空模様(昼寝ができなかったので書いている)
空を見上げると、遠くの方に黒い影が点々と浮かんでいた。
ああ、もうじき私もあちらへ行くのだな。 ならば目を閉じて稚拙な願い事をしよう。
妹が幸せでありますように、この世界に平穏が訪れますように。
青空は遠く澄み渡っているというのに、地上は悲痛で溢れかえっていた。
入道雲が遠くに雷鳴を引き起こし、黒雲が人々に死をもたらす。
遠くで爆音が鳴り響いたと思えば、どんどんとその音が近づいてくる。
心拍が早まり、脂汗が滲み出てきて、その時ようやく「ああ、私も幸せになりたかった」のだと気が付いた。
さようなら、我が妹よ。
幸せであれ、我が妹よ。
太陽が見えなくなっても、この心臓が止まっても、私は貴方を想う。
「…………あ、あは……あはは、なんて日よ」
数メートル先にゴトンと鉄塊が落ちると、私は荒い息が止まらなかった。
不発弾だ。
横たわる魚みたいで、なんとも滑稽に見える兵器ら、私の親友の命を奪ったそれときっと同じ形だろう。
だが安堵も束の間、後ろの方から爆音が響く。
すぐに振り返えると火薬と土煙が立ち上っていた。
ああ、あそこは、妹と妹の婿、そして子が二人いる離れの辺りだ。
1年前(キスの位置の意味調べてたら寝れなくなったので書いた)
たった一年、されど一年。
瞬く間に時は過ぎ去り、悔いたあの日々がどんどん遠くなっていく。
……猟犬として、私が為すべきなんだろうか?
「ハウンド、ハウンド。 敵はいない?」
「……ええ、おりませんよ」
一年前の貴方は、美しく綺羅びやかなドレスを着て社交パーティーに出かけていた。
絹糸のような美しい髪、整った目鼻、苦労を知らない指先。
俺は貴方の側に十年いる騎士で、黒と金の荘厳な鎧を身に纏って何度も凶刃から貴方をお守りしてましたね。
アフタヌーンティーだというのに、貴方は紅茶に口をつける回数より私をどうにか口説こうとする回数のほうが多かったのはまだ鮮明に覚えております。 貴方が猫のように甘えてきて。 砂糖みたいな日々でした。
でも、一年前のあの日に全ては燃えカスになりました。
反乱分子が屋敷に火を放ち、その火に気がついた私は真っ先に貴方を抱えて森へ逃げ出したんでしたっけ。
「お嬢様、怪我の調子は?」
「え? たかがかすり傷よ、貴方が勝手に軟膏も使ったし平気よ」
「……なら良かったです」
「ふふ、ハウンドったらいつまで経っても心配性ね」
お嬢様が口を隠して笑う仕草に、まだあの時の記憶を想起してしまう。
だが、あの時とは違う。
一年前の貴方の体には傷も痣もなく、美しい新雪のような髪は常に整えられていました。
だというのに、私には貴方を守り切る力が無かったのです。
腕や背中だけではなく、顔にまで傷を作らせてしまい、ほんのりと傷跡が残ってしまいました。
見る度に、過去を想起する度に罪悪感で心が苦しくなってしまう。
「そうだ、ハウンド。 森に逃げて来てから、もうじき一年ね」
「っ……申し訳ありません」
「いいのよ、ハウンド。 過ぎたことを悔いても仕方ないし、私は貴方と一緒にいるだけでも幸せなのよ」
お嬢様は私を手招いた。
隣に座ると、甘えるように抱きしめられる。
しばらくそうした後、お嬢様は私の胸当てに軽くキスをした。
天国と地獄
ああ偉大なる王よ、お助けを。
シルクに包まり、子羊の肉を喰らい、贅を持て余せし王よ。
この我に救いを。
「爺さん、また変な祈り捧げてんのか?」
「ああミシェル、可哀想なミシェル、どうしたんだい」
「爺さんに伝言を届けに来た。 置いたから、じゃあな」
ミシェルは薄汚れた紙切れを机に置き、出ていった。
皺まみれの手で紙切れを手に取った。
裏面の焼印から察するに、聖職者の寄せ集めの組合からだろう。
「『過去からは逃れられない』? ……偉大なる王、偉大なる王よ……私の罪は、貴方が為の……!!」
ああ忌々しい王子よ、裁かれよ。
血に溺れ、火を喰らい、負債に生まれし王子よ。
この我に復讐を。
地に這い、偉大なる王の元で忙しなく国に尽くした日々を思い出す。
黄金の城と白銀の騎士が地の果てまでを征服したあの日々を。
右腕として執政に携わり、卜者として占いをし、聖職者として信仰を広めた。
だが偉大なる王と、見目麗しき女王から生まれた王子は悪魔に取り憑かれていた。
王子が成長し、次代の王として戴冠するあの昼下がり、彼は暴虐の限りを尽くした。
「お爺様、"悪魔"の巡回がそろそろですわ。 ほら、早く地下室へ行きましょ」
「アンナ……わかっとる」
王子は城を乗っ取り、一夜にして城下町を、一日にして国を地獄へと一変させた。
紫紺の城と黒曜石の騎士が国を支配する時代へと変貌させてしまったのだ。
ああ忌々しい。
やつのいる城は、やつにとっては天国だろう。
だが、私にとっては城も国も時代も地獄としか言いようがない。
「ああ、アンナ」
「はい、いかがなさいましたか?」
「この地獄はいつになったら終わる?」
「……"天国"が地獄になれば、地獄と表現せずに終わりますよ」
カラフル(難しかった)
リー・エンフィールドを携えて狩りに出かけ、獲物を仕留めて家路につく。
肩に担いだ狼はズタボロで毛皮はあまり使えなさそうだ。
十年も続くこの冬では弱り果てて食われることだって少なくはない。
生きる為には仕方ないし、生きているのなら仕方ない、この世界の普通なのだ。
二時間かけて帰った家を見ると、私は必ず雪に埋もれてしまったレンガ道を思い出す。
道は地平線よりも先まで続き、黄金の城へと案内してくれていた。
だがそれも十年前の話、あれはもう過去の栄華のことだ。
雪と風と年月はあれらを容易く風化させてしまう。
最後に見たのは何十年前だったのだろうか?
少なくとも、私はあの荘厳な黄金の城とは正反対な質素で飾り気のない丸太小屋に住む狩人でしかない。
甲冑の漆色、栄華の黄金なぞ伝聞の存在。
極地の白色、寒木の茶色、暖炉の赤色だけが私の世界だった。
そう、だったのだ。
私の恋人が遺したたった一人の娘。
彼女は私に色というものを教えてくれた。
「パパ、帰ってきたの?」
「ああ。 毛皮は使い物にならんし、肉も少ないがな。 ……シャルロット、また編み物か?」
「うん! 完成したら見せてあげるから、まだ秘密!」
私が知っている色は白と茶と赤だけだった。
だが、私の娘――シャルロットは私に青や緑を教えてくれた。
交易で手に入れた毛糸を上手に編み、手袋や帽子を編み上げるのだ。
色というのはただそこにあるだけではない。
組み合わさり視覚で物語を奏でる、それこそが色なのだ。
残念ながら、シャルロットが編んでくれた帽子はカラフル過ぎて狩りには持っていけない。
だが、私は初めて色を理解できた。
そして、私の恋人の想い――愛を少しだけ理解できた気がした。
刹那
分からなかった。
眼前の光景が、雪原の色が。
私は目を離していなかった、ただ瞬いただけだった。
心臓の音が早まっていき、段々と痛くなっていく。
名前を呼ぼうとして、ふとコイツの名前を知らないことに気がつき、口から心臓が出るような錯覚を覚えた。
「おい新入り。 こいつみたくなりたくないなら、頭を下げろ」
ハッとなって地面にぺたりと這いつくばった。
鉄みたいな匂いが鼻腔をツンと刺す。
視界が白で乱反射し、雪すら見えなかった。
すすり泣きながら理解してしまったのだ。
瞬いた刹那に、私は戦友を喪った。