「春」
あの暖かい雨にただ凭れたくなってしまった。
衝動に任せて家を飛び出す。玄関脇の〝気遣い〟は見ないふりする。閉じた世界の安穏を潜り、濡れた桜の絨毯を踏んで、甘い香りの水花を喰らう。頬を擽ったそれらを拭おうとしたとき、耳元で雨音が囁いた。
『これでまぎれるから我慢しなくていいよ』
優しい音が鼓膜を震わせ次第に揺らぐ世界の端で、伝う雫の数がふえて、ふえて、ふえたのち、私は雨に溶けていった。
どうかしている、偶然目にした誰かがそう思ったとしても。同化していたかった。
散ったたんぽぽの花びらが地面にまばらな黄色の線を描いたころ。吸い込まれていく熱を見送り顔を上げると、雲間に架かっていたのは三色の橋。閉じた世界の終わりに一抹の寂しさを残して、世界はふたたび開いていった。
3/19/2025, 10:36:52 PM