かっぱー

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『たそがれ』
夕方、私は町内にある高台で柵にもたれかかってぼんやりと日が沈んでいく様子を見つめていた。今日受けた試験の手ごたえが個人的には芳しくなかったのだ。決して入学当初からこの日のために毎日何時間も勉強をするという日々を過ごしてきたわけではない。むしろ最初のころは遊び惚けてしまって成績は下から数えた方が早いくらいだった。いよいよ受験という単語が目の前に迫ってきてようやく重い腰をあげた人間なのだ。とはいえ、全くの無計画で無謀な挑戦をしたわけではない。しっかりとスケジュールを組み、毎日コツコツ勉強をし、志望校も勝率は7割から8割はあるところを選んだはずだった。
それでも今日、試験会場で試験問題を見た瞬間私の頭は真っ白になってしまった。そう、試験問題の傾向が大きく変わってしまっていたのだ。ほかの人とは違い対策に十分な時間を充てることができなかった私は、完全に志望校の傾向に合わせた勉強しかしてこなかった。そのため、試験会場で周囲が黙々と解き進めていく中、あまり手が動かなかった。
さらに30分ほどたそがれているとスマホが振動した。一向に連絡をしてこない私を心配して両親が連絡してきたのだろう。現実と非現実の境界があいまいになる黄昏時は終わってしまった。なら、私も現実を見て再び進まねばならないのだろう。そこまで考えて私は今は沈んでしまった太陽に背を向け、歩き出した。

『奇跡をもう一度』
私は昔死にかけたことがある。あまりの高熱から意識を失い、痙攣状態になってしまったらしい。病院に駆け付けた家族に医師が告げた言葉は「今夜が山だ。最悪の場合も覚悟しておいてほしい。」というものだったそうだ。幸いにも奇跡が起こり、熱で脳に後遺症が残るといったこともなく、私は今こうして元気に日々を過ごしている。だが、あれから二十年以上の月日が流れて、今度は自分の子供が同じ状態に陥ってしまうとは想像だにしていなかった。医師から残酷な宣告を受けた私は、すぐさま病院を飛び出し、近くの神社を訪れていた。病院にいても何かができるわけでもなし、ならば少しでも神に祈ろうと考えたのだ。そして私は周囲の目も気にせず一心不乱に祈り始めた。「私自身はどうなっても構わないから、どうか奇跡をもう一度。」と。どれくらい祈っただろうか。辺りは暗くなり、境内も静まり返ってしまったころ、一本の着信があった。震える指で出ると「峠は越えた。」という連絡だった。あまりの喜びにスマホw落としてしまいそうになったが、わずかに残っていた理性でしっかりと握りなおした。そして改めて祈った。今度は感謝を述べるために。そうやって祈る私にどこからともなく声が聞こえてきた。「奇跡はめったに起こらないからこそ奇跡なのだ。三度の奇跡はないと思え。」と。私は改めて感謝を告げ、境内を後にした。

10/3/2024, 1:43:13 AM