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12/1/2023, 11:12:24 AM

距離

棚から赤い背表紙の本を抜き出す。
ほんの少し古びている。40年前に出版されたものにしてはずいぶん状態がいい。この本の持ち主は物持ちがいいことで有名だ。

テーブルについてページをめくる。スマホなどない時代の昔の恋愛小説だ。もどかしく感じるところもあるがこれはこれで面白い。

夢中になって読み終わると窓の外はすっかり暗くなっていた。確か今日は新月だ。街灯の少ない帰り道を思い憂うつになった。

「まだいたの?すっかり暗くなってるのに」
本の持ち主が部屋に入ってきて声をあげる。とっくの昔に帰ったと思われていたようだ。送っていくから支度して。
急かされて慌ててコートをはおる。本を棚に戻そうとすると制された。それは手入れしてから戻すからね。そこに置いたままでいいわ。

夜道を並んで歩いた。道に影は見当たらない。月明かりがあれば私と彼女の身長差が照らし出されただろう。

小学生と、60代の大人の女性。私たちに血縁はない。
児童図書館の館長と利用者というのが私たちの関係だ。
歩きながらこのひとの子どもになれたらいいのにと思う。物持ちが良くなるには、背が伸びるには、ひとりでいきていくには、どれほどのじかんがひつようなのだろうか。

わたしのきもちをしってかしらずか、とおいきょりにあるかのじょのひとみはおだやかにわたしをみおろしていた。

11/25/2023, 12:21:57 PM

太陽の下で

朝、外に出たのは何年ぶりだろう。

太陽の光が体に良くないとわかって以来、僕は外出を禁じられた。行動するのはいつも夜。月明かりのなか人通りのない道を歩く。あるいは新月の真っ黒な夜道。

たまに出会うのは猫たちだが、ちかごろは野良猫もめっきり減った。暖かな部屋で安心して眠っているのだろう。
だが僕は眠れない。すっかり昼夜逆転の生活だ。
冴えた頭を抱えて深夜の世界をさまよう。同じような人がいてもいいはずなのになぜか出会ったことはない。

暖かな光が恋しい。電線に止まった鳥の群れを見ようと眩しさをこらえながら空を見上げたあの日が懐かしい。

体をフードですっぽり被ってなら大丈夫ではないのか?
試したことがある。5分ともたなかった。皮膚が燃えるように熱くなった。わずかな光も僕には命取りなのだ。

今日、家のドアが開いていた。隙間からひんやりとした空気が流れ込む。季節は冬だ。弱々しい冬の光ならあるいは。僕は外に飛び出した。


家に帰ると、玄関の前に雪だるまが転がっていた。弟が大切にしていたものだ。すでに雪は溶けていて、両目の代わりの真っ黒な石だけが残っている。石はしっかりと空を見上げているようだった。

11/24/2023, 11:29:22 AM

セーター

律はブルーがよく似合うと思う。
なかでも似合うのは鮮やかなくすみのない青色だ。

じゃあ律が雲一つない真夏の青空のようなすっきりした人間かといえば、全く違う。
過ぎたことをくよくよとひきずるちょっと面倒な性格だ。

今も、さっきの店員への態度はそっけなかったのではないか、次にお店にいったらあのそっけない客が来たと思われるのではないか、と悩んでいるところだ。

私からみれば十分フレンドリーな客だったと思うのだけれど、言ったところで聞きやしない。気が弱いけれど頑固なのだ。

次に行くときはこれ着ていきなよ、と紙袋を押しつける。
ラッピングもなにもないただの茶色い袋だ。
律は受け取ると不思議そうな顔で袋を開ける。なかから鮮やかなブルーのセーターが現れた。

律はセーターを体に当ててみる。うん、やっぱり似合う。
派手すぎないか、と律は言う。
言うと思った。だがこればかりは譲れない。誰がなんといおうと律はこの色が似合うのだ。

派手じゃないしとても似合っている。そのセーターを着た律を見れば店員も大歓迎してくれる、と熱弁を振るう。

君がそういうならそうかもしれないな。
私の勢いにけおされて律は言った。
よし、じゃあこれを着て行こう。
律は着替えはじめた。

11/23/2023, 11:02:27 AM

落ちていく



「なんや緊張するわあ」

「あんたでも緊張するんかいな」

「いうてあんな立派な舞台やで?お客様もぎょうさんいてはるし」

「あんたの作ったもんの出来がようて褒められんねん。順番も最後やろ?堂々としとき」 

「いや無理やて。わしなんか最後はちょっとおまけでいれたったていう落ちや」

「ちょっとあんた落ちて!行くんや!ほらあんたの出番!」

11/22/2023, 11:04:10 AM

「夫婦」


今日2番目のお客様は55才の御婦人だった。
なぜ正確に年齢を知っているかというと、ご本人が申告されたからだ。
ゴーゴー55なの!とにこやかに告げたその人はわたしが働くコンビニの常連だ。
ほぼ毎日顔を合わせるので、たまにレジで言葉をかわすことがある。今日は唐揚げとビールを購入され、ふいに言ったのだ。「私今日誕生日でね。ゴーゴー55なの。つまり55才ね」
おめでとうございます、とおつりを渡しながら声をかける。
ありがとう、と嬉しそうに笑うと彼女は店を去った。


勤務を終えた帰り道、近所の自転車屋さんに寄った。
タイヤの調子が悪く見てもらおうと思ったのだ。
「あーこりゃいかんねえ、すぐ交換するからちょっと待っててね」
店主は手早くタイヤを交換し始める。進められた椅子に座って待っていると、店の机に置かれた可愛いラッピングの箱が目に入った。わたしの視線に気づいた店主が照れくさそうに言う。
「今日妻の誕生日でさ。プレゼントを用意したんだよ」
「きっと喜ばれるでしょうね」
「どうかなあ。お前ももうゴーゴー55で年だなあ、なんて茶化したからむくれちゃってさあ」

きっと家で唐揚げとビールを用意して待ってらっしゃいますよ、と心のなかでつぶやきながら店をあとにした。

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