ノックと共にガチャリ、と扉を開ける音が聞こえて、瞬間的に目を覚ました。貴女の溌剌とした声が、耳朶を震わせる。
「夕ご飯できたけど、食べる?」
私は右手で自分の髪を梳かしながら、食べます、と答えてベッドから起き上がる。ダイニングに行くとすでに夕食は配膳されていた。藍美さんと向かい合わせになって座って、顔を見合わせて、いただきます、と手を合わせる。今日の献立は、お姉ちゃんが好きだったハンバーグだった。丁寧に焼き上げられたハンバーグを口に運ぶ。
「随分寝てたねえ」
「ちょっと、疲れてたから」
「まだ大学生になって二ヶ月しか立ってないもんねー。せめてここぐらいはリラックスしなよ?と言っても、下宿生活もまだ慣れないかもだけど」
肩口で切りそろえられた髪を小さく揺らしながら、藍美さんが微笑む。私の瞳は、その笑みの眩しさに焦がされてしまう。
東京の大学に行く事を決めた時、住む場所に困っていた私を救ってくれたのは、お姉ちゃんの友人の藍美さんだった。年は私の5つ上。新しい会社に入って、社会で働き出している藍美さんは、きっと私よりも大変なはずなのに、そんな素振りを一ミリも出さないで、私が過ごしやすいようにしてくれる。初めて、藍美さんと会った時の事を覚えている。お姉ちゃんが帰省した時に、ついでだからと藍美さんを連れてきたのだ。目があった瞬間、きれいな人だな、と思った。次第に、その言動やそぶりの愛らしさが、私の心を掴んで離さないようになって行った。それでも、藍美さんはお姉ちゃんの友達で、私はあまり接点がなかった。こんなに可愛い藍美さんの隣にずっと入れるお姉ちゃんが、ちょっと恨めしかった。お姉ちゃんは、私と比べてとても賢くて、クールな人だった。感情を表に出さないけど、しっかりと周りの事を気遣える、そんな素敵な人だった。半年前に亡くなってしまったが。ある朝、お姉ちゃんは電車に跳ね飛ばされたそうだ。その時間は早朝で、現場検証によるとお姉ちゃんの周りに人はいなかったらしい。
「もう六月かあ」
藍美さんは天井をずっと見つめている。大学生になったらお姉ちゃんと同居する予定を立てていた私は、受験前の大事な時期に露頭に迷うこととなった。正確には精神的にはそれどころじゃなかったのだけれど。その時、藍美さんが拾ってくれたのだ。でも、藍美さんと一緒に暮らしていて、ある違和感を感じることがあった。
「リリはハンバーグが大好きでさー。ファミレスいったらいっつも頼んでたのよ。私が作るハンバーグもいつも美味しそうに食べてくれて。ねえ、夜子ちゃん、ハンバーグ、美味しい?」
「……美味しいよ」
いつも、お姉ちゃんの話しかしないのだ。ずっと、どこか遠くを見つめて、藍美さんはお姉ちゃんの話しかしない。きっと、藍美さんは私にお姉ちゃんの幻影を重ねているのだ。強くそう思う。
「リリにももっと、食べさせてあげたかったなあ……」
藍美さんの瞳から涙が溢れる。私は淡白な声音になるように努めながら、
「食べてるんじゃない?きっと向こうで」
と答える。藍美さんは、お姉ちゃんを救えなかった代償行為で私を住まわせてくれている。きっと彼女にとって、私は、お姉ちゃんの綺麗な姿のプラネタリウムでしか無いのだろう。それでも、藍美さんと一緒にいれるのなら十分だ、と私は自分に言い聞かせる。
一口啜った味噌汁は、なんだか少ししょっぱかった。
7/24/2024, 11:00:03 PM