「あっ! 見て見ておばあちゃん!」
「へぇ、今日は沢山降ってきてるね」
人気の無い森林の道を抜けると、拓けた高原が続く芝生の上を歩く女性と、足早に手を引く少女の後ろ姿があった。
日没まであと数十分と言ったところだろうか。突き立てるナイフのように滲む斜陽は赤に染まり、青々しい草の海を煌々と照らしていた。
「流れ星いっぱい! 今日は何でこんなに多いの?」
「そりゃあ、この地球上の生物が願う夢のカケラが具現化してるからね。
自分の夢と、他者の夢。沢山の苦難と、喜悦。色んな可能性が幾つも枝分かれして、世界を紡ぎ、交わっている。
……私たちはね、その多くを見届けるために、こうして毎夜夢の交わる境界線に来てるんだよ」
「んー、よくわかんない……」
「あははっ! まだお前は幼いからね、そりゃ分からんだろうさ!」
少女の祖母である女性は快活に笑えば、悩ましげに俯いてしまった少女の体躯を軽々持ち上げる。
ふわりとした浮遊感に少女は驚きの表情を見せ、その華奢な体は彼女の腕に収まった。少しザラついた肌触りの――梅雨特有の風を一身に受けた二人は、導かれるように揃って顔を見合わせつつ、再度視線を頭上に向けた。
満点の星空。濃紺の緞帳が空を覆い、刹那に瞬く星々は明日を夢見て輝きを放つ。流れゆく星は、代わる代わる舞い散り、新たな地を目指してただひたすら身を焦がして突き進んでいく。
風の音、僅かに差し込む赤の斜陽。二人分の呼吸と、草木が止めどなく揺れて、揺られて。
空の星々は願いのカタチ。流星に至る願いは熱く滾り、それ程までに“苦しい”のだと。人類の平均よりも長生きな彼女は、流星たちが耐え忍ぶ痛みを胸中で労りつつ、無垢な少女の頭を優しく撫で付けた。
今はただ、彼らの想いは消えぬ業火へと昇華され、先の見えない空の海を航海するほか道は無く。自身の願いが流れ星のように燃え上がる苦痛を知っている彼女は、割り切れない心の在り方のまま、成長を終えた。
しかし、それでもきっと。腕の中の少女は何処までも純粋に美しいと、願っても良いのだと、尊ぶように微笑むのだろうから。
「ほんと、きれいだねぇ」
「……ああ、本当に」
いつか――そう遠くない未来。
少女が大人になる日が来る。
挫折を知り、悲嘆を知り、幸福を知り、愛を知り――やがて、大人へと生まれ変わり、“星を胸に抱く(願う)”ようになるだろう。
けれど、まだ。彼女は身勝手に想い、少女の未来を願う。
この小さな愛し子が地獄のような痛みを知らず、平穏で暖かな暮らしが出来ますように、と。
ひっそりと胸に掲げた星の息吹を彼女は感じ取った。
いつか燃え尽きるためだけに空を進む流れ星が、ほんの少しの幸福の元へ、歩めるように。
今はただ、祈るしかない先の未来に想いを馳せて。彼女は少女をしっかり抱き抱え、地平線まで続く草の海を進んだ。
「さて、それじゃあ今から始めるゲームのルール説明をしようか」
まだらに入り乱れる木目の特徴的なテーブルの上には、一つのボードゲームが鎮座している。向かって右隣にある燭台の上には、長めの蝋燭が火の熱で溶け始めており、薄暗い部屋の中をぼんやりと照らした。
対面にある古ぼけた椅子に腰を浅く掛けて、フォーマルなスーツに身を包んだ、三十代前半のように見える褐色の男はニコリと笑みを浮かべると、目の前に広げられたボードゲームを指差して飄々と語り出す。
「これは言わば“人生リセットボタン”の卓上版ってやつさ。簡単だろう? このボードゲームの出目に準えてキミの転生した先の人生が決まる。必要なのはキミの同意と、キミが“今まで”に培った大切なモノ。それだけだ」
――どうする、やるかい?
テーブルの上に両肘を付き、両手を組んだ上に顎を乗せて意地汚く笑うその表情に、どこか普通の人とは違う雰囲気を感じ取る。細められた目から覗く瞳孔は、仄暗い混沌の海の冷ややかさを彷彿とさせ、理由も分からずに背筋に悪寒が走った。
「僕は別にどっちでも……。でも、あなたがこのゲームをやるメリットってあるの……?」
「――んー、良い着眼点だね。面白い」
組んでいた両手から顎を上げ、腰掛けた椅子の背もたれに行儀悪く倒れた男は、組んだ両手を解いて右手の人差し指を立てる。
その表情は、目にかかる前髪の影によって読めない。
「一つ、僕はキミの人生に干渉する結果として、キミの魂をいつでもどこでも覗き見る事が出来る。つまり、丁度いい暇潰しになるってワケ」
男が右の中指を立てる。
「二つ、キミの魂を勝手に覗かせてもらったんだけど、どっちにしろキミは地獄行き。だから“他の奴ら”の手垢が付く前にキミの所有権を獲得する事が出来る。色々便利だからね」
男は続けて右の薬指を上げると、俯かせた顔を上げて視線とかち合う。
「三つ、キミの“大切なモノ”の価値によって、僕の“力”も増幅する。これは完全に僕だけのメリット。だから別に、キミはこの話を降りても良いんだよ」
風もないのに揺らめく火柱が男の顔を照らす。
口角をぐいっと上げ、歯を剥き出して愉しげに笑うその姿は――悪魔その物のようだ。
しかし、彼はそんな“下賎なモノ”では無いのだと、本能はひっそり訴え、しかし脳内でもう一人の自分が警鐘を鳴らしている。
“奴はそんなに、生易しいモノでは無いぞ”――と。
「……この話を降りる方法は?」
「んー、それはキミにとって至極簡単な方法だよ」
――いつものように、キミの手に握りしめられたナイフを僕の心に突き立てればいい。
「――――ッ!!」
どっと嫌な汗が額に滲む。ドクドクと畝りを上げる血潮が早鐘を刻み始めて、心臓が大きな手で鷲掴まれたように痛い。不快感と焦燥感が這いずり回る皮膚の上を、沢山の虫が舐め回すような感覚にボリボリと爪で皮膚を掻く。ぽたぽたと頬を伝って下に落ちる水滴は、どこまでも赤く、鈍く染っている。
知らぬ間に握っていたナイフを、視界にも入れたくなくて遠くに投げ捨てた。
「――はは。キミ、物好きだねぇ。……そんなに人を、“好きな人”を殺めるのが楽しかったのかい?」
「ッ、ちがッ!」
「でも、事実キミはキミの肉体を無くしても尚、求めているのは“人を殺した実績”だろう? これが物好きじゃなくて何になるって言うんだ!?」
からからと哄笑する男は眦に涙を溜めながら腹を抱え、古びたテーブルをバシバシ叩いて息を吐き出す。大量の埃が舞う中で、ぐるぐると回る視界の所為で、胃の中から何かが逆流しそうだった。
男が心底愉しげに笑うその姿が余りにも気色の悪いモノに見えて、思わず殺意を込めてしまった視線を投げると、ふっと真顔に戻った男は静かに口を開いた。
「……ごめん。本当に意地悪したくて、キミをここに連れてきたんじゃないんだ。僕は嘘つきではあるけれど、僕は決して自分と対等であると認めた相手にしか、この場所に招待しない主義でね」
「…… 」
「だから何なんだ、と言われればそこまでだけど。……キミは、キミの全てを賭けても生きたいと願う原理を――持っているだろう?」
生きたい原理。
確かにそれは、奪われ慣れすぎてしまった自分が唯一固執していた、最後の時まで手離したくないと叫んだ衝動だった。
「――よし、分かった」
「……?」
「それなら、僕もこの“人生リセットボタン卓上バージョン”に参加しようかな」
「――えッ」
「いつまでも傍観者やってるとさぁ、外部の情報を一つだけのツールで得るってなると、まぁじで暇との戦いになるんだよね。だから僕も心機一転! 僕の今までに得てきた“全ての力”を対価に、これからの人生を主観に生きてみるのもアリじゃない?」
悪戯が成功した子供のように笑う男が、背に凭れていた椅子の背柱から上体を起こし、その動きの反動のまま卓上に広がるボードゲームの中心に左の人差し指を置く。すると男が触れたボードゲームの台紙から、植物の蔓のような触手のような影の有象無象が溢れ返り、台紙に刻まれたゲームの内容が目まぐるしく変わっていく。
ずず、と重たく響く影の這いずる音を耳にしながら、男は軽々しい口調で説明を始める。
「僕が介入した事によって、難易度が爆上がりしちゃったのは先に謝る。ごめんね️♡
あと、こういった“デッドゾーン”マスで死ぬとそこで人生詰みだから、気をつけて!」
「いやいやいや勝手に決めないで……ッて言うか、この内容! まさかとは思うけど、あなたと同じ人生を歩むみたいな内容がチラホラ見えるんですけど!?」
「そりゃそうよ。だって同じ台紙だし。ほら、日本の言葉であるだろう? “旅は道連れ、世は情け。地獄の沙汰も神次第”って!」
「それを言うなら“地獄の沙汰も金次第”だ! 馬鹿!!」
書き換えられていく台紙の内容を目にする度に、頭痛が酷くなるような心地すら覚え始める。どうやらこの剽軽な目の前の男と、そう短くは無い付き合いを強いられてしまいそうな予感に、早くも匙を投げたくなった。
「せめて! せめて最初は赤の他人で良いじゃん! 何だこの“生まれた時から幼馴染な二人は、ひょんな事からオカルト探検隊を創立する”って!」
「良いじゃんオカルト探検隊。因みに言うと、このゲーム作ってるの僕じゃなくて、僕の父にして上司だから僕ら二人に拒否権は無いよ?」
「クソゲーじゃん!」
影のソレがモゾモゾと終盤の方へと進行すると、一瞬だけ意識の表面に自分が成した悪行の数々がフラッシュバックする。走馬灯のように流れていくその記憶の渦が、文字通り走馬灯なのかもしれないと辺りを付けていく。
すると、いつの間にか走馬灯から抜け出したような開放感に襲われて周りを見渡すと、影が台紙の上を行き交いつつも、その内容自体はぼやけていて読み解く事が出来ないようになっていた。ふと男が静かになっている事に気付いて一瞥を向ければ、興味深そうに影の行く末を見守る姿が目に映る。
「この影ってね、ボードゲームの“当事者(プレイヤー)”になると、行先が終盤につれて、全く見えなくなるんだよ」
「へぇー。じゃあ今はあなたも見えないの?」
「うん。僕もいつもは“見る側”だったし、このゲームの盤面を気紛れに“荒らす側”だったから」
だから今僕ね、すごく楽しみなんだ。
嬉しそうに頬を染めて目を細める男に、こんな純粋な表情も出来るのかと瞠目する。確かに、約五畳半の薄暗い部屋にずっといれば気が滅入ってしまってもおかしくないと、妙に納得してしまうのも事実だった。
「あ、完成したみたいだね」
「――影が、」
ボードゲームの台紙の上を右往左往しながら、インクの滲む箇所を書き換えていた影は、やがて役目を終えたと言わんばかりに蜷局を巻き始める。うにうにと蠢くソレが凝縮して角張ったカタチに固まると、ソレの中心から小さな紋様が浮かび上がる。
これはどうやら――。
「サイコロ……?」
「――なるほど、六面ダイスか。……うん、これで星辰の数ほどある分岐点を渡っていくんだよ。とは言え、このサイコロは振らなくていい」
「そうなの?」
そう言うと男は徐にサイコロを手に取ると、ぐちゅっと音を立ててサイコロを握り潰した。その音はまるで、いつぞやの“仕事”で聞いた事のある肉の繊維が切れる音のようで、思わず男の顔をバッと見つめる。
すると目線があった男はニヤリと器用に片側の口角を上げ、上機嫌に言葉を紡いだ。
「どうせならもっとリスキーで最高の始まりにしたいよね。……安心安全に作られたシナリオに誰が乗るかって話だよ、全く」
「えッ、……え?」
「ここは一つ、勝負に出てみるのも面白いと思うんだ。だからね――」
――ちょっと“百面ダイス(コレ)”、振ってみよっか。
ぐちょぐちょと音を立てるサイコロだったものを男が両手で潰し始めると、ソレは段々と別のカタチに形成され始める。角張った正方形から長方形、それが徐々に丸みを帯びて楕円形へと至り、最終的には真ん丸なカタチに落ち着いていた。
ニコニコ笑みを浮かべた男にひょいっと投げられたソレを反射的に掴むと、黒の球体にビッシリ刻まれた一から百までの数字。
「コレって……?」
「コレは百面ダイス。簡単に言うと、一桁に向かうほど良い兆しで、百に向かうほど悪い兆し。旅の初めの運試しって事でここは一つ!」
「え、投げるの? 投げてどうなるの?!」
「さぁ、どうなるんだろうねぇ?」
「絶対悪い事しか起こらない気しかしないッッ!!」
まぁまぁ、と笑う男の表情に身に余る殺意を抱きながらも、既に賽は投げられた後だと悟って、どうせならこの数奇な運命をとことん足掻いてみようと覚悟を決める。
手渡された少し大きめの黒の球体をぐっと握り締め、息をふっと吐き出して。
――せめて、せめて“悪い数字(ファンブル)”だけは出ませんように!
そう信じてもいない神に祈りを捧げて、ダイスが人生と言う名のボードゲームに転がり落ちる。
このダイスの出目はきっと、女神の――否、どこぞの千の無貌のみぞ知るのだろう。
「ねぇ、紗季」
「なぁに、絵里」
西日が沈み出す放課後。
閑古鳥が鳴く河川敷の畔に茂った芝生の上に腰を下ろして膝を抱え、空を回遊する番の鳥たちを後目に、私は徐に左隣に呼び掛けた。
木枯らしが吹き荒ぶ秋の季節。分厚いブレザージャケットの合間を縫って這い回る冷っこい風に肩を竦ませていると、しゃくしゃくと平然とした表情でアイスバーを頬張る友人が一つ、目を伏せた。
「どうしたの、珍しく絵里が悩み事なんて」
「……そんなに分かりやすい?」
「オマエ、自覚が無いかもだけど。いつもなら私の前では隠し事も悩み事も平然と打ち明けているし。これでもオマエの親友ポジションに居るんだって自負もしているんだけれど」
「マジか」
ぺろりと一本、寒さを微塵も感じさせない飄々とした態度で紗季がアイスの棒を舐る。どうやらアイスを食べるのに熱中していたようで、溶けたアイスで汚れた手を河の水で洗い流そうと立ち上がった彼女の後ろ姿を、私も重い腰を上げて追う。
言葉が無くとも、紗季が何を考え、何を欲しているのかを理解出来てしまう、心地好いこの関係性を崩したくは無くて、あまり踏み込んだ話を紗季にしてこなかった。
けれど時折、その関係性すら不安定なモノだと妙に冷めた私の一部分が俯瞰して見ている事に、目を瞑れなくなる事も事実で。
「いや、さ。答えたくないなら答えなくてもいいんだけど」
「うん」
「朝、部活終わりの時間に一個上の先輩に呼ばれてたでしょ。あのイケメンの」
「あー……、うん」
「んで、そんときの会話聞いちゃってさ。勿論悪気とか、盗み聞きとかしたくてしたんじゃなくて。たまたま、ね」
「分かってる。絵里はそんなどうでもいい事しないし」
「ん。だから今日、私と帰ってきて大丈夫だったのかなって、思って……」
だってあの時に感じた雰囲気が、間違いなく紗季に対して好意を抱いての言動だと察してしまったから。
緩い下り坂を緩慢な動きで下る私と紗季の距離は三歩半から縮まらない。けれど、今はその距離感が何よりも有難かった。
「――いいよ、別に。興味無いし」
「……何でさ。きっと良い人だよ? それに、紗季は美人だから私なんかと一緒に居るより、もっと友達作ったり、青春ってやつを一緒に歩む人をもっと作った方が良いと思うんだけど」
「仮にもしそうだとしても、私にとって他はどうでもいいんだよ、心底」
河の縁に着いた紗季の背中を眺めて、淡々と変わらないその声色に自然と疑問符が飛び交う。どうしてスクールカースト上位に食い込む高嶺の花である紗季が、何処にでもいるような平凡極まりないモブ女の私と一緒に登下校を共にするのか。
押し問答にも満たない会話をしながら、紗季は陸と淡水の縁にしゃがみ込んで、手荒れ一つ無い白魚のソレを水に浸し、汚れを流し始めた。
「絵里がどうでもいい事で悩んでるってのは理解した。まぁ、普通は気になるだろうしね。こんな超絶美人の女子高生が、パッと見冴えない女子高生とニコイチ張ってるんだし」
「うへぇ、それ本人に言う? ちょっとショックなんだけど」
濡れた手をシルク調のハンカチで拭いながら、紗季は笑いながら私の方へと向き直る。くるりと左足を軸に半転し、その反動に長さのあるスカートを翻しつつ口角を上げるその様は、無垢であるのに何処か艶かしい雰囲気を纏っていて。
紗季はゆるりと目を細め、大事な宝物を抱えて自慢話をするかのように、話し始める。
「ま、だからこの際言うんだけど。私、絵里にしか興味が無いの。分かる? 親とか兄弟とか、学校の先生にイケメンの先輩とか、そんなの眼中に無いくらい絵里の事しか興味無いの。絵里が誰にも媚びる事無く、いつも対等に、平等な場所に立ち続けるその姿が好きなの。誰にも靡かない、その純白な決心と強い精神が、何よりも私は好き」
「え、うん……?」
「だからね、私はずっと絵里の親友で居続けたい。絵里の傍で、絵里がどんな人間に惚れようが、どんな人間に騙されようが、私だけがオマエの唯一の理解者でいたいの」
紗季は少し湿った芝生を、傷一つ見当たらないローファーで蹴飛ばしながらこちらへ歩み寄る。
西日が徐々に傾き始め、星がチカチカと明滅を繰り返すのを視界の端で認識しながら、私は紗季から目を離せずにいた。ずっと見つめている間も紗季は笑顔を崩す事無く、ただ私の目の前まで歩み進めると徐に手を取り、再度言葉を紡ぎ始める。
「ま、とは言え。別に私は絵里に全てを認めてもらいたいわけじゃないの」
「え、そうなの?」
「うん。絵里がどんなに私から離れても良い。絵里に好きな人が出来て、好きな人と一緒に暮らして、家庭を持ったって良い。絵里の中で、私が存在しないモノとして扱われるのも、全然良いんだ」
だけどね、と。
一つ落とされた声音に、どうやら選択肢を間違えてしまったのかと後悔に似た感情が半分。
それから――
「絵里の唯一の理解者と言う立場は、私だけがいい。……私だけでいいの――それ以外、何もいらない」
――こんなにも真っ直ぐな“執着心(愛情)”を向けられて、浮き足立つ心が半分。
満更でもない心地のまま、どうにか言葉を紡ぐため口を開いた。まぁ、同じ穴の狢、と言う言葉が脳裏に過ぎるがそれも野暮と言うもので、今は目を瞑ることにして。
「――紗季って意外と重いよね。知ってたけど」
「こんな私は嫌?」
「……まさか。嫌だったら一緒に帰ってない」
「うん……、うん。そっか」
嬉しそうに頬を染めながら目を細める紗季の手を取って、私は帰路に続く道へと歩く。きっと何年後も変わらない私たちの関係性が、少しでも色褪せないモノになるように願いながら、この先も歩み続けたいと私は紗季の手をぎゅっと握った。
貴方は静かに手を離す。
それがきっと最善だと言うように。無慈悲に、不条理に、無責任に私の手を離す。
誰かが誰かを想って行動する。時にそれが、誰かにとっての傷跡になる事を、貴方は理解しえない。今までも。そして、これからも。
もしも、この結末を知っていれば、私は貴方の手を取る事は無かった。ただ独りで望むには余りにも惨めな感情のまま、自由な世界で微睡んでいたかった。
けれどそれを許してはくれない貴方が、希望の世界を私に見せた挙句、突き放して曖昧に笑うから。
私は、目を逸らせずに。溺れそうな夜の静けさの中で、ただ溢れようとする嗚咽を噛み締める。
苦しいと体が軋む。――それでも折れてはいけないと、貴方は私の手を離す。
助けて欲しいと詰まる息に喘ぐ。――それでも沈んではいけないと、貴方は私の手を離す。
かみさま。
ねぇ、かみさま。
お願いだから、私から貴方(死)を奪わないで。