幼い頃から会話をするのが大好きだった私は、人を見つけては誰彼構わず話しかけていた。今でこそ近所付き合いの薄い時代になったが、この頃というのは他所の家のこどもでさえ家に招いて遊ばせてくれるような時代だった。そういった環境が、お物怖じも人見知りもない私にしてくれたのだろう。小学生低学年の時分では、学校の帰り道などに声をかけられ家に招いてもらっていた。友達と遊んでいる時でも、普段から良くしてくれる家の方は人数が多くてももてなしてくれていた。
私の地元は今でこそある程度の開発が進み、自然が減ったように思う。しかし、子どもの時分を思い出せば緑に溢れていた。みんなで一日中遊べるほど、川も綺麗に澄んでいた。現代の子供は外遊びが少なくなったと方方で耳にする。しかし車で街を走っていると、私が子供の頃に遊んでいた場所には今でもたくさんの子供が集まる。もちろん、「おしくらまんじゅう」や「竹馬」、「缶けり」や「めんこ」などの遊びをしている子供はいるはずもない。せいぜいボール遊びくらいだ。中には携帯ゲーム機で遊んでいる時や子供たちもいるが、驚いたことに会話を楽しんでいるだけの子供たちが多かった。
今ではハッキリと何時の事だったか覚えてはいない。生まれた頃から住んでいた市営住宅が芸予地震で危険な状態になってから、優先権が与えられ新築の市営住宅に引越した後の事だから恐らくは5年生の頃だろう。その日、いつも遊んでいた友達といつも遊ぶ川で釣りをしていた。日の入りも差し迫る頃、探検をすることになったので薮や林の中へ突き進んでいた。
気がつけば私は一人で古い祠の前に立っていた。何処にいるのか、どうやってきたのか。なぜ友達が居ないのかも覚えていない。分からなかった。八の字に並ぶ古びたそれは、暫く誰も手入れをしていないのだろう。左手に青い屋根の祠、右手に赤い屋根の祠が苔や草に覆われて寂しそうに佇んでいた。大きさは大人であれば膝丈程もないような小さなものだったが、その存在感はとても大きかった。何故だろう、突然寂しく悲しい気持ちが胸に溢れていた。素直な子供ながらに、こんな日も射さぬ木々の足元で苔むしているのを寂しく思ったのかもしれない。私は祠の苔を取り除き、蜘蛛の巣を払った。その辺の草や木の枝を使って祠を掃除して、最後に手を合わせた。そして目を瞑り、「見守ってください」と願った。恐らくは、土地の神様を祀ったものだろうということを何となく感じていたからだろう。その後のことも覚えていない。友達と遊んだ記憶はあるが、その祠に関する前後の記憶だけが私から抜け落ちている。
宮城で三度目の恋をしていた頃、恋人が私が借りている部屋が怖いと言った。仕事で僅かな時間、恋人を部屋に残し外出した時のこと。帰宅すると恋人がいない。ドアを開け奥の部屋に入ると、恋人が部屋の隅で体育座りをして小さくなっているのが見えた。どうかしたのかと訊けば、私が出掛けたあとにシャワーの音と私の歌い声が聞こえてきたという。私はシャワーを浴びる時いつも歌うが、もちろんこの時は出掛けていているはずがない。恋人は恐ろしくなって、一時間近く、部屋の隅で怯えていたという。その話を聞いて、恋人を励まし落ち着かせた後にこの部屋やアパートについて話をした。
それは私や同僚が仕事の都合でこのアパートに引っ越してきた日のこと。下階住んでいる同僚から部屋に来て欲しいと連絡を受けた。玄関を開けて中に入ると彼の部屋は真夏の暑い昼間にも関わらず冷蔵倉庫のように冷えていた。そして奥の部屋の戸を開けると、彼が私に一言声をかけてきた。「この部屋、ヤバくないですか?」そういいながら私の頭上を指さして、さらに続けた。「それ。それなんなんですか」と声を震わしている。彼の横まで歩み寄って、私も同じように座り込む。そして、彼の指さす先を見た途端に異常に気づいた。先程まで私が立っていた入り口、扉の上辺りに白い霧のようなモヤのような塊が浮かんでいた。「あれ何?」と私が声をかけると、「分からないんです。ただ言えることは、あのモヤは移動しているんです。もう1時間もこの部屋を漂っています」という。二人で気味悪がりながら観察をしていると、確かにソレは部屋の中を行ったり来たりしていた。部屋のエアコンは動いていない。それどころかコンセントプラグが抜かれていた。そして、部屋一面に広がる訳でなく空に浮かぶ雲がそこにあるように浮遊している。暫く見ているとソレは消えてなくなった。そして、その途端に夏の暑さが部屋を包んだ。
夜のこと。同僚からまた呼ばれて部屋を訪ねてみると、やはりというか同僚は部屋の隅で丸くなっていた。勝手に上がり込んで、彼を呼ぶと「ここに来てあそこを見てください」と指を指す。指さした場所は彼の荷物で溢れかえるロフトだった。彼曰く、私が帰ったあとに部屋の中に干していた洗濯物をハンガーから外していたら目の前に顔があった。そして、それに驚いた瞬間にはその顔は無くなっていた。そして、私を呼ぶ直前のこと。ロフトから視線を感じて目を向けてみると、そこに赤い服の女性がいたという。私もこの部屋に入って来た瞬間に視線を感じていたこと、彼が指さした瞬間にそこに女性がいる光景が脳裏に浮かんだこともあってこの部屋が普通ではないことを感じていた。そして彼によれば、彼の父はそういった力が少しあるらしく感じたり見たりすることがあるという。その父が引越しを手伝ってくれた際に、「俺は絶対に、一歩も入らんぞ。ここはおかしい」と口にしたのだとか。
恋人に引越し当初からの話をしたところ、昔から世話になっている霊能者に懇談してみると言った。暫く経って恋人から「来週の土曜日に見て貰いに行くから、うちに泊まりに来て。お母さんにも伝えたから」と電話を受けた。翌週の金曜日の仕事終わりに、恋人と一緒に2時間の距離にある隣県の恋人の実家へ向かった。途中、恋人の母や姉にお土産を買いつつドライブデートを楽しんでいた。そんな時に恋人が今回の件について話を始めた。まず、私のことは一切話していないこと。アパートでの現象だけを話したことなどの説明を受けた。私は霊能者という存在を信用してはいないが、私自身が感じたり見たり聞こえたりすることもあってどんな結果になるのだろうという期待はあった。恋人宅に着いて、挨拶をそこそこに私が作った夕食を囲んで団欒を過ごした。
玄関のチャイムを鳴らすと霊能者の「K先生」が暖かく迎え入れてくれたが、「あの人かぁ」と私に一言呟いた。霊視をする為の部屋に通され、名前や生年月日を伝えたところでK先生が話し始めた。私たちが来るまでのこと、玄関での言葉の意味などを優しく安心させるように説明を続ける。先生が話では、私たちが先生宅に向かっていることは手に取るように分かっていた。空に龍神様さまが飛んでいて私たちのことを伝えてくれていたという。そして、玄関を開けた瞬間に若い女性の霊が隠れたという。まず若い女性の霊は悪さをするものでは無いので放置していいということ、龍神様については私の守り神だという。
本題に触れると、この龍神様というのは白龍で慈悲と慈愛に満ちている。そして、誰にでも波長を合わすことができるためこの加護下にある人は人との付き合いに困ることはあまりないという。というのも、人に合わせることができるため世渡りが上手いのだという。では、なぜ龍神様が私のそばに居るのかは分からないという。私の家系では龍神様を祀っておらず、親戚にもそのような信仰はない。過去の話をしたところ、例の祠がその可能性に近いのでは無いかとK先生は言う。そして、興味を持って見守っていたら私のことを好きになって守っていこうと決めたのだと龍神様と話をしたとしてK先生は言った。部屋に入り切らないくらい大きな白が、とぐろを巻いて私の後ろで話を聞いていること。いつも見守っていること、導いてくれていることにほんの僅かでも感謝を忘れず特に意識もせずこれからも過ごしていけばいいとK先生は付け加えた。
さて、まだまだ話は続くのだが長文も過ぎると重く文字の入力が難しい。何よりも拙い長文に、読んでくださる皆さんを付き合わせてもいけない。この話は半端になるが、ここでしまいにしよう。
趣味も恋も仕事も、なにか理由や動機であったり自分を動かす何かきっかけがなければ成り立たないだろう。魚が好きで、捌いて料理をして美味しく頂くという一連の流れが好きだからと魚釣りをする人もいれば、単純にファイトをしたいからとルアーフィッシングやジギングを楽しむ人もいる。好きな曲を好きな音色で奏でたいから、楽器を演奏して音楽を楽しむ人もいる。人の笑顔に幸せを感じるから、お笑い芸人になる人もいる。小さな特別を感じて欲しいからパディシエになる人もいる。あの人のことが大好きで独り占めしたくて、誰にも渡したくないからと自分の気持ちに愚直に恋に走る人もいる。
何かをする時、そこには大小様々な気持ちや想いが存在している。堪えきれないような悲痛の叫びを胸に秘めている人もいれば、何者かになってやるんだとハングリー精神旺盛に心を滾らせる人もいる。そして、これらの心の声というのは本人にしか分からず本人でしか処理できないものである。他人が干渉できるものでは無い。寄り添うことは出来ても、その人の気持ちや想いを汲むことは出来ない。、その人の心に触れることはできない。しかしながら、人というのは実に分かり易くい。それでいて掴みどころのない不思議な生き物だ。本人でさえ、心の内を理解していないことがある。己の本音を知らず、自分自信を追い込み傷つけることがある。かと思えば、意図せずして自身の心を軽くすることもある。繊細故に盲目的なところがある実に複雑な生き物である。
人が自らの想い気持ちに触れるのはどのような時だろうか。突然にして漠然と「あれがしたい。これがしたい」と思い立ったり、「あの人のことが好きかもしれない」と恋に鼓動を早くしてみたり。これらはいつだって、自分自身でさえ気がついていなかったその物事や人に対する想いや気持ちが少しずつ蓄積した結果に、表面張力を打ち破って溢れ出した時では無いだろうか。これはあくまでも私の考え方にすぎないが、物事というのは深く考えれば考えるほどに曖昧になっていくものだ。 同じものを見続けた時にゲシュタルトが崩壊するが、気持ちや想いというのも焦点を当てて見つめ続けていると却って理解できなくなるものである。人は無自覚無意識のうちに、溢れ出た心の音に素直に従って生きている。想いが張り詰めている時というのは、表面が湾曲しているために輪郭は歪み、透けて見えるものを屈折させ、より不可解にしている。しかしそれが溢れ出た時、先程までの不鮮明で不可解だったものが透き通って鮮明に見えるのである。人が衝動的に何かをしたくなったり、突然恋に落ちたりするのはこうした時なのだろう。寡黙で温厚な友人や知人は、
普段であれば声を荒らげることはないが些細なきっかけで見たことがないほど激怒したりする。少しの毒も吐かぬ優しい同僚が、先方との電話を終えるや否や罵詈雑言を口にする。
人という生き物は、基本的には倫理観といあとのを持ち合わせておりそれぞれの理性でもって自分自身をコントロールしている。ところが、これらが機能しない時には暴走といあ結果を招くのだが結末というのはその事象により様々である。日々抑え込んでいた怒りや憎しみが爆発して、大きく強い口調で罵り罵倒する。友人同士であったが、好きという気持ちに嘘つけず突発的に好意を叫ぶ。周りに合わせて取り繕い、嫌いなものや嫌いな人を好きなふりで誤魔化してきたが耐えられなくなってことは間を選ばず思いのままに本音をぶつける。理性や倫理観というのは万能ではない。人は物事を深く考えることの出来る能力を持っているが、そのために要らぬ気配りや忖度といった無駄なことにまで思考を巡らせる。もちろん犯罪行為や迷惑行為、公序良俗に反する行いを起こさない人は至極冷静で物事を客観的に捉えることが出来る。自らの言行が及ぼす影響を深く考え行動することが出来るが、己を強く律しすぎる事で縛りつけていることがある。本当にやりたいことでさえ、人に気を遣い遠慮して萎縮してしまって何も出来ない。そうして様々な気持ちを胸の内にしまい込んでしまう。それがいつか火山のように爆発的に飛び出して、見たこともないような行動力に繋がることがあるだろ。川のように強く激しくなった流れを抑えきれず溢れ出した時、ふと冷静になってつまらない忖度や遠慮を流しさって新しい自分に出会えるだろう。
人は常に多かれ少なかれ、数え切れないほどの感情の起伏を繰り返す。いつどこで、どのように抱いた気持ちも胸にしまい込むことで場を繕う。人の行動力の源は、その強い思いや動機といった目的あっての考えであったりする。しかし、そのどれもは実は誰にでもある胸の内にあって見えない樽から溢れ出た気持ちなのではないだろうか。誤魔化して、無視してきたことで見えなくなっていた自分自身の本当の姿であって素直で曇りのない心の声では無いだろうか。
溢れる気持ちは、自分自身を映し出す鏡のように嘘偽りのないものだろう。
幼少の頃より、兄の級友の女子やその女子の姉などそれはそれは沢山の方に可愛がって貰った。実の姉履いたが、それ以上に愛情を注いでもらった。小学校に入学してもそれは変わらなかったが、私の同級生の女子やその兄弟姉妹からも可愛がってもらったことが唯一の変化だろうか。高学年になっても男子との交友だけでなく、女子の家へ遊びに行くなどの交友はまだ続いていた。妹の友達の女子とも遊ぶことも多く、普段から男女に拘わらず沢山の縁に恵まれていた。だからだろうか、性の自覚などは薄かったように思う。高学年であれば女子も男子も、誰々が気になるだの、好きだのと話を弾ませるものだが、私にはそれがいまいちピンと来なかった。優しくていつも良くしてくれる女子もいたが、クラスの女子や男子は私のことを同級生というより弟のように可愛がってくれていたからだろう。幼子があの人は優しいから好きだと、純粋な好意を向けるそれに近かった。中学生になってもそれは変わらず、人として好きという認識がとにかく強かったように思うが、それでいてたとえそれが男子でも女子でも誰かに取られるのが嫌だという変な嫉妬心も芽生えていたた。それは決して異性に好意を寄せると言ったような、恋心ではなく特別を奪われるののが嫌といったような事なのだ。
社会に出て、地元を離れ宮城に渡った私には人生これ以上ない環境の変化を身をもって味わった。そして、新規入場した作業現場での出逢いが私の人生を大きく動かした。一般的にどこの現場に入っても新規入場教育という、作業所規則や作業内容など基本的なことを受けるのだが、その現場でも例に漏れず教育が実施された。食堂での教育実施でいったがそこで出逢ったのだ。「女の子というのはこういう子のことを言うのだ」と雷に打たれたように衝撃が走り、食堂で只只その子のことだけを見つめていた。生まれて初めて「あの子が欲しい。絶対に僕のものにする」と、心から思えた瞬間だった。もちろんそれが恋なのかどうか、私には分からなかったが欲しいゲームやおもちゃのためならなんでも出来る子供心に近かったのかもしれない。普段はその子を見かけることもあまりなく、現場のどこで何をしているのかも知らなかったが母親や叔母も同じ現場で働いていることだけは分かった。毎日出勤しては目で追いかけ、瞼にやきつけてはその可愛さに釘付けになっていた。どうすれば近づけるだろう、仲良くなれるのだろうとあれこれ思案しては行動に起こせない日々に憂鬱としていた。
急遽、アスベスト講習を受ける事になった。グループわけされており、Aグループが終われば翌日にBグループが受講する流れになっていた。会社の同僚は工区が違ったためAグループで前日に受講済みだった事から、私はひとり他の会社の作業者とBグループで受講することになった。現場内に設けられた講習会場へ入室した時、既に着席して暇そうにしていた彼女が目に飛び込んできた。すると、彼女の母親や叔母が「こっちおいで!この子の横に座りなさいな」と声をかけてくれた。サプライズに心躍らせながら彼女の横に着席して筆記具を机に並べたが、ドキドキと鼓動が早くなって受講どころではない心持ちだった。講習担当者による長く退屈な挨拶が終わるとカリキュラムが読み上げられたのだか、この講習が17時まできっちりあることを知って彼女との時間を楽しもうと決めた。そして、この日こそがチャンスと覚悟した。1時限、2時限と時は刻一刻と流れていく。勇気が出なかった。拒絶されたらどうしようなどと、分かりもせぬ先のことを考え始めてしまっていた。そして、3時限目が終わったタイミングで何もしないで後悔するくらいならば思い切って行動して後悔する方がいいと決心した。付箋にフルネームと電話番号、メールアドレスと簡単な挨拶を書いて小さく畳んで握りしめた。休憩からから彼女が戻ってきて、隣に着席する。そして両手を自分の太ももの横に置いてパイプ椅子を掴む。ビデオが映し出され照明が落とされ部屋が暗くなったところで、付箋を握った手で彼女の手にそっと触れた。すると、彼女が手を握ってきたのだ。柔らかく少し冷たい手が、私の手の甲をそっと優しく包み込んだ。すかさず手のひらを上に向け、付箋ごと彼女の手を握った。スクリーンを見つめたまま彼女の様子を横目に窺うと、彼女は付箋に気がついたのかそっと手を離した。
4時限目が終わった。どんな反応をするだろうかとドキドキしていると、私の耳元で優しく可愛らしい高めの声で「ありがと。今日から毎日メールするね」と呟いた。お昼ご飯は別々で食べたが、5時限目からはずっと手を繋いでビデオを眺め続けた。緊張から手汗が酷がったが、彼女も手汗をかいていたのか気にしていた。手を離しては2人揃ってズボンで汗を拭っては繋ぎ直しす。途中、彼女が優しく指を絡めてきた。所謂、恋人繋ぎと言うものであるが残りの時間をそうして楽しんだ。講習などまるで頭に入っていない。
それからは毎日メールをした。毎日帰ってから電話でもした。どんどん彼女に惹かれていくのがわかった。これが恋なんだ、異性を好きになるのはこういうことなんだと知った。知った途端に、彼女を想う気持ちが強くなった。2週間ほど連絡を取りあっていただろうか、告白をしなければならないと心の中で思ってはいたが動けない自分がいた。フラれるかもしれない、実はほかに好きな人がいるのかもしれない。純粋な優しさで私と接していて、私はそれを勘違いしているのかもしれないと又もウジウジと考え込んでいた。そんな私の好意に周囲は気がついていたという。彼女の叔母が「あんたいつまでウジウジやってんだい!男ならさっさと告ってキスの一つや二つしろ」声をかけてきたので、何故それをと聞くより早く私が彼女に恋をしているのは皆知っていると告げられた。そして、彼女自身も告白を待っているはずだからしゃんとしろと尻を叩かれた。そう言われると少し自信が持てたが、彼女がどう思っているかは彼女しか知らないわけだと屁理屈でまた後退りをしてしまう自分がいた。
夜勤専従のBグループ。私は20時のミーティングの後に、彼女へ決意を込めたメールを送信した。「5時に仕事が終わったら、厚生棟の食堂で待ってて」それだけを送信して、その日は仕事が終わるまでまメールを打たなかった。いつもは休憩の度にメールで会話を楽しんでいたが、その日は彼女からも連絡は来なかった。ドキドキとして、どこかふわふわとしたような気持ちで注意散漫にも程があったであろう。夕方に仕事を終えて厚生棟まで全速力で走った。彼女が待っている厚生棟へ息を切らして走った。彼女の家族や一部の人達はシャトルバスで通勤をしていたため、時間は差し迫っていた。厚生棟の引き戸を勢いよく 開け放ち階段を駆け上がり食堂の戸を開けると、相変わらず可愛らしい手顔で私を出迎えてくれた。
「あなたを人目見た時から恋をしていました。あなたの事を考えれば考えるほど恋に落ちていきました。あなたの優しい心、優しい声、優しい笑顔が大好きです。あなたを独り占めしたくて仕方がありません。結婚を前提にお付き合いをしてください」とありのままの想いを全てぶつけるのに勇気は必要なかった。彼女が私の言葉を笑顔で待っていてくれたから。そして彼女も私に想いを聞かせてくれた。「私もあなたのことが大好きです。初めて見た時から好きでした。頑張り屋さんで真面目で一直線。それなのにどこか子供のように無邪気で可愛らしいところがあって、その全てが愛おしいの。こちらこそ結婚を前提にお付き合いをしてください」と真っ直ぐで飾らない素直な想いを聞かせてくれた。
まだ暗い、広い食堂の隅で唇を重ねた。何度も啄むように優しく優しく、お互いに想いを込めて。時間が無いことを思い出して、ふたり顔を見合せた。見つめあって何度も何度も想いを伝えあったが、言葉だけでは物足りなかった。啄むように唇を重ねていたが、いつしか息を漏らし糸を引く口付けをしていた。初めての恋と初めての口付けは、息が上がるほど激しく愛に満ちていた。
シャトルバスが到着するまで、暗闇に二人きりで唇で想いを伝えあった。
「人間(ヒト)」といういきものが存在する限り、この地球上から例え小さな争いも尽きることはないだろう。人間とは、高度な思考能力で文明を築き栄えて来た。そして、そこには争い事が必ず存在している。それは遥か昔、遠い過去の記録が示している。
今のように防錆特性に長けた便利な調理道具や日用品や、いつでもどこでも簡単に火をつけることのできるマッチやライターなど現代人の生活の中には当たり前に存在するものがなかった時代。人々は日々、または年々と様々な技術を発見し身に付けてきた。今で言うところの「国」や地域ではそれぞれに文明の進む速度は違ったが、人間が地球上の生き物の中で食物連鎖の頂きに登るのはそう長くはかからなかった。もちろん、野に出れば人間の命などひと噛みで葬ることの出来る獰猛な獣や連携をとってで獲物を狩る俊敏な獣。毒や鋭いトゲで身を守り、敵を屠るこのとできる生き物もいる。しかし、人間は今日にかけて持ち前の賢さで様々な生き物を資源に生きている。
石などの投擲による集団の距離攻撃に始まり、弓矢による個人の戦闘距離の増大。剣や刀、槍といった近接距離での戦闘。今や個人でも数キロ先を攻撃することが出来、相手の顔を見ることも無く相手に気付かれず制圧することができる。集団攻撃は、軍隊のもてる兵器を用いて様々な攻撃を敵地または敵に叩き込むことが出来る。
人間だけでなく、この地球上に存在する生き物はみな進化や部分退化などを経て今の姿がある。植物にも進化の過程で、様々な能力を身に付けたものもある。昆虫や節足動物といった身近な存在も、生きる地域や環境で様々な進化を遂げてきた。周囲の環境に擬態するものや、種そのものの姿を他の種の姿へ変えたものもいるが、爬虫類や哺乳類、果ては霊長類に至るまで変わりゆく環境の変化に応じて変化を遂げている。さて、その殆どは身を守るため生き抜くためだ。しかし人間はいつしか、そうして身に付けてきたものを自ら争いに使うようになった。そして攻撃され侵略の危機に備え、同じように力を争いに用いる。強大な武器や暴力を前にして身を守る方法は、やはり同じく持てる限りの武器や暴力でしかない。そこに綺麗事は存在せず、あるのは命の削り合いだけだ。では、全てが無作為な侵略や略奪のための争いであるかといえばそうでは無い。より豊かな暮らしと安心と自由を求めたものもあれば、信じる物事や考えの違いによる戦いもある。思考能力が高いということは、一人一人がそれぞれのの考えや思想をもとに生きているということである。即ちら争いの中にも、この様々な人間特有の部分が如実に現れる。故に、当初そこは身を守る為の武器や暴力もいつしか違ったものへと変化していく。争いからの解放を願い叫び謳うものが現れれば、その苦難の中にあって魅力を感じないものなどいないだろう。遂に解放を目的に武力と暴力で争いを始める者たちが生まれ、さらに過酷で危険な暮らしが始まる。それはひたすら繰り返されていく。では、立ち返って当初の目的や思想に基づいて争っている人間はどれだけいるだろうか。多くはないだろう。人間とは実に弱く脆く稚拙で矮小で身勝手な生き物だからである。自分の意思や思考、思想すらも覆い隠し、或いは消し去ってしまう「大義名分」という兵器を持っているのだから。
地球上に存在する生き物には、地球を維持するための働きがあるというが人間には無いのだという。人間は存在するだけで環境を破壊し、無作為に他の種を狩り、人間というひとつの種だけに都合の良い環境を作っているからであるからだそうだ。例えばある種の昆虫が絶滅すれば自然環境は崩壊し、様々な生き物が死滅するだろうという話も聞く。しかし、人間だけは絶滅しても地球上の野生生物などには影響がないという。人類のいなくなった未来は、大地は再び緑が繁茂しそれまで使役され、家畜化されてきた生き物たちが本来の姿へと戻るという。もちろん、人類が生み出した生き物は人間と共に絶滅するだろう。
武器や兵器はやがて身を滅ぼすことになるが、捨てるに捨てられぬ現実がある。例え、一斉に「せーのっ!」で処分したとして終わるはずがない。武器を兵器を作ることの出来る技術と文明社会が存在しているうちは、また誰かが暴力に訴える。その暴力から身を守るために武器を持ち戦う。その武器から身を守るために兵器を使用するだ。私とて、武器や平気などの武力があっていいはずが無いと思っている。しかし、思ってはいてもそれは万人の心ではない。万人の考えでもない。誰かが、どこかの国や地域が強大な武力を有している限りは対抗しなければならない。例えば日本には自衛隊など要らないと、武器などいらないと宣う人々がいる。しかし、彼らはその声を上げるだけでなにを成し得たのであろうか。彼はの言葉では、「武器を持っていることは、即ち戦争を許していることと同義である」ということに他ならず、そこに他の考察も何も無い。そして、彼らの言うように自衛隊という集団組織を無くしたとして、災害の多いこの国で一体誰が今までのように救助や支援をするのだろう。重要なのは代替されるものであるが、この場合は自衛隊に変わる集団組織または、団体をNPOで組織することだろう。しかし、解決するものではないことは言い添えておく。国や各省庁隷下では自衛隊と変わらない結果になるだろう。行政の元に組織することも不可能だろう。組織したとして、そこに税金を投入するとなれば住民が許さないだろう。まして、その組織を常設するとなれば職員が足りないが職員を増やして問題が解決する訳では無い。当然だが結局は県独自、或いは町独自にチームを組織するだろう。簡潔にいえば、きりがない。
では何故、NPOで組織することが代替案なのか。では何故、代替案でありながら解決策では無いのか。非営利団体とはその名の通り営利目的を有さず、社会的な目的や使命の為に自主的に活動する組織だ。つまりは、国営でも県営でも市営でも無いことから税金が投入されることは無い。そして、日本では一般的にに民間人が武器等を所持することは出来ない。つまり、活動家の方々が危惧する点については解決している。では、災害などが発生した際はどうだろうか。自衛隊に変わる組織となるには、自衛隊と同じだけの機動力と即応力が必要である。そして、自衛隊という大きな組織だからこそ可能な人海戦術も必須である。これらをNPO法人で用意するには、寄付を募るなどの活動が重要になるだろう。そして、融資や寄付金からなる資金で人を集め需品や関連備品などを揃え組織しなければならない。また、構成要員にはボランティアで参加してもらう、または寄付金や災害時義援金などから手当等を充当することで有償活動が可能となるだろう。常設ではなく、非常時等に発動するものとする。年間に数度、定期的に技能習得のための教育または訓練を行い有事の際には現地対応に当たってもらうというのが考えられる一般論だろう。
さて、そのような事が現実に障害なく進められるだろうかといえば不可能に近いだろう。そして、万が一に他国の侵略による危機に瀕した時はどうして身を守れるだろう。占領され、日本人が築いてきた文化文明は葬られることになるだろう。災害に備えて有志を募り組織することが出来たとして、それを大きな単位で組織することは簡単ではない。大きな組織を管理する人間が必要になるが、それを非常時で正常に的確に制御できるだろうか。年に数回程度の訓練や教育では使い物にはならないだろうが、何よりも重要なのは一般人から構成した組織ではその構成要員が罹災すれば機能しなくなるということだ。そして、他国侵略の折には武器のない者にできることなど何も無い。
詰まる話、人間はという生き物が存在するうちは平和などというものは夢見物語でしかないのだ。戦争は到底許せるものでは無い。国家間の争いに罪のない尊い命が奪われるのは涙を抑えきれないほどに悲しく苦しい。憎くて仕方がない。しかし、これが現実なのだ。
人間が存在し続けるならば、例え百年先も千年先も争いは絶えぬだろう。
人生を悲観するほどの悲しみに打ちのめされ、何もかもがどうでも良くなったときひとはどのようなことを思い、どのように行動するだろう。
二十代もまだ浅い頃合だったか、昼間は住宅の塗装工事に追われ忙しい時間が過ぎる。夜はパチンコやスロットなど所謂、遊戯台に関わる工事で明け方頃まで作業をしていた。昼間の仕事も請負い件数が一万八千戸と膨大な仕事を抱えていたが、大義であったのは夜間工事である。遊戯店ということもあり、作業のため入店できるのは二十三時過ぎの為とにかく時間に追われていた。遊戯台の入れ替えやサンド機の交換、CPUやランプの交換とそれに付随した配線作業を行わなければならなかった。通常、遊戯台の新台入替や台移動だけなら早ければ二時間から三時間で終わる。しかし、サンド機やランプなど電装工事になるととても時間がかかる。寝るまもなく作業をしていると、不思議なことがよく起きる。三十分ほど意識を失っている時があるが、同僚に言わせれば無言で作業をしていたという。確かに周囲を見てみると、記憶が無い部分も接続作業が完了している。念の為と思い確認してみるが、間違いなく施工しているのだ。その後に同僚も同じような現象に見舞われたが、やはりその時の反応というのは「ごめん、寝ちゃってた」というものである。もちろん同僚は寝てなどいなかった。作業をしていたし会話もしていた。作業の都合上、遊戯台の前に設置された椅子の上を渡り歩くのだが、そこにも特段おかしなところはなかった。だが、同僚にはその記憶が無い。ひとは危機的状況に陥ると、本能が発揮されるという。恐らくこの時の我々は休む間もなく働き詰めであった為、防衛本能が働いて過酷な記憶を消したのだろう。
そんな限界を突き進んだ生活をしていれば、事故というものは必ず起きる。いつものように夜間工事を終えて塗装の工事現場へ移動し、車内で仮眠をとる。朝礼に参加し、各業者の各職長同士ですり合わせを行い作業計画を立案する。流れが決まれば作業開始となる。その日もいつものようにルーティンをこなすように過ごすのだろうと思ったが、それは起きた。私が用意した塗料入りの下げツボが燃えているのを見て、上階を確認すればそこで鍛冶屋が溶接作業をしていた。朝の打ち合わせで取り決めた手順が守られていないための事故だったが、その後に事故が起て続いた。同僚のひとりが脚立に登り、二階の階段手すりを外から施行していたが突然倒れたのだ。すぐに駆けつけるも大事なく、何が起きたか訊くも分からないという。そして、午後の作業で今度は私が事故に見舞われたのだ。三階の共用廊下に脚立を二脚立て、アルミ製の歩み板を渡してその上で作業をしていた。歩み板の上は非常によく揺れる。というのは上下にたわむのだが、普段からこのような作業をしている為に何も感じない。
突然だった。気がつけば一階に墜落していたのだが、これ幸いに足から着地した為大事はなかった。大事はなかったが、着地の際に右脚のみで着地をしてしゃがみ込んだことが原因だろう、靭帯が損傷したのか足が動かない。激痛で苦しんでいるところに同僚が駆けつけてきて、声をかけてくれた。曰く、私は何故か歩み板のない方向へ一歩踏み出したという。この一言で合点がいった気がした。というのは、墜落する間際に何故か分からないが私には今いる場所が地面のように思えていたからだ。命こそ助かったものの、その後半年は右足は思うように動かなかった。
人間の本能の話に触れたが、限界を超えた先にあるのは本能さえも働かせぬ危険性が潜んでいる。自意識の欠如や意識耗弱、注意散漫や放心状態はどれだけ意識して制御しようとも能力その物が働かなければ意味が無い。
事故からしばらく経ち、私は勤めていた会社を去り知人と起業した。そして人に騙され途方に暮れ、何もかもがどうでも良くなった。そんな時期を乗り越えた先にも、不運というのは執拗についてまわった。馴染みのタイヤ屋で冬タイヤから夏タイヤへ交換作業をしてもらった帰り、国道4号線をのんびりと運転していたときだった。先の信号交差点が赤信号だったため信号待ちの車列に加わり、青になるのを待っていた。すると大きな衝撃を受けた。理解するのに数秒も要さなかった。追突されたのだと分かり、正常に動かないタイヤを引きずりながら路肩へと退避させる。見れば私の車は後部が大きく潰れており、追突した車両はエンジンが剥き出しになっていた。あまりの衝撃とショックで吐き気を催したが、何よりも身体中が痛い。救急搬送の後に一週間の療養を余儀なくされたが、具合は良くならない。それでも復職し、いつもの生活に戻るのだが再び追突事故の被害に遭ったのだ。一度目の事故から実にひと月後のことで、症状はより一層の悪化の道を辿っ。
秋から春にかけて私の下腿部は力が抜ける時があるのだが、国立病院で診てもらっても何処に行っても原因が分からないという。強いて言うならば、過去の様々な事故が原因で細かい神経などが損傷している可能性があるのだという。この先、きっとこの症状に悩まされながら生きていくのだろう。これは、私にとっての悲話とでも言おうか。
暴力で支配された会社で休みなく働かされ、事故に遭うも治療の機会は貰えなかった。労災に次ぐ労災。そして立て続いた交通事故によって、私の体はボロボロになってしまったようだ。これまで生きているだけで儲けものだと私は口にしてきたが、これに間違いは何一つないと思っている。なぜなら、こうして語ることが出来る命がここにあるのだから。そして、美味しい食事を楽しみ睡眠を貪り生きているのだから。そして、これらの経験は私にとってかけがえのない財産であり私にはなくてはならない価値を持っている。そう、参考文献が沢山詰まった書棚のようであり情報の詰まった辞書のようである。これ故に、こうした文章を詰まることなく書き出すことができるのだから。
勿忘草には悲話があるという。ドイツの悲話だが私の体験してきたことなど、なんと小さく見えるだろうか。霞んでしまって何も見えやしないのではなかろうか。物事には意味や由来、所以などがある。それは人の人生にもあてはまるだろう。どのように生きてきて、どんなことを体験し経験してきたのか。そして、そこから何を得たのか学んだのか。人を構成するものは、性格だけでは無い深い深い人間味だろう。そして、その経験には浅いも深いもない。肝心なのは、自分がどれだけの想いを持っているかだろう。
ひとつひとつのことに意味を持たせるのも、何かを見出すのも自分次第だ。「勿忘草」という花は青く美しくその名もまた愛おしいが、その悲話はとても胸が苦しく痛む。故に花言葉もまた、とても悲しく寂しいと思える。そして、それが惹き付けてやまない魅力なのだろう。
法華経には「十如是」というものがある。深く語ってしまうと、元々長く退屈な話がさらに長くなってしまう。よって簡単に掻い摘んで話をしてみよう。人には、そのひとの存在そのものの影響というものがある。その人自身がもつものが、主マウイに与える影響というものだ。これは何も悪影響だけを言うのではなく、善い影響についてもそうだ。例えば「長渕剛」という歌手がいるが、長渕剛氏は魂と情熱の込めた歌を力強く歌う。すると、これを聴く人々は感動を覚えたり、勇気を貰ったりと心を動かすのだ。その事で人々は彼に惹かれ、彼をもっと多くの人に知って欲しいと思い方方で目を輝かせ語るだろう。それを聴いた人もまた彼に興味を持ち、その歌声を聴いてその魅力を真に知る。
たくさんの人々の声が歌手「長渕剛」を、とても強く大きな存在として世に生み出す。彼は、更に更に多くの人々の目にその姿を焼き付け、耳に刻み付けるのだ。
さて、存在についての話はこの辺りでやめておくが「勿忘草」という花。その悲話あっての名を冠し、花言葉を持つ。そして、この花を愛するひとはこの背景も含めてその魅力に惹かれている。
さあ、人生とは様々な経験をしていくものである。そしてそれはその人をその人たらしめるものである。このように花や人になぞらえて、表現をすることで人生において悲観するような出来事も無駄ではないとよく分かるだろう。花が花言葉をアイデンティティとするならば、いっそのこと自分の辛い話も自分だけの価値を見出してアイデンティティにしてしまえばいいのではないだろうか。