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9/16/2025, 1:26:54 AM

毛羽立った木目が手のひらを鋭く切り裂く、古びた机。その両側には机と同じくらい古びた椅子があって、床は青系統の色の複雑な模様の絨毯が敷かれている。壁は全部真っ白、これと言って感想もないほどに真っ白で、唯一、正面に大きな窓があった。でもその窓から見える景色も真っ白だった。私は、なぜかその椅子に座っている。机の上には少し大きくしたスノードームのようなものがあって、中身はハリウッド映画などに出てきそうな墓場だった。目の前に座っている長い長い白髪の女がそのスノードームを持ち上げて、軽く揺らす。その瞳の白めの白さに、心臓がどきりと跳ねる。
「ねえ、この後どうなると思う?」
「どうなる、って?」
「ほら、中身を見てごらんなさい」
スノードーム?小さい水槽?の中にはさっきも見た通り欧米風の墓場があって、さっきとは違ってそこには野犬が多数いた。
「犬が、いっぱいいるわね」
「そうでしょうそうでしょう?ほら、もっと続きを見て御覧なさいよ」
そうやって視線を輝かせる目の前の女の視線の先では、野犬の反対側で、蹲る二人の少女が見えた。年齢は10代前半といったところで背丈は一緒だった。どちらも同じような艶やかな黒髪を持っていた。片方が震えながらもう片方の左手を握る。もう片方はその子の頭に右手をそっと沿わしてーーー
その子の首を掻っ切った。
「なに、これ……」
呆然としながら見つめた先の少女は、血を大きく噴き出しながらがっくりと崩れ落ちた。首を掻っ切った少女はそのままもう一人の少女を投げ捨てる。野犬が嬉しそうに鳴き声を上げて少女に飛びつく。そこで野犬の牙が少女の清らかな太ももを穿つその時、白い、白い雪がドームの中を満たした。
「なんなのこれ?あまりにも残酷すぎやしないかしら?」
目の前の白髪の女は、そうでしょう?とでも言いたげにうなずいた。その仕草が妙に癇に障る。さっきはそこまで目がいかなかったが、少女は私と同じ学校の制服を聞いていた。カトリック系の、日本のそれではないフリフリとした奴だ。窮屈なだけのその服装は、他人が着ているものを見るだけでも非常に気が滅入ってしまう。
「それで?私にこれを見せてどうしたいの?」
すると目の前の女はゆっくりと首を振って、
「まだ何も終わってないわよ」
とほほ笑んだ。彼女がため息を一つ零すと、ドームの中の雪が晴れて、次は草原が広がっていた。しかしただの草原ではなく、あちらこちらに多くの旗が立っていて、それは主に二通りの模様が描かれていた。
「これは、合戦?」
女は軽くうなずいてドームを指さす。その言外にメッセージを届けるさまをうっとおしく思いながら私もドームを見る。合戦が行われている平野に武者が大勢。にじり寄る先には二人の少女がいた。先ほどよりもう二年ほど年を重ねていて、さっきは見分けがつかなかった髪の毛は、片方の女のそれが灰色がかっていることで見分けがつくようになっていた。ぎらついた目線を二人に向けながら武者はゆっくりと歩き進める。灰色がかった髪の女が黒髪の女の左手を握る。黒髪の女はうんうんとうなずいて、灰色がかった女の頭にその右手をそっと沿わしてーーー
その子の首を掻っ切った。
「また……?」
「ええ、また、ね」
勢いよく首から噴き出した血液が武者の髷を赤黒く染める。武者たちが困惑している間に黒髪の女は灰色がかった髪の女の衣服をすべて剥ぎ取り、武者たちの前に投げ捨てた。武者の蛇のような下が灰色がかった髪の女の唇に触れるその時、白い、白い雪がドームの中を満たした。
「……さっきと、展開が一緒じゃない」
「ええ、そうね。全く、芸のないパノラマよね」
にしてもここはどこなのだろうか。今、なぜここに居るのかもわからない。それでもこの目の前の白髪の女には見覚えが、どことなくあった。同じ制服を着ているという共通点もあるし、クラスメイトだったりするのだろうか。
「正解よ。私とあなたは同じクラスで、それはそれはもう仲いい友達だった」
「なんで心を読んでるの?だったって何……?」
「あなた、表情に出やすいタイプよ。だったが何かは、自分でよくわかるんじゃない?」
「自分でっていったい何の」
そう私が言い終わる前に、目の前の女がため息をついて、またドームの中の景色が変わる。今度は高原で、塹壕がいくつも彫られていた。サブマシンガンを持った兵士たちが、女性二人が潜伏している塹壕へと歩み寄っていく。兵士たちはわざと足音を立てているかのように見えた。さっき灰色がかった髪色をした女は、今度は完全に灰色となっていた。彼女は今回もまた、黒髪の女の左手を縋るように握った。
「もう、展開が読めてきたわよ」
「そう?……私は、まだ分からないのだけど」
目の前の女は本当に不思議そうな顔を浮かべる。それがとても白々しかった。
黒髪の女は右手で灰色の女の頭にそっと手を伸ばして、こめかみを打った。土の下に艶やかな紅花が咲く。しかし今度はそれだけで終わらなかった。すかさず黒髪の女は灰色髪の女の首をのこぎりで切り落として、血潮で真っ赤に染まった塹壕の用具箱から手りゅう弾を取り出した。灰色髪の女の口に手りゅう弾をねじこんで加えさせる。そのまま確かめるように手のひらで三回ほど弄び、ピンを抜いて兵士の元まで全力で投げたのだ。
「なんて、惨いこと」
「私も、本当にそう思うわ」
私の言葉に同調する目の前の女の声をBGMにして、灰色髪の女の雁首手榴弾が敵側の兵士に着弾するところで、ドームの中を白い、白い雪が覆った。
「それで?次はどんなのを見せてくるわけ?」
「可愛げがないわね。せっかくむごたらしい場面を目の当たりにしてるんだから、嘔吐でもすればいいのに」
そう言って目の前の女はまたため息をついた。今度はーーー
「教室?それも私が通っている」
「そうよ、私たちが通っている、教室よ」
見間違えもしないほどに通っている教室の後ろのスペースには、無理して背伸びして煌びやかな服装をしている女性二人と、ガタイが良くて声だけでかそうな男が三人いた。というか、これは。
「クラスメイト、じゃない」
「ええ、そうね」
目の前の女はあくまでも表情を変えない。いや、実際にはその表情は張り付けたかのように能面だった。
さっきまでのドームと同じように、五人が歩みよる先には二人の少女が居て、一人はさっきまでの灰色髪の女だったが、さっきと違う面として、彼女の髪はより白髪に近くなっていた。背中を嫌な汗が伝う。
「直視、した?」
嘲笑うような目の前の女の目線。黒髪の女は、私自身だった。白っぽい髪の女は私の左手を掴んで、私は自らの右手を白っぽい髪の女の頭に沿わせてーー
首が取れるんじゃないかというほど強くビンタした。
白っぽい髪の女は驚きと絶望が入り混じった表情を浮かべる。ドームの中の私はそれはそれは楽しそうに笑っていた。
「……こんなの私じゃない」
「いいえ、貴方よ」
「嘘よ!そんな、嘘」
醜悪な自分を見たくなくて、手で自分の顔を覆う。目の前の女はこっちに身を乗り出して私の腕をつかみ、その肉体からは想像もできないほどの力で私の顔から手を引きはがした。
否が応でも視界に入るドームの中の私は高笑いしながら白っぽい女を五人の生徒に差し出していて、男子生徒の中で最も勝気そうな一人が女の白っぽい髪をひっつかんで、その唇に無理やり口づけをした。女の頬が涙で濡れる。それに腹を立てたのか、その男子生徒は女に強烈なビンタを放つ、その時、ドームの中を白い、白い雪が覆った。
目の前の女はこっちをまっすぐ見据えてくる。
「私たちの因果については、理解してもらえたかしら」
「ええ。その……きっと、いくら生まれ変わっても私はあなたを裏切って凄惨な目に合わせる、のでしょう」
「正解よ。前世からその前からその前の前の前まで、ずーっとあなたは私を落としめて、自分だけの安全を守ってきた」
「それは、ごめんなさい」
「謝ることないのよ。だって因果なんだもの。仕方ないわ」
目の前の女は本当に仕方ない、といった表情で肩をすくめて首を振る。
「それでも……」
「いいや、本当に、謝る必要なんてないのよ。もう無理だろうって、諦めてもいるから。きっと、どれだけ謝罪を受けてもあなたは変わらない。それは、あなたの一連の行動が後天的意識によるものではなく先天的な意識に基づくものだもの。多分本当にどうしようもない」
何も、言えなかった。呆然としている私を置いてけぼりに、目の前の女は瞳を輝かせながら話を続ける。
「でもね、因果は変えられるんじゃないかって、そう思ったの。どっかで、世界線を歪められるんじゃないかって。そこからは私、試行錯誤したわ。いっぱい、いーっぱい!あなたに殺された!」
彼女の喋り方はまるで保育園児みたいで、とても狂気じみていた。
「それでね、見つけたの。多分これってやつ」
急にさっきまでの幼年的な女の瞳の輝きが、色を帯びる。
「ねえ、私、さっき誰とも知らない人に、無理やり唇を奪われちゃった。……あれ、ファーストキス、だったのよ?」
泣きそうなか細い声。目の前の女がもう一度机を乗り出して、その長い白髪が机を静かに撫でる。
「だから、ねえ貴女、上書きしてくれない?」
どんどんと女の唇は私の眼前に迫ってきていて、気づいたら私と女の唇は繋がりあっていた。生暖かい感触と共に彼女の舌が私の口腔に入ってくる。私もつられて、彼女の口腔に舌を忍び寄らせる。彼女は自らの舌を私の舌にどんどんと近づけてーーー
彼女の強靭な前歯が、私の舌をがぶりと嚙み切った。
反射の行動で顔を背ける。呼吸が荒くなって、足に力が入らなくなる。焼けるような痛みを冷ますように口に押えた手の、指の隙間から血が次々と滴り落ちる。机の上のドームの中では、古びた机と、その両側に机と同じくらい古びた椅子があって、床は青系統の色の複雑な模様の絨毯が敷かれている。壁は全部真っ白、これと言って感想もないほどに真っ白で、唯一、正面に大きな窓があった。そしてその窓から見える景色は、真っ赤だった。私は遅れて、それが自分の血の滴りによるものなんだなと理解した。目の前の女をキッとにらみつける。彼女は机の上の私の血だまりにその細い指をぴと、とつけ、指に血を付着させたままで髪をすうっと梳いた。彼女の真っ白な髪が、赤と混じりあって桃色になっていく。彼女はにやにやと口角を上げたまま、
「これで因果は変わったわ。来世も、来来世も、あなたはきっとこれに気づかずに私に恋をして、あと一歩というところで私に殺される!」
過呼吸でまともに喋れない。脳の奥が痺れてきたな、と思ったとき、本格的な死の感触を喉仏に感じた。
「ねえ!次は何回で変わるでしょうね!今から楽しみだわ~!!」
ふざけるな、運命をゲームかなんかと勘違いしやがって。そんな言葉もまろびでず、私は黙って青い絨毯に倒れ伏した。

4/15/2025, 6:53:49 AM

読書感想
蒼氓 感想
社会性が強く、昭和初期の困窮した百姓の状況の理解が進んだ。ブラジルに行くまでの収容所生活の記述全体に漂う侘しさとブラジルへの船が出港する際の狂気にすら感じられる興奮の差異が美しく、それまでの侘しさの描写が巧みだったが故に出航の際にその興奮が狂気となるという流れに筋が通っていた。そして最後に恋する乙女である佐藤夏、その弟である孫市のすれ違いで、より一層侘しく終わるのも、この狂気と侘しさの対比構造を少し感じさせた。それでいうと出発前夜にお夏と孫市が二人で話している時に周りの部屋で『いのち短し恋せよ乙女』が歌われていたのは、ある意味で貧困や徴兵検査の都合によってブラジルに飛ばざるを得なかった孫市、そして女という身分であるがゆえにそれに従うしか選択肢がなく、自由恋愛を阻まれたお夏という時代によって虐げられた兄妹の二人を通して筆者が解放的な社会の希求というメッセージを暗にほのめかしていたシーンと取れるのかもしれない。真っ直ぐな孫市と、時代感と性別によって感情を発露することを諦めつつあるが、それでも堀川を思慕することだけは諦められないお夏のキャラクターははっきりと活写されていたが、その他の人々に対して人数を増やした割に扱い切れていない印象があった。
72点

7/26/2024, 1:00:25 PM

西日が貴女の小さく丸まった背中を容赦なく刺しつける。
「………なにしてんの」
そう問いかけると貴女は、
「掃除してるの、今日田中さんたち忙しいから出来ないらしくて」
と、一切の混じり気がない瞳をこっちに向けてくる。私が自分の顔を覆って大きくため息をついて、
「それさ、都合いいと思われてるんじゃないの?」
と言うと、貴女は小さく首を左右に振って、
「そんなことないよ、田中さんたち、今日は部活のミーティングがあるんだって、言ってたもん」
「でも、あいつら幽霊部員じゃん、美術部の」
「……幽霊部員なら、尚更部活にいった方がいいじゃん」
「ほんとにいってると思うの?どうせ今頃カラオケでも行ってるんだよ?あんたがずっと掃除してる間に」
「………それでも、役に立ってるなら、それでいいよ」
「いいわけ無いでしょ。あんた別に田中さんの手下でも何でもないんでしょ?嫌な事は断っていかなきゃ」
「でも、田中さんの役には立ってるんでしょ?」
「立ってるっていうか、そもそもあいつの仕事なんだからあいつがやらなきゃダメでしょ。……それは、優しさじゃないんじゃないの」
「でも、田中さんは助かったんでしょ?」
「………そりゃあ、今日だけを切り取ったら、助かった、とは思う、けど」
「……なら、良いよ」
「良くないって」
「……あたし、優しいことしか取り柄、無いからさ、これだけでも、誰かの役に立てたら、それでいいんだ」
自分に言い聞かせるようにいう貴女のその顔は痛々しくて、私まで胸が苦しくなった。
「……優しいだけが取り柄なんて、そんなこと、ないよ。少なくとも私は、あんたのこと、人として、好き、だし」
「……ほんと?ありがとう」
そうやって上目遣いで微笑む貴女の笑みはパンジーのように綺麗で、私は自分の顔が赤くなってやしないかと不安に思った。黙って教室の奥にあるロッカーまで足を運び、箒をつかみとる。なにしてるの、と言う貴女の声を背中に浴びながら、貴女と反対方向の床を箒で掃き始める。
「…………手伝うよ、私も。ただ!田中には絶対に一回は、あんたの分の掃除、肩代わりさせるから。………だから、だからその時は、二人でカラオケでも、行こうよ」
沈みかけてる夕日が織り成す赤い薄紫色の光が、私たちを包み込む。この空気をずっと、持っていたいと、そう思った。

7/24/2024, 11:00:03 PM

ノックと共にガチャリ、と扉を開ける音が聞こえて、瞬間的に目を覚ました。貴女の溌剌とした声が、耳朶を震わせる。
「夕ご飯できたけど、食べる?」
私は右手で自分の髪を梳かしながら、食べます、と答えてベッドから起き上がる。ダイニングに行くとすでに夕食は配膳されていた。藍美さんと向かい合わせになって座って、顔を見合わせて、いただきます、と手を合わせる。今日の献立は、お姉ちゃんが好きだったハンバーグだった。丁寧に焼き上げられたハンバーグを口に運ぶ。
「随分寝てたねえ」
「ちょっと、疲れてたから」
「まだ大学生になって二ヶ月しか立ってないもんねー。せめてここぐらいはリラックスしなよ?と言っても、下宿生活もまだ慣れないかもだけど」
肩口で切りそろえられた髪を小さく揺らしながら、藍美さんが微笑む。私の瞳は、その笑みの眩しさに焦がされてしまう。
東京の大学に行く事を決めた時、住む場所に困っていた私を救ってくれたのは、お姉ちゃんの友人の藍美さんだった。年は私の5つ上。新しい会社に入って、社会で働き出している藍美さんは、きっと私よりも大変なはずなのに、そんな素振りを一ミリも出さないで、私が過ごしやすいようにしてくれる。初めて、藍美さんと会った時の事を覚えている。お姉ちゃんが帰省した時に、ついでだからと藍美さんを連れてきたのだ。目があった瞬間、きれいな人だな、と思った。次第に、その言動やそぶりの愛らしさが、私の心を掴んで離さないようになって行った。それでも、藍美さんはお姉ちゃんの友達で、私はあまり接点がなかった。こんなに可愛い藍美さんの隣にずっと入れるお姉ちゃんが、ちょっと恨めしかった。お姉ちゃんは、私と比べてとても賢くて、クールな人だった。感情を表に出さないけど、しっかりと周りの事を気遣える、そんな素敵な人だった。半年前に亡くなってしまったが。ある朝、お姉ちゃんは電車に跳ね飛ばされたそうだ。その時間は早朝で、現場検証によるとお姉ちゃんの周りに人はいなかったらしい。
「もう六月かあ」
藍美さんは天井をずっと見つめている。大学生になったらお姉ちゃんと同居する予定を立てていた私は、受験前の大事な時期に露頭に迷うこととなった。正確には精神的にはそれどころじゃなかったのだけれど。その時、藍美さんが拾ってくれたのだ。でも、藍美さんと一緒に暮らしていて、ある違和感を感じることがあった。
「リリはハンバーグが大好きでさー。ファミレスいったらいっつも頼んでたのよ。私が作るハンバーグもいつも美味しそうに食べてくれて。ねえ、夜子ちゃん、ハンバーグ、美味しい?」
「……美味しいよ」
いつも、お姉ちゃんの話しかしないのだ。ずっと、どこか遠くを見つめて、藍美さんはお姉ちゃんの話しかしない。きっと、藍美さんは私にお姉ちゃんの幻影を重ねているのだ。強くそう思う。
「リリにももっと、食べさせてあげたかったなあ……」
藍美さんの瞳から涙が溢れる。私は淡白な声音になるように努めながら、
「食べてるんじゃない?きっと向こうで」
と答える。藍美さんは、お姉ちゃんを救えなかった代償行為で私を住まわせてくれている。きっと彼女にとって、私は、お姉ちゃんの綺麗な姿のプラネタリウムでしか無いのだろう。それでも、藍美さんと一緒にいれるのなら十分だ、と私は自分に言い聞かせる。
一口啜った味噌汁は、なんだか少ししょっぱかった。

7/24/2024, 4:33:19 AM

小さな雨粒が、ため池をさわさわと揺らす。
ため池に跳ねる雨粒と、東屋の屋根から伝って落ちてくる水が一種のハーモニーを作り上げている。私は、この雨の時節の静かな騒々しさが結構好きだったりする。隣では、雨で濡れそぼった君の肩口が、小さく震えている。
「ハンカチ、使う?」
そう言ってポケットの中のハンカチを取り出して差し出す。
「いいよ、日向ちゃんだって濡れてるじゃん。それにあたし、結構丈夫だし」
私は尚もハンカチを差し出そうとしたが、藤原さんはどうしても受け取ろうとしなかったので、仕方なくハンカチをポケットにしまう。
部活帰りに二人で歩いていた私たちは、両方とも天気予報を見ておらず、急に降り出した雨にびっくりしながら近くの公園の東屋で雨宿りすることになった。
「そういえば、もう大会まで二週間だね」
藤原さんが頰杖をついたままそう話しかける。私は、そうだね、そろそろ小道具も仕上げて行かないと、としどろもどろに答える。
藤原さんとは小学校も同じだったが、私とは違って派手なグループに居たので、そんなに関わりは無かった。私たちの関係性の転換点となったのは中学校に入った時だ。中学校では珍しい演劇部という部活に入った私たちは、元々家が近かったのもあって、すぐに仲良くなった。派手でスタイルが良くて、明るく皆に人気者の藤原さんは役者を、対する私は照明をやっていた。隠と陽、と言う属性がぴったり当てはまる私たちは、まさに部活での仕事もそんな感じで、こうして藤原さんの隣にいるのも、本当は少し烏滸がましく感じている。
「そういえば日向ちゃんはなんで照明をやろうと思ったの?」
揺れる水面を眺めながら藤原さんが私に聞いてくる。私も同じ様に水面を眺めながら、
「私、舞台演劇が好きだけど、あんまり人前に出るのが得意じゃなくって、だから、せめて舞台で演技する人たちを、陰からでも、明るく照らしたいな、ってそう、思って」
半分、嘘をつく。人前に出るのが得意なのは本当だった。でも、私が本当に照らしていたいのは、舞台で演技する人たち、なんて言う漠然としたものじゃなくって、藤原さん、だけだった。雨に打たれて冷え切ったはずの体が火照り出す。藤原さんは私の答えを聞くと、そうなんだあ、と少し平坦な声で言った後、
「私はね、私が舞台の上で輝くのを、見せたい人がいて。最初はただただ目立てるから、楽しそうだから、って理由なんだったんだけど、今ではもう、その人の目にどれだけ魅力的に写るか、それだけを考えてる」
膝を抱えながらそう言う彼女の横顔は、恋をしている表情をしていて、やっぱり藤原さんにもそういう相手がいるんだな、と思って私は少し胸が痛くなった。何の気もない風を装って、
「因みに、どんな人なの?」
と聞いてみる。すると藤原さんはまっすぐ私の目をみながら顔を紅色に染めて、
「その人はね、ちょっと地味で、引っ込み思案で、でも面白くて、優しくて、小柄なのに意外と包容力があって、可愛い人」
と言ってくる。私は藤原さんの思わせぶりな態度に動揺しつつ、
「可愛い人って、女の人なんだ」
と呟き、藤原さんにそういう相手が居ない事に、内心大きく安堵する。すると藤原さんは少し怒ったように
「………後、自分が十分魅力的な事にも気づかずに人の魅力を引き出すのに躍起になってて、鈍感な人かな」
と尚も”その人”の特徴を言ってくる。私は心音のボリュームが大きくなっていくのに気付きながら、
「その人は、随分自信がないんだね」
と言ってみる。藤原さんは、
「そう、自分に自信がなくて、ここまで言ってもまだ気づいてないフリをしてて、未だに私の事を藤原さん、って呼んでくる人」
と言ってくる。いつの間にか藤原さんが私の近くまで来ていて、藤原さんの肩と、私の肩がピト、とくっつく。
「そんな事言われると、私勘違いしちゃうじゃん」
私はそう言葉を絞り出すのが精一杯だった。藤原さんが自らの腕を私の腕に絡めてくる。
「勘違いじゃ、ないんじゃない?」
そういう藤原さんの声は、普段の元気いっぱいな声でも、たまに見せるローテンションな声でも無く、いつもよりも可愛くて、そして、震えていた。
「でも、私なんか、別にそんな魅力なんかないし……」
焦って変なことを口走ってしまう。藤原さんは真っ赤な顔に微笑みを浮かべて
「さっき散々言ったのに、まだ言われ足りないの?」
と言い、耳元にその瑞々しい唇を近づけ、
「優しくて、可愛くて、辛い時でもそっと見守ってくれるところ、ずっと大好きだったんだけどなあ」
と言ってくる。頭の中が藤原さんの声で蹂躙される。私は顔を真っ赤にしながら
「分かった、分かったから!……その、ほんとに、私なんかが好きなんだ……」
と一旦藤原さんを振りほどく。藤原さんは自分のしている事に気がついたのか、少し焦った様子で
「いや、そうだよね、き、急に言われても困るもんね、こんな、ただの友達から、なんて」
と弁明してくる。覚悟を決めなきゃ。そう思った私は、そんな藤原さんの手をそっと握って、
「私もね、さっき、舞台に立つ人たちを照らしたい、って言ってたけど」
藤原さんの大粒の瞳がハッと見開かれる。
「実は、あれ、半分嘘なんだよね。本当は、藤原さんだけを、照らしたくて、一番美しい貴女を、一番美しく見せたくて、だから、照明をやってるの」
驚愕で固まっている藤原さんの、細くて美しい指を、私の指と絡める。
「だから、私も藤原さんの事が好き、なんだ」
と言い放つ。藤原さんはもう暫く固まった後
「…………本当に?」
と聞いてくる。少し余裕が出てきた私は
「本当だよ。ていうか、藤原さんから先に告ってきたんでしょ」
と返す。藤原さんは、そうなんだ、そっかあ、と一人でひとしきり呟いた後、
「じゃあ、これからもよろしくお願い、します」
とよそよそしく言う。そんな藤原さんの姿が面白くて、私は思わず笑ってしまう。藤原さんが恥ずかしそうに、ちょっと、笑わないでよ、と言ってくる。私はごめんごめん、といいながら笑いを納めて、
「こちらこそ、よろしくお願いします」
と言って上半身だけで礼をする。
池の水面で芽吹き出している睡蓮の鮮やかな緑色が、ふと目に入った。

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