かっぱー

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10/4/2024, 12:43:21 PM

この学校には1つ有名な怪談がある。毎年行われる文化祭の時にソレは現れる。ソレは、クライマックスのフォークダンスを1人で眺めていると声をかけてくる。「踊りませんか?」と。それもその人の好みの姿で。自分好みの相手が目の前で踊ろうと提案してくる。そんな存在がいるわけないと頭の片隅で思ってはいても、この誘惑に抗うことはなかなか難しい。しかし、1度頷いてしまったが最後、二度と踊りを止めることができなくなってしまう。最初は何ら問題ない。自分にとっての理想の相手と楽しく踊れるのだ。これ以上ないくらい幸せな体験だろう。しかし、曲が終わると違和感に気づくことになる。ソレは手を話してくれないのだ。そして自分の足も止まろうとしてくれない。そのまま次の曲、さらに次の曲とノンストップで踊り続けることになる。
そして、全てが終わった時、周囲も違和感に気がつくことになる。そこには1人で踊り続けている奇妙な存在がいるからだ。しかし干渉しようにもどうすることも出来ない。そして踊っていた人はそのまま踊っていくうちに段々と生気を失っていきついには命を落としてしまう。
そんなに危険ならフォークダンスを無くせばいいと考えるかもしれない。しかし、1度無くした年には大きな事故が起こって何人かの生徒が大怪我をしてしまった。だから無くすこともできず続けているのだ。代わりに一つだけ良いことがある。死なないためとはいえペアを組んで踊る男女が多く、そこからカップルが成立することが多々ある事だ。いわゆる吊り橋効果というやつである。それでもそう上手くいかない人もいるわけで…毎年踊る相手すらいない幾人かの男子たちは涙を飲むことになる。
そんな私はどうなのかって?私は生きるのに疲れてしまった、それが答えだ。

10/4/2024, 8:57:26 AM

昨日の夜、私は両親に「大事な話がある。」と切り出された。そこで告げられたことは私にとってまさに青天の霹靂といってよいものであった。「来月の頭に引越しをすることになったから来月から別の学校に通うことになる。」そう告げてきた時の二人の顔は申し訳ないという気持ちがにじみ出ていた。すでに学校生活の半分が終わった今、引っ越すことに抵抗がないわけがない。といっても一人で生活することができない子どもの私は従うしかないのだ。そして今朝、仲の良い友人たちに伝えた。みんなでショックを分かち合うことができたような気がしてほんのわずかに溜飲が下がったものの、行き場のない思いが消えることはなかった。
そこからの一か月は怒涛のものだった。友人たちに最後の思い出作りと休日のたびに様々なところに連れていかれた。目いっぱい遊んで写真を撮って笑いあって、考えうる限りのことはし尽くした。そして最後の日、先生の計らいでお別れ会が開催された。その時点ですでに泣きそうだったのだが、最後に色紙が出てきた時点で私の感情は決壊した。そこからのことはあまり覚えていない。ただ、先生が全員に向けていった言葉は忘れられそうもない。「君たちの人生はまだまだ長い。これから先、生きている間に同窓会や進学先なんかで再会することもあるでしょう。もし、また巡りあえた時は何時でもこうして仲良くやってくれると先生は嬉しいです。」

10/3/2024, 1:43:13 AM

『たそがれ』
夕方、私は町内にある高台で柵にもたれかかってぼんやりと日が沈んでいく様子を見つめていた。今日受けた試験の手ごたえが個人的には芳しくなかったのだ。決して入学当初からこの日のために毎日何時間も勉強をするという日々を過ごしてきたわけではない。むしろ最初のころは遊び惚けてしまって成績は下から数えた方が早いくらいだった。いよいよ受験という単語が目の前に迫ってきてようやく重い腰をあげた人間なのだ。とはいえ、全くの無計画で無謀な挑戦をしたわけではない。しっかりとスケジュールを組み、毎日コツコツ勉強をし、志望校も勝率は7割から8割はあるところを選んだはずだった。
それでも今日、試験会場で試験問題を見た瞬間私の頭は真っ白になってしまった。そう、試験問題の傾向が大きく変わってしまっていたのだ。ほかの人とは違い対策に十分な時間を充てることができなかった私は、完全に志望校の傾向に合わせた勉強しかしてこなかった。そのため、試験会場で周囲が黙々と解き進めていく中、あまり手が動かなかった。
さらに30分ほどたそがれているとスマホが振動した。一向に連絡をしてこない私を心配して両親が連絡してきたのだろう。現実と非現実の境界があいまいになる黄昏時は終わってしまった。なら、私も現実を見て再び進まねばならないのだろう。そこまで考えて私は今は沈んでしまった太陽に背を向け、歩き出した。

『奇跡をもう一度』
私は昔死にかけたことがある。あまりの高熱から意識を失い、痙攣状態になってしまったらしい。病院に駆け付けた家族に医師が告げた言葉は「今夜が山だ。最悪の場合も覚悟しておいてほしい。」というものだったそうだ。幸いにも奇跡が起こり、熱で脳に後遺症が残るといったこともなく、私は今こうして元気に日々を過ごしている。だが、あれから二十年以上の月日が流れて、今度は自分の子供が同じ状態に陥ってしまうとは想像だにしていなかった。医師から残酷な宣告を受けた私は、すぐさま病院を飛び出し、近くの神社を訪れていた。病院にいても何かができるわけでもなし、ならば少しでも神に祈ろうと考えたのだ。そして私は周囲の目も気にせず一心不乱に祈り始めた。「私自身はどうなっても構わないから、どうか奇跡をもう一度。」と。どれくらい祈っただろうか。辺りは暗くなり、境内も静まり返ってしまったころ、一本の着信があった。震える指で出ると「峠は越えた。」という連絡だった。あまりの喜びにスマホw落としてしまいそうになったが、わずかに残っていた理性でしっかりと握りなおした。そして改めて祈った。今度は感謝を述べるために。そうやって祈る私にどこからともなく声が聞こえてきた。「奇跡はめったに起こらないからこそ奇跡なのだ。三度の奇跡はないと思え。」と。私は改めて感謝を告げ、境内を後にした。

10/1/2024, 2:57:59 AM

私はいじめを受けている。きっかけが何だったのかは今となってはもう思い出すことはできない。といっても、誰かを助けてその代わりになどという殊勝な心掛けからくるようなものではなく、なんかムカつくというような些細なことからであろう。たったそれだけの理由でこれだけ長い期間飽きもせずいじめを続けることができるものだなと感心すらしたこともある。それも直接手を出してくることはほとんどなく、私が席を離れている間に持ち物を荒らすという陰湿なやり方で。
彼らの誤算といえば、私がこの手のものを気にしないたちの人間であったことだろう。過去にもっと酷いことを受けていたおかげで感覚が少々マヒしてしまっているという何とも悲しい理由ではあるのだが。このままではきっと明日も明後日もその先もずっと続くことになるのだろう。
とはいえ、彼らは禁忌を犯してしまった。物を隠したり散乱させたりといったことでは、ただただ手間が増えるだけなためスルーしていたのだが、先日彼らは財布から現金を盗んだのだ。いじめが始まったときからいつかこうなることを予見して毎日財布の中身を確認する癖をつけておいたことが功を奏した。何も言ってこない私に対して油断したのか彼らはその後も数回にわたって繰り返した。私に決定的な証拠を握らせているとも知らずに。これらの証拠はついさっき警察に渡してしまった。彼らは思っていることだろう。「きっと明日もいつも通りの毎日だ。」と。そんな彼らの顔が絶望に染まる瞬間が今から楽しみで仕方がない。

9/29/2024, 2:57:32 PM

瞼の向こうがまぶしくなって私は目を覚ました。最初に視界に入ってきたのは見知らぬ天井だった。ぼんやりした頭を回転させて記憶を呼び起こす。「思い出した。ここは山の中のコテージだ。記憶に靄がかかっているような感じがするのは昨日散々お酒を飲んだからだ。」そこでようやく意識がはっきりして辺りを見回す。そこには昨日一緒に騒いだ友人たちが静かに眠っていた。最後に時計を見たのは2時だっただろうか。手元のスマホに視線を落とすと9時30分を示していた。あれだけ地獄の登山となった後に浴びるほど酒を飲んだのだ。まだしばらくは誰も起きてこないだろう。そこまで考えた私は朝風呂に入るための準備を始めた。誰も起こさないように静かに。
鞄から着替えとタオルを取り出していると鳥たちのさえずりが聞こえてきた。昨日の午後ここにたどり着いてからは全く聞こえなかったのだが、私のわずかな衣擦れの音が響く以外は静寂に包まれている今のこの部屋には良く通った。しばらくその音色に耳を傾けていた私は、再び瞼が重くなってきたのを感じて慌ててかぶりを振った。「お風呂に入って目を覚まそう。」そして私は着替えとタオルを持って部屋の外へと歩き出した。「願わくば次に起きた誰かが、あの小鳥たちの声を聴けますように。」そんなことを考えながら。

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