ひとひら
意味は薄く平らなものの一枚。
春が終わりを迎え新たな季節への段階に進む時期。
名残惜しくも儚い言葉だが桜が散るように一瞬の記憶を残すのも風情があって良いものである。
ひらり、はらりの言葉遣いは植物によく使われるが
人間にも使うと一気に印象が異なる。
ひとひらの想いをのせて。
はらりと切なく散る恋心。
物語の始まりと終わりを含む言葉でもありながら何処か身にまといし物をふつふつと感じさせる事も出来る。
ひらりと舞い散る桜を記憶に焼き付けるのもよし。
画像として手元に置いておくのもよし。
香りや味を楽しむのもとして栞や特殊な保存方法で食卓を彩る物として扱うのも良し。
何をするにしてもその人の個性が出るのもまた面白い。
来年の春のおとずれはどんな景色を観られるのだろうか
心を弾ませながら待つとしよう。
新しい地図
地図といえば何を思い浮かべる事が出来るだろう?
まず初めに日本地図、世界地図を思い浮かべる人も多そうだ。
一方で住宅地図、デジタル地図、道路地図、観光地図など普段何気なく使っている物にも地図は存在するのだがその事実を知っている人の割合はどのくらいだろうかと疑問に思う。
新しい地図はそもそも存在するものなのだろうか?
自分で一から創るオリジナルだからこそ地図と呼べるものでは無いかと私は考えている。
年齢や性別などは関係がない。
ただ少しの勇気と行動力、そして探究心こそ磨かれた
感性を生みそれが自信に繋がる。
実際に建物や道路などは埋立地の上に成り立っており
割合もかなり高めだと聞く。
地図はその上にしか建てないのも事実だ。
また私達の身近に新しい地図を創り叶えてる人も多く
いる。
一軒家がまさにその例だとしたらどうだろうか。
事実を知った事で行動力に繋がるだけでなく
異なる視点を持つことで得られる事も数多くあるのも
また地図を知る上での魅力だと私は考える。
※一軒家は住宅地図に分類されているが諸説あり。
幼き頃の探究心を大人になっても忘れずにもっておくのはとても大切である。
心の拠り所が少しでも増えるように地図上にある自分の好きを増やしていきたいと思う。
7色
なないろと聞くと何を思い浮かべるだろう。
虹は安易に想像できるだろう。
それから色鉛筆やクレヨンなんかも大体7色入りで入っている事が多いだろう。
子供の頃はよりカラフルな物を手に取る事があったが
大人になるにつれ環境に馴染もうと落ち着いた色合いを好む人が多くいる。
服装がまさに例である。
人の視覚として統一性が出る服装が1番好まれる傾向がある。特に2〜3色で収めるとより清潔感があり好印象に繋がるが個性と捉えるには余りにも淡白すぎると私は思っている。
だが個性的過ぎると逆に奇抜と捉えられ煙たがれるのも考えものであり何事にも程々が1番だと考える。
感情はどうだろうか?
喜怒哀楽に色はないが貴方自身が思い描く喜怒哀楽に
色は必ずあるはずだ。
どんな色も欠けてしまえば物足りなくなるように
一つ一つの色を大切に扱いたいものである。
今の時代無個性も1つの個性として認めれる時代にはなってきているがやはり大きな舞台だと上手く伝えれる手段の選択肢が少なく悔しい思いをしてきた人や苦い経験をしてきた人も数多くいる事は事実としてある。
今は1つしか無い色でも経験や知識、更に行動を積めば
鮮やかな色や思いがけない色も見つかる可能性は極めて高いとふむ。
人というオリジナルは他人が造る物ではなく自分自身の力で創るとより深みが増しそれが個性としての色を放つことができる。
そしてその色を素敵だと言ってくれる人と出逢うのも
また人生である。
可能性を自分で否定しない事が何より大切で難しくもあるからこそ周りの人達の色を真似る事も自分を知る材料になる。
時にずる賢く、貪欲に、ありのままに。
なないろから始まる人生を謳歌していきたい。
透明
目には見えないし、触れれない。
だが透明を活用した景色をレンズ越しに見る事は出来る
実際に目で見るのとは違う感覚でありとても幻想的な空間に心を掴まれることも多くあるだろう。
人間ではどうかな?
私たちは沢山の色を身にまとっている。
肌の色、髪の色、目の色、口の色。
まるでひとつの芸術作品だ。
透明になることは不可能に近いが色を付け加えて
より鮮やかな色を生み出すことは可能である。
恋愛のように色鮮やかな組み合わせも良し。
世間のように複雑な色をより複雑化し組み合わせる
のも良し。
自分自身のようにまっさらなキャンバスに少しずつ沢山の色を付け加えるのも良し。
時に深く濃い色を付け加える事があったとしてもそれも味があって良いではないか。
大事なのは色をつけた後の工程だと私は考える。
皆同じだとつまらないではないか。
味がある人生こそ貴方の魅力というものを引き出し
見つけ出してくれる場所がある。
さて今日という1日は何色で描いていこうか、、、
たまには透明な色でもつけて鮮やかな視界が見える日にしようかな。
私は再び筆を走らせ人生というページにまたひとつ色を付け加えるのであった。
秘密の場所
それは身近な場所かもしれない。
素の自分を創り出した場所をそう呼んでるのかも知れない。
子供の頃に憧れた秘密基地。
大人になって偶然見つけた自分以外知らない場所。
何方にせよ心が不思議と安らぐ場所なのは変わりない。
秘密の場所か、、、
場所と呼ぶべき場所では無いがある意味そこの空間が
好きも含まれるなら木の上かな、、、
えっ?木を登るのかと思ったかも知れないが子供の頃の話である。今は体力が著しく低下しもはや不可能に近い状態なためやめておく。
子どもの体力は正直無限大だと思う。
何故小さな身体ながら大人以上の力が出せるのか未だ
不思議に感じる。
それはそうと話がそれすぎたので戻るとする。
幼き頃、友達と木をのぼりそこから見える景色を楽しむ遊びが密かに流行っていた。
木々がゆれる音、低学年の子達の走り回る音や先生が
子供達を呼ぶ声など些細な日常の一部かもしれないが
幼き私の目にはとても新鮮で見る景色全てや自然な音
も心が落ち着く不思議な感覚だった。
その感覚がとても好きでいつしか1人でその場所に行き木々が揺れる音を聴きながら目を閉じる時間も増えていった。
今では淡い思い出と化すが大人になった時でもときどき思い出し密かに微笑む時間が出来た事を過去の私に感謝し新たな日常の彩りを探すために行動していこうと思っている。