怖がり
激しい動悸で夢から覚めた。
まだ夜中なのだろう、部屋は真っ暗だ。
暗闇の恐怖を断ち切るため電気をつける。とたんに日常が戻ってきた。
大丈夫、怖いことは何もない。
喉が乾いたので枕元のコップから水を飲む。時計を見ると時刻はちょうど3:33。ゾロ目を目撃するとなんで今なんだという気分にさせられる。
目が冴えたのでスマホを見る。たくさんの通知。なにごとだ?寝る前のSNSの投稿がバズったようだ。おそるおそる通知をあける。
あたりが明るくなった気配で目が覚めた。
あいつが覗いている。少しバツの悪そうな顔で。
「ごめんね、またバズっちゃった」
バズ?聞いたことない言葉。新しいおやつのこと?
「新しいひざ掛けにびっくりしてるところが可愛くて」
ひざ掛け?あの昨日くるんでもらったあったかいやつか。
「人気者になっても私のこと忘れないでね…」
朝からこいつはなにを言ってるんだろうか。そんなことよりあさごはんにして。
わたしは羽を広げて伸びをすると、大きな声でちゅん!と訴えた。
ありがとう、ごめんね
ブックカバーを外すと現れたのは彼の昔の日記だった。
そういえば昔、日記をつけるのが趣味だと聞いたことがある。
もう時効だろうしいいよね、とページをめくると紫色の紙切れがひらりと舞い落ちた。
拾い上げるとそれはすみれの切り絵だった。
遠い昔、わたしが試しに作ってそのまま放りだしていたものだ。
少し黄ばんだページには、妻は凝り性だが飽きっぽいからこれはここに保管しておく、と書き留めてあった。
ありがとう、ずっと持っててくれたんだね。
わたしあれから色んな趣味に手を出して、結局みんなすぐに飽きちゃったけど、あなたのことは飽きなかったよ。
すっかりしわの増えた自分の手に載せた切り絵を見おろしながらつぶやいた。
泣かないって約束したのに、ごめんね。
部屋の片隅で
アイスクリームを食べながらテレビを見ていた。
なんの番組だったかは覚えていない。かなり集中して見ていたはずなのにさっぱり思い出せないのだ。
とにかくテレビを見ていたらカナリアがやってきた。私の歌を聞いてくれませんか?彼は澄んだ瞳で問いかけてきたので、いいですよ、と答えたことは覚えている。
次の瞬間目を覚ますとそこは海だった。大きなクジラが背中に乗っていきませんか?と誘ってくれた。喜んで、と背中によじ登ると、目の前が暗転して気を失った。
次は満月の夜、近所の猫と月見をしていた。
その次はヒヨドリと柿の実を食べ、モグラと穴掘り競争をした。ビーバーと巣を作り、チーターとかけっこをした。
そうして色んな動物と様々なことをした。
最後に見知らぬ部屋で人間とテレビを見た。
番組はさっぱり思い出せないのだが、その人間は楽しそうに笑っていた。
などと部屋の片隅で座り込んで空想していたらアイスクリームが食べたくなった。
コンビニに行くために立ち上がる。アイスを食べたら明日も頑張れそうな気がして、エコバッグにプリントされたカナリアにありがとう、とつぶやいたのだった。
逆さま
笹かまぼこが好きだ、という共通点で私たちは仲良くなった。それまであまり話したことがなかったのだが、飲み会で隣の席になり、会話に困ってなぜか笹かまぼこの話題を持ち出したところ、私も好きなんです!と思いがけない反応が返ってきたのだ。
笹かまぼこを皮切りに私たちは次々に好きな食べ物をあげていった。ゴボ天、チーちく、つみれ。つまりは練り物が好きなのである。
向かいの席で私たちの様子をみていた後輩は、おふたりともずいぶんしぶい趣味なんですね、と口を挟んできたので、私たちは黙れくちばしの黄色い若者よ。などと調子にのってふざけてみたりしたのだった。実際のところ後輩とは2才しか違わないのだけれど。
そして私たちは当然のように次の日一緒に晩御飯を食べる約束をし、美味と名高いおでん屋に行きたらふく食べたのだった。そして嬉しくてその話を職場で吹聴しまわったのであった。
良い食事仲間が出来て良かったと思いながら日々を過ごしていたら、ある日同期がいかにも驚いた、というように右手をおでこにあてながら話しかけてきた。
君って笹かまぼこが好きってホント?
頷くと、同期は目を丸くして言った。
まさかさ、この会社で笹かまぼこ好きに会えるとは思わなかったな。俺も大好きなんだよ。
まさか、坂さままで笹かまぼこ好きだったとは。
同期内の憧れの的である坂さんとも仲良くなれそうな気配に動揺し、私は持ちあげた鞄がさかさまであることに気づかなかったのであった。
眠れないほど
船着き場にぼうぜんと佇んでいたのは僕の兄だった。
しばらく前に出発したと思われる船が遠くに見えている。兄はあの船に乗るつもりだったのだろう。
兄の足元には大きめの茶色い鞄が置かれていた。明らかに長い旅路を想定してのものだ。スーツを身に着け、革靴まで履いていた。普段の兄からは想像できない正装だ。
「残念だったね」
僕は声をかけた。兄はこちらを見ると特に驚くでもなく首をふった。
「わかっていたんだな。こうなることが」
「うん、ごめん」
全く悪いと思っていないことが声色に出ていたのだろう、兄は深いため息をつき鞄の取手に手をかける。
「俺は次の船に乗る。お前は帰れ」
「乗れないよ」
「お前が帰れば乗れる」
兄は冷たい眼差しで僕を見る。
次の船は1時間後だ。だが兄は乗れない。ポケットに入れたはずの搭乗券が見当たらず、搭乗を断られるだろう。
お前は俺の邪魔ばかりするんだな。
兄はそうつぶやくと手元の鞄を見つめた。この鞄を振り回せば僕に当たるかもしれない。海に落としてしまえば時間を稼げるだろう。その間に船に乗ってしまえばいい。
そうすれば兄は自由だ。自分の邪魔ばかりする弟とおさらばできる。だがその弟はなぜか自分の考えることが手に取るようにわかる奴だ。遠くない未来に目の前にあらわれるだろう。
たとえ今逃げ切っても、兄はその可能性に毎日眠れないほど怯えつづけなくてはいけないのだ。
なにしろ、兄は弟の考えることが手に取るようにわかるのだから。