彼とわたしと

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6/25/2024, 2:17:56 PM

高嶺の花っていうと、これはまた言い過ぎで、彼はそんなに綺麗じゃないのだけど、、と思ってしまう。悪口とかじゃなくて、これも愛なのだ。彼にはその、彼にしかない褒めどころがあって、それが異常にきらきらしてしまっている。いわば、魅惑の花、そんな感じだと、思う。

他とは違う、何かが極端に偏っているなという感じ。アイデンティティが完全に確立されている感じ。
きっとその中には大人の余裕があって、それらは全て、私がまだ社会に出ていないからこそ、未熟だからこそ好きだと感じてしまう要素もあるだろう。

ただ、ここで何より問題なのは、憧れと愛情を入れ違えないことだ。頭ではわかっている。これは憧れなのだと、憧れでないと、彼に迷惑なのだと。どちらかと言えば…自らを洗脳している。愛情に代わってしまえば、きっと今の関係は崩れ落ちる。培ってきた信頼も、全て。私は高校を卒業するまでの残り1年半、私の気持ちを隠し続けなければならない。それが私の宿命であり、彼の美しく魅惑な、けれど繊細ですぐに零れ落ちてしまいそうな花びらを、守り続けなければならないのだ。

“繊細な花”

6/24/2024, 12:05:22 PM

きっともう、1年後の全ては既に決まっている。
けれど、どうなるか、全くわからない。これがまた、人生の醍醐味だと最近わかって来た。ただ続く馬車馬のレールではなく、しっかりと結果が残るのだと。人生を走らせる価値が、ここに確かに存在しているのだと。

私は特別顔が可愛いわけでも、賢いわけでも、運動神経が良い訳でもない。ただ、人並みに愛嬌があって、コミュニケーションが取れて、人より少しだけ、会話の勉強したという結果がある。これらは誰にも負けないと胸を張って言える。張る胸はないが、言える。

1年後にどうなっていたいかっていうと、もう少し勉強ができて、もっと君と近づいて、至極会話が上手くなりたいと思う。全ては、欲望に塗れている。このくらいわがままな方が、人は可愛いと思う。これらの欲望を全ては出さなくとも、君にかわいいと思われるくらいの、愛に丸め込んだ嘘と、真実を、伝えたい。君に愛してもらえるなら、本当の自分をも飲み殺せるんだ

“1年後”

6/23/2024, 12:46:23 PM

小学生の頃、中学生のことがすごく大人に見えていた。かっこよくて、背も高くて、頭も良くて、憧れだった。みんな、かっこよかった。

中学生になって気が付いた。私たちなんてまだまだ未熟で子供で幼稚じゃないかと。それに比べて高校生は、眩しい。みんながきらきらしてて、憧れだった。

高校生になって思う。小学生、中学生は、何よりもぴかぴかに光っていると。幼ささえも可愛い。高校生になってからではもう戻れない、あの素直な、透き通った心が美しいのだ。

きっと…それぞれの時代のあなたが、それぞれの美しさを持って放ってる。その美しさは誰かが見ている。そして、あなたを羨ましがってる。子供の頃は憧れてたあの大人びた雰囲気。けれど、今は幼い雰囲気が羨ましい。きっと、私たちは無い物ねだりをしながらでないと生きていけないのだろう。少なくとも私は、いつか自分が自分で満たされるようになるまで、満足して死ねないと思う。

“子供の頃は”

6/22/2024, 12:44:09 PM

朝)短い足で学校に向かう。この高校生活で一度も休んだことがない。これが唯一の取り柄だ。そしてごく稀に、後ろから歩いてくる君に声をかけられる。この最初の朝の幸福が、私の天使と共に訪れる。

夕)たまに、君と共に通学路を歩く。前までは毎日だったけれど、最近は時間が合えば一緒に帰ることになっている。これを始めた最初は、毎日一緒に帰れないことが寂しいと感じていた。が、時が経つにつれ、時間が合うなんて運命的すぎるので、たまに帰れる日々が、今までよりももっと幸せ感じられて良いなと思っている。お互いの1人の時間も生み出せたわけだし、これはこれで良い案だったのだ。

夜)たまに、君と電話をする。もちろんそんなに甘い話ではなく、ゲームを一緒にするためだ。それらは戦友としてのコミュニケーションに過ぎないのだけれど、君と時間を共有できる幸せが、この私にあるのが嬉しい。他の誰かでは解決できない、私だけの特権なのだ。そんな愛しい時間もいつかは終わりがくる。君の愛おしい声を思い出しながら布団に入り、今日最後の幸福を、私の天使の記憶で終える

こんなに甘ったるい文章を綴りながら、この日常が永遠に続けばいいのにと、夢物語を想ってみる

“日常”

6/21/2024, 12:13:00 PM

嫌いな色も、好きな色も特にない。別に色なんてなんでもいいからだ。というより、色はすべてにおいて、美しいからだ。これじゃなきゃ嫌だとか、そういうこだわりもない。無頓着で地味だとも受け取れるが、きっとこれが一番楽な生き方なのだろう。人生も、あまりこだわりを持つと大変だと思う。「こうなりたい!」という期待が自分の中で膨らみ、かつては希望に満ちていたはずの考えがいつのまにか「こうならなければいけない。」と、自分を圧迫することに変容し、自らを苦しめてしまうのだろう。

人生は長距離であり、簡単な作業に見えて、どんな時であっても難題である。無駄に労力を使いたくもないので、どれだけ手を抜いて幸せになれるかと考えた時、すべてに対して無頓着になれば、辛いこともなくなるだろうと、閃いた。けれどどうだろう?そうなると、幸せなことも特に無さそうだ。これらを解決するには、時間をかけてちょうどいい塩梅を見つけ、持続のできる、小さな小さな幸せを積もらせていくことが大切かと思う。これらが人生に手を抜きつつ、ある程度幸せに終われる方法なのかなと、閃いた。

“好きな色”

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