となり

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4/4/2025, 11:53:48 AM

吹き荒ぶ嵐で覆われた日だった。
春爛漫とはかけ離れた曇天が暗幕を垂らし
怒り狂うカミナリ様と手を組んで地上の生き物を嘲笑う。
ごうごうと、飛雨に降られる桜花たちは恐々さざめき
散っていく花弁を追いかけて枝を伸ばした。
けれど、無情にもはらはらと、散ってはまた散ってはまた
涙するように零れていくのだ。

「散るために生まれたわけではないのに」

そう言って俯くだけで
またひとひら、攫われていく不条理を思った。

3/19/2025, 10:36:52 PM

「春」

 あの暖かい雨にただ凭れたくなってしまった。
 衝動に任せて家を飛び出す。玄関脇の〝気遣い〟は見ないふりする。閉じた世界の安穏を潜り、濡れた桜の絨毯を踏んで、甘い香りの水花を喰らう。頬を擽ったそれらを拭おうとしたとき、耳元で雨音が囁いた。

『これでまぎれるから我慢しなくていいよ』

 優しい音が鼓膜を震わせ次第に揺らぐ世界の端で、伝う雫の数がふえて、ふえて、ふえたのち、私は雨に溶けていった。
 どうかしている、偶然目にした誰かがそう思ったとしても。同化していたかった。
 
 散ったたんぽぽの花びらが地面にまばらな黄色の線を描いたころ。吸い込まれていく熱を見送り顔を上げると、雲間に架かっていたのは三色の橋。閉じた世界の終わりに一抹の寂しさを残して、世界はふたたび開いていった。

3/9/2025, 10:42:13 PM

 高くそびえ立つ石造りの塔、その最上に私の主はよく籠る。時々ふらっと城を抜け出し、何をしているのかと伺ってみれば、石壁を四角くくり抜いただけの窓から眼下を眺めるばかり。今日もそうだ。執事長の私は彼を城へ呼び戻すため、こうして長い長い螺旋状の階段を一つずつ登っていく。
 高い場所から悠々と見下ろすのは気分がいいとかで、階段の数は無駄に多い。そういう一面は幼少の頃から変わらぬお方だ。
 革靴の音を響かせながらようやく天辺まで辿り着くと、簡素な木の扉のみで閉じられた小部屋がある。開けると、ギィ、と弱く錆びついた音で鳴いた。行き場を失っていた窓からの風が出口を見つけた途端、頬の横を通り過ぎていく。
「領主様はここで何を見ておられるのですか」
「何も。……嗚呼、否、憂いているのだよ」
「憂いている?」
「生ける民草の儚さよ。我の労を知る事なく、我よりも先に命を散らす」
「貴方は人ではありませんから」
「だからこそ、憂いている」
「はあ」
 いつもは執務が滞ってきたタイミングで呼びに行くので、わざわざ訊ねることもしなかった。今日はまだ時間に余裕があり、折角だからと改まって聞いてみた、のだが。普段の彼からは想像のつかない答えに、思わず気の抜けた相槌を打ってしまう。無礼を許されたのは彼の視線が今もなお、眼下に注がれているからだろう。
「人間がお好きなのですね」
 仕えている者はみな、敬意を払っていることは前提として、彼のことを尊大なお方だと云う。しかし、私にとって彼はそれだけとは思えなかった。その理由をたった今ここで直視してしまったようで、突然錘の付いた足枷を嵌められた感覚に陥る。足取り重く、一歩踏み出しても彼は、私の挙動に気づかない。
「民もまた、我が守ってゆかねばならない生き物なのだ」
 そこでようやっと、こちらへ向けられた二つの紅玉には、固い決意の炎が宿っていた。ちょうど太陽が真上にのぼった頃か、逆光を浴びた彼はむしろ黒く影を作っていたというのに。どうしようもなく、眩しかった。額に生えた一本の角も、通常より勇ましく見えた。同じ魔物ですらごく偶に畏怖を感じさせる荘厳なそれを、彼は間違っても人間に見せないようにと城を出ない。たとえ、明くる日も明くる日も憂いていたとしても。

 嗚呼、ああ、あゝ、貴方はどこまでも私を見ない。

 さらに一歩、重い足取りは変わらぬままに踏み込む。物理的な距離が幾ら近付いたとてはるか彼方を見据える彼には届かない。崇高かつ傲慢な願いを抱えた魔王の目に映る私もまた、守ってゆかねばならない生き物のひとつに過ぎないのだから。

3/7/2025, 7:48:26 PM

『ショートケーキ論争』

「ショートケーキのいちごを最後までとっておく人とは仲良くなれると思う」
 突然そんなことを言い出した友人は、今まさに口いっぱいにショートケーキの最後の苺を頬張り、美味しそうに舌鼓を打っている。
「いきなりなに」
「んー、なんか食べてて思った。ショートケーキの上の大きないちごって特別じゃない?」
「まあ、そうかも」
「一番最後までとっておくのは、大事だと思った物を最後まで大事にする人かなって」
「それって、ショートケーキの苺が大事じゃない人は?」
「どういうこと?」
「上に置かれた苺を特別だと思っていない人。むしろ生クリームやスポンジが好きだ、って人には通用しないんじゃないかな」
「そんな人いるの!?」
「大声出さない」
「あっ、ごめん」
 思わず立ち上がった彼女は再び大人しく席に座る。
 ショパンの「雨だれ」が流れる落ち着いた店内の人気はまばらで、吸音性の高い壁を使っているらしくそこまで声は響かなかったみたいだ。周りの人々は変わらずそれぞれの会話に花を咲かせている。
「ショートケーキの上のいちごが好きじゃないのに、ショートケーキを選んで食べるの?」
「ショートケーキそのものが好きで食べる人もそりゃいるでしょうよ」
「え〜〜わかんない、わかんないよ……」
 ケーキを食べ終え頭を抱える彼女の真向かいで、私はまだ温かい紅茶を飲んで一息つく。カチャリ、と皿にカップを置いて言葉を続けた。
「苺が特別だと思わない人にとってその常識は当てはまらないよ」
「世界共通じゃないんだ」
「人によって常識は変わるってこと」
「なんか悲しい」
「それを悲しいと思う気持ちが、あなたらしさを作っているんだからいいじゃない」
「なにそれ。下手な慰め?」
「違う。主観的なものの見方」
「難しい言い方されてもわかんない。もっとわかるように言って」
「だーかーら。私はショートケーキの苺を最後に食べるよ」
「やっぱりそうじゃん! 大好き!」
「はいはい。私も大好き」

2/10/2025, 10:14:41 AM

『Ray of Hope』

 空が見えた。
 平和の象徴が三羽、まっすぐにこちらを見下ろしている。感情の読めない黒眼には何が見えているのだろう。およそ平和とは云えない風貌に、いよいよ迎えが来たのかと馬鹿げた考えが頭をよぎった。囲むように建ち並ぶビルは空を突き刺す勢いで鎮座している。重厚感のある佇まいを比較的穏やかにするのは、雲ひとつない大空を背に燦々と照らす太陽だ。ビル窓全体に覆い被さるほどの明るい日差しを浴びせ、真ん中で寝そべる自分を高みから眺めている。光の強さに反して熱さを感じないのが不思議だ。
 近くで飛んでいる鳩達も今のところ危害を加えてくる様子はない。しかし、長く続いた沈黙と何かを訴えるような視線には段々恐ろしさを覚え、気付けば重い腕を持ち上げ、変化を求めて手を伸ばしていた。幸い、少し翳す程度で触れられる距離だ。出来るかぎりそっと撫でると羽の部分が、ざり、と音を立てる。──ささやかな違和感。もう一度撫でてみようと手を動かす。すると、突如空気がざわめき、目の前を一瞬で黒い幕が降りた。疑問を口にする暇もなく衝撃と痛みが走って勢いよく飛び起きる。

「痛ッ、て〜〜〜!!」

 大声を挙げながら目を覚ますと、そこはいつものアトリエだった。椅子から転げ落ちたらしく、強く打ってしまった腰が痛い。軽く摩りつつ、周囲へ目を向ける。傍にはパレットと絵筆、使いかけの絵の具が散らばっていた。誰もいないアトリエは、窓からふりそそぐ月光だけを頼りに静寂を据えている。その中でぽつんと一つだけ、布の掛かっていないキャンバスがあった。気になって近付くと、先程見たままの光景が絵になっている。

「完成……してる」

 三羽の鳩と、高くそびえ立つビル、晴れやかな空が広がる絵は、思い返せば自分が描いたものだった。何日も徹夜で仕上げていたため、完成後すぐ達成感と疲労で力が抜け、そのまま夢に見たんだろう。妙に重く感じた体は睡眠不足のせいだった。生まれたばかりの作品を心から愛でるように、木枠の部分へ手を添えて確かめる。

「よかった。よかった、間に合ったんだ」

 喉奥からツンと込み上げてくる感動を押し殺し、心からの安堵を繰り返し言葉にすることでじわじわ実感していく。
 明日が期日だった。間に合わなければ、今度こそ絵を描くこと自体辞めようと思っていた。数ヶ月前から丁寧に丁寧に手掛けてきたものが、こうして出来上がってみると現実味は薄くて。それでも、今すぐ駆け出して世界中へ叫びたい気持ちになった。喜びで震える手をなんとか抑え、大切に布を掛ける。まるで最期の瞬間に思えたあの景色は、己の希望を形にした瞬間だったのだ。

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