また一体、進行方向を塞いでいる敵を魔法で打ち倒した。素材集めのために一人で潜っていたダンジョンで落とし穴のトラップを踏んでしまい見知らぬ場所にたどり着いてしまったのが7日前、絶望と隣合わせの状況の中でたまたま拾った杖がとんでもないチートだった。ほぼ無限に特定の魔法を連打できる、なんて知ったら一体どんな目に遭うか想像にかたくない。事実強い敵も遠距離から炎弾やら魔法の矢を撃ち込んで倒せてしまうし、水不足に困ることもなく、寝る時の安全も確保できる杖なんて世界中の人が喉から手が出るほど欲しいに決まっている。
(そういう意味では入った場所とは違う場所に出そうなことは救いだよな。どう考えても同じダンジョンとは思えないくらい魔物が強いしな。)
そんなことを考えながらさらに歩くこと1時間、ついに視界が少しずつ明るくなってきた。逸る気持ちを抑えながら今まで以上に慎重に進んでいく。
(ここでまた落とし穴に落ちて最初から、なんてシャレにならないからな)
案の定存在したトラップを解除して曲がり角を曲がった私の目の前に現れたのは正真正銘の出口だった。柔らかな風に包まれながら外に出た私を迎えてくれたのは、どこまでも続く青い空だった。
(何とか生きて帰ってこれたな。さて、ここは一体どこなんだろうか。まずは周囲の確認からだな。)
当面の方向性を決めた私は新たな1歩を踏み出した
『始まりはいつも』
私には決して消えない後悔がある。始まりはいつも些細なことだった。仲の良い相手との喧嘩なんてそんなものであることがほとんどだろう。かく言う今回も言った言っていないの論争から始まった。最初はいつも通りだった。少しずつ言い争いに熱が入っていって一度冷静になるために距離をとる、お互いの性格上すぐに謝罪につながらないことだけが難点だがそれでも一食それぞれが食べたいものを食べに出かければ帰ってくる頃には話し合うことができるようになっていた。しかし、今日はそうではなかった。気になっていた定食屋に入り、おすすめだというセットの到着を待っていると唐突にスマホが振動した。それはさっき落ち着いて話し合うために一度離れた相手からだったのだが、聞こえてきた声は全く違うものだった。電話の相手曰く出会い頭で車にはねられてしまい意識不明の重体とのことだった。はじめは何かの冗談だと思った。しかし、切羽詰まったような電話の向こうの声がこれは現実なのだと伝えてくる。私はあわてて店を飛び出し、タクシーで指定された場所に向かった。しかし、時すでに遅く私が到着した時にはすでに息をひきとってしまっていた。喧嘩別れが今生の別れになってしまうと分かっていたら、そう後悔しても時すでに遅しである。せめて向こうで再会した時にはまず私から謝罪しようと思う。だから直接の謝罪はそれまで待ってくれないだろうか。
『声が枯れるまで』
私は今カラオケに一人でいる。別に一人カラオケをするために来たわけではない。もともとは仲の良い友人と昼食を食べて、そこから今度参戦するライブに向けて予習をする予定だったのだが友人が体調不良を訴えて帰宅してしまったのだ。歌う気満々だった私からすればまさに青天の霹靂だったため、予約人数を変更しての参戦と相成った。しかし、部屋に入ってみると一抹の寂しさを感じた。その思いを振り払うかのように部屋を飛び出し、大量のコップにジュースを注ぎ机に並べた。そう、祭りの始まりである。まずは一曲目、普段だったらゆったりとした曲調の曲を選択して声出しをするのだが今日は違う。のっけからアップテンポな曲を投下して声を張り続ける。一曲歌い終えアドレナリンと心地よい疲労感に包まれた私は無敵だった。のどが乾いたら机に大量に置かれたジュースで潤し、ノンストップで曲を投下し続けた。はたから見れば変な人だっただろう。しかし、部屋の中には私しかいないのだ。完全に無敵の人となった私は声よ枯れよと言わんばかりに歌い続けた。結局声が枯れるまでと思って始めたはずの一人カラオケは退店時間ギリギリまで続いた。店を出た後の私の胸には確かな満足感が宿っていた。
私が3DSというものを手にしたのはブームが下火も下火、何ならその次のswitchすら出てからしばらく経ってからというタイミングだった。と言うのも私は遺伝的に視力が悪くなりやすいタイプだったためだ。にもかかわらず寝転んで本を読んだりテレビを見たりしていたりしたせいで簡単に視力は悪化してしまった。そして晴れて眼鏡デビューとなったわけだが、そこで両親が心配したのはさらに視力が悪くなって頻繁に眼鏡を変えるような事態に陥ることだった。そんなわけで少なくとも成長期の間は小さな画面を見続けるような携帯ゲーム機は禁止と相成ったのだ。そしてまともにDSシリーズに触れないまま学生時代を過ごしてしまった。周りがすれ違い通信を楽しんでいる間、私はレトロテレビゲームに興じていた。そして令和の今、ようやく私も3DSとやらを手にしたわけだが、当然今の時代に、それも田舎寄りの場所で3DSを持ち歩いている人などほとんどいない。東京ゲームショウに3DSを持って行ったら今の時代でもちゃんとすれ違いできたという2~3年ほど前のSNSの投稿をうらやましく眺めるので精一杯である。一応現在でもサービスは継続しているとの話だが、果たして私の3DSのこの機能が活用される日は来るのだろうか。
『秋晴れ』
今日は朝から雲一つない快晴だ。多くの人からすれば絶好の体育祭日和となるのだろうが、運動が絶望的に苦手で嫌いな私からすれば最悪の天気である。これがまだ本来の日程通りであれば諦めもつくというものだが、延期に延期を重ねての今日であるというのがしんどさに拍車をかけている。あと1回、今日さえ雨で流れてしまえばすべての予備日が無くなったというのに。現実は無常である。開会の挨拶の時に「この素晴らしい秋晴れの下体育祭を無事に開催できることが大変喜ばしいことである。」と校長が語るくらいのいい天気だ。周囲からの明るい声が響きながら絶望的な私の1日はこうして幕を開けた。
『忘れたくても忘れられない』
嫌なことをされるとその記憶は忘れたくても忘れられないものになる。心の傷とはそういうものだ。実際、私は小さいころにひどいいじめを受けてきた。そのせいか、ある程度のことなら笑って流してしまうことができるようになった。そして自身が笑っていられている間に自分から行動を起こすことで解決してきた。そう、そのはずだった。
異変を感じたのは高校の時だ。その時も一部のクラスメイトからいじめを受けるようになった。相手が校内有数の問題児だったこともあってなかなかいじめは無くならなかった。そんなある日トイレから出られない日がやってきた。それまで無遅刻無欠席でやってきたのに初めて遅刻した。そこから時間ギリギリになる日が増えていった。心配になって受診した病院ではストレスだと言われた。つまり自分ではまだまだ大丈夫と考えていたが身体の方がSOSを出していたらしい。あの時のいじめられた記憶とどこかで身体が混同してしまっていたのだろう。結局薬を飲みながら登校し時間が解決するのを待つことになった。
そんな奴と同窓会ですれ違った。奴は相変わらずとち狂った行動をしていて当時と何ら変わっていないようだった。とはいえ下手に改心されて良い奴になられているよりはあの時のままでいてくれた方が心も痛まない。さて、忘れたくとも忘れられないこの恨み、どうやって晴らしてくれようか。
寒い冬の天気の悪い日のふと差す太陽の光が好きだ。重ね着をしてニット帽を被りネックウォーマーを着けて手袋までしてガチガチに防寒を固めても、雪が降ってたり風が吹いていたりすると寒くてしかたがない。そんな時雲の切れ間から太陽のやわらかい光が差し込んでくると救われた気分になる。地面にできた小さなスポットライトに照らされた場所を目指して歩みを進め一時の安らぎを得る。これだけで再び訪れる冬の寒空にも向かっていけるというものだ。
夏にはそのあまりの暑さから煩わしく感じる太陽であるが、冬には一転して救いの神のようになる。なんと四季とは面白いものだろうか。
今年もそろそろ冬がやってくる。