『君と』
君と私はよく似ている
あまり人と話さない所も、猫背な後ろ姿も
自信なさげに喋る優しい声も
集中したら時間を忘れる所も
驚くほどよく似ている
きっと私たちは、今までの人生で
似たような痛みを受けてきたのだろう
痛みは人を変容させてしまうものだから
たとえ、年齢や性別や住む所が違っても
同じように傷ついたら
同じような人間になる
君と同じ空間で、時を過ごしながら
でも私は弱いから何も話せない
自分の殻を破れない
曖昧な距離感を保ったまま
今日も時間が流れていく
明日も、君は来るんだろうか
挨拶だけでもできたらいいな
『はじめまして』
いい歳をした四月生まれの女で
血液型はA型、真面目な性格
趣味は読書と音楽鑑賞と、小説執筆
だけど忙しくて、小説は最近書けていない
はじめまして
これが私です
学校はあまり好きじゃなかった
そのくせ勉強は大好きな変人
文字や数字に色が見える共感覚者
時々、音楽鑑賞中にも色のイメージが浮かぶ
はじめまして
これも私です
他人が嗤うと、自分が嗤われたと思い込み
その直後に自己嫌悪に陥る
抑うつ傾向が昔からあった
恐怖を伴うこと、特に体育が苦手
はじめまして
これも私です
一人でいたいけれど、人とも関わりたい
静かなのが好きで、目立つのも好き
矛盾しているくせに
理屈の通らないことは嫌い
はじめまして
これも多分、私です
『夜の海』
白鍵と黒鍵、合計八十八の鍵盤に順番に指を載せ、音を出していく。頭の中に花畑の景色を浮かべながら、軽いタッチでメロディを奏でる。
普段は楽器演奏や合唱、ソーシャルスキルトレーニングなどのプログラムが行われているこの防音室で、私は一人、ピアノに向かっていた。
私が通っている精神科病院のデイケアは、ひどく平和な場所だ。だからこそ、時々この平和を壊したくなることがあった。でも、他人の迷惑になる行為は当然、固く禁じられている。結局、私が自由に感情を発散できるのは、防音室が空いている時に限られていた。
ピアノの練習をしたい、と申し出た時、スタッフの神崎さんは喜んで許可してくれた。普段から要求らしい要求をしてこなかった私に対して、神崎さんもどのように接するのがベストなのかわからずにいたのだろう。やっと自分の意志を表明してくれた、とばかりに、喜んでピアノを使わせてくれるようになったのだった。
元々、私の家は音楽一家だ。両親も四つ上の姉も、そして私自身も、幼い頃から何らかの楽器を習わされてきた。だから名曲と言われるようなクラシックの難曲であっても、私はそれなりに弾ける。
でも、ここではクラシックは弾かない。代わりに、両親や祖父母が聴いたら確実に眉をひそめるような、最近のポップスを弾く。
ウォーミングアップを終え、私は深呼吸をした。そして、夜の凪いだ海をイメージしながら、ゆっくりと鍵盤に触れた。
今頃、隣の部屋ではアートのプログラムが行われているはずだった。神崎さんも、アートの担当だ。隣の部屋に聞こえるように、私は少し強めのタッチで曲を弾き始める。短調のメロディが部屋に響き渡り、曲の悲しげな雰囲気に呑まれそうになった。以前ならば、曲の雰囲気に呑まれることなどなかったのに、不思議だ。心を病むということは、悲しみに呑まれやすくなるということなのだろうか。
脳裏に浮かんでいる夜の海が幾分荒れてきた。その拍子に、考えたくもない過去のことがよぎる。
病気になる以前、私は両親と祖父母の人形を演じ続けてきた。ポップスのよい部分を理解していたにもかかわらず、家庭の方針でポップスを遠ざけ、クラシックばかりを聴いてきた。
そして抑圧された思いは、恐ろしいほど歪んだ形で表れた。私は男に狂い、女子大の同級生たちが付き合っていた男たちを次々と奪っていくようになった。飽きれば相手をぼろ屑のように捨て、次の男に狙いを定めた。意に反して捨てられそうになった時には、狂ったように自分の手首を傷つけた。結局、私は自傷をやめられずに入院した。それをきっかけに、付き合っていた男たちも、ほんの僅かな友人も、信頼していた人たちでさえも、皆が私から離れていった。
今でも時々、デイケア内で男漁りをしそうになる自分がいる。そういう時、私は夜の凪いだ海を思い浮かべるようにしている。夜の海は私の中にあるどす黒い感情を鎮めてくれるのだ。
心が少し落ち着いた所で、曲を変える。今はただ、家族という硬い檻を破壊しなければならない。
三年ほど前から流行っているダンスボーカルグループの曲を選び、夜の海をイメージしたままで弾き始める。暗い過去の呪縛から脱却したい時によく弾いている曲だ。夜の凪いだ海に、すっと甘酸っぱい風が吹くような、そんな心地よさがあって気に入っていた。
いつか本当の意味で人を愛せるようになりたい。そして、ここから抜け出したい。まだ今は、誰かを守りたいなんて思ったことはないけれど。
人としてどこか足りない私が奏でる音で、いつか誰かを癒せるだろうか。いや、今はそこまで考えなくていい。夜の暗い海を彷徨っている私でも、いつか視界の開ける時がくるだろう。強い願いを込めて、私はピアノを弾き続ける。
『君の奏でる音楽』
色鉛筆を広げ、一角獣の群れを描いていく。私は、この架空の生き物が好きだ。なぜかと訊かれれば、ただ一言だけ、「尖っているから」と答える。穏やかなオーラしか出せない自分とは違うものを生まれつき持っている一角獣に、私はどうしようもなく惹かれてしまう。
精神科デイケアには、ひどくゆったりとした時間が流れていた。今は、アートのプログラムが行われている。といっても、参加しているのは私も含めて僅か六人だけだ。大半の人たちは散歩のプログラムに参加しているため、外出中だ。
「うちの旦那が、まるで家事をしてくれないのよ。こっちは精神障害者だっていうのに、ワンオペ家事で毎日疲労困憊状態。息子は来年中学受験だから、仕方がないんだけどね」
そう言いながら、曼荼羅塗り絵に取り組んでいるのが中山さん。旦那の愚痴と子供の自慢を長々と披露しながら、器用に図案を塗り潰していく。一方、独身の坂野さんは、中山さんの話に相槌を打ちながら、雑誌の切り抜きを写している。坂野さんは中学・高校と美術部だったそうで、写実的な絵を描くのが上手だ。今描いている絵も、まるで写真のように題材を正確に写し取っている。
「ちいちゃんは今頃、次の個展の準備かぁ」
坂野さんが呟いた。そして、いつものセリフを吐く。
「ちいちゃんの絵、私には未だによくわからないんだよなぁ」
先ほどから、隣の部屋で誰かがピアノの練習をする音が聞こえる。最近流行っているポップスを何曲か練習しているようで、重みのあるメロディを軽やかなタッチで弾きこなしている。私の足は机の下で自然にリズムを取り始めた。音楽の苦手な坂野さんに付き合って、アートや手芸などのプログラムを選択しているけれど、私は音楽も好きだ。音楽を聴くと心が軽くなる。
「りんちゃん。さっきから集中してるね」
坂野さんが声をかけてくる。人の好い笑みを浮かべる坂野さんのことを、私は決して嫌いになれない。
その時、隣の部屋で演奏している曲が変わった。軽いタッチで演奏されるその曲は、私もよく知っているものだった。原曲はもう少しロックな雰囲気があったのだが、ピアノで弾くと違った色を持つ曲に様変わりするようだ。
この曲の主人公の気持ちが、私にはわかる。デイケアに来る前の私は、常に周りの顔色を窺っていた。嫌われたら生きていけないという思いから、毎日周囲に目を配り、ちょっとした気配にも怯えていた。でも、坂野さんに出会ってから私は変わった。坂野さんはのんびりしていて、私のことを決して嫌ったりしなかった。この人から離れてはいけない、と私の直感が告げていた。
現在、私はデイケアで、坂野さんの金魚の糞と言われている。でも私は、それで何が悪いのかと思う。どんな危険がやってくるかわからない外の世界よりも、今のデイケアでの生活の方が、坂野さんと一緒にいる人生の方がずっと安心なのだ。危険を避けたくなるのは人間の本能だろうと、私は開き直っている。
一年に一回行われる面談でも、私はスタッフに宣言した。私、角田倫子はデイケアにお嫁に行きます、と。
曲が、ラストサビ前の盛り上がる部分に差しかかり、不協和音を響かせて一旦止まる。そしてラストサビが始まり、華やかに後奏へと向かっていった。曲が終わった時、私は心の中で拍手をしていた。
『麦わら帽子』
私は歩いていた。何もない灰色の景色の中を、ただひたすらに進んでいく。息が切れても、歩みを止めることはできなかった。一種の強迫観念に似た思いが、私を突き動かしていた。
やがて、黄緑色の立て看板が見えてきた。私は足を止める。この先は危険だと、私の第六感が告げていた。
立て看板の先には、緑色の世界がある。緑といっても、様々な明度と彩度を持つ、何種類もの緑系の色を散りばめた世界だ。綺麗で、何だか興味を惹かれるけれど、この先へ行ったら戻れないという確信があった。
私は踵を返し、元の場所へ戻ろうとした。だが体が動かない。踵が地面に張りついてしまったように重く、一歩も進めない。
背後から、柑橘系の香りが漂ってきた。どこかで嗅いだことのある香りだな、と考えていると、誰かが私の横を音も立てずに追い越していった。麦わら帽子を被った少し猫背な後ろ姿は、見覚えのあるものだった。私は思わず、その後ろ姿に呼びかけた。
「ちいちゃん!」
相手は振り返った。そして、麦わら帽子の下から冷たいような優しいような不思議な笑みを覗かせ、再び背を向けた。
「待って。まだ行かないで!」
呼び止める私の声が聞こえないかのように、相原千奈は先へと進んでいく。追いかけようにも、私の足は変わらず動かなかった。麦わら帽子の後ろ姿が遠ざかる。
やがて、焦りと恐怖に支配された状態で私は目を覚ました。
いつもの夢だった。私と同じ精神科デイケアに通っていた相原千奈が画家デビューした頃から、繰り返し見始めた夢。この夢を見る原因は自分でも充分に理解できていた。
先を越されたことによる焦りと、取り残される恐怖感。そして、相原千奈への羨望と僅かな嫉妬。
絵を描き始めたのは私の方が先だった。しかし、私が呑気に雑誌のモデルなどをデッサンしている間に、相原千奈は猛烈な勢いで私には理解できないような複雑な抽象画を量産し続け、やがて私を追い越していった。相原千奈はデイケアを去り、取り残された私は今でも雑誌のグラビアを写している。
先日、何度目かの個展を開くことになったと言ってデイケアに挨拶に来た相原千奈は、もう私が知っている「ちいちゃん」ではなくなっていた。芸術家としてのオーラと、経験や実績に裏打ちされた確かな自信を手に入れた「ちいちゃん」は、障害者アーティスト「相原千奈」となって私たちの前にいた。その時に感じたショックは、言葉にするには大きすぎるものだった。
「ちいちゃんの絵、私には未だによくわからないんだよなぁ」
その口癖が板についてから、もう何年になるだろうか。本当は私だって理解している。私の感性が鈍いだけなのだ。相原千奈の絵は、私のそれにはない力を持っている。そうでなければ、何度も個展を開けるような画家になんて、なれないのだ。
のろのろとベッドから起き上がり、朝食を取って身支度をする。今日も平凡で平和な一日が始まる。デイケアに持っていくバッグの中には、古い雑誌から切り抜いたモデルのグラビアが入っている。夢の中で会った相原千奈のように、麦わら帽子を被って冷たく微笑む女性モデルのグラビアだ。
玄関前で待機していると、デイケアの送迎車が私の前に停まった。運転しているスタッフが、笑顔で声をかけてくる。
「坂野さん。おはようございます。今日もよろしくお願いします」
私は普段通りの平和な笑みを浮かべ、それに応えた。
私はきっと、相原千奈とは違うのだ。才能のない精神障害者の生活なんて、所詮こんなものだ。