となり

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 ふとした時に、離れた手の温もりを思い返す。決まってその日の夜は、堰を切ったように過去の記憶が押し寄せてくるため感傷で溺れる前に、弱音もろとも酒で無理矢理流し込んで蓋をするのが常だった。
 今日も同じく、馴染みの酒場へやってきている。人目のある、適度にざわついた場所は助かる。家で一人晩酌などした日にはたちまち寂しさに襲われて駄目になってしまいそうだからだ。図体ばかりでかい堅物の戦士が、脆いものである。これでも若い頃は、毎日賞金稼ぎに魔物の棲みつく森へ繰り出していた。食い繋ぐための報酬目的に始めた冒険者という肩書きは、生まれ持った力と磨いた剣技でどこまでいけるか試すにはちょうど良く、難しいクエストに挑戦しては強敵を倒せる喜びに夢中だった。時折ギルドから栄誉を讃え礼状を頂く、なんてこともあったが、本来冒険者は四人で一つのパーティーを組むのが通例だ。しかし、チームプレイが苦手な自分は結局一人で行くことの方が多かった。
 そんな日常が続いたある日のこと。連戦後の休憩中、ランクSの敵に遭遇した。持参の回復薬も底を尽きこれまでかと死を覚悟した刹那、巨大な氷の刃が敵の核を貫いていた。前方数十メートル先には魔法使い──かつて太陽の下で肩を組んで笑い合った、旧知の友が居た。未熟だった少年時代、修行場で出会った彼もまたパーティーを組まず一人で戦う冒険者になっていた。はぐれ者同士、風の噂で評判は知っていてお互いにもしやと思ってはいたが、会えてすぐ意気投合し、以降は二人でダンジョンを挑むことが多くなっていった。
 十数年前のあの事件が起こるまでは。

「注文のおつまみ、お持ちしましたぁ」

 愛想の良い女性店員がことり、とテーブルに皿を置いていく。酒の肴に頼んだチーズと塩胡椒のきいたケモノ肉は食欲を唆る香りを放っている。酔って味が分からなくなる前にと口の中へ放り込んだ。咀嚼しながら、思い出してしまったことを後悔する。
 十数年前、謎の黒い渦が自然発生する事件が起こった。街に警報が届いて数日後、ギルドの名簿からは奴の名前が消えていた。受付も、知り合いの戦士も、同じ職業であれば少なからず彼の名を耳にしたことはあるだろう魔法使いでさえ、誰も知らないと言う。暫く姿を見せない時は必要ないと言っても連絡をしてくる奴が突然消えるなど可笑しいと思った。同時に、どうして自分だけが覚えているんだとも。けれども、一ヶ月、数ヶ月、数年と時間が経つにつれ幾ら探し回っても何処にも居ないという結論に至った。それなのに未練がましくもこうして酒を煽りながら待っているわけだ。

「いや違う!!!」

 ドン! と、思わず強く机を叩き大きな声を出してしまった。客は何事かと一斉にこちらを振り向いたが酔っ払いが右往左往するここでは日常茶飯事らしく、すぐに先程までの喧騒が戻ってくる。歳を取ると見境が無くなって困るな。理性と共に残った羞恥心で酔いは覚め、心配して声をかけてくれた店員に勘定を頼むとそそくさと酒場を出ることにした。
 最近はこんな事ばかりだ。それもこれも夢に件の友が出てくるからだ。夢に出るのは今に始まったことじゃないが最近は特に頻繁で、まるで絶対忘れないよう呪いをかけられている、ような。……別れから十数年、最早きっぱり切り離して前を向こうとすると必ず夢に出てきて存在を主張する。それにまんまと嵌り、逆恨みと言われようがこれだけ続けば恨みたくもなるもの。考えてみれば忽然と姿を消した奴にとって自分の存在なんて薄っぺらいもんだったかもしれない、なんて──

「よーし! まだくたばってなかったようだな。感心感心」

 突如、爽やかなハーブの香りが風に乗って鼻孔を擽り、空から降ってきたのは酷く聞き馴染みのある声。裏地に模様の入った夜闇色のマントを翻し、裾に付いた水晶を満足気に眺める魔法使いが宙に浮かんでいる。消えた彼も、よく似たマントを羽織り自慢していたことを思い出した。

「しっかし、随分草臥れたねえ。これが彼の有名な〝白銀の騎士様〟とは思えないおいぼれ……っとお!」
「剣の太刀筋までは衰えていないぞ」
「感動の再会にいきなり斬り込む奴があるか! 死ぬかと思った」
「生き霊じゃないのか?」
「一度死にかけたがな。ほらよ、生きてるだろう」
「手が、温かい……」

 浮かぶのをやめて地上に降りた彼の気安い口調は紛れも無く記憶の中の友を表していた。手を取って生きている事を確認させるのは、死と隣り合わせの状況で生きる自分達には分かりやすい生存報告のようなもので。幼い頃癖付いた家族との習わしを、笑わず聞いてくれた思い出が蘇り涙が零れた。年甲斐も無く、ただぼろぼろと。


「黒い渦に呑まれた時はどうなることかと思った」

 翌日、彼は自分に何が起こったのかを事細かに説明した。まず、謎の黒い渦は上級悪魔の悪あがきによって出来たもので、近付いた冒険者を魔界へ飛ばすというなんとも傍迷惑な罠であった。彼もその餌食の一人だったのだがパーティーを組まずとも戦えるほどの魔法使いなので当然そこらの冒険者より強く、すぐに自力で這い上がることも可能だったがどうせなら悪魔を返り討ちにして更に黒い渦も無くそうと思い、虎視眈々と計画を立てていたと言う。その間、連絡が出来ない代わりに返り討ちにした悪魔から呪いのかけ方を教わり、絶対自分を忘れないよう文字通り呪文をかけていたらしい。否応無く夢に出てきたのはその所為だった。魔界では時間の流れが変わることを知らず、歳もほとんど経ることなく過ごしていたため帰ってきてとても驚いたそうだ。だからってふざけるな。取り残された者がどんな思いで、ときつく言いたくなったが、誰に忘れられてもいいからお前にだけは忘れてほしくなかった、と言われれば口を噤むしかなかった。
 目の前で笑う彼の姿は十数年前と変わらず、老いてしまった自分の姿はすっかり変わってしまったけれど、握った手の温もりも冒険へ向かう二人の姿も、これからも変わらないんだろうなと思うと今夜は安心して眠れそうだった。


#仲間 #手を繋いで

12/11/2024, 3:26:07 PM