西郷

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「さて、それじゃあ今から始めるゲームのルール説明をしようか」



 まだらに入り乱れる木目の特徴的なテーブルの上には、一つのボードゲームが鎮座している。向かって右隣にある燭台の上には、長めの蝋燭が火の熱で溶け始めており、薄暗い部屋の中をぼんやりと照らした。
 対面にある古ぼけた椅子に腰を浅く掛けて、フォーマルなスーツに身を包んだ、三十代前半のように見える褐色の男はニコリと笑みを浮かべると、目の前に広げられたボードゲームを指差して飄々と語り出す。



「これは言わば“人生リセットボタン”の卓上版ってやつさ。簡単だろう? このボードゲームの出目に準えてキミの転生した先の人生が決まる。必要なのはキミの同意と、キミが“今まで”に培った大切なモノ。それだけだ」



 ――どうする、やるかい?

 テーブルの上に両肘を付き、両手を組んだ上に顎を乗せて意地汚く笑うその表情に、どこか普通の人とは違う雰囲気を感じ取る。細められた目から覗く瞳孔は、仄暗い混沌の海の冷ややかさを彷彿とさせ、理由も分からずに背筋に悪寒が走った。



「僕は別にどっちでも……。でも、あなたがこのゲームをやるメリットってあるの……?」

「――んー、良い着眼点だね。面白い」



 組んでいた両手から顎を上げ、腰掛けた椅子の背もたれに行儀悪く倒れた男は、組んだ両手を解いて右手の人差し指を立てる。
 その表情は、目にかかる前髪の影によって読めない。



「一つ、僕はキミの人生に干渉する結果として、キミの魂をいつでもどこでも覗き見る事が出来る。つまり、丁度いい暇潰しになるってワケ」



 男が右の中指を立てる。



「二つ、キミの魂を勝手に覗かせてもらったんだけど、どっちにしろキミは地獄行き。だから“他の奴ら”の手垢が付く前にキミの所有権を獲得する事が出来る。色々便利だからね」



 男は続けて右の薬指を上げると、俯かせた顔を上げて視線とかち合う。



「三つ、キミの“大切なモノ”の価値によって、僕の“力”も増幅する。これは完全に僕だけのメリット。だから別に、キミはこの話を降りても良いんだよ」



 風もないのに揺らめく火柱が男の顔を照らす。
 口角をぐいっと上げ、歯を剥き出して愉しげに笑うその姿は――悪魔その物のようだ。
 しかし、彼はそんな“下賎なモノ”では無いのだと、本能はひっそり訴え、しかし脳内でもう一人の自分が警鐘を鳴らしている。

 “奴はそんなに、生易しいモノでは無いぞ”――と。



「……この話を降りる方法は?」

「んー、それはキミにとって至極簡単な方法だよ」



 ――いつものように、キミの手に握りしめられたナイフを僕の心に突き立てればいい。



「――――ッ!!」



 どっと嫌な汗が額に滲む。ドクドクと畝りを上げる血潮が早鐘を刻み始めて、心臓が大きな手で鷲掴まれたように痛い。不快感と焦燥感が這いずり回る皮膚の上を、沢山の虫が舐め回すような感覚にボリボリと爪で皮膚を掻く。ぽたぽたと頬を伝って下に落ちる水滴は、どこまでも赤く、鈍く染っている。
 知らぬ間に握っていたナイフを、視界にも入れたくなくて遠くに投げ捨てた。



「――はは。キミ、物好きだねぇ。……そんなに人を、“好きな人”を殺めるのが楽しかったのかい?」

「ッ、ちがッ!」

「でも、事実キミはキミの肉体を無くしても尚、求めているのは“人を殺した実績”だろう? これが物好きじゃなくて何になるって言うんだ!?」



 からからと哄笑する男は眦に涙を溜めながら腹を抱え、古びたテーブルをバシバシ叩いて息を吐き出す。大量の埃が舞う中で、ぐるぐると回る視界の所為で、胃の中から何かが逆流しそうだった。
 男が心底愉しげに笑うその姿が余りにも気色の悪いモノに見えて、思わず殺意を込めてしまった視線を投げると、ふっと真顔に戻った男は静かに口を開いた。



「……ごめん。本当に意地悪したくて、キミをここに連れてきたんじゃないんだ。僕は嘘つきではあるけれど、僕は決して自分と対等であると認めた相手にしか、この場所に招待しない主義でね」

「…… 」

「だから何なんだ、と言われればそこまでだけど。……キミは、キミの全てを賭けても生きたいと願う原理を――持っているだろう?」



 生きたい原理。
 確かにそれは、奪われ慣れすぎてしまった自分が唯一固執していた、最後の時まで手離したくないと叫んだ衝動だった。



「――よし、分かった」

「……?」

「それなら、僕もこの“人生リセットボタン卓上バージョン”に参加しようかな」

「――えッ」

「いつまでも傍観者やってるとさぁ、外部の情報を一つだけのツールで得るってなると、まぁじで暇との戦いになるんだよね。だから僕も心機一転! 僕の今までに得てきた“全ての力”を対価に、これからの人生を主観に生きてみるのもアリじゃない?」



 悪戯が成功した子供のように笑う男が、背に凭れていた椅子の背柱から上体を起こし、その動きの反動のまま卓上に広がるボードゲームの中心に左の人差し指を置く。すると男が触れたボードゲームの台紙から、植物の蔓のような触手のような影の有象無象が溢れ返り、台紙に刻まれたゲームの内容が目まぐるしく変わっていく。
 ずず、と重たく響く影の這いずる音を耳にしながら、男は軽々しい口調で説明を始める。



「僕が介入した事によって、難易度が爆上がりしちゃったのは先に謝る。ごめんね️♡
 あと、こういった“デッドゾーン”マスで死ぬとそこで人生詰みだから、気をつけて!」

「いやいやいや勝手に決めないで……ッて言うか、この内容! まさかとは思うけど、あなたと同じ人生を歩むみたいな内容がチラホラ見えるんですけど!?」

「そりゃそうよ。だって同じ台紙だし。ほら、日本の言葉であるだろう? “旅は道連れ、世は情け。地獄の沙汰も神次第”って!」

「それを言うなら“地獄の沙汰も金次第”だ! 馬鹿!!」



 書き換えられていく台紙の内容を目にする度に、頭痛が酷くなるような心地すら覚え始める。どうやらこの剽軽な目の前の男と、そう短くは無い付き合いを強いられてしまいそうな予感に、早くも匙を投げたくなった。



「せめて! せめて最初は赤の他人で良いじゃん! 何だこの“生まれた時から幼馴染な二人は、ひょんな事からオカルト探検隊を創立する”って!」

「良いじゃんオカルト探検隊。因みに言うと、このゲーム作ってるの僕じゃなくて、僕の父にして上司だから僕ら二人に拒否権は無いよ?」

「クソゲーじゃん!」



 影のソレがモゾモゾと終盤の方へと進行すると、一瞬だけ意識の表面に自分が成した悪行の数々がフラッシュバックする。走馬灯のように流れていくその記憶の渦が、文字通り走馬灯なのかもしれないと辺りを付けていく。
 すると、いつの間にか走馬灯から抜け出したような開放感に襲われて周りを見渡すと、影が台紙の上を行き交いつつも、その内容自体はぼやけていて読み解く事が出来ないようになっていた。ふと男が静かになっている事に気付いて一瞥を向ければ、興味深そうに影の行く末を見守る姿が目に映る。



「この影ってね、ボードゲームの“当事者(プレイヤー)”になると、行先が終盤につれて、全く見えなくなるんだよ」

「へぇー。じゃあ今はあなたも見えないの?」

「うん。僕もいつもは“見る側”だったし、このゲームの盤面を気紛れに“荒らす側”だったから」



 だから今僕ね、すごく楽しみなんだ。
 嬉しそうに頬を染めて目を細める男に、こんな純粋な表情も出来るのかと瞠目する。確かに、約五畳半の薄暗い部屋にずっといれば気が滅入ってしまってもおかしくないと、妙に納得してしまうのも事実だった。



「あ、完成したみたいだね」

「――影が、」



 ボードゲームの台紙の上を右往左往しながら、インクの滲む箇所を書き換えていた影は、やがて役目を終えたと言わんばかりに蜷局を巻き始める。うにうにと蠢くソレが凝縮して角張ったカタチに固まると、ソレの中心から小さな紋様が浮かび上がる。
 これはどうやら――。



「サイコロ……?」

「――なるほど、六面ダイスか。……うん、これで星辰の数ほどある分岐点を渡っていくんだよ。とは言え、このサイコロは振らなくていい」

「そうなの?」



 そう言うと男は徐にサイコロを手に取ると、ぐちゅっと音を立ててサイコロを握り潰した。その音はまるで、いつぞやの“仕事”で聞いた事のある肉の繊維が切れる音のようで、思わず男の顔をバッと見つめる。
 すると目線があった男はニヤリと器用に片側の口角を上げ、上機嫌に言葉を紡いだ。



「どうせならもっとリスキーで最高の始まりにしたいよね。……安心安全に作られたシナリオに誰が乗るかって話だよ、全く」

「えッ、……え?」

「ここは一つ、勝負に出てみるのも面白いと思うんだ。だからね――」



 ――ちょっと“百面ダイス(コレ)”、振ってみよっか。


 ぐちょぐちょと音を立てるサイコロだったものを男が両手で潰し始めると、ソレは段々と別のカタチに形成され始める。角張った正方形から長方形、それが徐々に丸みを帯びて楕円形へと至り、最終的には真ん丸なカタチに落ち着いていた。
 ニコニコ笑みを浮かべた男にひょいっと投げられたソレを反射的に掴むと、黒の球体にビッシリ刻まれた一から百までの数字。



「コレって……?」

「コレは百面ダイス。簡単に言うと、一桁に向かうほど良い兆しで、百に向かうほど悪い兆し。旅の初めの運試しって事でここは一つ!」

「え、投げるの? 投げてどうなるの?!」

「さぁ、どうなるんだろうねぇ?」

「絶対悪い事しか起こらない気しかしないッッ!!」




 まぁまぁ、と笑う男の表情に身に余る殺意を抱きながらも、既に賽は投げられた後だと悟って、どうせならこの数奇な運命をとことん足掻いてみようと覚悟を決める。
 手渡された少し大きめの黒の球体をぐっと握り締め、息をふっと吐き出して。



 ――せめて、せめて“悪い数字(ファンブル)”だけは出ませんように!



 そう信じてもいない神に祈りを捧げて、ダイスが人生と言う名のボードゲームに転がり落ちる。
 このダイスの出目はきっと、女神の――否、どこぞの千の無貌のみぞ知るのだろう。




4/24/2024, 3:12:51 PM