となり

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 高くそびえ立つ石造りの塔、その最上に私の主はよく籠る。時々ふらっと城を抜け出し、何をしているのかと伺ってみれば、石壁を四角くくり抜いただけの窓から眼下を眺めるばかり。今日もそうだ。執事長の私は彼を城へ呼び戻すため、こうして長い長い螺旋状の階段を一つずつ登っていく。
 高い場所から悠々と見下ろすのは気分がいいとかで、階段の数は無駄に多い。そういう一面は幼少の頃から変わらぬお方だ。
 革靴の音を響かせながらようやく天辺まで辿り着くと、簡素な木の扉のみで閉じられた小部屋がある。開けると、ギィ、と弱く錆びついた音で鳴いた。行き場を失っていた窓からの風が出口を見つけた途端、頬の横を通り過ぎていく。
「領主様はここで何を見ておられるのですか」
「何も。……嗚呼、否、憂いているのだよ」
「憂いている?」
「生ける民草の儚さよ。我の労を知る事なく、我よりも先に命を散らす」
「貴方は人ではありませんから」
「だからこそ、憂いている」
「はあ」
 いつもは執務が滞ってきたタイミングで呼びに行くので、わざわざ訊ねることもしなかった。今日はまだ時間に余裕があり、折角だからと改まって聞いてみた、のだが。普段の彼からは想像のつかない答えに、思わず気の抜けた相槌を打ってしまう。無礼を許されたのは彼の視線が今もなお、眼下に注がれているからだろう。
「人間がお好きなのですね」
 仕えている者はみな、敬意を払っていることは前提として、彼のことを尊大なお方だと云う。しかし、私にとって彼はそれだけとは思えなかった。その理由をたった今ここで直視してしまったようで、突然錘の付いた足枷を嵌められた感覚に陥る。足取り重く、一歩踏み出しても彼は、私の挙動に気づかない。
「民もまた、我が守ってゆかねばならない生き物なのだ」
 そこでようやっと、こちらへ向けられた二つの紅玉には、固い決意の炎が宿っていた。ちょうど太陽が真上にのぼった頃か、逆光を浴びた彼はむしろ黒く影を作っていたというのに。どうしようもなく、眩しかった。額に生えた一本の角も、通常より勇ましく見えた。同じ魔物ですらごく偶に畏怖を感じさせる荘厳なそれを、彼は間違っても人間に見せないようにと城を出ない。たとえ、明くる日も明くる日も憂いていたとしても。

 嗚呼、ああ、あゝ、貴方はどこまでも私を見ない。

 さらに一歩、重い足取りは変わらぬままに踏み込む。物理的な距離が幾ら近付いたとてはるか彼方を見据える彼には届かない。崇高かつ傲慢な願いを抱えた魔王の目に映る私もまた、守ってゆかねばならない生き物のひとつに過ぎないのだから。

3/9/2025, 10:42:13 PM