七星

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『君の奏でる音楽』

色鉛筆を広げ、一角獣の群れを描いていく。私は、この架空の生き物が好きだ。なぜかと訊かれれば、ただ一言だけ、「尖っているから」と答える。穏やかなオーラしか出せない自分とは違うものを生まれつき持っている一角獣に、私はどうしようもなく惹かれてしまう。

精神科デイケアには、ひどくゆったりとした時間が流れていた。今は、アートのプログラムが行われている。といっても、参加しているのは私も含めて僅か六人だけだ。大半の人たちは散歩のプログラムに参加しているため、外出中だ。

「うちの旦那が、まるで家事をしてくれないのよ。こっちは精神障害者だっていうのに、ワンオペ家事で毎日疲労困憊状態。息子は来年中学受験だから、仕方がないんだけどね」

そう言いながら、曼荼羅塗り絵に取り組んでいるのが中山さん。旦那の愚痴と子供の自慢を長々と披露しながら、器用に図案を塗り潰していく。一方、独身の坂野さんは、中山さんの話に相槌を打ちながら、雑誌の切り抜きを写している。坂野さんは中学・高校と美術部だったそうで、写実的な絵を描くのが上手だ。今描いている絵も、まるで写真のように題材を正確に写し取っている。

「ちいちゃんは今頃、次の個展の準備かぁ」

坂野さんが呟いた。そして、いつものセリフを吐く。

「ちいちゃんの絵、私には未だによくわからないんだよなぁ」

先ほどから、隣の部屋で誰かがピアノの練習をする音が聞こえる。最近流行っているポップスを何曲か練習しているようで、重みのあるメロディを軽やかなタッチで弾きこなしている。私の足は机の下で自然にリズムを取り始めた。音楽の苦手な坂野さんに付き合って、アートや手芸などのプログラムを選択しているけれど、私は音楽も好きだ。音楽を聴くと心が軽くなる。

「りんちゃん。さっきから集中してるね」

坂野さんが声をかけてくる。人の好い笑みを浮かべる坂野さんのことを、私は決して嫌いになれない。

その時、隣の部屋で演奏している曲が変わった。軽いタッチで演奏されるその曲は、私もよく知っているものだった。原曲はもう少しロックな雰囲気があったのだが、ピアノで弾くと違った色を持つ曲に様変わりするようだ。

この曲の主人公の気持ちが、私にはわかる。デイケアに来る前の私は、常に周りの顔色を窺っていた。嫌われたら生きていけないという思いから、毎日周囲に目を配り、ちょっとした気配にも怯えていた。でも、坂野さんに出会ってから私は変わった。坂野さんはのんびりしていて、私のことを決して嫌ったりしなかった。この人から離れてはいけない、と私の直感が告げていた。

現在、私はデイケアで、坂野さんの金魚の糞と言われている。でも私は、それで何が悪いのかと思う。どんな危険がやってくるかわからない外の世界よりも、今のデイケアでの生活の方が、坂野さんと一緒にいる人生の方がずっと安心なのだ。危険を避けたくなるのは人間の本能だろうと、私は開き直っている。

一年に一回行われる面談でも、私はスタッフに宣言した。私、角田倫子はデイケアにお嫁に行きます、と。

曲が、ラストサビ前の盛り上がる部分に差しかかり、不協和音を響かせて一旦止まる。そしてラストサビが始まり、華やかに後奏へと向かっていった。曲が終わった時、私は心の中で拍手をしていた。

8/12/2024, 12:21:29 PM