となり

Open App

 富士山の上を茄子が飛んでいた。頂上で鶏の鳴き声をあげた茄子は、二番目に着いた鷹にうるさいと足蹴にされていた。瑞々しい青紫のからだに三本の白い傷。鋭い爪で引っ掻かれたのだろう。理不尽だ、と思った。赤い画用紙を貼り付けたようなハリボテの太陽が昇っていく。次第にどこからともなくピピ……ピピ……という音が聞こえてきて、意識した途端何もかもが白く消し飛んだ。
 真白な光景は一変して象牙色の天井に切り替わり、目覚めてすぐヘッドボードに置かれたデジタル時計を手探りで止める。規則正しい無機質な時の報せは役目を果たし沈黙した。

「随分おめでたい初夢だこと」

 年明け開口一番は、なんとも間の抜けた一言になった。

 芳醇な香りのする苦めのブラックコーヒー片手に、大窓の遮光カーテンを開け部屋に朝日を入れる。眩しい陽射しが否応無く日付を跨いだことを示しており、自然と視線を寄せるのはシーツに刻まれた皺の跡。年を越す間だけでも、と強請った願いは叶えられた。けれど、年中多忙な彼は正月も仕事があると言っていた。約束を守った後、私が寝静まったころを見計らい自宅に帰ったのだろう。久々に逢っても変わらぬ律儀さに口角が緩む。
 欲しい時に欲しい言葉をくれる人物は総じて誰からも好かれている。彼もまた例に漏れずその類であり、人気者故に一緒に年越しを過ごせたのは幸運だった。屹度、私以外にも過ごしたがった女性は居ただろうに。
 ほのかな甘みを纏った熱が喉を潤し、苦味を残しながら溶けて心臓まで辿りつく。血液と同化し体に巡るそれは毒にも似ていて、文字通り中毒と表すほか無い。毎回別れた翌朝に飲むブラックコーヒーは彼の名残りだ。普段とは真逆の味を渇望し、口にする。罪深いひと。カップの中で熱い吐息に滲ませた独白を飲み込む。少しひりつく舌に昨夜の情事を思い出した。絡め合った末、噛まれた先が火傷を作る。この痛みすら、彼が与えたものだと錯覚させてくれるからやめられない。傍に居ても居なくても私の中に存在してほしい──なんて。本人には口が裂けても言えないのだけれど。


#日の出

1/7/2025, 7:31:41 AM