部屋の片隅で
アイスクリームを食べながらテレビを見ていた。
なんの番組だったかは覚えていない。かなり集中して見ていたはずなのにさっぱり思い出せないのだ。
とにかくテレビを見ていたらカナリアがやってきた。私の歌を聞いてくれませんか?彼は澄んだ瞳で問いかけてきたので、いいですよ、と答えたことは覚えている。
次の瞬間目を覚ますとそこは海だった。大きなクジラが背中に乗っていきませんか?と誘ってくれた。喜んで、と背中によじ登ると、目の前が暗転して気を失った。
次は満月の夜、近所の猫と月見をしていた。
その次はヒヨドリと柿の実を食べ、モグラと穴掘り競争をした。ビーバーと巣を作り、チーターとかけっこをした。
そうして色んな動物と様々なことをした。
最後に見知らぬ部屋で人間とテレビを見た。
番組はさっぱり思い出せないのだが、その人間は楽しそうに笑っていた。
などと部屋の片隅で座り込んで空想していたらアイスクリームが食べたくなった。
コンビニに行くために立ち上がる。アイスを食べたら明日も頑張れそうな気がして、エコバッグにプリントされたカナリアにありがとう、とつぶやいたのだった。
逆さま
笹かまぼこが好きだ、という共通点で私たちは仲良くなった。それまであまり話したことがなかったのだが、飲み会で隣の席になり、会話に困ってなぜか笹かまぼこの話題を持ち出したところ、私も好きなんです!と思いがけない反応が返ってきたのだ。
笹かまぼこを皮切りに私たちは次々に好きな食べ物をあげていった。ゴボ天、チーちく、つみれ。つまりは練り物が好きなのである。
向かいの席で私たちの様子をみていた後輩は、おふたりともずいぶんしぶい趣味なんですね、と口を挟んできたので、私たちは黙れくちばしの黄色い若者よ。などと調子にのってふざけてみたりしたのだった。実際のところ後輩とは2才しか違わないのだけれど。
そして私たちは当然のように次の日一緒に晩御飯を食べる約束をし、美味と名高いおでん屋に行きたらふく食べたのだった。そして嬉しくてその話を職場で吹聴しまわったのであった。
良い食事仲間が出来て良かったと思いながら日々を過ごしていたら、ある日同期がいかにも驚いた、というように右手をおでこにあてながら話しかけてきた。
君って笹かまぼこが好きってホント?
頷くと、同期は目を丸くして言った。
まさかさ、この会社で笹かまぼこ好きに会えるとは思わなかったな。俺も大好きなんだよ。
まさか、坂さままで笹かまぼこ好きだったとは。
同期内の憧れの的である坂さんとも仲良くなれそうな気配に動揺し、私は持ちあげた鞄がさかさまであることに気づかなかったのであった。
眠れないほど
船着き場にぼうぜんと佇んでいたのは僕の兄だった。
しばらく前に出発したと思われる船が遠くに見えている。兄はあの船に乗るつもりだったのだろう。
兄の足元には大きめの茶色い鞄が置かれていた。明らかに長い旅路を想定してのものだ。スーツを身に着け、革靴まで履いていた。普段の兄からは想像できない正装だ。
「残念だったね」
僕は声をかけた。兄はこちらを見ると特に驚くでもなく首をふった。
「わかっていたんだな。こうなることが」
「うん、ごめん」
全く悪いと思っていないことが声色に出ていたのだろう、兄は深いため息をつき鞄の取手に手をかける。
「俺は次の船に乗る。お前は帰れ」
「乗れないよ」
「お前が帰れば乗れる」
兄は冷たい眼差しで僕を見る。
次の船は1時間後だ。だが兄は乗れない。ポケットに入れたはずの搭乗券が見当たらず、搭乗を断られるだろう。
お前は俺の邪魔ばかりするんだな。
兄はそうつぶやくと手元の鞄を見つめた。この鞄を振り回せば僕に当たるかもしれない。海に落としてしまえば時間を稼げるだろう。その間に船に乗ってしまえばいい。
そうすれば兄は自由だ。自分の邪魔ばかりする弟とおさらばできる。だがその弟はなぜか自分の考えることが手に取るようにわかる奴だ。遠くない未来に目の前にあらわれるだろう。
たとえ今逃げ切っても、兄はその可能性に毎日眠れないほど怯えつづけなくてはいけないのだ。
なにしろ、兄は弟の考えることが手に取るようにわかるのだから。
距離
棚から赤い背表紙の本を抜き出す。
ほんの少し古びている。40年前に出版されたものにしてはずいぶん状態がいい。この本の持ち主は物持ちがいいことで有名だ。
テーブルについてページをめくる。スマホなどない時代の昔の恋愛小説だ。もどかしく感じるところもあるがこれはこれで面白い。
夢中になって読み終わると窓の外はすっかり暗くなっていた。確か今日は新月だ。街灯の少ない帰り道を思い憂うつになった。
「まだいたの?すっかり暗くなってるのに」
本の持ち主が部屋に入ってきて声をあげる。とっくの昔に帰ったと思われていたようだ。送っていくから支度して。
急かされて慌ててコートをはおる。本を棚に戻そうとすると制された。それは手入れしてから戻すからね。そこに置いたままでいいわ。
夜道を並んで歩いた。道に影は見当たらない。月明かりがあれば私と彼女の身長差が照らし出されただろう。
小学生と、60代の大人の女性。私たちに血縁はない。
児童図書館の館長と利用者というのが私たちの関係だ。
歩きながらこのひとの子どもになれたらいいのにと思う。物持ちが良くなるには、背が伸びるには、ひとりでいきていくには、どれほどのじかんがひつようなのだろうか。
わたしのきもちをしってかしらずか、とおいきょりにあるかのじょのひとみはおだやかにわたしをみおろしていた。
太陽の下で
朝、外に出たのは何年ぶりだろう。
太陽の光が体に良くないとわかって以来、僕は外出を禁じられた。行動するのはいつも夜。月明かりのなか人通りのない道を歩く。あるいは新月の真っ黒な夜道。
たまに出会うのは猫たちだが、ちかごろは野良猫もめっきり減った。暖かな部屋で安心して眠っているのだろう。
だが僕は眠れない。すっかり昼夜逆転の生活だ。
冴えた頭を抱えて深夜の世界をさまよう。同じような人がいてもいいはずなのになぜか出会ったことはない。
暖かな光が恋しい。電線に止まった鳥の群れを見ようと眩しさをこらえながら空を見上げたあの日が懐かしい。
体をフードですっぽり被ってなら大丈夫ではないのか?
試したことがある。5分ともたなかった。皮膚が燃えるように熱くなった。わずかな光も僕には命取りなのだ。
今日、家のドアが開いていた。隙間からひんやりとした空気が流れ込む。季節は冬だ。弱々しい冬の光ならあるいは。僕は外に飛び出した。
家に帰ると、玄関の前に雪だるまが転がっていた。弟が大切にしていたものだ。すでに雪は溶けていて、両目の代わりの真っ黒な石だけが残っている。石はしっかりと空を見上げているようだった。