「ねぇ、紗季」
「なぁに、絵里」
西日が沈み出す放課後。
閑古鳥が鳴く河川敷の畔に茂った芝生の上に腰を下ろして膝を抱え、空を回遊する番の鳥たちを後目に、私は徐に左隣に呼び掛けた。
木枯らしが吹き荒ぶ秋の季節。分厚いブレザージャケットの合間を縫って這い回る冷っこい風に肩を竦ませていると、しゃくしゃくと平然とした表情でアイスバーを頬張る友人が一つ、目を伏せた。
「どうしたの、珍しく絵里が悩み事なんて」
「……そんなに分かりやすい?」
「オマエ、自覚が無いかもだけど。いつもなら私の前では隠し事も悩み事も平然と打ち明けているし。これでもオマエの親友ポジションに居るんだって自負もしているんだけれど」
「マジか」
ぺろりと一本、寒さを微塵も感じさせない飄々とした態度で紗季がアイスの棒を舐る。どうやらアイスを食べるのに熱中していたようで、溶けたアイスで汚れた手を河の水で洗い流そうと立ち上がった彼女の後ろ姿を、私も重い腰を上げて追う。
言葉が無くとも、紗季が何を考え、何を欲しているのかを理解出来てしまう、心地好いこの関係性を崩したくは無くて、あまり踏み込んだ話を紗季にしてこなかった。
けれど時折、その関係性すら不安定なモノだと妙に冷めた私の一部分が俯瞰して見ている事に、目を瞑れなくなる事も事実で。
「いや、さ。答えたくないなら答えなくてもいいんだけど」
「うん」
「朝、部活終わりの時間に一個上の先輩に呼ばれてたでしょ。あのイケメンの」
「あー……、うん」
「んで、そんときの会話聞いちゃってさ。勿論悪気とか、盗み聞きとかしたくてしたんじゃなくて。たまたま、ね」
「分かってる。絵里はそんなどうでもいい事しないし」
「ん。だから今日、私と帰ってきて大丈夫だったのかなって、思って……」
だってあの時に感じた雰囲気が、間違いなく紗季に対して好意を抱いての言動だと察してしまったから。
緩い下り坂を緩慢な動きで下る私と紗季の距離は三歩半から縮まらない。けれど、今はその距離感が何よりも有難かった。
「――いいよ、別に。興味無いし」
「……何でさ。きっと良い人だよ? それに、紗季は美人だから私なんかと一緒に居るより、もっと友達作ったり、青春ってやつを一緒に歩む人をもっと作った方が良いと思うんだけど」
「仮にもしそうだとしても、私にとって他はどうでもいいんだよ、心底」
河の縁に着いた紗季の背中を眺めて、淡々と変わらないその声色に自然と疑問符が飛び交う。どうしてスクールカースト上位に食い込む高嶺の花である紗季が、何処にでもいるような平凡極まりないモブ女の私と一緒に登下校を共にするのか。
押し問答にも満たない会話をしながら、紗季は陸と淡水の縁にしゃがみ込んで、手荒れ一つ無い白魚のソレを水に浸し、汚れを流し始めた。
「絵里がどうでもいい事で悩んでるってのは理解した。まぁ、普通は気になるだろうしね。こんな超絶美人の女子高生が、パッと見冴えない女子高生とニコイチ張ってるんだし」
「うへぇ、それ本人に言う? ちょっとショックなんだけど」
濡れた手をシルク調のハンカチで拭いながら、紗季は笑いながら私の方へと向き直る。くるりと左足を軸に半転し、その反動に長さのあるスカートを翻しつつ口角を上げるその様は、無垢であるのに何処か艶かしい雰囲気を纏っていて。
紗季はゆるりと目を細め、大事な宝物を抱えて自慢話をするかのように、話し始める。
「ま、だからこの際言うんだけど。私、絵里にしか興味が無いの。分かる? 親とか兄弟とか、学校の先生にイケメンの先輩とか、そんなの眼中に無いくらい絵里の事しか興味無いの。絵里が誰にも媚びる事無く、いつも対等に、平等な場所に立ち続けるその姿が好きなの。誰にも靡かない、その純白な決心と強い精神が、何よりも私は好き」
「え、うん……?」
「だからね、私はずっと絵里の親友で居続けたい。絵里の傍で、絵里がどんな人間に惚れようが、どんな人間に騙されようが、私だけがオマエの唯一の理解者でいたいの」
紗季は少し湿った芝生を、傷一つ見当たらないローファーで蹴飛ばしながらこちらへ歩み寄る。
西日が徐々に傾き始め、星がチカチカと明滅を繰り返すのを視界の端で認識しながら、私は紗季から目を離せずにいた。ずっと見つめている間も紗季は笑顔を崩す事無く、ただ私の目の前まで歩み進めると徐に手を取り、再度言葉を紡ぎ始める。
「ま、とは言え。別に私は絵里に全てを認めてもらいたいわけじゃないの」
「え、そうなの?」
「うん。絵里がどんなに私から離れても良い。絵里に好きな人が出来て、好きな人と一緒に暮らして、家庭を持ったって良い。絵里の中で、私が存在しないモノとして扱われるのも、全然良いんだ」
だけどね、と。
一つ落とされた声音に、どうやら選択肢を間違えてしまったのかと後悔に似た感情が半分。
それから――
「絵里の唯一の理解者と言う立場は、私だけがいい。……私だけでいいの――それ以外、何もいらない」
――こんなにも真っ直ぐな“執着心(愛情)”を向けられて、浮き足立つ心が半分。
満更でもない心地のまま、どうにか言葉を紡ぐため口を開いた。まぁ、同じ穴の狢、と言う言葉が脳裏に過ぎるがそれも野暮と言うもので、今は目を瞑ることにして。
「――紗季って意外と重いよね。知ってたけど」
「こんな私は嫌?」
「……まさか。嫌だったら一緒に帰ってない」
「うん……、うん。そっか」
嬉しそうに頬を染めながら目を細める紗季の手を取って、私は帰路に続く道へと歩く。きっと何年後も変わらない私たちの関係性が、少しでも色褪せないモノになるように願いながら、この先も歩み続けたいと私は紗季の手をぎゅっと握った。
4/21/2024, 2:49:33 AM