キャンドル
「今日はこのへんにしておきましょう」
PCの向こうの生徒達に語りかける。オンラインの英語教室。しばらく出勤できなさそうだと伝えると、室長が提案してくれた。便利な世の中になったものだ。
眼鏡ケースをわきにどけてマグカップを置く。
カフェインレスだが香り豊かなコーヒーだ。ここしばらく刺激物は避けている。もうしばらくはこの生活を続けることになるだろう。
コーヒーを飲み終え、痛む足をかばいながらキッチンへ向かった。だいぶましになったが出歩くのはまだ先になりそうだ。食器を洗いベッドサイドの椅子へ移動する。なんでもない動きが今はつらい。
明日は授業の予定はないから一日翻訳に使えるな。
ため息をつきながら考える。
もともとは在宅仕事だが、昨年から引き受けた授業のために外出するのはいい気分転換だったのだ。授業までオンラインとなった今、ずっと家にいるのは少々息苦しい。
読みかけの本を手にとろうとテーブルに目をやるとスマホの通知が届いた。照明を落とし明かりをベッドサイドのランプだけにしたので薄暗い場所で光っている。この位置からだとまるで青白い炎のようだ。
キャンドルを買おうか。
光を眺めながらふと考えた。
仕事終わりのひととき、暖かなオレンジ色の光に包まれて過ごす日があってもいい。柄にもなく落ち込んでいるひとりの翻訳家のこころを照らしてくれるに違いない。
たくさんの想い出
今日はクイズ大会日和だ。
天気は快晴、夏にしては暑すぎず、余計なことに気をとられなくていい。これが雨なら湿気で体調が良くないかもしれないし、気温が高いと集中力が鈍る。
「おう!お前も出るのか」
熊田が声をかけてくる。奴も大会の常連だ。その名の通り大きな図体でよくひびく声。
「今日は負けないからな」
僕も負けじと大声で答える。今回も強豪揃いだ。鹿谷や兎川、亀沼もいる。誰が優勝してもおかしくない。油断禁物だ。
「みなさん、所定の位置についてください!」
係員から指示が出る。僕たちはそれぞれ決められた位置にスタンバイする。右手にスイッチを握りしめ問題が読み上げられるのを待つ。
「わたしのことを語ってほしい」
それが森の願いだった。
すべてがなくなった後も語り継いでくれれば存在することができるから。かつてのわたしを知る者たちがいたらそれでいい。
その願いをかなえるために僕たちは語り続ける。ある者が問題を出しほかの者が答える。忘れないために。
かつて僕たちが一緒に暮らした広大な森のことを。
冬になったら
お茶漬けをかっこんでいたらばあちゃんが言った。
「そういやあんたさ、あれどこやった?」
「ふぁれ?」
ちょっと熱かったのではふはふしながら答える。答えながらたくあんも食べる。うまい。ぽりぽりぽり。
「あれっていやあれよ。ほら何だっけねぇ」
全然要領を得ないばあちゃんの話を聞きながらアジフライにも手をつける。これもうまい。ばあちゃん天才。
「あんたが小学生だか中学生のときによく振り回してただろ?えーとなんだっけね」
「竹刀のこと?」
「それそれ。あんた最近全然振り回さないじゃないか」
「部活で剣道してたから練習してただけ。今はサッカー部なんだ」
「そうかい。似合ってたのにねぇ」
似合ってた?ばあちゃんいつのまにか見てたんだろ。
「もうやらないのかい?」
ばあちゃん、やけに食い下がる。オレの部活にそんなに興味があるとは知らなかったよ。
「やらないなあ。あんま向いてなかったからオレ」
そんなことないよ、似合ってたよ。ばあちゃんはそう言ってお茶を入れに台所へ向かう。
部屋に戻ってから、懐かしくなって竹刀を探したが見当たらない。部屋にあるはずなのになんでだ?
がたん!
庭から物音がする。ばあちゃん?暗いのに何してんだろ。
様子を見に行くとじいちゃんが竹刀を振っていた。
「何してんのじいちゃん」
じいちゃんはこちらを振り返るとにやっと笑い竹刀をオレにほり投げた。冬になったら。
「冬になったらよく竹刀を振ってたもんだよ」
後ろからばあちゃんの声がした。
「寒いときにこそ素振りだってね」
懐かしそうに目を細めて庭を眺める。あんたの素振り姿、じいちゃんによく似てたよ。
嬉しそうにスキップしながら去っていく足音が聞こえる。
冬になったらあらわれる竹刀の妖精。いや、じいちゃんだ。
はなればなれ
昨日の続きが今日だと思っていたのに違った。
あなたの不在は昨日にはなかったものだ。なのに今日はいない。
そんなことがあっていいのだろうか。大切なひとがいない日常が続くなんて。
わたしはこの先、あなたとの大切な想い出と、あなたの不在を心に抱えて毎日生きていかなくてはいけない。
想い出は増えないのに不在のつらさは増えていくではないか。そんなの耐えられない。
でもね。
あなたは言う。
確かに私の不在は貴方にはこたえるかもしれない。
でも思い出は?
貴方が私を思いながら道を歩くとき、私も一緒に歩いている。
貴方が美味しいパンを食べるとき、私もその味を感じている。
貴方と私はおんなじ時を過ごしていて、それは思い出と呼ぶものになるんじゃないの?
そして思い出は私の不在をいつか超えてしまうでしょう。
貴方が生きているかぎり。
「おーい!落としましたよ!」
呼ばれたので振り返ると、髪の長いお兄さんが僕が持っているはずの砂時計を振りかざしている。
あれ?と思い手提げ袋を見ると穴が空いていた。隣のおっちゃんが貸してくれたのだけれど、おっちゃんも穴に気づかなかったみたい。
お兄さんにお礼をいって砂時計を受け取った。あぶないあぶない、これは必ず白玉さんに届けるようにおっちゃんに頼まれているのだ。
「珍しいもの持ち歩いてるね。好きなの?」
「僕のじゃないんです。頼まれて届けるところで」
「ふうん」お兄さんは首をかしげて考えている。
「じゃあそれは俺宛てかもしれないな」
え?きょとんとする僕にお兄さんは続けた。
「それは白玉に届けるようにいわれたろ?白玉は俺だ」
いくらなんでもウソっぽい。白玉さんは隣町の南端に住んでいるのにここはまだ僕の住む町だ。怪しいぞ。
「おや、疑ってるな?」
お兄さんは僕の手から砂時計を奪うと砂が落ちる向きに持ち叫んだ。「レドモヨキト!」
思わず目を閉じるくらい強い光が砂時計から放たれ、しばらくして目をあけると、真っ白でころころした子猫がちょこんと座っていた。
〜子猫〜