『麦わら帽子』
私は歩いていた。何もない灰色の景色の中を、ただひたすらに進んでいく。息が切れても、歩みを止めることはできなかった。一種の強迫観念に似た思いが、私を突き動かしていた。
やがて、黄緑色の立て看板が見えてきた。私は足を止める。この先は危険だと、私の第六感が告げていた。
立て看板の先には、緑色の世界がある。緑といっても、様々な明度と彩度を持つ、何種類もの緑系の色を散りばめた世界だ。綺麗で、何だか興味を惹かれるけれど、この先へ行ったら戻れないという確信があった。
私は踵を返し、元の場所へ戻ろうとした。だが体が動かない。踵が地面に張りついてしまったように重く、一歩も進めない。
背後から、柑橘系の香りが漂ってきた。どこかで嗅いだことのある香りだな、と考えていると、誰かが私の横を音も立てずに追い越していった。麦わら帽子を被った少し猫背な後ろ姿は、見覚えのあるものだった。私は思わず、その後ろ姿に呼びかけた。
「ちいちゃん!」
相手は振り返った。そして、麦わら帽子の下から冷たいような優しいような不思議な笑みを覗かせ、再び背を向けた。
「待って。まだ行かないで!」
呼び止める私の声が聞こえないかのように、相原千奈は先へと進んでいく。追いかけようにも、私の足は変わらず動かなかった。麦わら帽子の後ろ姿が遠ざかる。
やがて、焦りと恐怖に支配された状態で私は目を覚ました。
いつもの夢だった。私と同じ精神科デイケアに通っていた相原千奈が画家デビューした頃から、繰り返し見始めた夢。この夢を見る原因は自分でも充分に理解できていた。
先を越されたことによる焦りと、取り残される恐怖感。そして、相原千奈への羨望と僅かな嫉妬。
絵を描き始めたのは私の方が先だった。しかし、私が呑気に雑誌のモデルなどをデッサンしている間に、相原千奈は猛烈な勢いで私には理解できないような複雑な抽象画を量産し続け、やがて私を追い越していった。相原千奈はデイケアを去り、取り残された私は今でも雑誌のグラビアを写している。
先日、何度目かの個展を開くことになったと言ってデイケアに挨拶に来た相原千奈は、もう私が知っている「ちいちゃん」ではなくなっていた。芸術家としてのオーラと、経験や実績に裏打ちされた確かな自信を手に入れた「ちいちゃん」は、障害者アーティスト「相原千奈」となって私たちの前にいた。その時に感じたショックは、言葉にするには大きすぎるものだった。
「ちいちゃんの絵、私には未だによくわからないんだよなぁ」
その口癖が板についてから、もう何年になるだろうか。本当は私だって理解している。私の感性が鈍いだけなのだ。相原千奈の絵は、私のそれにはない力を持っている。そうでなければ、何度も個展を開けるような画家になんて、なれないのだ。
のろのろとベッドから起き上がり、朝食を取って身支度をする。今日も平凡で平和な一日が始まる。デイケアに持っていくバッグの中には、古い雑誌から切り抜いたモデルのグラビアが入っている。夢の中で会った相原千奈のように、麦わら帽子を被って冷たく微笑む女性モデルのグラビアだ。
玄関前で待機していると、デイケアの送迎車が私の前に停まった。運転しているスタッフが、笑顔で声をかけてくる。
「坂野さん。おはようございます。今日もよろしくお願いします」
私は普段通りの平和な笑みを浮かべ、それに応えた。
私はきっと、相原千奈とは違うのだ。才能のない精神障害者の生活なんて、所詮こんなものだ。
8/11/2024, 12:10:20 PM