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2/12/2024, 11:54:16 AM

書き置くにはあまりにも堅苦しく、誰かに届けるにはあまりにも刺々しい。残すのも間違っている気がする。
紙と向かい合うときに考えることはいつもそう。誰とも知らない誰かに、「私」を見誤らないでほしいと願うだけ。
ここに書いたことが私の全てではなく、私というものの中のたった一部。割れて落とした、ほんの一欠片。
私を推し量らないで。けれど、私がここに残したことを受け流さないで。

日記と言うにはあまりにもメッセージ性の強い言葉だった。きっと伝えたい事があったのだろう。それとも、どこかの誰かの言葉の引用だろうか?
中古ショップで購入した年季の入った片袖机の引き出しから出てきた、一冊の日記帳。何枚かちぎり取られた跡のあるその本の最初のページに、その言葉は残されていた。罫線の上に並ぶ文字は機械で打ち込まれたような達筆さと正確さで、縦にも横にも列を乱すことなく並んでいる。
しかし、それだけだった。その日記帳に書かれたことは、それだけ。その後のページには、汚れ一つ残されていなかった。
きっと伝えたいことはあったはずだ。けれど、残すことを良しとしなかった。もしくは、このメッセージに書かれたことがすべてなのかもしれない。
そっと表紙を閉じて棚の奥へと戻す。この人の伝えたいことも、この人を知るすべもない。それだけは確かだった。

2/11/2024, 11:07:11 PM

この場所で生きるのは難しいです。
美しい海が水底を透かして見せるそれを思い起こさせる瞳に見つめられ、言葉の意味はおざなりとなる。
はあ、と気の抜けた返事をしながら手を伸ばすと、柔らかな毛に覆われた小さな手がそっと制止するように上に重ねられた。ふっくらと丸みを持った口元が控えめに開き、同じことを繰り返す。
この場所で生きるのは難しいです。
まるで別離を匂わせる言い方だ。ここじゃない何処かのほうがマシ。もしくは、貴方がいるこの場所は居心地が悪い。彼女はすっと立ち上がり、開けっ放しの扉の奥に目をやる。部屋と玄関をつなぐ短い廊下と、その奥にある外へと続く扉。彼女は振り返り、僕を試す。
僕は重い腰をあげ、玄関へと向かう。正確には玄関に向かう途中の、廊下に置かれたキッチンの戸棚だ。柔らかな尻尾を僕の足に巻き付け、彼女は戸棚と僕を見やり大きな声で強請る。
イヤです。
ピピっと検知音が流れたあと、機械音声がそう告げる。
「イヤよイヤよも好きのうち、かね?」
おやつの袋から乾燥ホタテを取り出し、彼女の前にそっと置いた。行儀よく座り、シャクシャクと軽い音を立てて堪能するその背中をそっと撫でる。
人と猫が言葉でやり取りできるようになるのはいつになるやら。次世代猫語翻訳機の精度もたかが知れるようだ。

2/10/2024, 11:28:36 PM

 誰もがみんな、明日を望んでないじゃない。

切り崩されている最中の小高い丘に並ぶ二つの家。ベランダで流星群を待っていた二人は、願い事について話していた。名前も年齢も知らない、ただたまに顔を合わせれば世間話をする程度の間柄。真夜中に星を見るというだけのことで、随分と踏み込んでしまったものだと互いに思っていた。それでももしこの願いが叶うなら、この世界で唯一人、秘密を共有し合った人になる。願いと自棄の混ざった茶化しきれない調子で女は言う。
 生きているから生きることを続けているだけで、終わるって分かってたらこんな生活さっさと辞めちゃおうって思っています。人付き合いも世間体も放り出して、明日がない安心感にのんびりしたい。
男が視線を空から彼女に移す。驚きも憐れみも呆れもない、ただ話を聞く人特有の無表情。
 だから、世界の終わりを望むのですか。
 ええ。
男はゆっくりと視線を空に戻した。ベランダの手摺の上で手を組み、少し冷えた指を擦り合わせる。否定するのは容易く、同調するのはあまりにも滑稽だと分かっていた。女の人生の重さを気の毒に思う。そして、自分がその「誰もが皆望む終わり」を願ったことがないことに感謝した。今にも泣きそうな顔で夜空に縋り付き流星を待つ隣の女に、男はそっと返した。
 流星群、見られるといいですね。

2/10/2024, 5:48:08 AM

暖かな日差しに、少し肌寒さを感じる風。放置された民家や、何が建っていたのかすら思い出せない空き地が年々増えていく田舎町。一緒に帰る友達が、カーブミラーの角を曲がって、分かれ道の左に逸れて、横断歩道の手前で立ち止まって、次々と手を振り離れていく。いつもの帰り道。最後に残るのは、歳を重ねるたびに何処となく気まずくなった彼女と私。同じ世界に居るはずなのに、見えている景色が違う。何気ない会話すらうまく噛み合わず、愛想笑いすら間違ってしまうような間柄になってしまった幼馴染。昔はどうやって仲良くしていたのかも分からない。ただ、彼女がいつも手を引いて、私はたくさんのものに指をさして、一緒になって笑っていたのを覚えている。それだけだ。
目線を前にやったまま隣を歩く彼女と、彼女を避けるように視線を他所へと向ける私。くたびれたスニーカーのペタペタした音と、地面を叩くローファーの音。一緒に帰っているだけの状態。
ふと彼女が足を止める。視線の先には雑草まみれになった空き地がある。白い小さな花を集めた、背の高い雑草の群れ。
「あのさあ」
彼女が口を開く。独り言とも取れるような小ささで、聞き逃してくれてもいいとでもいうように。
「昔、花冠、くれたことあったよね」
ぺんぺん草の花冠。女の子たちで集まって草を手折っては編んで作って遊んでいた、遠い昔の話。彼女の頭や腕につけては、似合う似合うとはしゃいでいたあの頃。
「あったね」
私は少し微笑む。遠い記憶の彼女の姿を、その愛らしさとまばゆさを思い返している。彼女は片側の口の端を少し持ち上げただけの笑み。彼女にとってはその思い出すら、苦い記憶なのかもしれない。生ぬるい沈黙の中で、彼女は視線を落とし、泳がせ、そして私を見つめる。
「あのさ」
迷いと緊張に震えた声で、彼女は言った。
「引っ越すことになった」
知っていた。彼女のお母さんが私の家に挨拶に来たのも、友達が彼女のためにお別れ会を計画していたのも、私は見ていたのだから。直接告げられることはないと思っていたから、少しばかり驚いた。彼女がそれをどう捉えたのかは分からない。急に空き地に踏み入り、そこに生えていた花を手当たり次第に手折り、握りしめて戻って来る。いくつかのぺんぺん草を寄せ集めた花束。彼女はそれを私に押し付けた。
「持って行くから、作って、花冠」
きっと思いつきの行動だったのだと思う。幼稚な提案だということは、彼女自身が一番分かっているはずだ。恥ずかしさと困惑からか、顔が紅潮している。強引でわがままで明るい、太陽のような女の子。私のよく知る彼女の一面に触れた気がした。懐かしく愛おしく、寂しい。
私は花束を受け取り、頷いた。

2/8/2024, 8:39:55 PM

スマイル、ねえ……。
ああそうだ。オレンジのニコちゃんマークみたいなキャラ知ってる?多分、ニコッとしてたはず。スマイリーフェイス?それって黄色い顔だろ?そうじゃなくて、オレンジのさ、なんか微妙な笑い方してるやつ。ミスタースマイル?スマイリースマイル?なんかそんな名前だった気がする。アイツはいいやつだよ。俺の救世主さ。

小学生の頃、家庭科で裁縫をやらされた。まあ、誰だってやるわな。エプロンとナップサックと……あと、何かあったと思う。毎回毎回布を買わされるんだけど、あれが苦痛だったのを覚えてる。誰がデザインしてんのか知らねえけど、男の子は怪獣やロボット、女の子はキュートかキラキラ!みたいなこと考えてそうな奴が選びぬいて集めたくそダセェ布群からマシなのを選ぶわけよ。今思い返してもなんの拷問かと思うね。配られたカタログを見て、楽しみのかけら一つなく悩むとか、ホント馬鹿げてるよな。アンタんとこは?迷彩柄が寒冷地仕様とよく見るやつの2つあったり、目に痛い赤と青の炎とか、変に黄ばんだ白地にチープな虹色の星とか散りばめられてなかった?シンプルなやつでいいのに、なんであんな大惨事になるんだろうな。
まあそれで、正直困ってたわけ。自分のセンスを疑われる危険性もはらんではいるけど、せっかく作るのにどうでもいいデザインは選びたくない。そりゃそうだろ。初めて自分で自分のエプロンを作るんだからな。大事にしたい。
そこに現れたのがアイツさ!ミスター、スマイル?いや、やっぱあいつニコッとはしてたけど、困ってた気もする。複雑な顔をしてたと思うよ、形はシンプルだったけど。オレンジのエプロンの真ん中に、こぢんまりとそいつがいた。これしかないと思ったよ。何か文字も書いてあったなあ。フレンドリーとかなんとか。まあ何にせよ、そいつのおかげで少し気が楽になった。調理実習の時にも作ったエプロンを持って来いと言われたし、度々見るし着るのならやっぱ少しくらい好きな要素がないとな。
ああ、思い出せない。何だったかな……。スマイル、スマイリー。ミスターなんとか。困ったときに助けてくれた、友達みたいな奴。

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