たまにはボヤいておこうか。
愛されたいな...
先日の話を更新致しましたので、目を通して頂けましたら幸いです。
生活の中にはルーティンというものが存在する。これは、意識的に取り入れているものや無意識のうちにしているものがある。難しく考えずとも、朝起きてからのことを思い出してみれば自分のルーティンというものが分かる。私の場合は、四時半に起床して五時半に設定をしている目覚まし時計のアラームスイッチを解除する。そして、すぐに起き上がり薄い毛布と掛布団を畳む。最後に敷布団を畳んで揚げ床にすれば、次いで服を着替えて靴下を履く。トイレを済ませ、十分から十五分かけて歯を磨き口を濯いだら、クリーナーを使って舌をケアする。そして予洗いを行って、洗顔ネットに高保湿ポーションと石鹸を付けて泡立てる。洗顔は日によって洗顔フォームを使う時や、石鹸も二種類を使い分けている。顔をしっかりと濯いだならば、優しくタオルドライを済ませて美容液と化粧水で保湿をする。乳液を馴染ませた後で、収れん化粧水を軽くパッティングする。次にミルク系の乳液でさらに水分を与えたならば、アロエクリームとヴァセリンのクリームで包み込めばスキンケアは終了だ。タオルハンカチを用意して、好きな香水をワンプッシュ吹きかけて畳んだなら、そっとポケットに差し込んで準備完了だ。もちろん、この間にケトルのスイッチも押してあるからお湯が湧いている。松茸のお吸い物が大好物な私は、二日に一度はこのお吸い物を頂く。そして、汁茶碗にお吸い物を用意して納豆や焼き魚を並べる。ご飯茶碗に山盛りの白ご飯を装えば朝食の出来上がり。食べる時は白ご飯は三杯いただく。私は昼休憩を取らないので、昼は食べないということであるから朝のうちに確り食べておくのだ。砂糖を抜いたストロベリーティーで一息ついて、車の鍵をベルトループに固縛したならば出発だ。起きがけから一時間でこの動きをしているのだが、これを崩してしまった日には一日中気持ちが悪い。なにかを忘れているような、ミスをしてしまっているような嫌な胸騒ぎが収まらないのである。
休みの日には、このルーティンを敢えて崩している。というのも、休みの日にまでこれをしていると今度は疲れてしまうからだ。メリハリがなくなってしまうと言えば、理解しやすいだろう。仕事は仕事で、休みは休みといったハッキリと区別をつけなければ本当の意味で身体は休まらない。気分が変わらないのだから、疲れは抜けない。しかし、休みの日だからとダラダラはしない。いつもより一時間遅めに起きて、スキンケアまでは一緒だがその後は違う。大量に作って起きたいおかずの下準備を済ませ、一度休憩がてらYouTubeを観たりこのアプリで皆様の投稿を読んで楽しむ。そして、また調理を開始するのだが、終わるのは大体は十四時くらいだ。揚げ物などでは特に時間がかかる。なんせ、クリームコロッケを作る時は六十個ほどつくるのだから時間がかかって仕方がない。ソースを作って冷やして固め、それを成型して衣をつけていく。揚げ鍋に油を用意したなら、適温まで上げる。そこからひたすら揚げ作業だ。他の料理の時も大体このような状況だが、おでん作りは二日かかる。なんせ出汁を取ったり、下茹でしたりで一日では足りないのだ。
料理をしない日は、釣りに出かけるか仕掛けを作る。妹や母の自転車のメンテナンスをしたり、家中の掃除をしたりお昼寝をしたりもする。お昼寝を共にしてくれて、、私のことを愛してくれる人が居れば募集していますのでいつでもお声がけくださいませ。冗談はさておき、これが休日のルーティンになるだろうか。仕事の日とは違う動きを意識的に取り入れることで、気分転換をして体の中の空気を入れ替えるのだ。また、勉強をするというのもとても有意義な日常のアクセントになる。私は「そろばん」のアプリゲームをしたり、数学や国語のアプリも楽しんでいる。文節や文法を学び直したりすることも、この冴えない文章力の助けとなっているからであるが純粋に勉強が楽しいこともこうしたアプリを使う理由だ。今年からは国家資格取得に向けた勉強などの取り組みにも励まなければならないし、仕事も変わる為に全てのルーティンを見直さなければならない。しかし、こうした変化というのは実はとても重要なことである。ガラッと生活のスタイルや、細かい動きというものを意識的に大きく帰ることで、考える力や想像力などあらゆる人間力を高めることができる。もちろん、日々繰り返してきたことをねじ曲げるというのは簡単ではないし抵抗があるだろう。ならばねじ曲げるのではなく、置換するのだ。意識を変えてしまえば造作もなく、こうしたことが出来てしまう。そしてその瞬間から、見えるものが変わってくるのを感じるのだ。
寝る時間や起きる時間出社時間などに合わせるのではなく、自分のスタイルとして設定をすることでもルーティンを見直すことは出来る。家を出るのが何時だからと、逆算して起床時間を決めるのではなく端から個別で考えるのだ。起きて何をしたいのか、どれくらいゆっくりしたいのかというのも重要だ。しかし、それ以上に重要なのは起きている時間。つまり活動時間内でどれだけ多くのことができるのか、タスクをこなせるのかだ。ただ毎日をむざむざと惰性で生きていては、なんの発見も経験もない。自分から飛び込んでいかなければ、発展も成長もない。だからこそ、ストイックになる必要なないが几帳面に生活をするというのは大切なことだ。もちろん、私だって人の子だ。疲れもすれば、だらしなくなりたい時もある。だからそういう時と言うのは、お昼寝して惰眠を貪るのだ。否、普段は出来ぬ心地よい眠りを味わうのだ。これが惜しいようで気持ちがいい。だが、せっかくの休みが惜しいのだという、二律背反が生じているのも事実だ。しかしそれでいいし、むしろそれがいいのだろう。バランスが取れているといえる。そして、これらの緩急というのは定期的に取り入れなければならない。人によっては曜日で生活スタイルに変化をつけるというのも、肌にあっていることもあるかもしれない。月曜日はいついつ起きて、何をするでもいいし、月火水はこうするといったスタイルでもいい。そして、それを定期的に反転させることでも素晴らしい生活になるだろう。
よく、「日常に変化がなくて詰らない」と言っている人や、「毎日おなじことの繰り返しが嫌だ」という人を見かける。しかし、それは甘えでしかないと私は考えている。なぜそのような突き放す言葉を口にしたかと言うと、先にも述べたように毎日の行動というのは自分次第でいくらでも変えられるものだからだ。寝ている時間は誰だって、身体を休めている間な意識がない。何もできやしないのだ。だから、起きている時間というのは自分の意思で変えられる。仕事で追われる人や勉強のために忙殺される人も、一時間といわず一分一秒で考えて見てほしい。そんの些細なことも、意識をしてみればきっかけというものが見つかるはずだ。寝る前の 一瞬でもいいし、起きた瞬間でもいい。食事中でもいいし、仕事中や勉強中。どこかのタイミングで、普段はしない何かを取り入れて見てほしい。すぐに新鮮な気持ちを体験できるかどうかは人それぞれだが、何かが変わるのを感じる時がある。それは違和感であるかもしれないし、ストレスのようなものかもしれない。しかし、それが大事なのだ。普段は感じないことを感じた時点で、成功しているのだから。あとはそれを自発的に取りにいけばいい。感じにいけばいい。そのうち癖になってくる。
たまには新しい自分というものを、探してみてはどうだろうか。思いもよらぬ発見ひらめきに出会えるかもしれない。そんな素敵なこと、試さずにはいられないだろう。
人生の岐路に立っている。この先どう転ぶのか、成功するも失敗するも、挫折するもしがみつくも私自身の気持ちと行動しだいだ。不安とストレスで胃が痛むが、これも私が決めたことに過ぎない。
しかし、言えることはただ1つ。
私にとって、これまでの様々な人生経験や職務経験などがこれからの私を育てる大事な財産だということだ。
執筆中。
(後日、更新致します。内容も変わります...)
やってしまった...
書いたものを保存せずにあるリを閉じてしまった....
勤務先の船場枚11時間電話をして失念してしまった...
私は脳みそが空っぽなのだろうか。
また更新します。
が、当初のお題を忘れたので適当なお話を長々と書きたいと思います。次回更新は次の土曜日かも知れません。14連勤になると思いますので、しばらくは更新は難しいものと思います。
皆様に置かれましては、このような未熟者の私に愛想を尽かすことなく、暖かく見守って頂けましたら幸いです。
ほんとうに
ごめんなさい。
日が変わり、また新鮮な想いで文字を入力していくが本日で9連勤だった為にそろそろ疲労で頭がパンクしてしまいそうだ。因みに、予定では14連勤をする。なに、これくらい平気だ。何故ならば、昨年の夏から年末にかけては最高で75連勤をしている。そして、ピンピンしているのだから大したものだ。もちろん、健康面には悪影響があることは間違いないがスイッチが入ってしまうと止められないのだ。ゾーンに入ると言えばいいのだろうか、休みがいらないとさえ感じてくるようになる。今日を無事に終えて明日もまた仕事をするのだと思うが、もしかしたら限界が来て壊れるやもしれない。だが、それがいい。それでいい。私にはちょうどいい。
このアプリを利用し始めたことで、自分では気が付かなかった発見というものが実は多い。例えば、自分が思っていた以上に文章を書くのが好きだということ。そして、長文が苦ではないことや文章を書き続けることがどんどん得意になっているということだ。二千字ほどの文章であればすぐに書き終えることが出来る。しかしながら、課題も見えた。というのも、私の文章は実に読み難いということである。長文であることや、敢えて複雑な表現などを用いることがあるからである。また、国語教育で学ぶ文章の書き方ではないことも要因となっているだろう。しかし、国語教育の文章の書き方と社会一般的な書き方では異なる点が幾つかある。句読点の打ち方や、様々な括弧などの使い方である。基本的にはルールがあり、その上で読み手に正しく伝える為の書き方や表現、句読点の位置を決める。私の文章にもこれらのルールと、拙いセンスを込めている。しかし、これでは読み手には疲れるのかもしれない。
なぜこのようなことを言うのか、それは妹に私の文章を見せたときの反応が良くなかった為である。言えば「段落や改行が少なくて、読み難い」のである。しかし私の段落や改行というのは、簡単に言えば場面の切り替わりや話の広がりの意味がある。話の流れを変えたい時や、話そのものを変える時などには段落がなければならない。これがなければ世界が広がりを見せない。何も無い平地が、ただただそこにあるだけなのだ。しかし、多用しすぎてしまうと文章として破綻してしまう。では、どうすれば読み手が苦労することなく読み進められるだろう。ポエムのような書き方では、私の話には合わない。そもそも書き終えることが出来ないだろう。次に、そうなると長文が更にスケールを増してしまい、スクロールをし続けなければならなくなってしまう。では、詩のような書き方ではどうだろうか。これでは話の腰が折れてしまう。逆に読みずらくなったり、伝えたい事と違が伝わってしまう。違う意味に取られてしまうのではないだろうか。
私が段落や改行をどのような意味で入れているのか、どういったタイミングで用いているのか。それはきっと、私の文章を評価して楽しんで下さっている方であれば恐らく理解頂けていると思う。また、私の文章が好きな方は、恐らく話好きな性格だろう。話好きというのは、話を聞くのが好きであるとか、純粋に話をすることが好きという意味である。私は初対面の人を前にしても、持ち前のコミュニケーション能力を発揮して会話をすることが出来るし、初デートやオフ会などでもリードをすることが出来る。盛り上げ役や相談相手として、頼っていただけることもありがたい。そして、この性格故に作文が得意なのである。私にとって作文は会話をすることとまったく同じ、何不自由なく楽しいことでしかないのだ。だから無駄に長文を書いてしまうのだ。そして、この話を楽しんでくださる方々というのは同じ属性なのだと感じている。仲良くしていただけると、なぞの自信が湧いてくるのだ。
ところで、私の文章を読まれている方々は感じているのではないだろうか。私の話括り方や締め方である、「なのだ」や「であろう」などについてだ。特に「なのだ」はよく用いているが、先に言っておきたい。「ずんだもん」ではない。模倣している訳でもない。「ずんだもん」のことは存じ上げていなかったが、好きな箱のライバー様が真似をしておられたのを観て知ったのだ。これがまた可愛らしい。宮城県に長く住んでいた私にとっては、とても親近感のあるキャラクターである。この「ずんだもん」というものについてご存知ない方は、是非一度調べてみていただければ魅力を知ることができるだろう。「ずんだもん」の話をしていると、ずんだ餅を食べたくなってしまう私なのだが、皆様は食べたことがあるだろうか。未だ経験がない方は、偏見や抵抗感を持たずに食べてみてほしい。病みつきになってしまうだろう。餡子など選択肢から除外されてしまうこと必至である。あまり話をしていては退屈な無駄話が長くなってしまうことは疎か、オチも何もないつまらない話に付き合わせてしまう。この辺でこの話を終わりにしよう。
人には第一印象というものがあるが、これは対人であろうと対物であろうと働くものだ。存在を知る以前に人から聞いた話の内容から、勝手な印象を頭の中で作りこんでしまう。対面した時の見かけや身なりなどの様相だけで、勝手な印象を持ってしまい偏見の目で見てしまう。これは生き物として仕方の無いことであるが、人間というのはそこそこに賢い。賢さゆえのことでもあるのだが、自分から知ろうとすることを忘れないで欲しい。見かけによらないとはいうが、これはその通りである。強面の人間も話をしてみれば、実はとても穏やかで優しい人間だったりする。逆もまたあることだろう。ずんだ餅も見た目が緑でインパクトが強いために、抵抗を感じる。枝豆を餡にした甘味とあって味の想像がつかないからと勝手な想像で美味しくなさそうだと思い込んでしまう。私もそうであったが、人様の家で茶に上がった際に出された茶菓子がずんだ餅であったとき仕方なく食べたのだ。美味かったのだ。豆臭いとか違和感などはまるでなく、そこにあるのは新境地だけだった。何事も、自ら知ろうと歩み寄れば新たな一面を垣間見ることができるのだ。
「お気に入り」登録をして頂いている皆様、日頃は私の拙い話を見ていただき誠にありがとうございます。
多忙の折、なかなか執筆出来ていません。仕事で目を酷使していることが要因か、目も霞んでおり非常に難儀していまして、更新頻度が一時的に下がってしまうかもしれません。お楽しみいただいて下さいます方には、申し訳の次第もございません。短文であれば執筆できるのですが、私には短文でお話を構成することに寂しさを感じておりまして、毎度の長文は意図してのもので御座いますことをお伝え致します。短く話を要約して文章を書くことは、もちろん出来るのですが文章力を養うという目的でこのアプリを使用させていただいておりますので、敢えて短文での構成を避けております。
また、4月からは転職などの生活の変化も重なることから、新しいお話を執筆するということがなかなかに難しくなってしまう可能性があることについても併せてお伝えさせて頂きたく存じます。とはいえ、まったく更新をしない訳でもアプリの利用を停止するつもりは御座いません。ぜひ、今後とも楽しみにしていただいて、楽しく読んでいただけましたら幸いで御座います。軽い気持ちで利用を開始した本アプリでございますが、気がつけばたくさんの方が「お気に入り」に登録して下さいましたことで、いつも新しい話を書くということが楽しみになっております。もちろん皆様に置かれましては、それぞれにお思いのこともあるかと存じます。しかしながら、こうして私が書いている稚拙な文章に目を通していただいて「また読みたい」と思って頂いていると自惚れるだけでやる気が漲るのです。どうぞ生暖かい目で見守って頂き、応援していただけますと有難く存じます。
これまでの話では私の人生で経験してきたことなどをもとにしていますが、4月からは国家資格取得などを目指して勉学にも励んで参りますので、よりスパイスの効いた話を書けるのではと考えております。こうして経験や体験したことなどを文章に起こすことで、改めてその時のことを振り返ることが出来ます。当時に立ち返って見ることで、今更ながら新たな発見をすることが出来ます。あの時分の考えや思いも、今ならば違う角度から考察することが出来る、とても有意義な事だと思います。自分自身のことを思い出しては文字に起こし、改めて反省をしたり後悔をして素直な気持ちで自己研鑽を積むことができる。そうも考えて活動をしています。
さて目の疲労の為に執筆が滞っている旨を謝罪させて頂きましたのに、いつまでも駄文を綴っておりますのは、今になって目が慣れてきたからで御座います。「何かと思って読んでいれば、結局いつもと同じで長ったらしい文章ではないか」とお思いのこととは存じますが、私も全く同じ気持で御座います。短いご挨拶で終えるつもりで降りましたが、目が慣れてきてしまったもので頭がフル回転をはじめました。私の中のやる気スイッチが押下されたように、頭の中に文字にしたい気持ちや言葉というものが、目まぐるしく流れていくので御座います。仕事から帰ってきて真っ先にお酒を飲むことが私の楽しみであり疲労からの逃避で御座いますが、こうして執筆モードに突入してしまえば、むしろこちらが何よりもの逃避術。私は小学生の頃から作文などといった、自分の思いや考えを文字にすることが何よりも得意で御座いましたが、これを具体的に説明するととても複雑になってしまいます。今、こうして文字を綴っておりますのも会話をするのと全く同じ状態であり、難しいことを考えず文章が出来上がっていくのです。私の書いた話は、概ね二千字ほどから構成されておりますが執筆時間は凡そ20~30分程。何故こうも時間がかかっているのか、それはこのアプリでは長文を書いておりますと動作が重くなるのです。そのために一字あたりの処理速度が低下して、入力に対する反応が鈍くなることで全体的な作業時間が増えてくるのです。これを回避するために一度、投稿をして保存をして再度編集をするといった非常に手間のかかることをしております。
私がこのアプリで長文を書く際の手間暇について触れましたが、これはなにも不便な事ではなく仕方の無いことであると考えております。先日の投稿では、保存はされるが正しく反映されないという不具合もありました。開発者様は、このような長文を想定しておられなかった可能性も御座いまして、これは私の都合が要因のものと思われます。投稿(保存)をしては編集を繰り返していますと、アプリの動作も不安定になってしまいます。「メモ」を目的としたアプリなどで下書きをと考えたこともありますが、段落や改行の処理を後から行うというのは骨が折れます。下書きについては諦め、こちらでアプリとスマホに負担をかけながら話を書くことに集中することに。しかし、重い。実に重いのです。文字を入力すればするほどにどんどん挙動が不安定になっていく。その為、誤字や脱字については確認を行っておりますが、私の見落としが散見されるかもしれません。
さて、今の思いを駄文にてぶつけさせて頂いたが、これも私にとっての「現実逃避」の術のひとつ。会話好きの私には打って付けであるといえる。こうして意図して長い文章を書くことで、他の余計な気持ちや考えが遮断されるのだ。公私のストレスや悩み事など、実に小さくどうでも良いことなのだと実感する。故に、私はまたこうして文字を書き連ねていく。
今回は導入や話し方について、変化をつけたがこれも実に有意義であった。普段はしないやり方というものに、敢えて挑戦することでさらなる発展が期待できる。実際、私は今後の文章について課題を見つけることが出来た。この課題をどのように処理をしていくのか、酒を楽しみながら考えるとしよう。
子供の頃というのは、男の子は特にそうだが色々な昆虫を手に取り、観察をしたり遊んだりしたのではないだろうか。かく言う私もその一人だ。家の周りや活動範囲内というのは、木々が生い茂り草花が鮮やかに世界を彩っていた。そんな環境で学校帰りや、休日には親に怒られるまで昆虫を追いかけて遊んでいた。ここまでなら可愛い子供をイメージするだろうが、私は違った。ダンゴムシを見つければ焚き火の中に放り込んでみたり、セミを見つければおもちゃの小さな箱の中に押し込んで土に埋めたりした。ダンゴムシを窓のサッシに設置して、そこにチョロQを走らせたりもした。蟻を見つけては蜂蜜やオリゴ糖をかけて反応を面白がったり、モンシロチョウを見つければ片っ端から木の枝で叩き落として土に埋めた。
好奇心や探究心の塊だった私に、いきものの命などという考えはまるでなかった。否、自覚をしていたかったというべきだろうか。近所のケーキ屋の軒先に地域猫用の餌が置かれていたのを見た私は、洗剤を混ぜたり適当なものを混ぜ込んだりした。そこに悪意や殺意、傷つけようなどという考えも気持ちも、想像すらなかった。ただひたすらに思うままに動いていた。家の前を流れる穏やかな川に降りて水生昆虫を探したり、探検をした。丸太が流れ着いているのを見かけたのは、大雨の次の日だった。雨が降ると恐ろしくなるようなうねりを上げて、茶色い濁流となって轟音を響かせる川に自然の怖さを感じたものだ。丸太を観察してみたくて川に降りたが、この時は当時仲のよかった友達と一緒だった。彼と共に、丸太の近くに堆積していた石を避ける。丸太の片方を持ち上げると猫がいた。生きていたのか、既に無くなっていたのか分からない。分からないのは、私がその丸太を何度も猫の上に落としたからだ。息があるのかどうかも確認もしないままに、興味だけでそんなことをしたあとで考えてしまった。私が殺めたのか、既に息絶えてそこにいたのか。川に流されて尽きたのか、やはり私が普段は使わない頭を全力で回転させたが意味の無い事だった。前後の記憶が曖昧で、よく思い出せない。これは今でも思い出せない。
どの様ないきものも尊い命だ。この世に生きる儚い命だ。いつ尽きるとも知れぬ切ない命。例え悪意がなくとも、殺生は許されない。傷つけること、傷つけようとすること、侵害しようとすることは命を軽んじているということである。この地球上に生まれて、ここの役割を果たすために必死に生きる小さな虫たちにも、私たちと同じだけ重く尊い命がそこにある。人間の生死を目にし、耳にした時ショックを受けるように、そんな小さな命も同じように扱わなければならない。人間というのは存在しているだけで地球環境にとっては、害をなすものでしかない。しかし、虫やというのは環境を維持するためにそれぞれの役割を意図せず果たしている。生きることで環境のために貢献している。動物たちもそうだ。しかし人間というのは文明社会を築くために、あらゆるものを侵害し、身勝手に侵略し侵食してきた。今もまたその真っ只中にある。
人間は、生かされていることを忘れてはならない。植物や虫、動物の存在あって人間という脆弱で傲慢な生き物は生きながらえている。私は、この愚かで矮小な人間の先頭にいる。悔やんでも悔やんでも、悔やみきれない。奪った虫の命やあの日の猫のことを思う、後悔や罪悪感で押しつぶされそうになる。もしもあの時、猫と命を奪っていなかったとしても、その亡骸をぞんざいに扱ったことに違いはない。か弱く儚いいきものの尊厳を踏みにじったことの事実は、たとえ私がどれだけ自責しようと変わらない。私は実に愚かで稚拙な人間だ。
仏教には地獄という考え方がある。私のように弄ぶように命を奪うことを繰り返した人間は、間違いなく地獄に堕ちる。死後、この魂は地獄で自らが犯した罪の重さと愚かさに苛まれ押し潰され続けるのだ。この先、どれだけ善行に励もうがそんなことは関係の無いことだ。たとえ虫のような小さな生き物だろうと、人間と同じたった一つの命なのだ。子供の頃に、自らの行いを恥じ、自覚したときから私は私が殺めてしまった虫たちのことを忘れたことは無い。
小学生の時に大切な友人を病気で失った私は、命の儚さ切なさ、重みをよく分かっていたはずだ。それにもかかわらず人間以外には、とても酷いことをしてきた。なんて醜い人間なんだ私は。この話を読んだ人は私のことを嫌うだろう。私のことを愚かで傲慢で、身勝手で馬鹿な人間だと罵るだろう。しかし、私にはそれだけの原因がある。理由と事実があるのだ。軽蔑してくれたっていい。どのように償っていいのかなど、分かるはずがない。ありえない数の命を奪ったのだ。人にやさしく、親切に接して尽くしたところで何にもならない。いつも思い出しては苦しくなる。辛くなる。
嗚呼、私はなんて馬鹿なのだろう。
私の家族の中には絆や団結力など、血が繋がっている家族が持っているはずのものはなかった。幼い頃から、暴力で物事を解決する長男に殴られて育った。父親のいない家族の中では長子の姉がその役目を担うしかなく、姉は様々な重荷を背負っていた。次男の兄はマイペースだが感情的で、いつも拗ねたり喚いたりやしていた。そんな兄弟を見ていた私は、活発で人になつきやすく好奇心旺盛だがそれでいて至極冷静だった。末子の妹は、幼い頃は甘えん坊だったが男勝りで我の強い内弁慶娘になった。母はというと、若い頃にレディースでやんちゃをしていたりしていたこともあって何かあると怒鳴りあげるような性格だった。叱ることの出来ない親で、感情むき出しで怒鳴り散らしていた。もちろん、普段は優しい。父がいないのは、私が3歳の頃に亡くなったからだ。地元の極道の組員だった父は、カタギに戻ったあとも家族を大事にはしなかった。酒ばかり飲んで、金が尽きれば家のものを質に入れてはまた酒を買った。姉が大切にしていた陶器の貯金箱を壊して、その金でパチンコや競馬にも使った。到底、父とは呼べないような人間だった。それどころか人間としての品格を疑うような、自分勝手でだらしない人間だった。
そんな父は、長男だけはとても可愛がった。だから私たち兄弟には、父との親子らしい思い出などひとつもない。私には1度だけ肩車をしてもらった記憶があるが、あれはきっと気まぐれだったのだろう。家族は誰も父のことを良くは思わない。そして、一人だけ父に大切にされていた長男を家族皆が嫌った。私は人懐こい性格だったため、幼い頃から兄や兄の友達と毎日のように遊んでいた。その中には実の姉のように慕っていた、また実の弟のように可愛がってくれていた人もいた。その人が引っ越して行くことを知った時はとてもショックを受けたが、そんな私を長男は様々な遊びで慰めてくれた。もちろん、兄弟いつも仲良いわけが無く兄と喧嘩した時は殴られたひもした。私も包丁を持ち出して殺してやると暴れたりもした。とはいえ、やはり基本的には長男とは仲良くしていた。
私以外の家族から冷たくあしらわれていた長男は、いつしか非行に走るようになった。否、自分の存在を暴力や危険行為や迷惑行為という形で示したかっただけなのだろう。そうする他、自分自身を見てくれることがないと考えたのだろう。長男は小学生四年生の頃には、授業中に抜け出して学校内で遊び回っていた。学校中で長男のことが噂になり、危険だから関わらないようにしようといった雰囲気が流れていた。ただ、私には心強かった。悪口を言われたり、叩かれたりした時は兄に相談すればすぐに解決した。兄が相手を半殺しにするからだ。もちろん、私はそれが嬉しかったし間違っているとは思わなかった。兄は腫れ物扱いをされるが、私にはヒーローだった。私自身はクラスの中では弟のような立場だったので、普段はみんなから可愛がって貰っていた。
兄成長するにつれて、その行動が派手になっていった。しかし、成長するにつれて兄弟に手を挙げることはなくなった。しかし、小遣いを強請っては煩いと一蹴されては暴れていた。私の家族には、お小遣いなんて贅沢なものはなかった。友達はみんないつも財布をもっていたが、私たちにはそれがなかった。だから、長男の気持ちはよく分かっていた。中学に上がった長男は、女子に暴力を振るったり暴れ回っていたりして生徒指導の先生にボコボコにされることがよくあった。こう書くと、生活指導の先生が暴力野郎のように思うかもしれないが私たちには父のような存在だった。よく家に来ては、お菓子やケーキをくれたり相談に乗ってくれていたからだ。まだ小学生の私にも、中学に来たらよろしく頼むと笑顔を見せてくれていた。
中学を卒業した兄は、高校に通っていたが中退。バイトをしていたがこれも直ぐに辞めてしまった。どこでどのように知り合ったのか、暴走族のメンバーや暴力団に関係のある人間と遊ぶようになっていた。私もよく学校をサボって一緒にカラオケに行ったり、家で遊んだりしていた。皆優しくあたたかかった。きっと長男にとって家族から貰えない温もりや一体感を、彼らといることで得ていたのだろう。母や兄弟は長男のこの行動をよく思わなかった。不良とつるむな! と怒鳴っては長男の話など聞かず、気持ちも考えないで突き放していた。私はこの時には長男の孤独が痛いほどよくわかっていた。長男の抱える寂しさや、心の苦しみ。どれだけ叫んでも誰も耳を傾けてはくれないことへの絶望や苛立ちは、行動や言動を目にすれば明らかだった。不良グループとか変わっていれば、トラブルは付き物だ。リーダーの女に手を出しただのと因縁をつけられて、夜の海浜公園でリンチにされて肋骨を骨折した兄がボロボロで帰ってきた。翌日に病院へ連れていったのだが、その日のうちにいつも遊んでいる不良メンバーが家に来て土下座をして謝罪をしてきた。勘違いだったこと、リンチをして申し訳なく思っていること。今後も遊ばせて欲しいということを謝罪とともに懇願していた。母はこれを拒絶。長男のためではなく、純粋に不良が嫌いだからだ。顔を見せるな!二度と近づくな! と追い出したが、それ以降も長男は彼らと遊んでいたし私も仲良くしていた。
隣町の警察署から家に電話が入ったのは、しばらくしての事だった。物を盗んで通報するで駆けつけた警察から逃げるために、たまたま鍵が着いたままの原付を盗んだのだという。原付は使われていない田んぼに捨てられていたそうだ。家庭裁判所は鑑別所での指導が妥当と判断し、兄は家を去った。家族は皆、兄がいなくなって清々したと口々に胸をなでおろしていた。私にはそれが悲しかった。だから、面会には行かないが手紙は書いたし出所が決まればパーティの用意もした。家に帰ってきた長男は涙を流してありがとうと抱きしめてくれた。保護観察処分もついたので、長男と共に保護士の住職の元へ通った。坐禅をして読経を聞いて、お茶菓子を頂きながら説法を聞いた。こうして兄も穏やかになって行ったが、家族が何も変わらなければ問題は解決しない。結局、家族の態度が長男を硬化させた。
1年後の冬だった。日の出を見てくると言って家を出た長男は、帰ってこなかった。二ヶ月後に朝刊を手にした祖母が家を訪ねてきて、記事の内容を指さした。名前こそ書いては無いものの、長男ではないかと言う。まさかと思っていると、後日警察署から長男を逮捕したと連絡を受けた。拉致誘拐、監禁、暴行、恐喝や強盗で逮捕されたのだという。そして、兄と共に逮捕されたのは私もよく遊んでいたメンバーだった。少年院に送られた兄へ、欠かさず手紙を書いてその日あったことを話し合った。面会には行かなかった。私とは温度差のある家族と面会に行くのが嫌だった。外面のいい家族が嫌いだった。所内でてんかんを発症した長男は医療少年院へ移され、その半年後に家に帰ってきた。帰ってきた兄はグループホームにお世話になるようになって、そこでできた友達のことを楽しく話すようになった。それが嬉しくてたまらなかった。
その後に私は仙台に渡ったので、長男の状況が分からなかった。しかし、3年後に兄から連絡が来た。母から連絡先を教えてもらったと喜んでいた。帰ってきたら遊ぼうと、一緒に酒を飲もうと話した。そして、私は確認をしてみたこれまでの行動やその真意について。やはり、孤独から逃れるためだと言っていた。私がいつも変わらず接していたから、それがいつもいつも嬉しかった。救いだったと言ってくれた。
宮城から帰ってきて何度か顔を合わせたが長男が来る時はいつも出勤前で時間が無く二言三言しか話せなかった。グループホームで知り合った奥さんと、その連れ子を連れてきていた長男は幸せそうだった。だが、母は一方的に縁を切った。疎遠になってしまった長男が、どこでどう暮らしているのか分からない。分からないが、私が彼を想う気持ちはずっと変わらない。
きっと、また私だけでも縁を取り戻して一緒に酒を呑んだり釣りに出かけたりするんだ。