となり

Open App
1/7/2025, 7:31:41 AM

 富士山の上を茄子が飛んでいた。頂上で鶏の鳴き声をあげた茄子は、二番目に着いた鷹にうるさいと足蹴にされていた。瑞々しい青紫のからだに三本の白い傷。鋭い爪で引っ掻かれたのだろう。理不尽だ、と思った。赤い画用紙を貼り付けたようなハリボテの太陽が昇っていく。次第にどこからともなくピピ……ピピ……という音が聞こえてきて、意識した途端何もかもが白く消し飛んだ。
 真白な光景は一変して象牙色の天井に切り替わり、目覚めてすぐヘッドボードに置かれたデジタル時計を手探りで止める。規則正しい無機質な時の報せは役目を果たし沈黙した。

「随分おめでたい初夢だこと」

 年明け開口一番は、なんとも間の抜けた一言になった。

 芳醇な香りのする苦めのブラックコーヒー片手に、大窓の遮光カーテンを開け部屋に朝日を入れる。眩しい陽射しが否応無く日付を跨いだことを示しており、自然と視線を寄せるのはシーツに刻まれた皺の跡。年を越す間だけでも、と強請った願いは叶えられた。けれど、年中多忙な彼は正月も仕事があると言っていた。約束を守った後、私が寝静まったころを見計らい自宅に帰ったのだろう。久々に逢っても変わらぬ律儀さに口角が緩む。
 欲しい時に欲しい言葉をくれる人物は総じて誰からも好かれている。彼もまた例に漏れずその類であり、人気者故に一緒に年越しを過ごせたのは幸運だった。屹度、私以外にも過ごしたがった女性は居ただろうに。
 ほのかな甘みを纏った熱が喉を潤し、苦味を残しながら溶けて心臓まで辿りつく。血液と同化し体に巡るそれは毒にも似ていて、文字通り中毒と表すほか無い。毎回別れた翌朝に飲むブラックコーヒーは彼の名残りだ。普段とは真逆の味を渇望し、口にする。罪深いひと。カップの中で熱い吐息に滲ませた独白を飲み込む。少しひりつく舌に昨夜の情事を思い出した。絡め合った末、噛まれた先が火傷を作る。この痛みすら、彼が与えたものだと錯覚させてくれるからやめられない。傍に居ても居なくても私の中に存在してほしい──なんて。本人には口が裂けても言えないのだけれど。


#日の出

12/29/2024, 6:34:00 PM

 石油ストーブの上で餅の焼ける音がする。焦げ目のついた白くて丸い風船がぷしゅうと息を吐く。天井近くのエアコンだけが一際強く唸り、雪にあてられた隙間風が障子を叩くのにいちはやく気付いていた。
「お餅、何個食べる?」
「んー……、ひとつ」
「砂糖醤油と海苔はこっちね」
「うん…………」
 台所でけたたましく騒ぐやかんの音。焼いた餅を皿に乗せ、慌ててコンロの火を止めにいく母親。過保護な残像を横目で捉えながら、僕は炬燵に顎を乗せた。暖かい冬の部屋は身も心も、時間だって溶かしていく。生返事が続いてしまうのも許されたい。こんなにも世界はゆるやかなのだから。
 やかんの音が止まってからは密かに何かを煮込む音が聞こえる。ぐつぐつと、白い香りがここまで届いて、非常にのんびりとした速度で頭が豆乳鍋を理解する。夕飯後は更に体があたたまることだろう。
「……次のニュースです。今夜は、今年一番の大雪になるでしょう。仕事納めになる方が多いと思いますが帰り道はじゅうぶん気をつけて……」
 テレビから流れる速報がどこか遠くの出来事のように思えた。窓を叩く音の主はいつの間にか霰に変わっていたのに。それも他人事で、凍てつく外の何もかもが今の僕には別世界で。この暖かい部屋と一つになってしまいそうなくらい、溶けていた。──具体的に言うと背中を丸くして片頬までぺったり机に乗せていた。
「お餅、かたくなるわよ」
「んー……」
 戻ってきた母親に肩を叩かれ、炬燵と一心同体になりかけた身体を無理矢理起こすことに成功する。目の前に置かれた二つの皿のうち、砂糖醤油の入った皿を手前へ。箸で餅を千切ると、海苔を巻いてから砂糖醤油に浸し口に入れる。
「あちっ」
「ほら、ふーふーして」
 言われるまま、ふうふうと息を吹きかけてからもう一度餅を食む。砂糖醤油の甘じょっぱさと海苔の風味が絶妙で、口の中に広がった瞬間、眠気は吹き飛んだ。
「うまっ!」
「喉、詰まらせないようにね」
 隣で同じように息を吹きかけ、僕より小さい一口を齧る母親も美味しい、と言って笑顔を見せる。
 ふと、炬燵の真ん中を陣取る蜜柑と目が合った。深めの丸い器に入った橙色の山、その頂上に僕と母さんのふたりが居る。餅が焼けるまでの間、暇だったから黒マジックで顔を描いたのだ。美味しそうに餅を食べて笑う母さんと同じ笑顔の蜜柑を少しだけ眺めて、二口目を咀嚼する。後ろではまた、やかんから水蒸気の音が漏れ始めていた。沸く直前のしゅんしゅんと泣く声は、数秒後には再びけたたましい叫び声となるのだろう。毎年変わらない味と変わらない光景、冬の温もりが沁みていた。


#みかん

12/14/2024, 1:53:01 PM

 特別な夜を演出するに相応しくあれ。
 今日も御客様へ至上の出逢いと喜びを。

 白と金と赤と緑、それから青の眩い光が人々に笑顔を齎している。彩り豊かな電飾を纏う街路樹の周りは北風が吹いても暖かく見えた。少し頬が緩んで、それから小さな対抗心を燃やす。特別を提供するならこちらも十八番だ。
 職場に着いてすぐ糊の利いた白いシャツに腕を通し、黒のベストとスラックスを身に付け鏡の前で髪型を整える。全身チェックを済ませたら準備完了。粗相の無いように、でも固くなり過ぎないように。──ここはカクテルバー。誰もが素敵な出会いに期待し心躍る場所。出会いとは人に限らず、時に酒や話題そのものだったりもする。
 バーテンダーの自分にとってもこの場所での出会いは特別だ。何故なら誰かの特別に携われるから。御客様ひとりひとりが大事な人になるのだ。そんな大事な方々にカクテルを作ることで、自分は確たるものになれる。

「いらっしゃいませ」

 落ち着いたジャズが流れる店内に、また一人、特別な夜を求める女性がベルを鳴らした。こういう場は慣れていないのか恐る恐るカウンター席に座る彼女。少し話して警戒が解かれるとあまり酒に強くないと言う。そんなあなたには、グレナデンシロップ、ピーチネクター、それからスパークリングワインで満たした愛を贈ろう。ネープルスイエローに染まるグラスは近づく聖夜に導かれて輝きを増す。もみの木の上で瞬くベツレヘムの星のように。


#愛を注いで #イルミネーション

12/12/2024, 12:25:00 PM

 常に誰かの真似をしていた。ていのいい言葉を並べて人の輪の中へ入り、深く干渉される前にいなくなる。『都合のいい人』扱いされたならお互い様だ。何があったって本当の私を知らないくせに、と心の中で悪態を吐けば大抵のことは水に流せた。悪口も称賛も全部『造り物』への言葉で、模倣すればするほど上手くなる『それ』は特別を作る必要もなく、また特別になり得もしなかった。
 いつからだろう。軋んで鈍くなる歯車に気付かず、冷たく行き場のない感情が重い音を立てて積み上がっていったのは。見通しの悪い迷路をわざと選び彷徨い歩くような自傷行為。何でもないふりをして言い聞かせてきた軌跡は、何もかもがレプリカで出来ている。
 本当の私ってなんだっけ。答えの出ない質問を頭の中で反芻する。傷つけられないよう殻に篭って大事に大事にしてきたはずの存在は殻が割れてしまえば中身は空っぽだった。好きなことも、嫌いなことも、やりたいことも、欲しいものも、全て真似たものでそこに『私』はいない。
 偽物の心と本物の心がちぐはぐになり、ばらばらになって形を成さない。せめてミルクパズルのピースみたく一面真っ白なら綺麗だと言えたのに。墨汁を零したような黒い跡がこびりつく歪な欠片に落ち着く場所は無かった。誰かを頼ろうにも築いてきた関係は嘘偽りでしかなく、心の何処かで笑い者にしてきた自分にそんな資格はなかった。


#何でもないフリ #心と心

12/11/2024, 3:26:07 PM

 ふとした時に、離れた手の温もりを思い返す。決まってその日の夜は、堰を切ったように過去の記憶が押し寄せてくるため感傷で溺れる前に、弱音もろとも酒で無理矢理流し込んで蓋をするのが常だった。
 今日も同じく、馴染みの酒場へやってきている。人目のある、適度にざわついた場所は助かる。家で一人晩酌などした日にはたちまち寂しさに襲われて駄目になってしまいそうだからだ。図体ばかりでかい堅物の戦士が、脆いものである。これでも若い頃は、毎日賞金稼ぎに魔物の棲みつく森へ繰り出していた。食い繋ぐための報酬目的に始めた冒険者という肩書きは、生まれ持った力と磨いた剣技でどこまでいけるか試すにはちょうど良く、難しいクエストに挑戦しては強敵を倒せる喜びに夢中だった。時折ギルドから栄誉を讃え礼状を頂く、なんてこともあったが、本来冒険者は四人で一つのパーティーを組むのが通例だ。しかし、チームプレイが苦手な自分は結局一人で行くことの方が多かった。
 そんな日常が続いたある日のこと。連戦後の休憩中、ランクSの敵に遭遇した。持参の回復薬も底を尽きこれまでかと死を覚悟した刹那、巨大な氷の刃が敵の核を貫いていた。前方数十メートル先には魔法使い──かつて太陽の下で肩を組んで笑い合った、旧知の友が居た。未熟だった少年時代、修行場で出会った彼もまたパーティーを組まず一人で戦う冒険者になっていた。はぐれ者同士、風の噂で評判は知っていてお互いにもしやと思ってはいたが、会えてすぐ意気投合し、以降は二人でダンジョンを挑むことが多くなっていった。
 十数年前のあの事件が起こるまでは。

「注文のおつまみ、お持ちしましたぁ」

 愛想の良い女性店員がことり、とテーブルに皿を置いていく。酒の肴に頼んだチーズと塩胡椒のきいたケモノ肉は食欲を唆る香りを放っている。酔って味が分からなくなる前にと口の中へ放り込んだ。咀嚼しながら、思い出してしまったことを後悔する。
 十数年前、謎の黒い渦が自然発生する事件が起こった。街に警報が届いて数日後、ギルドの名簿からは奴の名前が消えていた。受付も、知り合いの戦士も、同じ職業であれば少なからず彼の名を耳にしたことはあるだろう魔法使いでさえ、誰も知らないと言う。暫く姿を見せない時は必要ないと言っても連絡をしてくる奴が突然消えるなど可笑しいと思った。同時に、どうして自分だけが覚えているんだとも。けれども、一ヶ月、数ヶ月、数年と時間が経つにつれ幾ら探し回っても何処にも居ないという結論に至った。それなのに未練がましくもこうして酒を煽りながら待っているわけだ。

「いや違う!!!」

 ドン! と、思わず強く机を叩き大きな声を出してしまった。客は何事かと一斉にこちらを振り向いたが酔っ払いが右往左往するここでは日常茶飯事らしく、すぐに先程までの喧騒が戻ってくる。歳を取ると見境が無くなって困るな。理性と共に残った羞恥心で酔いは覚め、心配して声をかけてくれた店員に勘定を頼むとそそくさと酒場を出ることにした。
 最近はこんな事ばかりだ。それもこれも夢に件の友が出てくるからだ。夢に出るのは今に始まったことじゃないが最近は特に頻繁で、まるで絶対忘れないよう呪いをかけられている、ような。……別れから十数年、最早きっぱり切り離して前を向こうとすると必ず夢に出てきて存在を主張する。それにまんまと嵌り、逆恨みと言われようがこれだけ続けば恨みたくもなるもの。考えてみれば忽然と姿を消した奴にとって自分の存在なんて薄っぺらいもんだったかもしれない、なんて──

「よーし! まだくたばってなかったようだな。感心感心」

 突如、爽やかなハーブの香りが風に乗って鼻孔を擽り、空から降ってきたのは酷く聞き馴染みのある声。裏地に模様の入った夜闇色のマントを翻し、裾に付いた水晶を満足気に眺める魔法使いが宙に浮かんでいる。消えた彼も、よく似たマントを羽織り自慢していたことを思い出した。

「しっかし、随分草臥れたねえ。これが彼の有名な〝白銀の騎士様〟とは思えないおいぼれ……っとお!」
「剣の太刀筋までは衰えていないぞ」
「感動の再会にいきなり斬り込む奴があるか! 死ぬかと思った」
「生き霊じゃないのか?」
「一度死にかけたがな。ほらよ、生きてるだろう」
「手が、温かい……」

 浮かぶのをやめて地上に降りた彼の気安い口調は紛れも無く記憶の中の友を表していた。手を取って生きている事を確認させるのは、死と隣り合わせの状況で生きる自分達には分かりやすい生存報告のようなもので。幼い頃癖付いた家族との習わしを、笑わず聞いてくれた思い出が蘇り涙が零れた。年甲斐も無く、ただぼろぼろと。


「黒い渦に呑まれた時はどうなることかと思った」

 翌日、彼は自分に何が起こったのかを事細かに説明した。まず、謎の黒い渦は上級悪魔の悪あがきによって出来たもので、近付いた冒険者を魔界へ飛ばすというなんとも傍迷惑な罠であった。彼もその餌食の一人だったのだがパーティーを組まずとも戦えるほどの魔法使いなので当然そこらの冒険者より強く、すぐに自力で這い上がることも可能だったがどうせなら悪魔を返り討ちにして更に黒い渦も無くそうと思い、虎視眈々と計画を立てていたと言う。その間、連絡が出来ない代わりに返り討ちにした悪魔から呪いのかけ方を教わり、絶対自分を忘れないよう文字通り呪文をかけていたらしい。否応無く夢に出てきたのはその所為だった。魔界では時間の流れが変わることを知らず、歳もほとんど経ることなく過ごしていたため帰ってきてとても驚いたそうだ。だからってふざけるな。取り残された者がどんな思いで、ときつく言いたくなったが、誰に忘れられてもいいからお前にだけは忘れてほしくなかった、と言われれば口を噤むしかなかった。
 目の前で笑う彼の姿は十数年前と変わらず、老いてしまった自分の姿はすっかり変わってしまったけれど、握った手の温もりも冒険へ向かう二人の姿も、これからも変わらないんだろうなと思うと今夜は安心して眠れそうだった。


#仲間 #手を繋いで

Next