となり

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1/16/2025, 10:27:17 PM

窓硝子越しに映った顔に透明の涙が滴り落ちる。外は曇天。次第に雨音は激しくなり、どれが本当のそれかは分からなくなった。

1/10/2025, 10:07:27 AM

 この仕事に勤めてから数百年。未だ顧客が途絶えないのは死んだ者の救いになるからだろう。星の人となった彼らは魂の一部を分け、この機関車の燃料として提供してくれている。今までどんな人生を歩んだかに問わず、平等に役立てる機会が得られるのは一定数の人間にとって需要がある。更に、実際に機関車に乗り御客として旅を楽しむことも出来るのだ。
 惑星と惑星の間を行き来しながら自らの一部を燃やして走る機関車からは、蒸気の代わりに星のかけらが舞い上がる。この星のかけらが重要で、夜空を彩る星座に光を与える役割を担っている。元々星座は何億光年も先の星々だ。そのため、光の限界が来ると定期的に星のかけらの輝きを吸収し、作り変わることで形を保っている。  
 この機関車を走らせる主な理由はこれだ。こちらが私の本来の仕事であり、宇宙旅行はそのついでだ。車窓から見える金粉をまぶしたような細かい煌めきは、命を燃やすだけあって地上ではお目にかかれない程に綺麗なもので。一人二人だけで独占するのは勿体無いと考えた先代のおかげで、こうして名物となった。運転士にとっても、車掌にとっても、御客にとってもやり甲斐のある行事で、中には犠牲になることで輝ける喜びに魅入られ、ぎりぎりまで魂を削ろうとする者も居る。
「……間もなく終点、地球です。お忘れ物の無いようお支度ください。本日も星群エクスプレスをご利用いただき有難うございました」
 車掌のアナウンスが聞こえ、終着駅に向けてブレーキ弁を操作する。星の人は再び地球の上で瞬き、数年に一度のこの機会をまた楽しみに待つのだろう。この仕事に携われることを誇りに思う。失われた心臓の位置にそっと手を当て、車両から降りていく彼らを静かに見送るのだった。


#星のかけら

1/7/2025, 5:39:10 PM

 とおく離れた場所から声がする。ここまでおいで。潮の騒めきに光の粒が乱反射し、踊る白波は海風を誘惑しながらきらきら輝いていた。おいで、ここまでおいで。手招くような呼びかけに背を押され一歩、また一歩と砂を踏む。ふと、灼けた浜辺から逃げたくなってセピア色に足跡をつけた。海水を吸った地面はひんやりと冷たく、柔く沈みこむ感触が癖になりそのまましばらく歩いた。
 数分後、いつの間にか声は小鳥の囀りに、裸足で踏みしめていた砂浜は伸びた草木に変わっていた。辺りはすっかり森の中で、夏の香りを帯びた薫風が後ろから前へ強く吹いている。若葉を沢山蓄えた木々に見守られ、道なき道を進んでいくと切り株の上で静かに寝息を立てるリスがいた。くるりと巻かれたふさふさの尻尾、焦茶の体毛に埋もれる木の実、殻が欠けているのは食べかけだからだろうか。無防備に眠り続けるリスを見つめ、身近に獰猛な獣がいないとわかるとホッと胸を撫で下ろした。
 しかし、ならばここは一体どこなのだろう。木に生っている果物はどれも見たことのないものばかりで、品種改良に長けた植林地帯など聞いたことがない。そもそも元いた場所とは正反対の景色に状況はどうあれ迷子であることを自覚する。……思わず、大きな溜息が溢れた。どっと疲れが出てきて、服に土が付くのも気にせずその場にへたりこむ。肩を落とし項垂れようとした矢先、突如空気が張りつめたのがわかった。即座に顔を上げ目を凝らすと、今度は全てがまっしろになっていた。
 空が見えないくらい頭上を覆い被さっていた森林は跡形も無く消え、驚いて吐いた息さえ白く染まる事実に眩暈がして意識が遠のく。が、頬を勢いよく叩き無理矢理引き戻した。じんじんと熱を持つ頬も一瞬で冷めるほどの荒んだ風は冷酷で、もし気絶でもしようものなら躊躇いなく命を奪ってくるだろう。そうなれば生きて帰るどころの話ではない。必死に両手で両腕を擦って熱を集め、このおかしな現状の突破口を探すため硬くなった足を動かす。
 まっさらな白銀の大地にはじめてを降ろす喜びよりも、夏の暑さを含んだ白砂の感触が恋しかった。既に脚先は赤裸々に悲鳴を挙げ、紫に変わるのも時間の問題だ。体温が奪われていくのがわかる。感覚が無くなっていくのがわかる。目を瞑ったら終わりだとわかっているのに目蓋が重く降りていく。質量を増した吹雪が襲いかかってきて、途切れた意識の果てに倒れ込んだのはつめたい白牡丹のベッドだった。

 ……おいで、ここまでおいで。とおく離れた場所から声がする。薄桃色の匂いが鼻先を掠めた拍子に再び目蓋を開くと、眩しく広がる青が飛び込んできた。そして、一陣の花風が前髪を攫っていく。額に触れて落ちた花びらは暖かくやわらかで。眼前に誰かが居たはずもないのにどうしてか顔が熱くなった。火照る頬を誤魔化したくて、膝の上の花弁から晴天の青空へ視線を移す。それから左右を見渡し、野花に囲まれた草原の真ん中で寝転がっていたのだと理解した。どこからが夢で、そしてどこからが現実なのか。声はもう聞こえてこない。土で汚れたはずの服も、草と花弁が点々とくっ付いているだけで。春めく零れ桜をぼうっと眺めながら「春眠暁を覚えず」という諺を思い出していた。


#追い風

1/7/2025, 7:31:41 AM

 富士山の上を茄子が飛んでいた。頂上で鶏の鳴き声をあげた茄子は、二番目に着いた鷹にうるさいと足蹴にされていた。瑞々しい青紫のからだに三本の白い傷。鋭い爪で引っ掻かれたのだろう。理不尽だ、と思った。赤い画用紙を貼り付けたようなハリボテの太陽が昇っていく。次第にどこからともなくピピ……ピピ……という音が聞こえてきて、意識した途端何もかもが白く消し飛んだ。
 真白な光景は一変して象牙色の天井に切り替わり、目覚めてすぐヘッドボードに置かれたデジタル時計を手探りで止める。規則正しい無機質な時の報せは役目を果たし沈黙した。

「随分おめでたい初夢だこと」

 年明け開口一番は、なんとも間の抜けた一言になった。

 芳醇な香りのする苦めのブラックコーヒー片手に、大窓の遮光カーテンを開け部屋に朝日を入れる。眩しい陽射しが否応無く日付を跨いだことを示しており、自然と視線を寄せるのはシーツに刻まれた皺の跡。年を越す間だけでも、と強請った願いは叶えられた。けれど、年中多忙な彼は正月も仕事があると言っていた。約束を守った後、私が寝静まったころを見計らい自宅に帰ったのだろう。久々に逢っても変わらぬ律儀さに口角が緩む。
 欲しい時に欲しい言葉をくれる人物は総じて誰からも好かれている。彼もまた例に漏れずその類であり、人気者故に一緒に年越しを過ごせたのは幸運だった。屹度、私以外にも過ごしたがった女性は居ただろうに。
 ほのかな甘みを纏った熱が喉を潤し、苦味を残しながら溶けて心臓まで辿りつく。血液と同化し体に巡るそれは毒にも似ていて、文字通り中毒と表すほか無い。毎回別れた翌朝に飲むブラックコーヒーは彼の名残りだ。普段とは真逆の味を渇望し、口にする。罪深いひと。カップの中で熱い吐息に滲ませた独白を飲み込む。少しひりつく舌に昨夜の情事を思い出した。絡め合った末、噛まれた先が火傷を作る。この痛みすら、彼が与えたものだと錯覚させてくれるからやめられない。傍に居ても居なくても私の中に存在してほしい──なんて。本人には口が裂けても言えないのだけれど。


#日の出

12/29/2024, 6:34:00 PM

 石油ストーブの上で餅の焼ける音がする。焦げ目のついた白くて丸い風船がぷしゅうと息を吐く。天井近くのエアコンだけが一際強く唸り、雪にあてられた隙間風が障子を叩くのにいちはやく気付いていた。
「お餅、何個食べる?」
「んー……、ひとつ」
「砂糖醤油と海苔はこっちね」
「うん…………」
 台所でけたたましく騒ぐやかんの音。焼いた餅を皿に乗せ、慌ててコンロの火を止めにいく母親。過保護な残像を横目で捉えながら、僕は炬燵に顎を乗せた。暖かい冬の部屋は身も心も、時間だって溶かしていく。生返事が続いてしまうのも許されたい。こんなにも世界はゆるやかなのだから。
 やかんの音が止まってからは密かに何かを煮込む音が聞こえる。ぐつぐつと、白い香りがここまで届いて、非常にのんびりとした速度で頭が豆乳鍋を理解する。夕飯後は更に体があたたまることだろう。
「……次のニュースです。今夜は、今年一番の大雪になるでしょう。仕事納めになる方が多いと思いますが帰り道はじゅうぶん気をつけて……」
 テレビから流れる速報がどこか遠くの出来事のように思えた。窓を叩く音の主はいつの間にか霰に変わっていたのに。それも他人事で、凍てつく外の何もかもが今の僕には別世界で。この暖かい部屋と一つになってしまいそうなくらい、溶けていた。──具体的に言うと背中を丸くして片頬までぺったり机に乗せていた。
「お餅、かたくなるわよ」
「んー……」
 戻ってきた母親に肩を叩かれ、炬燵と一心同体になりかけた身体を無理矢理起こすことに成功する。目の前に置かれた二つの皿のうち、砂糖醤油の入った皿を手前へ。箸で餅を千切ると、海苔を巻いてから砂糖醤油に浸し口に入れる。
「あちっ」
「ほら、ふーふーして」
 言われるまま、ふうふうと息を吹きかけてからもう一度餅を食む。砂糖醤油の甘じょっぱさと海苔の風味が絶妙で、口の中に広がった瞬間、眠気は吹き飛んだ。
「うまっ!」
「喉、詰まらせないようにね」
 隣で同じように息を吹きかけ、僕より小さい一口を齧る母親も美味しい、と言って笑顔を見せる。
 ふと、炬燵の真ん中を陣取る蜜柑と目が合った。深めの丸い器に入った橙色の山、その頂上に僕と母さんのふたりが居る。餅が焼けるまでの間、暇だったから黒マジックで顔を描いたのだ。美味しそうに餅を食べて笑う母さんと同じ笑顔の蜜柑を少しだけ眺めて、二口目を咀嚼する。後ろではまた、やかんから水蒸気の音が漏れ始めていた。沸く直前のしゅんしゅんと泣く声は、数秒後には再びけたたましい叫び声となるのだろう。毎年変わらない味と変わらない光景、冬の温もりが沁みていた。


#みかん

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