秋風
二階の窓から見える木が揺れている。
伯爵はお気に入りの椅子に座りその様子を眺める。どの時期の景色も好きだがこの季節は特にいい。すべすべした褐色の肘掛けに腕をあずけながら過ごすこの時間を、伯爵はとても大事にしていた。
寒くなり始めたので部屋の暖炉には火を入れている。パチパチと火の爆ぜる音が心地よい。ランプのだいだい色の灯りで本の続きを読む。世界から隔絶されたひとりきりの時間。
こんこん。
窓をたたく音がする。
二階の窓をたたくことが可能なのはあいつだけだ。こんなふうに風の強い寒い日にやってくる。風はごうごうと勢いを増し始めているが、窓をたたく音はやまない。
こんこんこん。
伯爵は椅子から立ち上がり窓に近寄った。窓にほど近い木の枝が風に揺られて当たる。この時期になると伯爵の部屋の窓をたたく枝のことを伯爵は気にいっている。
冷たさを秘めた秋風が揺らす枝のことが、伯爵はことのほか好きなのだった。
「また会いましょう」
とぼとぼ歩いていると、いつのまにか目の前に焼き芋の屋台が現れた。下を向いていたから気づかなかったみたい。
「いしや〜きいもぉ〜 おいも!」
焼き芋の香ばしい香りとともに可愛い呼び込みの声がする。ん?可愛い声?
「おいもいかがですか?」
子狐が小さな手においもを抱えてこちらを見ている。
真っ黒な瞳はきらきら輝いて茶色の毛並はふかふかだ。
これはあれかな、落ち込みすぎて幻覚を見ているか、あるいは文字通り狐に化かされているのか。
だが今日は疲れすぎて深く考える力がない。それにお腹もすいた。なんでもいいからあの美味しそうなおいもが食べたい。
「ひとつくださいな」
童話の登場人物になりきって答えてみる。子狐はなんて答えるかな。お前を食べちゃうぞ!って大狐に変身するかしら。
「かしこまりました!おいもをおひとつですね」
子狐は嬉しそうに答えて、屋台に積んであるかまどみたいな箱のなかをあさり、大きな焼き芋を選んで紙袋に入れてくれた。
「おひとつ150円です!」
200円わたして小さな白い手からおつりを受け取る。この手にあう手ぶくろはちっちゃくて可愛いだろうね。
「ありがとうございました!」
子狐はぺこりとお辞儀をして、屋台の裏側に消えた。
ひとくちかじると、甘くてほくほくの美味しいおいもだった。これで150円だなんてお買い得。食べ終わったら狐になっていても後悔はない。
あっという間に食べ終わると、落ち込みはどこかに消えていた。屋台も子狐も消えていた。
これってあれかな、落ち込んでるときに出会えるやつ?
それならば、しょっちゅうは困るけど、いつかまた会いましょう。
そうつぶやいて、私はまっすぐに前を見て歩き始めた。
「スリル」
今日は久しぶりのデートなのに雪は待ち合わせ場所に現れない。時間にルーズなタイプでもないので心配だ。
特に連絡は来てないし。どうしたんだろう?
出てくるであろう方向に目を向けて待つ。
雪はいつもわたしを見つけると、これはちょっとうぬぼれかもしれないけど、周りが気配を察知するくらいぱっと表情を明るくして、こちらに向かって走ってくる。
ごめんね、待った?
ううん、今きたところ。
ふたりとも待ち合わせ時刻より早めに来るのに、毎回お決まりのやり取りをしてから歩き出す。
だから時間になっても連絡のひとつもないなんてわたしたちの間ではイレギュラー。
道が混んでるのかな。それともなにかトラブル…?
思考がぐるぐる止まらない。
「悪い!遅れた!」
背後から息を切らしながら声をかけられた。
振り返ると雪が降っている。
「最近はハズレることないのに珍しいね」
私はほっとして持っていた傘を差して歩き出した。
「飛べない翼」
その日の大会では3位だった。
コンディションは悪くなかったはずだが思ったより動きが鈍かった。理由はわからない。ここのところずっとこんな調子だ。
「おめでと」
13位の選手に握手を求められ応じる。彼女も数年前まで上位常連の選手だった。わたしも同じ道をたどり始めているのだろうか。
「ありがとうございます」
わたしはただのスランプですか、それともこのまま下降線をたどりますか、あなたと同じように。
彼女にも自分にも意地の悪い質問を飲み込んで笑顔をかえす。
悪くないわよ。彼女はわたしではなく遠くのポールを見つめながら静かに言った。
そうですかね、どうも身体が重くて…。
そうではなくて。彼女は視線をわたしの顔に戻し続けた。
「うまく飛べなくても悪くないわよ、今の私」
理解できるのはもっと先になると思うけど言っとくね、そういい終えて彼女は軽やかな足取りで立ち去った。
〜ススキ〜
「あのキラキラしているのはなんでやんす?」
一張羅猫が首をひねりながら言う。
初めて見るでやんすねぇ。
「あれはだな、ススキ、というのだよ。うぉほん!」
博士が自慢のひげをなでつけながら答える。博士はもちろん猫である。
ススキ?ススキとな?一張羅猫は何度も繰り返しながらススキめがけてずんずん歩いていった。
「見てくださいな博士。ふわふわでさあね!あっしは生まれて初めてこんなふわふわにさわったでやんすよ」
一張羅猫の嬉しそうな鳴き声を背中越しに聞きながら、博士は夜空を見上げた。
丸いお月さまが照らす黄金のススキに、タキシードのような模様の猫がいっぴき。
いい夜だのう。博士はススキスキスキ、と歌うようにつぶやいてから、ふわふわに触るために一張羅猫のあとを追った。