新幹線のホームで待つ。
西陽で椅子に座る私の影が伸びる。
聴き慣れた電子音。
定番のD席。
新横浜では降りない。
あなたが待っていない駅を通り過ぎる。
後ろ髪をひかれるように、何も見えない窓を見る。
ただただ、ぼやけた私が映っていた。
題:日差し
わたしは筋萎縮性側索硬化症(ALS)だ。
やたらと転倒するようになり、パーキンソン病かと思い受診したが、診断はALSだった。
手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気で、最期は意識が保たれたまま本当の意味で寝たきりとなってしまう。
恐怖でどうにかなりそうだった。
診断を受けてから一年後。
わたしは生きている。
訪問の医療チーム、ヘルパーさん、そして妻のおかげで生きていた。
気管切開による人工呼吸(TPPV)、声門閉鎖手術を施行し飲み込むことが出来るようになったため、ペースト状だが口から摂取している。
指先も動かなくなったが、かろうじて歯を動かす事が出来る為、口に咥えるスイッチを連動させた意思伝達装置を使用し他者との意思疎通を図る事が出来ており、拙い文章だが執筆活動も行っている。
わたしの周りには毎日たくさんの人が関わってくれている。
時に悲しげな視線を送ってくる支援者もいるが、あなたとわたしの「違い」は何ですか?と心の中で問う。
出来ないことが増える苦しみは勿論多大にある。
妻の気持ちは察するに余りあるし、逆の立場だったら…と毎日考える。
だけれど、わたしは。
この世界の誰よりも、妻の手の温もりを感じられている。
題:一年後
子どもの頃、自宅裏の裏山に1本の斜めに生えた登りやすい木があった。
他の木の枝と重なり合う部分に折った枝を何本も重ね屋根を作る。
父親の工具置き場から程よいロープを取ってきて、一番太い枝に括りつけ、瞬時に降りられるようにした。
ソファ件ベッドは、中腹の二股の部分にばぁちゃん家から、毛布をくすねて来て敷いた。
酒を飲んで暴れる父親から逃げる為の俺の安全地帯。ここにいる時は自由を感じられた。
我が子の学校から、一斉メールで連絡が入る。
子ども達だけで海や山に行ってはいけません。
公園でボールを蹴ってはいけません。
下校後、学校に入ってはいけません。
勉強の時以外は、スマートフォンを触っている。
我が子の秘密基地は、スマートフォンの中にあるようだ。
昔も今も、大人が作り出す環境に左右される。
題:子どもの頃は
高台から眺めると、大嫌いなこの町も少しましに見えた。
下から掬い上げるように吹く風。
空を見上げて息を吸い、雲の流れに身を委ねる。
目を瞑り自分自身が空に染まっていく想像をする。
穏やかに冷たい風が顔を撫でる。
とても気持ちが良い。
肩が持ち上げられ、踵が浮く。
両手を広げ、空に吸い込まれていく。
安堵と解放、そして墜落してゆく心地よさを感じた…
その刹那、とてつもない力で後ろに引っ張られた。
薄水色の空と雲をバックに、眉を斜めにした君が見ていた。
頬を伝う涙が、ひどく冷たかった。
題:落下
私は自分の死に際が分かっていた。
定年まで後2年ほどになった時から、右胸に違和感があることには気付いていた。
乳癌自体がステージIV。リンパと脳にも転移していた。
主治医には余命を伸ばす為の手術を勧められたが、断った。
身体が動くうちに、出来る限りひとり暮らしの部屋の物は全て捨て、サブスクやクレジットカードも解約し、口座、保険証券や年金の類はデータにして息子には分かる暗証番号をかけメールで送っておいた。
1人で息子を育て、父、妹、母の順に家族を看取り、そしてとうとう自分の番だった。
幸いにも最期は妹と同じ脳腫瘍によって亡くなる事が出来る。意識が無くなる前に、息子に伝えなければならない事は全て伝えられた。私は心から安堵した。
私の最期も、妹と同じ病院の緩和ケアを希望した。
痛みが増強したり、肺に水が溜まり呼吸が出来なくなってくる辺りで、オピオイド(麻薬性鎮痛剤)が使用される。
私は死期を悟る。
生涯のうち、たったひとりだけ心から愛した人がいた。
その人の今を知る由も無いが。
輪廻転生が本当にあるなら、次はもっと普通に会いたい、そう願いながら眼を瞑った。
題:未来