃げるやつがあるかよ!」
「だって!」
だって………
「嬉しすぎて心臓破裂しそう!」
………………………。
あのなぁ。とりあえず最後まで言わせてくれてもよくね?
次第に闇に紛れて見えなくなっていく彼女に、いやでもそれって………と彼ははたと我に返る。
「………マジか」
―――どうにも止まらないにやける口元に手を当てて、彼は落ち着けと自分に言い聞かす。
明日もう一度ここで言おう。
頭の中で何百回とシュミレーションした、俺のありったけの思いの丈を。
そう、明日。
また、明日。
END.
透明(瞳に映る誰か)
「近眼の人って目が綺麗って言わない?」
瞳全体がきらきら潤んでいて、黒目も白目もどこか透明がかって見える。
別に目が悪くなりたいわけではないけれど、何となく少し羨ましく思ったりしないでもない。
「そんなん初めて聞いたな」
「ちょっと憧れちゃう」
「………憧れる対象、そこ?」
あからさまに呆れられて、彼女はほっといてよと頬を膨らませる。
「いや、お前のもそこそこキレイだけどな?」
そう徐に極限まで顔を近づけられ、突然のことに彼女はその場で息を止めて硬直する。
「やっぱ、思った通り」
そう言い置いて何事もなかった様に離れた彼に、彼女の方は驚きで挙動不審になりかけるのを抑えるのに必死だ。
―――人の気も知らないで!
ひたすら心拍数を鎮めることに集中しながら、そこそこって何よと心の中で悪態をつく。
というか、………目の前に迫った瞳のあまりの透明感に、心奪われたなんてどうして言えようか。
迂闊にもずっとそこにいてほしいと思ってしまった、ほんの一瞬の澄み切った時間。
END.
理想のあなた(似た者同士)
向いに座り、ビールを脇にツマミに手をつけている男の顔をじーっと見つめる。
………見た目は良い。確かに。
けど口は悪いし気は利かないし、連絡もマメでなければカノジョであるわたしに対して何の計らいもない。
学生の頃からの旧知の間柄から気づけば恋人へと移り変わったからか、新鮮さは皆無に等しかった。
―――小さい時に描いてた理想とは程遠いような。
はあーぁ、と盛大に溜息を吐くと彼が視線を自分に送る。
「何だよ、食わねーのか?」
「………ちょっと食欲なくて」
「しっかり栄養つけねーと明日の仕事に影響するぞ」
………。こういう時は釘を差すんじゃなくて、心配してほしいのに。
けどダメね、ふとした表情や仕草でどうしたって好きが勝ってしまう。
これが惚れた弱み、なのだろうか。
「なあ、来週の週末空けとけよ」
「? わかってるわよ、いつもデートは週末じゃない」
「………ああ」
………。何だよ、自分の誕生日も忘れてんのか。
いつもはお前の理想には興味のない俺だけど、どうしてだろうな。
たまには理想の恋人を演じて気を引きたい程には、俺はこいつに参っているらしい。
これが惚れた弱み、というやつなのだろうか。
END.
突然の別れ:(if)
「ある日突然さ。突発的に、俺が自死してこの世からいなくなったらどうする?」
急に妙な質問をされて目が点になった。
あまりにも自死という言葉が似合わなくて、青天の霹靂すぎた。
「それはまあ怒るね」
「………そんだけ?」
「死んでるからね」
「……………」
そりゃあまあそうなんだけど、となぜかむくれる親友に苦笑する。
「そんな物騒な予定立てるなよ」
「立ててねーよ、勝手に殺すな」
だったら聞くなよ、と思いつつ少しは真面目に答えるかと真顔になる。
「お前がいなくなったら、お前が今大事にしてるもの全部貰ってく」
「何だよそれ、こえーなぁ」
適当に返す親友に、僕はさらに続けた。
「あと、これからお前が欲しいと思ってるものも」
「は?」
欲しい………もの?
「あら、二人して何の内緒話?」
―――その瞬間。どきりと心臓が波打った。
「………覚悟はある?」
不敵な笑みにたじろぎそうになる。
まさかお前も狙っていたなんて。
「前言撤回。死んでる場合じゃねーわ」
頭を抱えて苦虫を噛み潰すように呟いた俺に、親友は、お互い頑張ろうなと綺麗に宣戦布告をして―――
ただ涼しげに。笑った。
END.