春めく
芽吹いた花先のひとひらに込めた想いが
永遠に咲けと桜へ希っては散っていく脆さが
一陣の風に煽られてふと振り返り見る思い出が
何もかもが伸びて 伸びて 草木に生る青の季節
夏めく
サイダーの隙間から見惚れるあの人のきらめきが
長い歳月を海と生きたシーグラスから聞く助言が
アスファルトの熱を蹴った傍らで笑う陽炎が
何もかもが照って 照って 空に昇る白の季節
秋めく
どこかノスタルジィを感じる焼き芋屋を追う足音が
凩に吹かれてさんざめく落ち葉へ向けた憂いが
夕日に染まる横顔を眺めて同じ色に染まる頬が
何もかもが響いて 響いて 影を作る赤の季節
巡る季節はやがてひとつに集結する
冬めく
澄んだ夜を飾る星に乗せた涙の囁きが
蝋燭の灯りに幾許かの夢を映す眼差しが
マフラーで巻かれた二人分のぬくもりが
何もかもを結んで 結ばれて 軌跡を描く薄紫の季節
巡る季節はやがてひとつに終結する
吹き荒ぶ嵐で覆われた日だった。
春爛漫とはかけ離れた曇天が暗幕を垂らし
怒り狂うカミナリ様と手を組んで地上の生き物を嘲笑う。
ごうごうと、飛雨に降られる桜花たちは恐々さざめき
散っていく花弁を追いかけて枝を伸ばした。
けれど、無情にもはらはらと、散ってはまた散ってはまた
涙するように零れていくのだ。
「散るために生まれたわけではないのに」
そう言って俯くだけで
またひとひら、攫われていく不条理を思った。
「春」
あの暖かい雨にただ凭れたくなってしまった。
衝動に任せて家を飛び出す。玄関脇の〝気遣い〟は見ないふりする。閉じた世界の安穏を潜り、濡れた桜の絨毯を踏んで、甘い香りの水花を喰らう。頬を擽ったそれらを拭おうとしたとき、耳元で雨音が囁いた。
『これでまぎれるから我慢しなくていいよ』
優しい音が鼓膜を震わせ次第に揺らぐ世界の端で、伝う雫の数がふえて、ふえて、ふえたのち、私は雨に溶けていった。
どうかしている、偶然目にした誰かがそう思ったとしても。同化していたかった。
散ったたんぽぽの花びらが地面にまばらな黄色の線を描いたころ。吸い込まれていく熱を見送り顔を上げると、雲間に架かっていたのは三色の橋。閉じた世界の終わりに一抹の寂しさを残して、世界はふたたび開いていった。
高くそびえ立つ石造りの塔、その最上に私の主はよく籠る。時々ふらっと城を抜け出し、何をしているのかと伺ってみれば、石壁を四角くくり抜いただけの窓から眼下を眺めるばかり。今日もそうだ。執事長の私は彼を城へ呼び戻すため、こうして長い長い螺旋状の階段を一つずつ登っていく。
高い場所から悠々と見下ろすのは気分がいいとかで、階段の数は無駄に多い。そういう一面は幼少の頃から変わらぬお方だ。
革靴の音を響かせながらようやく天辺まで辿り着くと、簡素な木の扉のみで閉じられた小部屋がある。開けると、ギィ、と弱く錆びついた音で鳴いた。行き場を失っていた窓からの風が出口を見つけた途端、頬の横を通り過ぎていく。
「領主様はここで何を見ておられるのですか」
「何も。……嗚呼、否、憂いているのだよ」
「憂いている?」
「生ける民草の儚さよ。我の労を知る事なく、我よりも先に命を散らす」
「貴方は人ではありませんから」
「だからこそ、憂いている」
「はあ」
いつもは執務が滞ってきたタイミングで呼びに行くので、わざわざ訊ねることもしなかった。今日はまだ時間に余裕があり、折角だからと改まって聞いてみた、のだが。普段の彼からは想像のつかない答えに、思わず気の抜けた相槌を打ってしまう。無礼を許されたのは彼の視線が今もなお、眼下に注がれているからだろう。
「人間がお好きなのですね」
仕えている者はみな、敬意を払っていることは前提として、彼のことを尊大なお方だと云う。しかし、私にとって彼はそれだけとは思えなかった。その理由をたった今ここで直視してしまったようで、突然錘の付いた足枷を嵌められた感覚に陥る。足取り重く、一歩踏み出しても彼は、私の挙動に気づかない。
「民もまた、我が守ってゆかねばならない生き物なのだ」
そこでようやっと、こちらへ向けられた二つの紅玉には、固い決意の炎が宿っていた。ちょうど太陽が真上にのぼった頃か、逆光を浴びた彼はむしろ黒く影を作っていたというのに。どうしようもなく、眩しかった。額に生えた一本の角も、通常より勇ましく見えた。同じ魔物ですらごく偶に畏怖を感じさせる荘厳なそれを、彼は間違っても人間に見せないようにと城を出ない。たとえ、明くる日も明くる日も憂いていたとしても。
嗚呼、ああ、あゝ、貴方はどこまでも私を見ない。
さらに一歩、重い足取りは変わらぬままに踏み込む。物理的な距離が幾ら近付いたとてはるか彼方を見据える彼には届かない。崇高かつ傲慢な願いを抱えた魔王の目に映る私もまた、守ってゆかねばならない生き物のひとつに過ぎないのだから。
『ショートケーキ論争』
「ショートケーキのいちごを最後までとっておく人とは仲良くなれると思う」
突然そんなことを言い出した友人は、今まさに口いっぱいにショートケーキの最後の苺を頬張り、美味しそうに舌鼓を打っている。
「いきなりなに」
「んー、なんか食べてて思った。ショートケーキの上の大きないちごって特別じゃない?」
「まあ、そうかも」
「一番最後までとっておくのは、大事だと思った物を最後まで大事にする人かなって」
「それって、ショートケーキの苺が大事じゃない人は?」
「どういうこと?」
「上に置かれた苺を特別だと思っていない人。むしろ生クリームやスポンジが好きだ、って人には通用しないんじゃないかな」
「そんな人いるの!?」
「大声出さない」
「あっ、ごめん」
思わず立ち上がった彼女は再び大人しく席に座る。
ショパンの「雨だれ」が流れる落ち着いた店内の人気はまばらで、吸音性の高い壁を使っているらしくそこまで声は響かなかったみたいだ。周りの人々は変わらずそれぞれの会話に花を咲かせている。
「ショートケーキの上のいちごが好きじゃないのに、ショートケーキを選んで食べるの?」
「ショートケーキそのものが好きで食べる人もそりゃいるでしょうよ」
「え〜〜わかんない、わかんないよ……」
ケーキを食べ終え頭を抱える彼女の真向かいで、私はまだ温かい紅茶を飲んで一息つく。カチャリ、と皿にカップを置いて言葉を続けた。
「苺が特別だと思わない人にとってその常識は当てはまらないよ」
「世界共通じゃないんだ」
「人によって常識は変わるってこと」
「なんか悲しい」
「それを悲しいと思う気持ちが、あなたらしさを作っているんだからいいじゃない」
「なにそれ。下手な慰め?」
「違う。主観的なものの見方」
「難しい言い方されてもわかんない。もっとわかるように言って」
「だーかーら。私はショートケーキの苺を最後に食べるよ」
「やっぱりそうじゃん! 大好き!」
「はいはい。私も大好き」