-ゆずぽんず-

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たまにはボヤいておこうか。


愛されたいな...


先日の話を更新致しましたので、目を通して頂けましたら幸いです。


生活の中にはルーティンというものが存在する。これは、意識的に取り入れているものや無意識のうちにしているものがある。難しく考えずとも、朝起きてからのことを思い出してみれば自分のルーティンというものが分かる。私の場合は、四時半に起床して五時半に設定をしている目覚まし時計のアラームスイッチを解除する。そして、すぐに起き上がり薄い毛布と掛布団を畳む。最後に敷布団を畳んで揚げ床にすれば、次いで服を着替えて靴下を履く。トイレを済ませ、十分から十五分かけて歯を磨き口を濯いだら、クリーナーを使って舌をケアする。そして予洗いを行って、洗顔ネットに高保湿ポーションと石鹸を付けて泡立てる。洗顔は日によって洗顔フォームを使う時や、石鹸も二種類を使い分けている。顔をしっかりと濯いだならば、優しくタオルドライを済ませて美容液と化粧水で保湿をする。乳液を馴染ませた後で、収れん化粧水を軽くパッティングする。次にミルク系の乳液でさらに水分を与えたならば、アロエクリームとヴァセリンのクリームで包み込めばスキンケアは終了だ。タオルハンカチを用意して、好きな香水をワンプッシュ吹きかけて畳んだなら、そっとポケットに差し込んで準備完了だ。もちろん、この間にケトルのスイッチも押してあるからお湯が湧いている。松茸のお吸い物が大好物な私は、二日に一度はこのお吸い物を頂く。そして、汁茶碗にお吸い物を用意して納豆や焼き魚を並べる。ご飯茶碗に山盛りの白ご飯を装えば朝食の出来上がり。食べる時は白ご飯は三杯いただく。私は昼休憩を取らないので、昼は食べないということであるから朝のうちに確り食べておくのだ。砂糖を抜いたストロベリーティーで一息ついて、車の鍵をベルトループに固縛したならば出発だ。起きがけから一時間でこの動きをしているのだが、これを崩してしまった日には一日中気持ちが悪い。なにかを忘れているような、ミスをしてしまっているような嫌な胸騒ぎが収まらないのである。
休みの日には、このルーティンを敢えて崩している。というのも、休みの日にまでこれをしていると今度は疲れてしまうからだ。メリハリがなくなってしまうと言えば、理解しやすいだろう。仕事は仕事で、休みは休みといったハッキリと区別をつけなければ本当の意味で身体は休まらない。気分が変わらないのだから、疲れは抜けない。しかし、休みの日だからとダラダラはしない。いつもより一時間遅めに起きて、スキンケアまでは一緒だがその後は違う。大量に作って起きたいおかずの下準備を済ませ、一度休憩がてらYouTubeを観たりこのアプリで皆様の投稿を読んで楽しむ。そして、また調理を開始するのだが、終わるのは大体は十四時くらいだ。揚げ物などでは特に時間がかかる。なんせ、クリームコロッケを作る時は六十個ほどつくるのだから時間がかかって仕方がない。ソースを作って冷やして固め、それを成型して衣をつけていく。揚げ鍋に油を用意したなら、適温まで上げる。そこからひたすら揚げ作業だ。他の料理の時も大体このような状況だが、おでん作りは二日かかる。なんせ出汁を取ったり、下茹でしたりで一日では足りないのだ。
料理をしない日は、釣りに出かけるか仕掛けを作る。妹や母の自転車のメンテナンスをしたり、家中の掃除をしたりお昼寝をしたりもする。お昼寝を共にしてくれて、、私のことを愛してくれる人が居れば募集していますのでいつでもお声がけくださいませ。冗談はさておき、これが休日のルーティンになるだろうか。仕事の日とは違う動きを意識的に取り入れることで、気分転換をして体の中の空気を入れ替えるのだ。また、勉強をするというのもとても有意義な日常のアクセントになる。私は「そろばん」のアプリゲームをしたり、数学や国語のアプリも楽しんでいる。文節や文法を学び直したりすることも、この冴えない文章力の助けとなっているからであるが純粋に勉強が楽しいこともこうしたアプリを使う理由だ。今年からは国家資格取得に向けた勉強などの取り組みにも励まなければならないし、仕事も変わる為に全てのルーティンを見直さなければならない。しかし、こうした変化というのは実はとても重要なことである。ガラッと生活のスタイルや、細かい動きというものを意識的に大きく帰ることで、考える力や想像力などあらゆる人間力を高めることができる。もちろん、日々繰り返してきたことをねじ曲げるというのは簡単ではないし抵抗があるだろう。ならばねじ曲げるのではなく、置換するのだ。意識を変えてしまえば造作もなく、こうしたことが出来てしまう。そしてその瞬間から、見えるものが変わってくるのを感じるのだ。
寝る時間や起きる時間出社時間などに合わせるのではなく、自分のスタイルとして設定をすることでもルーティンを見直すことは出来る。家を出るのが何時だからと、逆算して起床時間を決めるのではなく端から個別で考えるのだ。起きて何をしたいのか、どれくらいゆっくりしたいのかというのも重要だ。しかし、それ以上に重要なのは起きている時間。つまり活動時間内でどれだけ多くのことができるのか、タスクをこなせるのかだ。ただ毎日をむざむざと惰性で生きていては、なんの発見も経験もない。自分から飛び込んでいかなければ、発展も成長もない。だからこそ、ストイックになる必要なないが几帳面に生活をするというのは大切なことだ。もちろん、私だって人の子だ。疲れもすれば、だらしなくなりたい時もある。だからそういう時と言うのは、お昼寝して惰眠を貪るのだ。否、普段は出来ぬ心地よい眠りを味わうのだ。これが惜しいようで気持ちがいい。だが、せっかくの休みが惜しいのだという、二律背反が生じているのも事実だ。しかしそれでいいし、むしろそれがいいのだろう。バランスが取れているといえる。そして、これらの緩急というのは定期的に取り入れなければならない。人によっては曜日で生活スタイルに変化をつけるというのも、肌にあっていることもあるかもしれない。月曜日はいついつ起きて、何をするでもいいし、月火水はこうするといったスタイルでもいい。そして、それを定期的に反転させることでも素晴らしい生活になるだろう。

よく、「日常に変化がなくて詰らない」と言っている人や、「毎日おなじことの繰り返しが嫌だ」という人を見かける。しかし、それは甘えでしかないと私は考えている。なぜそのような突き放す言葉を口にしたかと言うと、先にも述べたように毎日の行動というのは自分次第でいくらでも変えられるものだからだ。寝ている時間は誰だって、身体を休めている間な意識がない。何もできやしないのだ。だから、起きている時間というのは自分の意思で変えられる。仕事で追われる人や勉強のために忙殺される人も、一時間といわず一分一秒で考えて見てほしい。そんの些細なことも、意識をしてみればきっかけというものが見つかるはずだ。寝る前の 一瞬でもいいし、起きた瞬間でもいい。食事中でもいいし、仕事中や勉強中。どこかのタイミングで、普段はしない何かを取り入れて見てほしい。すぐに新鮮な気持ちを体験できるかどうかは人それぞれだが、何かが変わるのを感じる時がある。それは違和感であるかもしれないし、ストレスのようなものかもしれない。しかし、それが大事なのだ。普段は感じないことを感じた時点で、成功しているのだから。あとはそれを自発的に取りにいけばいい。感じにいけばいい。そのうち癖になってくる。


たまには新しい自分というものを、探してみてはどうだろうか。思いもよらぬ発見ひらめきに出会えるかもしれない。そんな素敵なこと、試さずにはいられないだろう。

3/5/2023, 10:55:21 AM