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眠れないほど


船着き場にぼうぜんと佇んでいたのは僕の兄だった。
しばらく前に出発したと思われる船が遠くに見えている。兄はあの船に乗るつもりだったのだろう。

兄の足元には大きめの茶色い鞄が置かれていた。明らかに長い旅路を想定してのものだ。スーツを身に着け、革靴まで履いていた。普段の兄からは想像できない正装だ。

「残念だったね」
僕は声をかけた。兄はこちらを見ると特に驚くでもなく首をふった。
「わかっていたんだな。こうなることが」
「うん、ごめん」
全く悪いと思っていないことが声色に出ていたのだろう、兄は深いため息をつき鞄の取手に手をかける。
「俺は次の船に乗る。お前は帰れ」
「乗れないよ」
「お前が帰れば乗れる」
兄は冷たい眼差しで僕を見る。
次の船は1時間後だ。だが兄は乗れない。ポケットに入れたはずの搭乗券が見当たらず、搭乗を断られるだろう。


お前は俺の邪魔ばかりするんだな。
兄はそうつぶやくと手元の鞄を見つめた。この鞄を振り回せば僕に当たるかもしれない。海に落としてしまえば時間を稼げるだろう。その間に船に乗ってしまえばいい。

そうすれば兄は自由だ。自分の邪魔ばかりする弟とおさらばできる。だがその弟はなぜか自分の考えることが手に取るようにわかる奴だ。遠くない未来に目の前にあらわれるだろう。

たとえ今逃げ切っても、兄はその可能性に毎日眠れないほど怯えつづけなくてはいけないのだ。
なにしろ、兄は弟の考えることが手に取るようにわかるのだから。

12/5/2023, 12:15:16 PM