ずっと、俺は孤独にたったひとりで死ぬんだと思っていた。
覚悟はしていたのに、人間とはいい加減で「適当に遊べる人がいたら」と煩悩に塗れた気持ちでマッチングアプリに登録した。
不埒な気持ちで始めたマッチングアプリだったのに、君と出会ってしまった。
メッセージのやりとりの段階で惹かれ、初めて会った時にはもう既に「好きだ」と思った。
回数を重ねる度に、愛おしさが増して「いい歳して」朝起きても、夜寝る時も君の事を考えた。
沼った俺は、君も同じ気持ちだという事が、言わなくても通じ合える関係だと思い込んだ。
君の全てが欲しくなる。分かるだろうと思い、わがままを言ったり、急に喋らないといった子供のような態度をとった。
優しい君は「どうしたの?」と、いつも丁寧に尋ねてくれた。
俺は更に甘えた。
ある日、心配させたくて「別れよう」と言った。
君の返事は「あなたがそう思うなら、それでいい」だった。
全身に痺れが走るほど驚いたのに、いい歳の俺は慌てふためく事も、泣いて詫びる事も出来ずただ立ち尽くし、そこから連絡を断った。
また夏がくる。あれから幾度目かの夏。
君と食べた物を見る度に、今でも思い出す。
君と過ごした一年はとても大切な時間だった。
結局、俺はひとりで死ぬんだろう。
だけど、君と過ごした時間があるから、きっとひとりじゃない。
今はそう思う。
題:君と出会って
ある日、僕の世界から音が無くなった。
顔を真っ赤にして、目をつり上げながら、大声をあげている(だろう)ママの声は、僕には聞こえない。
ママとパパはもともとあまり話をしなかった。
ママは仕事を辞めて、スマホで動画を作りインターネットにあげていた。
ある時、僕が小さい子向けのおもちゃを紹介する動画がバズり、ママは似た企画の動画を繰り返し投稿するようになった。
始めは僕も楽しかった。
だけど、TVのオーディションにも行かなきゃいけなくなったり、動画の撮影が夜おそくまでかかるようになってからは、楽しくなくなった。僕はママの為の仕事だと思うようにした。
僕はだいぶ前からママが怒り出すと音が聞こえなくなっていた。
今日も、ママは何かを怒っている。しずかな世界の中で、ママの顔だけが歪んだり、赤くなったり、震えたりしていた。僕は不思議そうな顔をする。ママはもっと怒っているようだった。
別の日の夕方、学校帰り。
僕の家のマンションまでのほそい路地で、どこかのお家からカレーの匂いがしてきた。
ママにカレーが食べたいって言ったら、怒られるかな。僕はそんなことを考えながら、俯き歩いた。
題:風に乗って
また、もうすぐ6月が来る。そして、42歳を迎える。世間で云う立派な孤独なおじさんだ。
3年前に離婚歴あり、妻とは一年の別居の末、お別れした。それでも、それなりにお付き合いする女性には恵まれ、寂しい等と感じることは無かった。
昨年12月にも、些細なことで考え方のズレが生じ、正直に「面倒くさい」と感じてしまい、さよならを彼女に告げた。
結局、自由が良い。この歳になっても、若かりし頃の感覚や残り香が自分を纏っており、歳を重ねるとそれを上手に隠せるようになっただけだ。
ふと、ベッド横のサイドテーブルに置いてあるマネークリップに目が止まる。昨年の誕生日に彼女がくれた物だ。
12月に別れた彼女の最後のLINEは「幸せでした。さよなら」だった。
今更ながら、自分は幸せか?なんて考えて生きていただろうか。ということは逆説的に、彼女の幸せも考えていなかったことにならないか。
その刹那、ひとりベッドの上で、とてつもない焦りを覚えた。
題:刹那
全ての連絡先を削除し、引っ越しを済ませて、
SNSなどからもお互いの痕跡を辿れないようにした。
…今も。
朝になると、眠そうな顔をして気怠そうにシャツに腕を通す姿を思い浮かべてしまう。
夜は、つい薄灯りに照らされたあなたを思い出し、おやすみと呟く。
もう、二度と、絶対に会いたくないと、
こんなにも、こんなにも思っているのに。
題:たとえ間違いだったとしても
当時、遠距離恋愛中の彼女は、瀬戸内海に面した小さな観光地の町に住んでいた。
自分は東京でも多摩市住みだったが、年初めに六本木にオフィスがある、それなりに名の知れた企業に転職が決まっていた為、併せて引っ越しを考えていた。
ひと月に一回でも潮風が香る町で、飾らない自然体の彼女と会えば日々の混沌した世界から離れられ癒やされていた筈なのに、いつの間にか垢抜けず田舎臭いように思い、また面倒だと感じるようになってしまっていた。
そして転職、引っ越しにかこつけて、電話で別れを告げた。彼女は「分かった」とだけ小さく呟いた。
…あれから、忙しい冬が過ぎて、いつの間にか桜が既に散り、5月を迎えようとしていた。
ふと、同僚と連休の話しになり、そういえばと思う。
もう二度と行く事は無いあの町。
起き抜けに作ってくれた、しじみと長葱の味噌汁と屈託の無い彼女の笑顔。
地上37階のオフィスから見える、ビル群の隙間に覗く空を眺めながら、この都市では「手に入れることの出来ないもの」の大きさを実感していた。
題:何もいらない